第五十四話
「本堂カタリィィィィ!!!」
咆哮が大地を揺るがし、込められた怒りが世界のすべてを押しつぶさんと圧力を与えてくる。
周りの大地からは様々な武器や兵器が出現し、今か今かと俺に使われる時を待っている。
その瞳はただ俺だけを射抜き、その生命を刈り取らんと口腔から血液の如きヨダレを滴らせていた。
「うぉ! やっこさん怒ってるなぁ!」
「気をつけてカタリ! あれでも一応神霊に属するんだよ! 甘く見ているとやられる!」
相棒が警告を放ち、同時に亡者の群れが重なりあい巨大な山となって天上の運命に殺到する。
チカっと天上の運命の尾が揺れた気がした。
次いで襲いかかる轟音と衝撃。
気がつけば亡者の山は跡形もない。
尾を振りなぎ倒したのだと気付いたのはその光景を目の当たりにしてから数秒たった跡だった。
「わかってるけど、どうやって攻撃するんだよ!!」
「全力で!」
「そんな適当な!!」
「AAAAAAAA!!!!」
言いながらも魔力の残量など気にせずにありとあらゆる物を地獄より呼び出す。
かつて呼び出した断頭台などの兵器を含め、ミサイル、戦車、魔導兵器、要塞砲。
地獄から無限に供給される魔力で呼び出されるそれらの数は数える余裕が無いほどに膨れ上がっている。
自動で攻撃を開始する兵器たちの森を掻い潜りながら、俺は奴の懐に接近した。
鱗の間から光線が幾重にも折り重なって殺到する。
それらを召喚した盾で弾き飛ばし、考えうる限り最高の対神能力を持った武器を突き刺す。
だがそれらは一向に効果を見せていない。
いや、攻撃はあたっている。
確かにダメージも与えている。
相手がバカでかすぎる……。
これじゃあいくら切り裂いた所で相手には蚊に刺されたほどの影響しか与えられない!
「くそっ!!」
『無駄ダ!!』
刹那衝撃が身体を走る。
すんでの所で剣を盾にして防御したが、数キロ先から一瞬にして到達した奴の尻尾が容赦なく俺の身体を粉砕せんとその圧倒的な剛力をふるう。
くそっ! こんなやり方じゃあ無理だ!
今でも呼び出した武器たちは攻撃を続けている。
だが強力な魔力の加護によって守られた奴はいまだ健在。ダメージを受けている様子すら無い。
余裕すら見せるかの存在に苛立ちが募る。
しかもこいつの攻撃はやたらめったら広範囲に及ぶ。
このままでは付近に存在している友軍に被害が……。
天上の運命が笑いながらわざと人類の陣営に向けて魔力砲を撃ち放ったのはまさに其の時だった。
あの場所は……フローレシアの軍!
親しい人たちの安否を思わず確認しようと意識を向ける。
この場において最悪と思われる手を、思わずとってしまっていた。
『隙を見せたナ!!』
「しまった!!」
一瞬生まれた思考の空白。
わずかコンマ一秒に満たない時間であったが、かの存在が力を集中するには十分の時間だ。
まるですべての時が止まったかのように感じられる中。
スローモーションの様に世界が動く。
赤々とした口腔を見せる天上の運命の前には強烈な光。
輝きを増し、視界を覆い尽くす。
魂すら焼き払わんとするその光の中、俺は刹那にすぎる走馬灯を何処か他人ごとのように眺めていた。
『これで終わりダ! 私の、神の勝利だ!!』
「カタリ!」
……気がつけば、
目の前に、一人の少女がいた。
両手を広げて天上の運命が放った輝きを一身に受けている。
誰に言われなくても理解できる。
彼女は身を挺して俺をかばってくれていた。
「相棒……!!」
『ば、馬鹿な! 私の攻撃が防がれただと!?』
「僕にだって……これくらいの力は残されているよ! そして、この瞬間を待っていた!」
『ぐぅぅ!! これハ!!』
天上の運命が炎に包まれる。
俺にトドメを刺すために魔力を集中させたのが仇となったのだ。
決して傷つくことの無いはずのその肌が、グズグズと焼け落ちているのが見て取れた。
その光景を見た瞬間に理解する。
地獄の炎。相棒は、超常の存在すら焼き尽くす煉獄のそれを召喚していた。
「さぁ、カタリ! ありったけの魔力を! これが最後のチャンスだ!」
天上の運命がもがき苦しむ。
さしもの存在もダメージは免れないでいる。もっとも、炎の勢いがみるみるうちに減少しているのでもはや考えている暇すら無い。
「ああああああああ!!!!」
何も分からなかった。
どうすればやつを倒せるかも、何を呼び出せば良いかも、ありったけの魔力をどうするのかも。
