第五十一話
天の門が開く……。
輝かんばかりに白い光が世界を照らしだした。
同時に彼方より圧倒的な聖の魔力がうねる風となって世界に吹き荒れ、生きとし生けるものの視線すべてを門へと集める。
やがて無数とも言える純白の戦士が現れた。
各々が何らかの武器を持っており、男性とも女性とも判断つなく中性的な顔を有している。
背中には特徴的な猛禽類を思わせる羽。
その存在は、聖書において天使と呼ばれる存在だった。
【フローレシア王国】
常春の国フローレシア。彼の地を守らんと戦う人々も、またその様子を眺めていた。
世界のどこからでも確認できるその現象は、もはや天災を越えて神話とも呼べるほどの規模を持っている。
「こっ! これは……!?」
「天使……。聖書に記されし神の軍勢ですか。分類学上は魔法生物ですから、殺すことはできると思いますが……」
「この数。流石に厳しい、です」
この状況において、かの存在が救いのためにやってきたなどという悠長な考えを持つものはこの場にはいない。
宰相ちゃんを初めとして、魔法に詳しい面々が戦力の分析を行う。
それらすべての情報が通信に関連する魔法や科学技術によって即座に全軍に共有される。
対応の速度は軍としては神速。練度も士気もいまだ十分。
だがその表情は芳しくない。
相手がどのような力を有しているかは分かる。その対処法や有効な攻撃手段も分かる。
だが、
――数が圧倒的すぎた。
当然の如く、門から噴出した天使たちは人々めがけて殺到してくる。
それぞれが持つ剣、槍、魔法をもって……。
空からは天使の大群、陸からは操られた人々。
綱渡りを思わせる均衡の中でなんとかその戦力を維持していたフローレシアの軍は急激にその数を減らしてゆく。
だが、それはフローレシアだけではない。
他の国々もそうであるし、今はバレスティアでさえも天使たちによる狩り場と化している。
更には次元を隔てた世界においても、天使たちの蹂躙により人々は存続の危機に立たされていた。
世界は白色と血の赤に染まりつつある。
「ふむ。しかしこれはチャンスでもありますぞ。天の門を開くとなると膨大な魔力とこちらの世界への干渉が必要になってくるはずですじゃ。つまり、
アヤツはこの天の門を維持するために、この世界に現界する必要があるということですな」
じいやと呼ばれた老いた賢者がぽつりとつぶやく。
それは一つの道しるべだ。
どのようにすればこの事態を打開することができるか?
その方法論が端的に提示される。
通信システムごしにその言葉を聞いていて一部の人間がまるで獲物を探す獣のように、空を満たす天使を睨みつける。
彼の言葉が事実であるかのように、大地にて洗脳されていた人々が急激に光を失い倒れ伏す。
力のすべてを門の維持へと集中しているのだ。
人々が、世界がかの存在に勝てるとすればただこの一点をおいて他ならなかった。
だが、
事実とは時として残酷なものだ。
その言葉を実現するのにどれほどの犠牲が必要なのか、そもそも実現が可能なのか。
今のフローレシアだけでは到底達することができないであろう困難が、巨岩のごとく立ちふさがっていた。
「目標はシンプル。現界した天上の運命を見つけて殺せば俺たちの勝ちってことか……」
通信が乱れているのか、雑音の入った音声でカタリが尋ねる。
「言葉では簡単ですけど、考えると目眩がしますね。ともあれ行きますよ皆さん。もうここまで来てしまっては敵味方ありません。我々と、あの天の門から溢れ出してくる天使たちの非常に分かりやすい図式です」
苦渋に満ちた声で、ティアが答える。
さりてと、絶望に顔を伏せている暇はない。
カタリも、ティアも、フローレシアの誰もがいまだに諦めていない。
困難な戦いは、いまだ続いていた。
【ミルド・アーヴェスタ連合国】
厳しい戦いを強いられているのはフローレシアだけではない。
ここ、ミルドアーヴェスタ連合国でも、同じく勇者であるマイケルと超越種であるベネス・アネスティアネスが先陣を斬りあらゆる脅威から国家を守らんとしていた。
当初は順調だった。
