出来ちゃったよ宰相ちゃん
一人の女性が居る。
日本国京都府京都市の市役所にて婚姻や離婚などの手続きを主に担当している女性だ。
日々多数の人々幸せな表情や、苦渋に満ちた表情を見ながら手続きを事務的に進めている女性。
毎日同じような処理を繰り返し退屈感が限界に達していようとしたある日。
窓口に訪れる市民の列が途切れ、たまらず背伸びした彼女の窓口に一人の少女が現れた。
「こんにちは、です」
受付の女性はその少女を見てハッと息を呑む。
まるで人形の様に白い肌と、透き通るような瞳、なにより特徴的に伸びた長耳。
噂には聞いていたがどうやら彼女はエルフらしいと判断できた。
異世界との扉がつながった事が正式に政府より発表されてすでに数ヶ月という時間が経っている。
まるでファンタジー映画がそのまま現実にやってきたような様々な出来事と事件を経て、異世界の国フローレシアと日本は国交を結ぶに至っている。
まだまだ制約があるものの異世界の人々がこの国にやってきている。その事実は十分に知っていたが、まさか自分の目の前にその住人が現れるとは思っていもいなかった。
もっとも、彼女は気づくことがなかったが、その少女こそがかのフローレシアで絶大な権力を持つ人物の一人であった。
少女の名前は、宰相ちゃんと言った。
「こんにちは、本日はどの様なご用件でしょうか?」
「これ、お願いします。です」
「はい、お預かりしますね……これは」
少女はキラキラとした瞳で受付の女性を眺めている。
差し出された書類は、婚姻届だった。
「ごめんなさいね、お嬢ちゃん。これはちょっと受け取れないの」
「むう……どうして、ですか?」
書類の内容に完全に不備がない……などといった感想を抱きながら、女性は宰相ちゃんが提出した婚姻届をそっと差し戻す。
キラキラとした瞳が途端に曇ったことに心を痛めながら、だが女性は宰相ちゃんの行動を優しく注意する。
「うーん、まだまだお嬢ちゃんの国とはいろいろ難しい取り決めをしている最中だからね。私達もこういった事例を把握していないの。もしもお嬢ちゃんが国で一番か二番に偉い人ならどうにでもなったんだけどね……」
コテンと首をかしげる宰相ちゃん。
受付の女性は、その態度が話を理解していないが故の物だと判断して苦笑いを零す。
相手は見た目通りの子供だ。
完璧に不備の無い婚姻届を持ってきたのは賞賛に値するが、それでも受理ができない事実は変わらない。
「難しい話だったわね。お嬢ちゃんが持ってきた書類は受け取れないことになっているの。ごめんなさいね」
「でも婚姻届を出せば、なんとかなると思う、です」
とはいえ、このまま目の前の少女を突き放すのも後味が悪い。
何よりも愛しの男性の為に婚姻届を用意するような行動力にあふれた女の子だ、将来有望だし何より応援のしがいがある。
そう考えた女性は、視線を宰相ちゃんから外すと壁にかけられた時計の時間を確認した。
「そうねぇ。じゃあ私もお昼だし、一緒に食事でも取りましょうか!」
宰相ちゃんから返ってきた元気の良い返事に満足気に頷いた女性は早速自らの財布を机の引き出しより取り出すと、市役所に併設された食堂へと宰相ちゃんを案内するのだった。
◇ ◇ ◇
食堂では一種の講義とでも呼ぶに等しい授業が行われていた。
教師は先程の受付の女性、相手はフローレシアの重鎮たる宰相ちゃん。
講義の内容は「どうすれば意中の男性の退路を断てるか」……だった。
「こういうのはね、既成事実ってのが大事なの。お嬢ちゃんのやり方でも間違ってはいないけど、男の人をその気にさせようと思ったらもうちょっとやり方を変えたほうがいいかしら?」
「やり方……ですか?」
コテンと首を傾げながら、だがその瞳の奥に確かな理解と好奇心の輝きを秘めて宰相ちゃんは女性の話を聞く。