ただ本能的に……剣を振りおろし、すべての力を奴に向けていた。
あふれた魔力が世界にヒビを穿つ。
向こう側に見える世界は亡者の都、地獄だ。
俺の放った魔力が呼び水となり亀裂がどんどんと膨れ上がる。
だがそれらはある種の規則性を持って、まるで天上の運命を取り囲むように伝染していった。
やがてこの世界が俺たちの世界かそれとも地獄か分からなくなる程に汚染され、あらゆる力が臨界に達した瞬間。
――過去、現在、未来すべての死が、
――天上の存在に殺到した。
『馬鹿な、なぜ私が死ぬ! なぜ私がこんな所で死ぬ! 私が人に殺されるなど! ありえぬ!』
黒いタールコールの様な魔力がうねりとなって天上の運命を締めあげ、傷つけていく。
その光景を何処か他人ごとの様に見つめながら、俺は魔力を放出しきって欠片の力も残されていない身体でなんとか崩れ落ちぬよう自らを叱咤する。
『私は神の代弁者だぞ! 世界の理により人に殺せぬと決められたはず!』
「神殺しの遺伝子。カタリに埋め込まれたDNAは歴代の英雄のそれだ! 幾重にも折り重なった概念が! お前を殺すことを可能にしたんだよ!」
気がつけば、俺の身体を支えるように横で相棒が支えてくれていた。
その少女はほんのすこし前に見た親しい人にとても似ていて、だがその誰でもなかった。
絶叫がつんざく。
慌てて天上の運命の方へと視線を向けると、もはや原形を留めない程に崩れ落ちたそれは光り輝く粒子となって消え去ろうとしている所だった。
『うそだ! 私が消えるのか! そんな、この私が……』
――おお、神よ……。
やがて唐突に静寂が訪れた。
俺たちをあれほど馬鹿にし、さんざん好き勝手やってくれた天上の運命はあっけないほどあっさりと永遠であったはずの命を終えた。
戦いは俺たちの勝利で終わった……。
「相棒! 大丈夫か!」
「なんとかねー。ギリギリセーフかも」
ぐらりと揺れる気配を感じ、慌てて今度は俺が相棒を支える。
お互い満身創痍だ。
魔力がすっからかんになっており、もう一滴の絞り滓も出てこない。
だがそんなことよりも、もっと大きな驚愕が俺を襲う。
見慣れた服を着て見慣れた人の面影を残す相棒。
だがその顔面は半分が痛々しく焼けただれていた。
「その身体……」
「ああ、勘違いしないでねカタリ。これは元々だから、地獄の炎に焼かれてこうなっちゃったんだよ」
焼けた半身を極力見せぬように顔を背ける相棒。
俺もそれ以上は追求をしない。女の子に対してこれ以上あれやこれやとキズについて聞くなど到底出来ぬことだった。
できればこの話題も出さなかったほうが良かったかもしれない。
本来ならばもう少し気が利いたのかもしれないが、全てが終わったという安堵感の方が強かった。
「終わったん……だよな」
肯定の頷きが無言で返ってくる。
ああ、ようやく終わったのか。
実感がないが、少しだけ気の抜けた空気が徐々にその事実を俺に知らしめてくれていた。
……少しだけ冷静になり、俺は意を決する。
相棒に俺が持つ最大の疑問を尋ねる。
それを聞くことが正しいのかどうかわからないけど、今聞かなければ永遠に教えてもらえない気がしたから……。
「なぁ相棒。聞いていいか? 相棒の正体は一体なんなんだ? えっと、その、差し支えのない範囲で……」
「カタリのことが大好きで、カタリを想って死んでいった人たちの魂」
相棒はそれだけを言って笑うと「ヒントはここまで、後は自分で考えて!」と軽く舌を出してそれ以上は秘密とばかりに黙ってしまった。
けど、
ああ分かってしまった。
そういうことなのか、つまり俺は……皆に最初から。
「余計な詮索は止めよう! カタリは、この世界は勝ったんだ。もう何も心配いらない。何者も皆の未来を脅かすことはない」
相棒は静かに語る。
お互い地べたに座り、お互い肩を寄せ合って、お互いに天上の運命が消え去ったその先を眺めている。
相棒が呼び出した亡者の群れはいまだ世界に存在しているものの、暴走したり人を襲ったりはしていない。ただ、呆然と空をみあげているばかりだ。
天上の運命が呼び出した天使たちも、奴が消えたことでこの世界へと干渉する楔を失ったのかいつの間にか消えていた。
自らの運命を守るために戦った人々も、いまだ状況が掴めないようでうろたえている。
終わったのだ。
すべて終わった。もう、何も心配はいらない。
地獄の亡者があるべき場所へ帰れば、それで終わりだ。
あるべき場所へ……帰れば。
