10 開いててよかった~ 一刻堂~
「そういや今日あいつ来なかったな」
「…あいつって?」
「あいつだよ、あいつ。いつもデーハーなあの女」
「……あー、みすずね。どーせアイドル様はお忙しーんでしょ」
「お師さんはなにも言ってなかったじゃねーか」
「………あ、そこ右ね。気になんの? いっちゃんあんなのタイプなのか?」
「バッカちげーよ」
「……………いっちゃん! ちょっと待って!」
「…………」
すさささささ――がさっ
「オーライ。けどあいつ性格わるいぞ。昨日もオレにアイスめぐんでくれなかったんだ」
「根にもつなよ。男がそんなくだらねーことで」
「……たとえば砂漠のど真ん中。のどカラカラで干からび状態のとき、目の前でこれみよがしに水をのんでいるヤツがいる。どーよ?」
「どーよ? ていわれてもなァ」
「………アノ女はそういうタマだ。悪いことはいわない、大和なでしこへの改宗をすすめる」
「なんの宗教だよ。第一オレはなぁ」
「……………ストップ!」
「……ああ」
すさささささ――ぴたっ
「まさかいっちゃん、なでしこ反対派か!?」
「……ンだよソレ」
「まさかいっちゃんが敵となろうとは……いまならまだ間にあう! チャラチャラした現代の風潮に反旗をひるがえし、伝統的日本女性の美を追求することに命を賭けないか!?」
「賭けねーよ。てか人の話きけよ。俺が言いたいのはな、あれは俺たちの知ってるヤツに似てね-かってことで」
「……………ごめん! とおくて聞こえない!」
「…………」
立ち止まり、半眼で後ろをふりかえる。
電柱の影から、首だけのばしてキョロキョロする日和。
安全を確認すると、かささささ、とあかるい場所をさけてすすみ、大沢木のちかくまで到達するなり「とぉっ」藪のなかへともぐりこむ。
「オーライいっちゃん。話を聞こうか」
植えこみの隙間からもの言う頭にゲンコツをかます。
「はうあっち! いってぇ!!」
「いいかげんにしろコラ」
陰から引きずり出す。
「どこのストーカーだおまえは」
「ちげーよ。オレが追いかけられるほうなんだよ」
学生服に青葉を盛りつけた日和が、ぶっすりとむくれて反論する。
「ハァ!?」
「いっちゃんにはわからないんだ。集団女子高生に追いかけられるおそろしさを」
ボソリとつぶやく日和にあきれる大沢木。
「まだビッてんのか情けねぇ。あいつらなら俺が追いかえしただろ」
「追いかけられた人間でないとこの恐怖はわからない」
「ひーちゃんが場所知ってるんだからよ、前いかねーでどうすんだ」
「そんな無謀な行動をとれと!?」
ふたたび植えこみにもぐりこもうとするのを、首ねっこをつかんで引き留める。
「信頼しろよ。俺がまもってやっからよ」
「うぅ……このトラウマ、一生かかっても消えそうにない」
肩を抱かれて日なたにでると、とある古ぼけた日本家屋の前で立ち止まる。
「ここだよいっちゃん」
「へぇー」
日和が指さす上をみると、年期のいった木目の看板に『一刻堂』の楷書書きが堂々と画かれている。
「ほぉー」
正面入り口にはフル装備の甲冑が戦国武将のオーラそのままに出むかえてくれる。
足をふみいれると無表情にほほえむ大小の仏像が数体ならび、そうかとおもえば反対側のキャビネット棚にズラリとアンティーク人形の列。なまじリアルな造作は十体以上ならぶとひたすらにシュールだ。こんなものを後生大事にするオンナの気がしれねえ、と大沢木はおもう。
静まりかえった店内。
「ふぅーん」
差しこむ日の光だけが唯一の光源だが、それでじゅうぶんだ。
入り口での印象よりも奥ゆきがながい。こわごわは入ってくる日和を尻目に、もの珍しげに陳列物を物色する。鑑定書つきの刀剣類。いわくある陶磁器。古書類のまとめられた棚は防塵対策に透明なビニールがかぶされ、それなりに貴重な資料なのだろう。