かの国はバレスティアからも離れており、進軍してくる軍勢も少なかった。
それに加え、天上の運命によって洗脳されたもの達も対処可能なレベルだった。
あとは各国がなんとかその戦線を維持している間に自国の防御を固め、可能ならば同盟国へと支援を送ろうとしていた矢先のことだった。
世界が光に満ち、ソレが現れた。
「あ、あれは……。そんな、天使じゃと!?」
ベネスは恐ろしかった。
聡明な彼女は、一見して相手がもはや自分たちでどうこう出来るような存在では無いことを看過する。
一体一体ならなんとでもなる。いくら天使とは言え殺せない存在ではない。
だが恐ろしいのはあの数だ。
それぞれが強力な魔獣ほどの強さを持つ天使が数えるのも馬鹿らしくなるほどに空を覆いつくしている。
本当なら何処へと逃げさり、隠れて震えていたかった。
恩があるとは言え、自分はあくまでこの国の人ではない。
あの軍勢から逃げ切れられるとは思ってもいなかったが、それでも幾ばくかの余生をすごく時間は許されるだろう。
今逃げればそれが可能だ。
誇り深い彼女でさえそう思わせる絶望。
だが彼女を否定することは誰もできない。誰だってその権利はあるのだ。
事実彼女は逃げ出す算段でいた。もうこれ以上の荒事はごめんだった。だが、
「うぉぉぉぉぉぉぉ!! 天使だ! エンジェルだぜ! 神様は本当にいたんだ! 見ろよベネス! すげぇクールだぜ!」
隣にいる男を放っては置けなかった。
きっと自分が逃げ出してしまえば彼は一人で戦うだろう。
もしかしたらとんでもないミスをしでかして無様に死ぬかもしれない。
そう思うと震える足も自然と動いた。
渇いた喉も声を取り戻した。
張り付いた表情も、笑みを取り戻した。
まだ戦えると、心が奮いたった。
「のーん気に騒いでいるんじゃない! さっさと武器を構えよ! どう考えても味方が攻撃されておろうが!」
「……へっ? なっ、なんで天使がそんなことするんだよ!?」
「知らん! いーかマイコゥ。馬鹿なおぬしにもわかりやすーく教えるぞ? 妾達と、妾達の大切な仲間を攻撃する物はどんな見た目であれ全員敵。わかったらキリキリ動け!」
「わーったよ! 人使いが荒いやつだぜ!」
「抜かせ!!」
ベネスはバンバンとマイケルの背中を勢いよく叩く。大げさに咳き込む彼の姿が滑稽だった。
ひどく気分が高揚する。
彼と一緒ならば、どこまでも行けるような気がした。
――ああ、これはすべてが終わったら覚悟を決めないといかんなぁ。
世界の命運を決める戦いの最中、太古よりその生を紡ぐ超命種であるベネス・アネスティアネスは、そんな乙女めいた思いを胸に抱いていた。
【ターラー王国】
バレスティアとの国境、エダの乾燥荒野。
フローレシアの同盟国であるターラー王国。
この国である勇者であるセイヤもまた、苦境に立たされていた。
「ど、どういうことなんだ! バレスティアに行ってから、わからないことばかりだ!」
「せ、セイヤさま!」
「離れて! 大丈夫、僕はこれでも勇者なんだ。皆を守ってあげることぐらい出来るよ!」
「は、はい……」
「たとえ、誰が相手になろうとも……」
自らの想い人と共に戦線に立つ姿はいっそ清々しくある。
カタリがその様子を見たらあきれ果ててしまうだろうが、彼をよく知るもの達は彼の性分を考えると守る者が居たほうが力を発揮するであろうことを信じていた。
残念ながら……夢物語が叶うほど彼らが置かれた状況は優しいものではなかった。
程なくしてセイヤの絶叫と憎しみに満ちた力が天使たちを襲う。
それは普段の彼にしては何倍も恐ろしい力で、ターラー王国を襲う天使たちをあらかた飲み込んで一掃すると、獲物を探すかのようにどこかへと消えていった。
皮肉にも彼が守護者であると信じた人々の想いは全く逆の形で裏切られることになる。
幸いだったのはすでに前後不覚となった彼の憎しみが、彼の国の人たちに向けられることがなかったことだろう。
各地で、人々は己の運命を戦っていた。
【日本】
「臨時ニュースをお伝えします! 現在大西洋上空に発生した未確認物体――通称門より大量の飛行生物らしきものが発生しております!」