「なぁ相棒。いっしょに、いることは出来ないのか?」
「それは駄目だよ。言ったでしょ。僕らはもうすでに死んだ人たちなんだって。死者がいつまでも未練がましく現世に残っていたらダメじゃないか」
その言葉はいつもの相棒らしい飄々としたものだったが、何処か寂しげな雰囲気があった。
彼女が地獄からやってきた存在であれば、すべてが終わった後に俺たちは永遠に会うことができなくなる。
せっかく世界が平和になったのに、これからだっていうのに、
唐突な別れが酷く残酷に思えた。
「それに僕はカタリとずっと一緒にいた。それだけで、もう十分だよ」
相棒はこちらを見ずに告げる。
静かな言葉は少し震えており、本意を隠していることが容易に聞き取れた。
「だから、これで良かったんだ。僕らの悲願はこれで果たされたんだ。カタリ……本当に良かった。生きていてくれて、よかった」
何も言えなかった。
もう会えないと分かっていても、もっともっといろんなことを、彼女に礼を、感謝を、好意を、ありとあらゆる言葉を伝えたかった。けど、
ただ気持ちばかりが先に行って上手く言葉が出てこない。
遠くから誰かがやってくる気配を感じた。
視線を向けると、見慣れた紋章が入った旗が見える。
フローレシア王国軍だ。あの紋章は王族のそれだから無事だったか……。
人影はだんだんと近づいてくる、ティアが血相を変えながら走ってきているのが遠目にも分かった。
「もう、行かなくちゃ。この世界にいる死者を全員お家に返さないとね」
少し力が回復したのか、相棒が立ち上がる。
彼女は数歩だけ歩いて距離を取るとくるりとこちらへ向き直る。
俺も同じく立ち上がって彼女を見つめると、ようやく出てきた想いを率直に伝える。
「相棒。お前のことは絶対に忘れない。皆のことも忘れない。ありがとう、相棒が居てくれたから、俺は俺であり続けることができた」
「僕こそありがとう……その言葉だけで救われるよ。ずっと、ずっと想っているから。カタリのことを、ずっと想い続けているからね」
まっすぐこちらを見つめる瞳には大粒の涙が浮かんでいる。
気がつけば、俺も涙で視界が歪んでいた。
彼女の最後の瞬間を、別れの時を決して忘れないように心に刻み込む。
足元から相棒が消え始める。
とその時、
「あっ!! 最後の最後で忘れてた!!」
「な、なに? 消えかかってるんだから早くしないと!」
唐突に相棒が表情を変える。
最後の別れを台無しにしてしまうかのような彼女の言葉に、俺も思わず慌てふためいてしまが、唐突に小さな衝撃が俺を襲う。
トスンと飛び込んできたのはイタズラが成功したかのようにはにかむ笑顔だった。
「えへへ! 最後のわがまま! ぎゅーっとして、カタリ! 力いっぱい!」
「あ、ああ。……ああ!」
抱きしめた。
力強く、だが彼女が苦しくないように。
すべての想いを込めて、あの日々を忘れないように……。
この世界へ来た時から、ずっとずっと一緒に居た彼女へと別れを告げるために。
「元気でね、カタリ。君のことをずっとずっと愛しているよ」
もぞもぞと俺の胸に埋まっていた彼女は、プハッと顔を上げて俺を見つめる。
その顔は焼け焦げ涙で濡れてはいたが、これでもかと幸せに満ちており、
世界中の何よりも美しかった。
「ああ、やっぱりカタリは暖かいなぁ――」
「あいぼ――」
こうして、相棒は風の様に消えてしまった。
土を踏む音が聞こえる。俺が抱きしめていた相棒が消え去ったことを遠目に見ていたティアたちは、それだけでどの様な事情があったのかを察してたいたようだった。
「あの、カタリ様……その、相棒さんは」
「行っちゃったみたいだ……」
「勇者様、えと……」
「さっ! 帰ろう! 終わったとはいえ、やることはまだまだ沢山ある!」
気づかれないように無理やり明るく振る舞う。
だが声は少しだけ震えていた。
……長きに渡る戦いは幕を閉じた。
だがまだまだやることは沢山ある。
世界は天上の運命によってめちゃくちゃに破壊された。
それらを復興する仕事が残された俺たちには待っている。
相棒が行ってしまったことによって能力を失った俺にできることは、もしかしたら少ないのかもしれない。
だが彼女が繋いでくれた未来をより素晴らしい物にするために。
彼女たちが命をかけて望み、死してなお守り通した全てを守るために。
俺にできることなら、何でもやろうと思う。
こうして長きにわたる戦いは幕を閉じた。




