23 イイナズケでもいいですか? {〆}
車内は静かだった。
さきほどの信じられない光景以降、会話らしい会話もない。
あのあと、香月は眠っている少女のもとにおもむき、霊障が去ったと端的に告げた。感激してゆっくりしていってほしいと懇願する彼女に首をふり、日和をつれ、待っていた自家用車のなかへと滑りこんだ。
窓の外ばかりを見て、黙ったまま。
……空気が重い。
日和はこういう空気が大の苦手である。
どういう話題をふるべきか、脳細胞をフル活動して、一人プスプスコゲつきはじめていると、ひとりごとのようなつぶやきが耳に入る。
「わたくしの、力不足です」
視線は外を向いたまま。
「まさか、呪の意志に取りこまれてしまうなんて」
ガラスにうつった顔は変わらず冷静さを崩していないが、落ちこんでいる、と気づいた。
「香月ちゃんは、後悔してるの?」
さりげなくちゃん付けで呼んでみる。
「はい。わたくしがもっと早く鎮めていれば、彼女は父親を失われずにすんだでしょう」
「でもあいつ、すげーヤなヤツだったじゃん」
「それでも、彼女にとっては唯一の父親でした」
後悔は消えないようだ。
「……同情してしまった。あのひとの、あまりに侮辱的な死にざまに呑まれ、傍観者となることで、復讐に協力してしまった」
「うーーーん」
日和は腕をくんで首をひねった。
「なんでそれがダメなの?」
「感情の揺らぎはこころの弱さ。そう、教えられてきました。だから、龍のときも――」
窓にうつるほほに一筋、光が零れた。
――ええ!?
あわてる日和。
女の子泣かせちゃった!?
(どどどどうしよう?)
オヤジならこの状況を逆手にとって、くどき文句のひとつも言うんだろうけど、自分にそこまでの人生経験はないですぞ!?
くっ……少しはオヤジのやり方を学んでおくべきだったぜ。
「――失礼しました」
目元をぬぐい、なんでもないようにふりむく。
うるんだ瞳。
おもしろいほど狼狽したあげく、あさっての方向にむけて格好をつける。
「キミの瞳に乾杯」
…………。
どばっ、とわきの下からいやな汗がでた。
となりにいる香月より、バックミラーごしの黒服の視線のほうがすこぶる痛い。
こっち見んな、馬鹿野郎!
オレだって自分なりにがんばったんだ!
泣きそうになっていると、キキィ!! と車が急停止する。
赤信号だった。
「……もうしわけございません。不注意を」
なぜオレを見る。
――ピンポン!
「と、こんな風にですね! いかに送迎になれた運ちゃんといえど、こうした不測の事態はおこりえるのですよ」
「雑音が耳に入ったもので」
だからオレをガン見すんじゃねーよ!
「次からは耳栓を用意します」
「オレのせいじゃないよ!? ぬすみ聞きしてたほうがわるいよね!?」
「お嬢様のぶんも用意します」
「オレ雑音あつかいかよ! よぉし、わかった。そこまでいうならもう一度勝負しようじゃないか」
「この男は真性の変態です。先日もお嬢様のあとをつけていかがわしい行為に及ぼうとするところを阻止したところで」
「それ言っちゃう!? 違うよ! アレはアレだよ、ウン、いたずらな風に青春の淡い1ページを期待しただけだよ! やましいことなんてないよ!」
必死にいいわけする日和を見て、香月の口もとがほころぶ。
「あなたは変わらないのですね」
「へ? なにが?」
「許してさしあげます」
香月に言われてほっと胸をなでおろす日和。
しぶしぶながら、運転手も青にかわった信号に、ゆるやかに車を発進させた。
(――”舞姫”さまは、彼を見て判断しろといわれた)
「いやー。今日のもこわかったけどね、師匠と出かけたときはもっとこわい目にあったときあるよ」
場がなごんだせいか、調子を戻してぺらぺら喋りはじめた日和を好ましく見る。
「あれでけっこうムチャな要求してくるんだよねー。危険だ危険だとか言いながら、ちょくちょくオトリ役でこわい目あってるし、意外と慣れてるんだよね、オレ。デンジャーってヤツに」
流されていくことが自分の運命だと心得て、そのほとんどは意に沿わぬこととたかをくくっていた。
それが不幸だなどと誰が決めたのだろう。
あたえられるものがすべて不服なものだと、勝手におもいこんでいただけ。
(もうすこし――)
この関係を、つづけていたいと思う。
日和の話す、他愛のない話にあいづちをうち、うれしそうな表情にほほえみをかえす。
きっと龍も、彼のこの人柄に惹かれたのだろう。
とおい場所へ行ってしまった弟に想いを馳せ、香月はおだやかなこの空間に身を浸した。
本項にて、巻之二 一話目終幕です。