4 拝啓。許嫁-いいなずけ-ができました!
翌朝。
朝霧につつまれた通学路を幸せそうな顔をして自転車をこぐ人影がひとつ。にやけたツラでふふふ……と声をもらしたかとおもうと、ぷるぷると首をふって今度は神妙な顔をしてうーん、とうなる。
昨日のことである。
突然の告白に静まりかえる道場。
日和も、みすずも、降ってわいたような話に一瞬思考がホワイトアウトした。
聞き間違いかと師匠にたずねようとした途端、
「ふつつか者ですが、末永くお付き合いのほどを」
三つ指をついた香月が、あろうことか頭を下げて日和に事実だと宣告する。
ふたたびホワイトアウトする日和の脳ミソ。
面をあげた美貌をみるなり、ぼっ! と顔面が火事になる。
「ははぁー!!」
全自動で平伏する。
あたまの中身はまだどこか遠くであった。
「待ってよ!!」
かなきり声をあげたのは美倉みすず。
「どういうことですか!? 意味わかんない! なんでこれ!? その”総社”って、馬鹿じゃないの!?」
「まったくです。香月様、若いみそらで人生をどぶに捨てるなど」
なぜかみすずに賛同するポジションのあえか。
「彼には将来性のかけらもありませんよ?」
「どうみたってつり合いとれてないでしょ! ホラー映画のお化けだってイケメンに見えるレベルじゃない!」
「もういちど考えなおしたほうがよいのでは? 私からも再考をおねがいしようと考えていたところで」
「そうよ! こんなエロ変態! カレシにしたって恥ずかしくて人前にだせないよ!」
「くっ……なんだ。この、よってたかってな罵詈雑言」
正気にかえった日和は顔をあげると、
「もうちょっとオブラートにつつめよ!」
ちょっとは自覚があったらしい。
「黙ってなさいよ!」
「黙りなさい」
「はい」
二人の剣幕におどされて小さくなる日和。
何故これほどにみじめな思いをせにゃならんのだ。
「絶対だめよ! ゆるさない! もっと考えてよ!」
「けれど、悪い方ではないのでしょう?」
涼やかな目に見据えられ、言葉をつまらせるみすず。
「そりゃ……そうだけど」
「正龍からも、日和様のことは好もしく聞いております」
みすずはうつむいて黙りこむ。
フッ。
ひそやかに勝ち誇る日和。
「突拍子もない申し出とはいえ、わたくしに異論はございません。宜しいでしょうか、”舞姫”さま」
正面から香月に押しきられ、とまどいを隠せないあえか。
「まさか……受け入れるのですか? ”総社”の指示を?」
「わたくしは東家のもの。家なくしてわたくしは存在しませぬ。どのような申し出も、受ける覚悟で参りました」
「家のために、未来を捨てると?」
確認するかのような問いかけにも、静かなほほえみを浮かべる。
「どのみち負うが定め。この身はいずれ決められた相手に捧げるだけ。もとより自由など欲してはおりませぬ」
「それは不幸な考え方です。先ほども申したとおり、あなたはまだ若い。夢に希望をあずけ、不可能を可能といってもよいお年なのです」
「わたくしの身を案じて頂いているのは結構なこと。なればこそ、わたくしはこの身をそのかたに捧げます」
捧げます……
ぶばっ、とのけぞりつつ鼻血を噴きだして倒れこむ日和。
「ぐふ」
幸せそうな顔で気絶する。
「見てよこれよこれ! このままじゃあなた、あいつのいいようにされちゃうのよ!?」
ここぞとばかりに言いつのるみすず。
「夫婦となればそれも許されましょう」
ビクン、と反応した。意識はあったらしい。
「そんな……」
くちびるを噛むみすず。
「……伝える前に、こんなのって、わたしだって、言いたいこと……」
「みすずさん……」
いたましげなあえかの表情。
彼女はこうなることを、なかば予想していたのだろう。
「わかりました。では、こうしましょう。あなたがたが夫婦となるとしてもまだ先の話。しばらくのあいだ、春日君を観察してみては?」
「観察?」
たずね返した香月に、あえかはうなずく。
「ええ。私も”総社”への回答をなるべく引き延ばします。そのあいだ、あなたは春日君を夫たるべきか品さだめをなさい」
「……変わることはないと思いますが?」
「それでも」
あえかは幸せな顔してドクドクと大量の血液を流しまくる弟子に目を落とす。
「あなたの目で見、肌で感じて、判断なさい」
「はだ」
ぶほっ。
放流がとめどない。
「わかりました」
音もたてずに立ち上がると、香月は倒れこむ日和に目をとめ、それから静かになったみすずに向けた。
「”舞姫”様がおっしゃるなら、従いましょう」
本日はこれにて、と優雅に一礼し、道場をあとにした。
それから稽古をしたはずだが、記憶がない。
家に帰って、布団に入り、朝起きると昨日のことが夢ではなかろうかとほほをつねる。
痛い。
うむ。現実。
これがあれか。噂にきく許嫁ってヤツか。
朝からうき足立っているわけである。
しかし思いかえせば大きな後悔もあるわけで。
逃した獲物はおおきいと、テレビの中で有名なバス釣り名人も言っていた。
『この大海原……無限につづく大洋には、おれに釣られたがっている魚類はごまんといるのさ』
サングラスして若作りしたいいオッサンが、カラの釣り針をぽつねんと眺めていたあの気持ち、今ならわかる気がする。
オレはくじらを釣り上げたかったのさ。轟あえかという、世にもたぐいまれなシロナガスクジラを。
このままあきらめていいのか?
否!
断じて否!
これまで投げ飛ばされて蹴り倒されて張り倒されてきた苦難の日々。なんのために耐えてきたというのか!? 手をのばせばとどく位置にある宝を手に入れるための努力を無に帰するというのか! オレの決意はそこでゆらぐようなものであったのか!
……ゆらいでいるから困ってんだよな。
ぶつぶつつぶやきながらも、思春期のなやみ真っ最中の一五歳であった。