3 衝撃の告白!
◇ ◆
「遅っそ~い(!) なにやってたのよ」
道着に着がえた美倉みすずに言われて、春日日和は不敵な笑みをうかべる。
「0-5だった」
「はぁ?」
「オレにはバスケの才能がないということだ」
ヤツはアレだな、かつてゴール下の鬼とおそれられた全国屈指の名プレイヤーだったにちがいない。
階段下でくりひろげられた激闘は、後世まで語りつげられる接戦だった。
観客さえいたなら。
「で、おまえこそなにやってんの?」
道場の入りぐちで、コソコソ中をうかがっている。
「ああ、アレか。オレも似たよーなことやるよ、うん」
「……それってノゾキでしょ?」
「フッ。男の美学だ」
「あえかさんに言っとこ」
「ぐはっ!!」
春日日和は精神的な致命傷を負った!
「な、なんて女だ。人の行動をチクるなんて、最低の行為だ!」
「声おおきい(!) 聞こえちゃうじゃない(!)」
「うっ……ッ、そ、そうだな、師匠にきこえたら一大事」
「それはきこえたほうがいいけどぉ」
ジト目はそのまま、彼女は中の様子に目をもどした。
「で、オレの質問は?」
チョイチョイと手まねきされ、道場の中を指さされる。
「なんで小声なんだよ」
かくいう日和も声のトーンをおとし、おなじように中をうかがう。
目を疑った。
「馬鹿な――ッ!」
ヨロヨロと数歩をさがり、愕然とした表情で首をふる。
「オレはいま、世紀の大発見を目撃しちまった」
ふるえるヒザが、立つことをあきらめ地面に屈する。
とつぜんの変化に、心配げな顔をするみすず。
「どうしたの?」
「大和撫子って分裂するのか!」
心配そうな顔が、不審人物を見やる表情にかわる。
「みろ! 師匠が二人に分裂した!」
「キック!!」
はね上がった足が華麗に回転し、日和の尻をしたたかに強撃する。
「いたっ! なにしやがるこのアマ!」
「あんたが馬鹿なこというからでしょ!」
「馬鹿なこととはなにごとだ! 学術的なアレだぞ、大発見だぞ! オレはこのマナコでみた!」
「どれだけ節穴よ! よく見なさい!」
「ふっ、何度見ようと事実は変わらない」
鷹揚に戸ぐちへ戻り、再度のぞく。
ひろい空間に、二人が正座して向きあっている。
そのうちの一人は頭痛でもするように額に指をあて、もう片方は涼しげな顔をむけている。
ついさきほど、階段下で目撃した美貌の女子。
「なんだ、焦ったぜ」
フッー、と息をつき、見間違いだったことに安堵する。
「美人二人がならぶとまるで鏡のようだね」
額に手をあてているのが日和の師匠で、このからすま神社で”真心錬気道”を伝える轟あえかである。武道着に着がえたその姿は清廉可憐で花鳥風月、季節にかかわらず見目麗しくもその実力は折り紙つきである。日和のほかにこの美倉みすずと、あとひとり、大沢木一郎という弟子をもつ。
「あーあ、もうバレちゃったじゃない!」
ぷんぷん怒りながら、みすずが道場のなかへと入っていく。
「だからなんでコソコソする必要があるんだよ」
日和もつづく。
「失礼しまーす」
慇懃に頭をさげ、みすずは師匠のとなりにちょこんと座る。
「失礼します!」
キリッ。とした男前の表情をよそおい、颯爽と師匠の横へならぶ日和。
「”真心錬気道”の次期後継者春日日和一五歳! 今後ともヨロシク!」
握手を求めて差しだされた手は、無感動な目に見つめられて立ち往生した。
「あ、えーと、なんか調子にのったみたいですいません」
予想以上の無反応ぶりに、小さく座りなおした。
「こちらは東家のご長女、香月さまです」
コホン、と咳ばらいをして、あえかは彼らに説明する。
「東家? あずまっていやぁ、正龍の?」
「この地方で”東”とつく家はただ一つしかゆるされておりません」
静かな声。
全員が注目するなか、しとやかに座る長髪の美少女の唇からもれたものだ。
窓からさしこむ日差しのしたで、彼女の姿は透きとおってみえる。
「東家は青龍を奉る四神四家が一角。東は東方をあらわす姓、ゆえに、われら以外にその名はありません」
あえかに負けずおとらぬ姿勢のよさである。行儀よく結ばれた手のひらは雪のように白い。
「愚弟よりお話はうかがっておりました。正龍によくしていただき、姉であるわたくしからもお礼申しあげます」
丁寧なしぐさで下げられた頭に、日和もあわてて習う。
おおぅ、これが良家の子女というヤツか。
顔をふせたままで思う日和。
なにからなにまで所作がちがう。
頭をあげると、まだ起きてなかったのでまた額を地にこすりつける。
そういえば正龍も、妙に馬鹿丁寧なとこがあった。
衣ずれの音を耳にして、ようやく身をおこす。
「そいやぁ、東……正龍君って、いきなり転校しちゃったって聞いたんですけど、今どうしてるんス?」
