8 「オレ、モブキャラですから!」
神卸は上位の神となるほど、祝詞にかかる時間は長くなる。
それは、葦原の中つ国である地上から、天つ国である高天原にとどくまでの距離、そして、格高き神であるほどに、穢れの場所からとおい果てにあるからだという。
祝詞はそのための便り(ふみ)であり、踊りはノックである。地上から遠果てにおわす神に気づいてもらうために、人は神社で鈴を鳴らし、祭りで楽器をかなでる。
それは神話の世代、古き事がらを記した口伝から言づてられた伝承。
「火の海に散りて捧げし御身の信に祝福賜りたく。霊峰に咲き誇る桜の木々に呼びかけむ」
若武者は瀕死の金剛に背を向けた。
その先にはあえかがいる。
「やばいオッサン! 師匠がぁぁぁ!」
「う……むぅ」
「なんだよ! ほんとに死にそうじゃん! 顔色あおいよ?」
「……酒がきれただけじゃ」
しかし、うごこうとしない。
うごけるだけのケガではないのだ。
「あやつ……かなりの手練れだの」
「オッサン気合いだッ! 気合いがありゃなんとかなる!」
「……オヌシがやれ」
「オレ!? ムリでしょ!? 特攻しても即死確実じゃん!」
わめいているうち、若武者は歩みをとめた。
腰をおとし、あぐらをかいてその場に座る。
武器である刀すらわきに置き、面前で舞うあえかの様子を、片肘をついて見守る。
まるでその姿に見とれるように。
「むっ……小僧、チャンスじゃ」
「いえいえいえいえいえいえいえだからムリですって!」
「使え」
金剛はおのれの錫杖を日和に投げた。
「わっ! いきなりかよ!」
あわてて受けとろうとしたが、反射神経のわるさが幸いした。
――ずむ。
重々しい音を立てて地面にめりこむ錫杖。
「へっ?」
「ちゃんと受けとらんか」
「しずんでますけど?」
「少々重いだけじゃ」
手に持つとヒヤリとしたつめたい感触。
「ふぬ!」と両手で引きあげ――られず、いくらか努力を繰り返したあと、「ふぅ」とすがすがしくあきらめた。
「オレには向いてないみたいです」
「素手よりマシじゃ」
「もてねえんだよ! こんなバーベルみたいなモン!」
肉体派僧侶の武器は筋トレの道具みたいなものだ。持ちあげることすら容易ではない。
「ならば勝手にせい」
「次! つぎの手くれよ!」
「これまでか」
「あきらめるのぉ!?」
「ちょっとぉ。どうしたのぉ?」
座りこんだ若武者のもとへ、白い姿が舞い降りる。
「あなたをよみがえらせたのは、あんな踊りを見物させるためじゃないよ?」
「…………」
若武者は頭上を見上げた。
空にある月をながめ、目をとじる。
祝詞と単調なリズム。闇の中に、それは独特の韻をもって響きわたる。
「――しづやしづあそびし月にしのぶれどかれなむほどにかこつさだめよ」
「なにそれ?」
女はくすくす笑った。
「いまのご主人様はこのあたし。ほかのだれかを想ってなげくなんてゆるさないから」
「げにおろかしきこと」
「ふぅん。言うこと聞かない気?」
血まみれの口が半円をえがく。
あぐらをかいた姿勢から一気に跳ね上がるや、次の瞬間には女の頭上から襲いかかった。
完全な死角。
吾を莫迦にする小娘ぞ。其の災いなる口、へし折られてから悔いるがよいわ。
だが――
触れようとしたその刹那、すべての指が真逆にそり返り、ひじの間接までふくめ、ありえない方向へと屈曲した。さらに重力を無視するかのような落下のしかたで軌道を変えると、顔から地面に激突する。
グシャッ、という音。
まるで奇特なオブジェくのごとく、地面に直立する鎧武者。
いったい何が起こったのか。
のろまにたおれていく下半身を、唖然とみつめる一同。
「お莫迦さん」
からかうような声が降ってくる。
「地霊ならまだしも、人の霊が召喚師にはむかえるわけないじゃない。常識でしょそんなの」
身を起こした若武者は、ざんばら髪の下からうらみがましく目を向ける。
ズレた頭を両手でかかえ、ゴリゴリともとの位置へ置きなおす。
「わかったらあなたの相手はあっち。あのタントンうるさい女をやっちゃうのよ。いい?」
落ちていた自分の刀を拾いあげ、きっ先をあえかへと向ける。
はずれたあごを押しあげると、元の端正な顔にもどった。
「ひぃぃぃ! スプラッター!!」
日和が悲鳴をあげる。
「あれ? アナタ」
女は日和をみて、小首をかしげた。
「アイツらみたいに特別な力もないクセに、あたしの魅了が効いてないの? どうして?」
「な、なぜでしょう? ワタクシめにもさっぱり」
あとずさりつつ、ひきつり気味の笑みを浮かべる。
「アナタも特別? 興味あるかも」
「ワタクシは無害です! そこらへんのヒキガエルやミンミンゼミと同じくらいありふれた存在ですよ! ワタクシよりこのデカブツのほうがおいしそうでしょ!」
「この恩知らずが! ワシを売る気か馬鹿たれが!」
「オレ非戦闘員ですよ! マジカルパワーでチェケラッチョ! なんてできないもん!」
「アナタはどうでもいいけど、お友達には興味があるって」
女はたわわな胸もとに手をあてた。
我知らず目をうばわれる。
「この子が」
「し、質問があります!」
教室でもないのに手を挙げる日和。
「その服のしたは裸ですか!?」
「うふふ。たしかめてみれば?」
妖しげに誘う女。
「あたしをつかまえられたらね」
「その話乗った!」
鼻息あらく宣言した途端、横から放たれた拳になぎ倒された。
「冗談はそのくらいにしておきましょう」
暗闇に蒼い燐光をのせて、あえかが静かに対峙した。