9 不吉の暗示
「ごふっ、ぐふぅ」
殴りとばされた日和はおぼつかない足どりで立ちあがるなり、師匠に向けて親指を立てた。
「時間かせぎ、しときました」
「そうですか。それはごくろうさまです」
すげなく返され、見透かされていることを知る。
「ちがうんです! オレ、本当はヤツのウラをかく作戦立案を計画していてデスね!」
「茶番は終わりです」
雑音を聞き流し、あえかは武技をかまえた。
「わたしがお相手しましょう」
「やだ。オバサンなんて興味ないし」
くすくす笑うその前に、刀を構えた若武者が割りこむ。
「あなたは此処にいてはなりません。お還りくださいませ」
「しづに非ずば露と消えよ」
若武者が地を蹴り、月を背に落ちてくる。
脳天直下の剣戟を避けるとともに、光る拳を打ちはなつ。
はずれた。
ながい髪を残像のようにのこし、存分にたくわえた両足のバネで引きしぼられた全身が、バネじかけのように跳ねあがる。
ザンッ! と斬り裂かれた振り袖から、ほそい腕が露出する。
「くっ――」
上空へとのがれた敵をにらみつけ、腕をかざす。
森がざわついた。
木と花の女神の命をうけ、森の植物たちが加勢にくわわる。
何者もとどかぬはずの高みに位置する若武者は、次のねらいをさだめて刃をむけた。
その刀身にスルリとなにかが巻きつく。
不審におもったのもつかの間、つぎからつぎへと野生のツタが伸びてくるや、空中でクモの巣のようにえだを張り、獲物をとらえる網となった。雄叫びをあげてもがけばもがくほどにからみつき、ついにはマユのように全身をツタでくるまれる。
「穢れし魂に生の喜びを。逝くべき定めに一抹の哀れを」
両の腕でやさしく抱くように遠い場所をつつみ、あえかは祈りを口にする。
「――天誅!」
緑のマユが輝きにつつまれ、燃えるように明るい火の玉となってはじけた。
子をうむために火に焼かれた女神の末路のごとく、その身は火にくべられて燃えつきる。
――キィ……ィィ――ン――
真っ逆さまにおちくるや、その音は悲鳴のように尾を引いた。
地面に突き刺さった、それはあるじを失くした刀の断末魔。
あるじの代わりに、最後までしじまに声を響かせる。
「あーあ、やられちゃった」
ほほをふくらませ、女は口をとがらせた。
「このへんでイチバン大物だとおもったのに、こんなオバサンにやられちゃうなんて。ザコじゃん」
「あなたは人間ですね」
あえかは拳をかまえた。
「ならば、なぐって更生させましょう」
「野蛮なヒト。オンナならオンナの魅力でたたかってみたら?」
そういって、ムネを強調するように誇示する。
あのサイズ……Fはかたい。
対して師匠はCだ。この勝負は分が悪い。
オレの愛のアドバンテージを加算したとて対等とはいかないだろう。だが勝機がないとはいいきれない。問題はスタイルだ。第一印象は総合力こそ勝負をきめる。それを証明するためのキリフダを、師匠は今もっている!