前の事件があった次の月曜、教室で聞いたのは衝撃的な知らせだった。この月代高校から、東正龍は別の高校へ転校していったという。
ろくに挨拶もせずいなくなったことを、日和は不思議におもっていた。
藍色の瞳がふるえ、動揺を悟られまいとしてうつむいた。
みすずが小首をかしげる。
顔を上げた彼女は、もとの涼しげなまなざしに物言わぬ問いをのせ、あえかを見た。
視線から逃れるように、目をそらすあえか。
「正龍は――あの子は、元気にしています」
感情のない声でこたえた。
「ああ、そっすよね。で、どこのガッコに行ってるんス? 近くの高校じゃないみたいなんすけど」
「春日君」
あえかが横から追求をとめた。
「他人様の家の内情を、根ほり葉ほり聞くのは感心しません」
「ええー? でも、行ってる学校くらい」
「春日君!」
厳しい声にしゅん、とする日和。
「……これから、大事な話をしなければなりません、二人とも外にでていなさい」
とりつくろうように、あえかは弟子たちをうながした。
「せっかく紹介してもらったのにそりゃないっすよ」
「……あなたは自分から名乗っただけでしょう」
「あ、あのっ、わたし、美倉みすずっていいます!」
自分だけ名乗っていないのをまずいと感じたのか、みすずが声をあげた。
「存じております」
「え? あ、そっか。やっぱ、わたしって有名?」
「自分でいわねーっての」
「なによー。そもそもあんたのフライングしたのがいけないんじゃない!」
みにくい言い争いを始めた二人をあえかが叱りつける。
「仲がよろしいのですね」
笑うでもなく、呆れるでもなく、ただ淡々と事実だけをのべたように目の前の少女は口にする。
「よくなんかね-スヨ! こんな高慢ちきな女」
「ふん、だ! この単細胞」
「なんだとぅお!?」
立ちあがった途端手首をつかまれ、クルリと木の床に叩きつけられる。
「ぶべら」
みにくい声をだす日和を、手を払いながらあえかが見下ろす。
「いい加減になさい」
「やった! あえかさん!」
「みすずさんも。しばらく外で頭を冷やしてきなさい」
しゅんとしおれて、道場の玄関にむかうみすず。
「あなたもです」
「心配しないでください師匠。首がちょっと曲がっただけでしばらくは耐えれます」
「井戸の水で冷やしてきなさい」
ガーンッ、と右に40度ほどかたむいたまま、日和が絶望のふちに沈みこむ。
「かまいません」
立ち去りかけた二人がおどろいてふりかえる。
グキッ
「あいてっ」
「お二方も”総社”とかかわられた者。無関係というわけではないでしょう」
「それは――」
ちらりと自分の弟子たちをみる。
「彼らには、あまりかかわらせたくはないのです」
「一度見聞きし知ったことは、もはや知らぬは通らぬが道理。それに――みすず様」
「は、はい」
呼びかけられて幾分、気おくれして返事をする。
「ご自分のお立場、ご自分の秘密。もはや過去へはもどれませぬ」
「……そんな」
言葉をなくすみすずに、香月は優しく微笑みかける。
「ご安心くださいませ。われら四神四家がこの身を賭してお守りいたします」
「そんなこと、してほしくない」
「宿世の因果は、人の身であがなうことなどできませぬ」
はじめて、彼女の言葉に熱がこもる。
反論をゆるさない断言。凛とした言葉と裏腹に、一抹の悲壮さすら感じさせる一言。
「わかりました。そこまで言われるのなら」
居ずまいをただし、弟子たちをよびもどすと、自分のとなりに座らせる。
「゛総社゛よりの言付けをつたえます」
ちらりと日和のほうをみてしばし逡巡をみせるあえか。
「なんスカ」
「いえ、やはり言ってよいものかと」
「かまわないと申しました」
「かかわるのはあなただけでは無いのに」
「なにか?」
ほそおもてに眉ねをよせた香月に、ひとつため息をついてつづける。
「さきの件は゛総社゛へのあきらかなる反逆といえど、家中の手なる事態の収拾には一考の余地ありと判断す」
すでに半月がすぎた。
担任である溝口おどろは旧校舎の全壊とともに”失踪”をとげ、かわりにエビス顔の校長がホームルームにおとずれる。旧校舎あとには黄色いテープで柵がされ、立ち入り禁止となっている。
「ありがたく存じます」
ていねいに頭をさげる香月。
「”舞姫”様よりお口ぞえいただいたのですね」
「いえ、事実を申しあげたのみです。”総社”がそう判断されたのは、また別の――」
今度はみすずに目をやり、口をとじる。
「本当に、宿世とは想いどおりにはいかないものだと」
みすずと日和は顔を見合わせて首をかしげる。
「つづけます。非を認め、罪をあがなうならば贖罪の道はただ一つ」
気を落ちつかせようと、あえかは胸に手をあてた。
「……ここにいる、春日日和君と夫婦の誓いをせよ、と」