1 出会いは突然に! {§}
自転車ってのは、押すものじゃなくて乗るものだって思うんだ。
ゼェ……ゼェ……
坂。
鳴神坂という。
むかしむかし、この辺りには怒りっぽい神さまがいて、雷ばかりを落としていたからそんな名前がついたって話だ。
あいにくと本日は晴天。
夏にふさわしい紺碧の霹靂。
雲ひとつない空には、雨のあの字だって見かけられない。
ピーカンな空は、眩しいばかりの太陽がこれでもかと燦々(さんさん)輝いている。
ゼェ……ゼェ……
自販機なんて甘えたものはここにはない。
あるのは永遠につづくかと思われる緑と――その先にある、神社。
からすま神社という。
神社というからには、もちろん巫女様がいる。
男じゃない。巫女様だ。白い着物着て赤い袴を着た正真正銘コスプレでない巫女様だ。
正直、世界遺産の一つとして数えるべきじゃないかとオレは思うね。
「ふぅ」
カゴに入れたスクールバッグの中から、水筒をとりだしてフタをあけ、じかに口をつける。
ごくごくごく…
「――ぷはッ」
生ぬるい。
家から持参した麦茶なんざとっくの昔に品切れ中。
校庭の水道水をたっぷり含んだ水筒は、カルキたっぷり栄養0点。
無いよりマシです。
リアルな話、ひとは水分80%でできています。
だから、夏の暑さは勘弁だ。
さすがのオレでも参っちまうぜ。
「フッ」
なぜオレがこうして苦難な道を歩いているのか。
理由はただ一つ。
マイスイートハートがまつ愛の巣へ。男はいつだって愛する者のもとへ帰る生きものなんだと、夫婦げんかした後、しこたま殴られた親父が哀愁ただよう目で語ってた。
強く生きろよ親父。
それにしても、
「太陽のバカヤロー!」
つい口に出てしまうほどに。
馬鹿みたいな暑さだ。
ちょっと前までじめじめ湿気っていたくせ、くもり空が晴れたかと思いきや連日連夜の日でりつづきで、そりゃァ体力も消耗する。
なぜ春がつづかず夏がくるのか。秋も過ぎ去り冬がくるのか。
夏の暑い日と冬の寒い日にくり返される永遠の疑問といえよう。
ああ、ちくしょう、それにしても暑い。
汗の滝がとまらねー。
水分補給しても次から次へとあふれ出てくる。
もうあれだね。
もう死ぬかもしれん。
せめて最後は、師匠の膝枕の上で死にたかったぜ。
「あえか、オレはもう駄目だ」「そんな! 勝手なことを言わないで日和くん!」「無理そうだ。夏の日差しがオレから命の炎を削っていきやがる」「あなたのいない明日なんて、どうやって生きていけばいいの!」「明日は明日の風が吹くさ」「馬鹿! あたしの気持ちも知らないで!」「君の気持ちには気づいていたさ」「最後に抱いて!」「Yes I Do!」
声に出ていた。
危ない危ない。ひとけがない場所でよかったぜ。
たった一人を除いて、な。
くるくる跳ねた巻き毛はオレをみたまま、キュッ、とくちびるの端を曲げる。
「馬鹿じゃないの?」
「馬鹿じゃねーよ!」
今注目の若手アイドルというふれこみの女は、オレと同じ師匠の弟子の一人だ。同性のよしみってやつか、やたら師匠になれなれしい。一度先輩として忠告せねばならんと思っていた。
「みすず、オレの師匠の半径100メートル以内に近づくな!」
「は? 何言ってんの? 意味わかんない」
アイスキャンディーをくわえて階段を昇っていく。
こういうヤツなのだ。
同門の先輩に対しての敬いというものすらわからんよーな女なのだ!
「待て! 止まれ! 今日という今日はもうゆるさん!」
「いい加減にしてよ。セミよりうるさい声でわめかないでくれる?」
すらりと伸びた足を突きたて、腰に手を当て見下してくる。ダチの志村をたぶらかした脚線美は顕在ってわけか。
「どこみてんのスケベ!」
「なっ、バ、バカヤロー! てめーなんかの体なんかに興味あるかよ! オレは師匠一筋なんだ!」
「カラダなんて、うっわー、さいってー! エロおやじ!」
「てっめ、グラビアアイドルやってるなら、男に見られてナンボだろーがよ!」
「グラビアなんて、過程よ過程! わたしは女優になるもん!」
「ハッ! 女優だぁ? お前なんかテレビでみたこねーしよ!」
「おあいにく様、今度テレビ出演きまりましたー!」
思いっきり舌をつきだすと、逃げるように階段を昇っていく。
「あ、待てよ! せめてオレにもアイスめぐんで! お願いします!」
抜けるよーな青い空。
坂を登りきったオレは、体力の半ばをうしなった顔で、さらに天上へとつづく石段に手をのばす。
みすずの背中ははるか遠く。
ヤロー。
なんでこの暑さなのにあんな身軽に階段昇れんだよ。
どうせまたマネージャーのあんちゃんをパシリに使ってここまで来やがったな。
うらやましい。
愛車を階段下に路駐すると、道着の入ったブルーのスクールバックをカゴから引っぱりだして背負う。
師匠から預かったこの道着はかならず毎日もち帰って自分で洗濯する。なんたって、師匠より授かった道着だからな。学校なんぞで着る市販の体操着なんかとは段違い(ダンチ)だぜ。
たとえ鞄をわすれたって、この道着はわすれはしない!
オレは、決意を胸に秘め、再び階段を見上げる。
……高いな。
何段あるんだ。
毎回、百段くらいまでは数えられるが、それ以上はめんどくさくなってやめる。
というか、数えたら後悔するので無我の境地となって昇りつづける。
これも修業の一つだ。
師匠の愛を勝ちとるための。
「……ふぅ」
見ているだけでノド渇いたな。
戦士にも休息は必要だ。
ちょっと休憩。
”からすま神社”と達筆で彫られた石の塊に腰かける。
尻に敷いといてなんだけど、こういうの趣があっていいよね。
まさに和の歴史じゃないか。
水筒を手にとると、大口を開けてかたむける。
「…………」
ぽとっ。とひとしずく。
ふっ。
体力回復薬がなくては、いくら戦士でも回復できないぞ!
もうヒットポイントは一桁切ってるぞ!
「……暑い」
ここは砂漠のフィールドか。
歩いているだけで体力がうしなわれていくのさ。
オレ、やっぱりここで死ぬかもしれない。
ミーン、ミーン、ミーン
セミの声がうるさい。
たっぷりの自然。野生のセミも毎年大量に地中からわきだしてくる。
地中か……
冷たくて気持ちいいんだろうな。
オレ、生まれ変わったらセミになろうかな。
そんなことを考えていると、うつろなまなざしの視界に黒っぽいモノが近づいてくる。
「きたか……お迎えがよ」
その黒っぽいモノは自動車っぽいブレーキ音をさせて目の前に止まる。
黒服が運転席からおりてくると、オレに一瞥をくれ、無言で後部座席のガチャリと開けた。
地につくほどの長い髪。
まるで黒い翼のようにゆれて、地面すれすれを横切っていった。