「ということで師匠、履いてるパンツをオレにください!」
「沸ッ」
光る拳がボディにすいこまれるなり、ボッ! と日和が燃えあがった。
「あちちちちちちちちちちちちっ」
ゴロゴロゴロと地面をころがり、火を消そうとする日和。
「心配ありません。それは神霊の炎。生きているモノには効果がありません」
「あちちっ――ってなァんだ。それならそうと早く言ってくださいよ」
ふぅと息をはいて立ちあがる。
たしかに熱くない。
「なんかつよくなった気分っスね! いまならオレ、スーパーな自分になれる気がする」
青い炎につつまれながら、両の拳をかためて「はァァァァ!!」と声をだす。
「もはや師匠がでるまでもない。このオレが相手をしてくれよう」
相手が女の子一人と見てとり、指を突きだしポーズを決める。
瞬間、
ボッ! という音とともに炎が消えた。
ついでに彼の衣服も消えた。
「…………」
なにが起きたかわからず、彼の意識も消えた。
「衣服は、生きているモノにふくまれませんから」
ほほを染めたあえかの一言がトドメをさした。
「きゃーーーーーーーっ!!」
乙女な悲鳴をあげるなり、重要な部分を隠して木のかげへと飛びこむ。
「もうボクオムコにいけない!」
「なんという残酷な女じゃ」
深刻な顔をして金剛がつぶやく。
「似たような格好で言わないでください」
「女のきさまにはわかるまい。このフンドシの重要性が」
「きゃはははははは!」
日和の隠れた木陰を指さし、足をバタつかせて笑う女。
「笑っていられるのもいまのうちです」
「なによ。面白いことしてるのそっちじゃない」
プクとほほをふくらませ、空に手をかざす。
なにもない虚空に、ぼふん! と竹ぼうきがあらわれた。
「にがしません!」
「さっきみたいに捕まえるつもり? やってみたら?」
フワリとほうきに腰かける。
まわりの木々がふたたびざわめき、つるを伸ばしてきた。
「あたしの友達はね、たくさんいるの」
複数の影が森のなかから飛びだしてくるなり、とらえようとしたつるを次々とひき裂いた。
女のからだが宙に浮く。
「まちなさいッ!」
「いーっ! だっ」
「このッ!」
手をのばすも、せまり来る影に気づいて拳をかためた。
気配にあわせて振りはらう。
「耶ッ」
にぶい感触。
この感触――
「――人間!」
吹きとばしたのは、サラリーマンのようなリクルートスーツを着た男だった。だが生身の人間が神卸の秘技をやぶるなどあり得ない。
男は身軽に立ちあがるなり、獣じみた表情でうなりをあげた。
ケモノ憑き!?
「それじゃね、オバサン♪」
カチン。
「もう一度言ってみなさい! ゆるしません!」
上空にむけて声を張りあげるも、こだまする笑い声だけが木々のあいだに反響する。
きづくとサラリーマンの姿も消えている。
「去ったか」
金剛が錫杖を片手に身体をひきずり、歩いてくる。
「おからだは大丈夫ですか?」
「小娘に心配されるほど落ちぶれてはおらんわ」
「そうはいっても――」
みるからに痛々しい。
金剛ほどの手練れをしてこれほどの手傷。接近戦で相手したなら、自分も無事ではすまなかっただろう。
「小僧。青龍家のものどもを起こしてこい」
「そのまえに着るもの貸してよ! 生まれたままのすがたで出歩けるほどオレのココロはハガネじゃないよ!」
「ワシのこの一張羅、貸そうか?」
「いらんわ!」
「しかたありませんね」
あえかが指をうごかすと、青々と茂ったおおきめの葉っぱが舞うように降りそそぎ、ぺたぺたと日和のはだに張りつき服を模した。
「本来はこういう使いかた、しないのですよ」
「さすが師匠! 行ってきます!」
葉っぱの服をまとった日和は意気揚々(いきようよう)と木陰からでるなり、倒れたままの青い服のもとへ駆けつける。
「何者だったのでしょう?」
あえかはあの女の正体をたずねた。
「さてな。奴らのエージェントの一人かもしれん」
奴らとは、あえから所属する”総社”と敵対関係にある組織だ。海の向こうより来たりて災いをもたらす外来の敵である。
「ならば目的は神器でしょうか?」
「どうかのう。おぬしの社のご神体はニセモノであったのじゃろう? ならば奴らがここにこだわる理由がないわい」
「それもそうですね」
「”総社”にはまだ、だまっておるがの」
「……ご配慮、感謝いたします」
「ふん。ワシも雨露をしのげる場所がなくなっては困るでの。帰って飲みなおす」
コキコキと肩を鳴らし、帰路へとつく金剛。
「青龍家への連絡はワシからしておく。あれは放置すればやっかいな者じゃ」
「……はい」
振り向いたあえかは、地面に突きささったままの刀に目を留め、不吉な予感に身をふるわせた。