女性も目の前の愛らしい少女が素直に自分の話を聞いてくれることに機嫌を良くしたのか、立て板に水を流すかのようにスラスラと今まで自分がどれだけの男を手球に取ったのか、そしてどの様な手段を用いたのかを語る。
女性は……少しばかり男性との関係について自由奔放だった。
「そうそう。あっ、丁度いい方法思いついちゃったわ! 私も昔よく男の人の度量をはかるために良く使った手なんだけどね……」
「おおっ! すごい、です!」
キラキラと瞳を輝かせる少女。
女性が説明を一つすれば、それだけで十を理解する聡明な少女であった。
自然と、女性の話と作戦にも熱が入る。
宰相ちゃんを微笑ましげな瞳で眺めながら、受付の女性は今まで手玉に取ってきた哀れな男たちのことをふと思い出す。
残念ながら、女性の脳裏には彼らの顔は出てこなかった。
さほど大したことでは無かったのである。
◇ ◇ ◇
「勇者様。できちゃった……です」
「「「えっ!!!」」」
本堂家は静寂に包まれた。
自由気ままなフローレシアの面々は比較的頻繁に本堂家に訪れる。
本日も、ティア、エリ先輩、宰相ちゃんが偶然にも一緒にやってき、カタリを含めた彼らの家族と談笑していたのだが。
突然何を思ったのか、宰相ちゃんが静かにその言葉を告げたのだ。
「勇者様との赤ちゃん、できちゃったみたい、です」
静寂の中、もう一度宰相ちゃんはハッキリと言葉をその愛らしい口より紡ぐ。
聞こえていなかったのだろうか? との配慮からだったが、もちろん彼らが静まり返ったのは宰相ちゃんの言葉をしっかりと聞き直すためではなく、その言葉の内容に思考がショートしていたからだ。
「ちょ、ちょとちょとちょっと! お兄ちゃん!? お兄ちゃんんんん!?」
「お、落ち着け叶! お、おおおお落ち着け!」
カタリの妹、本堂叶は完全に平静を失って兄に詰め寄った。
極度のブラコンで自他共有名な彼女はすでに瞳に大粒の涙を浮かべており、カタリの胸ぐらを掴むとガクガクと勢い良く揺さぶっている。
戸籍データベースに侵入して、自分とカタリの血縁関係を無かったことにしようと企んでいた最中の重大報告だった。
対するカタリは未だ事情が掴めない。
赤ちゃんができるも何も、流石に宰相ちゃんとその様な行為をした覚えはない。
もっとも、かなり際どい場面があったことは否定できないが、それでも一線は越えていない。
またいつものようなワガママか冗談なのだろうか?
そう思ったが故に、その言葉は毛ほどの危機感を持たずに口より零れた。
「俺の子なの?」
空気が凍る。
眉を顰めながら、本人としてはなんの気なしに言った言葉はその場にいる全員の怒りを買うに十分であった。
「ターゲットロック。――オールウェポンファイア」
叶がそのしなやかな指先にはめられた指輪を口元に運び、何やら命令文を発する。
刹那、彼らが団欒していた応接間に接した中庭より飛翔物体――小型ミサイルが飛び込んできた。
床からは複数の砲身を有した銃砲がまるで鉄の触手の様に伸び出てカタリに向けて発砲している
「ぎゃあああ! あっつうううううう!!!」
それらを放たれる熱線、銃弾、爆風を一身に受けながら、カタリはとりあえず涙目で叫ぶ。
肉体的にはそれほどダメージはない。だが心が痛い。
理不尽しか感じられなかった。
「この腐れお兄ちゃんがぁ! 言うことにかいてそれ!? いくらなんでもひどすぎるでしょ! 英雄の遺伝子を元にしたからってそんなところまで似てどうするの!?」
「ち、違うんだ! そうじゃない! 俺はやってない! 誤解なんだ叶!」
チュインチュインと、弾丸が跳弾する中、妹による兄への詰問は始まる。
彼女達がそれぞれ見に付けるなんらかの自動防御システムにより傷つくことはないが、その様な配慮がなされていない室内はどんどん戦場めいた様相になってくる。
「誤解じゃなかったらなんだっていうのよ! こんな年端もいかない女の子に乱暴して、挙げ句責任も取らないなんて、それでも本堂家の男なの!?」