ちらりと目についたものを手にとってみる。
『武芸百般』
いまにも破けそうな数ページをめくると、文字らしきものがつらつらと黒いスミでつづられている。
「読めねえし」
「お客様ですか?」
唐突に声がかかる。
「のっぴょぴょう!?」
奇妙な声が日和のいたあたりからあがる。
気配すら感じなかったが、奥座敷のほうからあらわれた一人の少女が、とまどった様子で自分たちをみていた。
「あの、あまり手をふれないでいただけませんか? 古書などは指のあぶらがつくだけでも傷んでしまうもので……」
「ああ、わりぃ」
素直にもとの位置にもどす。
「客じゃねえんだ、オレたち」
弁解しようと顔をあげた途端、少女は目もあわせずに頭を下げた。
「あの、その……お、おひさしぶりです!」
「あ? ああ」
九十度ちかい角度で下げられた頭にわけもわからずうなずく。
「あああ、ち、ちがいました! さささ、さっきは、そそそ、その、わた、わたしのせいで――」
「きゃああああああああああああああああああ!!!」
うんざりして顔を向けると、人差し指を突きつけてわなわなふるえる男がいた。
「どうやってここを見破った!! さてはきさま忍びか!? こうしてはおれん!」
意味不明なことを口走るなり、ダッシュで入り口に走りかけた。
とっさにえり首をつかむ。
「ぐえ」
カエルのつぶれたような声をだし、その場で足をすべらせズデン、としりもちをつく。
「げふっ、ごふっ……げふぁっ!!」
「わざとじゃねーから。すまん」
のどに手をあてもだえる日和にワビをいれる。
「あああ、あの、どうか、されたんですか?」
「いや、あんたの制服にトラウマかかえたヤツがここに一人いるんだ」
ルカ女の制服を着た少女は、せきこむ日和に目もくれず、大沢木のほうをチラチラうかがう。
「あの……わたしに、覚え、ないですか……?」
「なんだ。アンタ、日和を追いかけてたヤツらの仲間かよ」
「え……?」
絶句する少女。
「もう二度とあんなマネしねぇでくれねえか? コイツはオレとちがってキモッタマが小せェんだよ」
「……そう――よね。覚えてもらっているはずなんか、……ないよね」
少女は目にみえるほどの落胆をみせた。
なにか間違ったことを言ったか、といぶかしむ大沢木。
「いや、ちがうならいいんだけどよ、俺はただのつき添いなんで、本命はこっち」
ゴフゴフと、座りこんでむせかえる日和を紹介する。
「ひどいぜ、いっちゃん」
涙目になって見上げた日和は、薄闇に見覚えのある二つのふくらみを見つけて目を剥いた。
「これは――!?」
真顔になる。
記憶の扉がささやいている。
オレはこの巨乳を見たことがある、と。
女のコの胸を見つめたまま硬直した親友をはたいて起こす。
「なにするんだいっちゃん!」
「早いトコ用件すませろ。いつまで女の胸みてニヤついてんだよ」
「ニヤついてねーよ! ニヤついてねーけど――ニヤついてないよね??」
同意を求められた少女は、ビクッ、とふるえて大沢木の背後に隠れた。
「チクショウ! 男って性分がァーーー!」
「いい加減にしねーとお師さんに言いつけるぜ?」
「親友にもうらぎられたァァァ!!」
石畳の床をたたいて嘆くこと十秒。
「轟あえかさまの命により、こちらに荷物を授かりに参上いたしました」
すっくと立ちあがり、真面目な顔で頭を下げる。
「トドロキ……? ああ、鳴神坂の巫女様のことですね。おじいちゃんからお話は聞いています」
面くらって目をしばたたかせるも、すなおに奥座敷へとつづくのれんをくぐっていく少女。
姿が消えてから、日和は横にいる大沢木に声をかけた。
「あの子、今日いっちゃんが助けた子だぜ」
「助けた? 俺がか?」
頭をかしげる大沢木に、わざとらしくかぶりをふる日和。
