1 生贄ディナーに気をつけて! {§}
夜。
時計の針が先をそろえて天を指す。
とくに音が鳴るわけでもない。日付のかわったことになんら興味をしめすことなく、長い針は短い針を置き去りにして、昨日と同じ刻をきざむ。
蒸すような夜。
外灯にむらがるガや羽虫が、限りある光にわれさきにと飽きずぶつかり、ちからつきるまでおなじ事をくりかえす。静かな路地でくりかえされるいつもの営みは、しかしいつもとちがう音で乱された。
はっ……はぁ……はっ……
息ぎれと、駆ける足音。
ぶつかるように路地へと身を寄せ、息をととのえようと胸をおさえた。
その瞳はおびえの色に染まっている。
だれもがうらやむ制服の襟もとに、巻かれているはずのリボンはない。白い肌が無機質なあかりに照らされ、上下する胸元をおさえた手はこまかくふるえている。
「だれか――!」
声をだして呼びかけるも、答えるものはいない。ここまでのどをからして叫んできたのに、まるで無人の町のように、誰一人として姿を見せない。
逃げなきゃ。
少女はおもった。
逃げないとあいつらに捕まる。
捕まったときの運命に身震いし、ふらつく足どりで走りはじめる。
こんなことなら、太一クンと会うんじゃなかった。
恋人とのつかの間の逢瀬。部活が終わってからいままでずっと彼の部屋にいたのだ。
キスをして別れて、いつものように待たせておいた車に近寄ると、おかしな光景をみてしまった。
ちがう。
おぞましい光景だ。
車から引きずりだされた運転手に、群がる男の人たち。からまれてるのかなとおもったけれど、黒帯自慢の宇垣なら軽くあしらってくれる。
そうおもって近づいたら、目をこちらに向け、にげろ、と声にならない声が聞こえた。
血まみれだった。
ふりむいた人たちの口も、おなじようにべったりと血でぬれていた。
どこをどう走ったのかわからない。
無我夢中で逃げた。
足音がうしろから追ってきて、あらん限りの声で助けをもとめて叫んだ。
どうして誰一人出てきてくれないの!?
もう限界。
くずれるようにひざを折り、耳鳴りのような鼓動にあわせて息をする。
どうか。どうか神様。
あいつらが追いついてきませんように。
はぁ、はぁ、はぁ……
周りは静かだった。
ひょっとして、ふりきれた?
安堵が体中を満たしていく。
よかった。これでまた太一クンに会える――
「ひッ!?」
足。
目の前にくつを履いた足があった。
なんで!?
音なんてしなかったじゃない!
鼓動が早くなる。
体は凍りつき、目だけを左右にうごかす。
まるで牢獄の柵のように、何人もの足が自分を囲んでいた。
なんで?
なんでなんで?
なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで――
「いやぁああああああああ!!」
手に持っていたカバンを投げつける。
ぶつかって、すぐに落ちてきた。
「助けて……」
後ろも前も、右も左も、逃げ場がない。
懇願するしかなかった。
「おねがい……お、お金なら、いくらだって差しあげます。パパに、おねがいすれば、好きなだけ、あげるから」
沈黙。
それは、少なくとも少女にとって、否定を意味した。
手がのびてきて、服をつかまれた。ビリリと生地が引きちぎられる音。
つぎつぎと手が伸びて、少女の悲鳴が響く。それはやがて哀願へとかわるのも時間の問題だった。
くすくす。
上空から、その光景を満足げにみているのは白いフードをかぶった少女。
同年代の子が男たちに蹂躙されていくのを、ひどくたのしそうに見ている。
「ねぇ、見て」
だれにともなく語りかける。
「あなたをいじめてた人が、ひどい目にあってる」
クスクス、と少女は笑った。
「報いは受けないとダメ。人をいじめた人は、自分もしかえししされるって考えないと。それも、ずっとひどいしかえしをされるのよ」
ほうきに腰かけ、眼下でくり広げられる凄惨な光景に目を輝かせる。
「やっちゃえ。やっちゃえ。どうせなら、あの子もたのしめばいいのにね」
あきらめたのか、泣き声は次第に細くなっていく。
と――
唐突に、はだかに剥かれた少女の動きがとまった。
ビクン、とおおきくはねると、胸からつきでた刃物の先を呆然と見下ろす。
「あーーーー!!」
フードの少女が叫んだ。
「なにしてるの! きーたん!」
「んー? ためしぎりィ」
からかうような返事のあと、ズブリと刃が引きもどされた。
血を噴きだしてくたりと転がるむくろ。光を失いゆくその瞳に映し出されたのは、あどけなさを残す少年の顔。
錆びついた刃に付着した、新鮮な血をべろりとなめて「キキキ」と笑う。
「まだころしちゃダメなの! その子にはたっぷりオシオキが必要だったのに」
「えー? ごめん。気づかなかったヨ。許してチョー」
こときれた少女から流れだす血にむらがる男たち。
彼はそれを冷たい目で見下す。
「もー、きーたん勝手! バカちん! もぐら!」
少女は彼の前に降りたつと、グーにした両手でポカポカと頭をたたいた。
「見てコレすごくない? ちょっとしたモン拾ったよ」
意に介さず、手に入れたオモチャを披露する少年。血のりのついた刀身をビュンッ、とふるう。
斬ることのできないさびついた年代物の日本刀。
「モノホンの刀。散歩のついでにナマクラゲットだぜ♪」
「知らないそんなの」
自慢げな声にほほをふくらませ、少女は耳を貸さなかった。
「これからもっと痛い目にあわせてあげるつもりだったのに。絶望させて苦しませて自分から死にたいって思わせてあげるつもりだったのに。つまんない!」
「ボクらみたいに生きかえらせたらいいじゃん」
「ダメよ。だってあたし、男のコしかよみがえらせないもん」
「そーなんだ」
「そーなの。あ、そーだ。きゃはは!」
突然手をたたき、はしゃいだ声をあげる。
「イーコト思いついた! はい! そこまで!」
少女が命令すると、男たちはぴたりと少女をむさぼることをやめた。
「顔はだいぶじょね。うん。これならちゃんとわかるかも」
クスクス笑って目をかがやかせると、ふり向いて少年に命じた。
「それじゃきーたん。罰ゲーム。これ、はこんで」
「ふーん。メンドクサイからヤ」
「だめ! ゆーこときく!」
「へいへい。ボクら逆らえないからねー。どこまでも運ぶよオヒメサマ」
物言わなくなったなきがらを肩に背負い、片手に刀をぶら下げる。
「朝までにはこぶの。サンタさんはみんなが起きるまでにとどけないといけないのよ」
「へいへい」
「そくたつそくたつ~♪ トナカイさんがんばるのよ」
「ひひーん」
「あははははは!!」
テンションの高い二人以外無言の集団は、まるで葬送行列のごとく、不吉を暗示するように夜の町を進んでいった。