「だから違うって言ってるだろ?」
「えっと、えっと……」
あまりよく分からなかった宰相ちゃんはあたふたしている。
この言葉を使うと男性の甲斐性をはかることができるとは受付の女性の言葉だったが、そこまで重大ごとになるとは思っていなかったのだ。
カタリにちょっと意地悪を言って甘えさせてもらったら嬉しいな程度の考えしか無かった少女は、ここに来て日本とフローレシアにおける妊娠に対する認識の違いを知ることとなる。
「もういい! 私が天誅を下します! 攻撃部隊! お兄ちゃんを狙って! ターゲットはその節操のない股間です!」
バラバラと、子供ほどの大きさがある蜘蛛を模した機械が叶の周りへと時空転移してくる。
彼女がフローレシアと共同研究している科学と魔法のハイブリット兵器だ。
青い瞳だった蜘蛛たちは叶の命令を正しく受け付けるとその瞳を警告を意味する赤に変化させ、まるで金切り声を上げるように不気味な音を掻き鳴らしながら魔法の光線を放つ。
狙いは寸分違わずカタリの股間だった。
「あいだだだだだ! やめ! 痛い! ちぎれる! ティア、助けてくれ! どう考えてもおかしいぞこれ!」
「宰相ちゃんに先を越された、宰相ちゃんに先を越された、宰相ちゃんに先を越された……」
「ティアも駄目だったぁぁぁ!!」
ティアの瞳は虚ろだった。
まさか宰相ちゃんがその様な嘘を吐くとは思っていなかったティア。
特に最近は忙しくいろいろと焦っていた部分もあった彼女は、その才気あふれる明瞭な頭脳を1%も使うこと無く宰相ちゃんの言葉を信じこんでしまっている。
完全に駄目な子と化していた。
「え、エリ先輩! た、たすけて……」
「認知してあげなよカタリちん。このままじゃ、宰相ちゃんがあんまりにもかわいそうだよ……」
「笑いながら言ってるんじゃねぇ!!」
カタリの先輩であるエリは幸せの絶頂だった。
彼女はなによりもカタリが不幸な目にあっているのを見るのが楽しかったのである。
情けなく涙目で叫ぶカタリをニコニコと慈愛に満ちた瞳で見つめながら、この後に待ち受けているであろう様々な騒動に思いを馳せる。
今日のご飯はとても美味しくなりそうだ。
……エリ先輩は幸せの絶頂だった。
ほうほうの体で逃げ出すカタリ。
怒り狂った叶は自らが呼び出した自立兵器で自宅を手当たり次第破壊し尽くしている。
ティアは茫然自失としており、エリ先輩は絶賛爆笑中だ。
逃げ隠れるように庭園の石灯籠の影に隠れるカタリ。
偶然にもそこには事態を飲み込めず、とりあえず慌てて身を隠した宰相ちゃんがいた。
「宰相ちゃん、なんでそんな嘘ついたの?」
「え、えっと……。ご、ごめんなさい、です」
「そ、それはいいんだけど……理由を……」
えへへ……と可愛らしく誤魔化している宰相ちゃん。
とりあえず、妊娠が嘘だったことをその態度から察したカタリは、心底胸をなでおろす。
この年でパパになるのは流石に御免被りたかったからだ。
もっとも、だからといって事態が収束に向かうわけではない。
邸宅は絶賛炎上中である。
誰かが通報したのだろう。遠くから消防車や救急車、パトカーが猛スピードでやってくる音が聞こえていた。
「と、とりあえず……勇者様のお母さんを介抱する、です」
はたと思い出し、先程から静かだった自らの母に目を向けるカタリ。
ボロボロになった本堂の邸宅、その応接室。
そこには白目を剥きながら泡を吹いて倒れている本堂楔がいた。
「母さぁぁぁぁん!!!!」
その後なんとか自立兵器を破壊し、叶を落ち着かせることに成功するカタリ。
だがバタバタした状況の中、母親の誤解をとくことをすっかり忘れてしまう。
結局その後に目覚めた楔は、手塩にかけた息子がロリコンになった思い込みショックのあまりその後数日寝こむことになってしまった。
もっとも、その思い込みが勘違いであるかどうかは、最近の彼の行動を見る限り定かではなかった。