「自分を助けてくれた王子様と偶然の出会い。彼女はきっと運命を感じたことだろう」
「……おまえが言うとうさんクセェな」
「しかし王子様は自分を知らないという。もしや記憶喪失の病に!? と彼女はおもったにちがいない」
「スルドイのかバカなのか、いまだに俺はおまえがわからねえよ」
「やだなぁいっちゃん、そんな誉めないでよ」
「そうか。すまねぇ」
少女が戻ってきたので、適当に切りあげた。
「これだと思うんですけど……」
不安そうにそろそろと、ていねいにくるまれた布をさしだした。
日和に目をむけると、
「たぶんそれ」
あきれるほど適当な返事をして受けとろうとする。
「え、えっと、一応中身を……」
手をだしたままの日和をさしおき、慎重に布を取りのぞく。
手鏡だった。
まるい鏡に取ってのついた、どこにでもありそうな代物である。ただし、ふちが黒ずみ、ところどころメッキがはげかかっているずいぶんな年代物だった。
「えー? それなの?」
不満そうな声をあげたのは日和である。
「ちげーのか?」
「いや、オレも知らないんだよね」
「そのくらい聞いとけよ。この娘も困ってるじゃねーか」
少女は手鏡をのぞきこんだまま、ぼぅ、としていた。
「とにかく持って帰るね、それ」
日和が手をさしのべても反応がない。
「ふっ、照れてるのかい?」
「渡してくれねぇか、そのカガミ」
大沢木に声をかけられることで、少女は反応をみせた。
「……え?」
「お師さんに、俺たちが届けてやるよ」
大沢木の顔をながめた後、ノロノロと鏡に目をむける。
「……これ、奪っちゃうんですか?」
「そのために来たんだよ。さっさとわたしてくれねえか?」
「あの……お爺ちゃんがいないので」
少女は鏡をかばうようにふところに抱いた。
「今日は、帰ってくれませんか?」
「ああ?」
不機嫌な声をだした途端、肩をビクつかせて少女はうつむいた。
「本当に、渡していいかわからないし、あなたたちが巫女様のおつかいの人だって、その、保証も、ないし」
言葉を濁らせてつぶやく少女に、大沢木は日和を顔を見合わせた。
(なんか、苦しい言い訳してるように聞こえるんですけど)
(そうだな)
わざわざ持ってきて、出ししぶるその行動がわからない。
「疑うってんなら仕方ねぇけどよ。こっちもガキの使いじゃねえんだ」
「オレたちガキの使いだぜいっちゃん」
突っこむな、と目でだまらせる。
「証明するモノならあるぜ!」
その眼力も持ち前の無頓着ぶりでスルーし、日和は不敵に言い放つ。
「マジか、やるなひーちゃん!」
「これだッ!」
と言って、日和がふところから取りだしたものを高々とかざす。
薄桃色のこぶりなサイズの布きれは、ひらひらと舞って彼の頭に端をのせた。
「このピンクのブラジャー! これが師匠のバストサイズを物語っている!」
「死ねよ!」
右ブローは的確にみぞおちをとらえ、「ぐふっ」とうめいて日和はひざからくずれ落ちた。
「……わたさん、わたさんぞォォォ……この宝だけは――ッ!!」
腹を押さえてもだえながらも、個人的な宝をまもろうとする執念には見上げたものがある。
などと大沢木はおもわなかった。
「すいません! また別の日に来てください――!!」
少女は急に頭を下げると、止めるまもなく奥のほうへと逃げていった。
パタパタと、スリッパが階段をあがる音が聞こえる。
「……ひーちゃんのせいだな」
今だもだえつづける友人を冷然と見すえ、大沢木はつぶやいた。
「くっ……最大級の宝をもってしても説得は無理だったか」
わざとらしく口元をぬぐい、子鹿のようにおぼつかない足どりで立ち上がる。
「さすがにもうひとつのほうは無理だと思って」
「なんの言い訳だよ」
「オレにも常識ってものがあるんだよ」
大沢木は嘆息すると、言った。
「ま、いいけどよ。怒られるのおまえだし」