「これらは人間に対して攻撃的で、非常に危険です。これは訓練放送ではありません。慌てず直ちに屋内に避難し、テレビ、ラジオのチャンネルをそのままにしてください」
「飛行生物は天使の様な姿をしています。繰り返します。天使のような姿をしています! 見かけて決して近づかないようにして下さい!」
おおよそ奇跡や魔術といった存在が信じられていないここ日本では、最初その放送は冗談だと受け止められていた。
まさかそんな存在が現れるわけがない。
それは戦時状況下という日常から離れた状況に突如放り出された人々の、最後の精神的抵抗だったのかもしれない。
だがその無意味な抵抗も、テレビのカメラクルーが上空に現れた門を全国に放送するや否やあっけなく崩れ去ってしまった。
「軍は何をやっている!?」
「人が大勢死んでいるんだぞ!?」
「書面は関係ない! すぐに行動に移させろ! 全権を護国院に委譲して臨時体勢に移行しろ!」
一方で日本の自衛隊は混乱の極みにあった。
戦況は刻一刻と変化していっている。もはや自らの手に余る判断した表の指導者は、なりふり構わず裏の支配者たちへと国の命運を託す。
彼らならばなんとかしてくれると期待しての行動だった。だが、
「長官! 東京方面に展開中の軍より緊急の報告が入っております!」
「……なんだ! 早く言え!?」
「未確認危険生物、臨時呼称"天使"に対して、実弾及び爆撃の効果見られません!」
「なっ、なんだと……!?」
その存在に対処するまでにいったいいかほどの人間が死ぬのだろうか?
それ以前に、あのような超常の存在に対処することなど可能なのだろうか?
この場にその疑問に答えることができる者はいなかった。
【聖堂教会】
神の国は一層の混乱をもってこの事態をうけとめていた。
祈るもの、絶望し諦めるもの、狂うもの、それでもなお縋るもの。
己の足で立ち上がろうとする者は少ない。
だが、その様な中でも戦いに赴く者はいる。
神啓派と呼ばれた一派がそれだ。
プッタネスカと数人の大司教位を持つ聖者によって構成されたその派閥は、まるでこの事態を予見していたかの様に迅速に動く。
もっとも、国内すべてをまかなえる程の戦力を有していない彼らは、とある城塞都市に市民を避難させ徹底抗戦を行うのが関の山だ。
かねてより計画していた避難が完了し、対象となるすべての信徒が城塞都市に入場したのを確認した神官の一人はほっと胸をなでおろす。
なぜか天上の運命による洗脳者が少なかったため、避難が迅速に行えたのだ。
神の思し召しで無事避難が完了した……と誰かの祈る声が聴こえた。
今となっては冗談にすらならない話だ。
神啓派の指導者であるプッタネスカは、城塞都市の外縁を覆う城壁の上から天の門を眺めていた。
周辺には彼に付き従う神官たち。
全員が全員、彼と志をともにする者だ。そこに身分や位階の差はなく、ただ目的だけが固い結束を生み出している。
だが彼らの表情はすぐれない。
いくら神啓派という特殊な思想を主とした者達であっても、この事態を目の当たりにして平然としていることは難しかった。
「しかし、最後の審判が起こるなんて……我々はどうなってしまうのでしょうか?」
一人の神官が不安げに言葉を漏らす。
弱音を吐いては士気を落とすとは感じていたが、それでもなお何かを言わなければ心が挫けそうだったのだ。
その言葉に応えたのは、ほかならぬプッタネスカだ。
「んー。審判などという言葉は幻影なんだよね」
「ど、どういうことでしょうか!」
「なぜ洗脳されている人とされていない人がいるのか分かるかい?」
「い、いえ……」
目の前の人物は何を知っているのだろうか?
天上の運命と名乗る者による洗脳は強固だ。あれのカラクリが分かったのなら今後の戦いで大いに役に立つ。
神官はプッタネスカの答えに一縷の望みを抱いた。
「簡単さ。神様を信じている奴が洗脳されちゃうんだよ」
だがプッタネスカが口にした言葉は、彼にとってもっとも信じがたく恐ろしい言葉だった。
「あ、貴方は神を信じていないとおっしゃるのか!」
「いいや、全く逆だよ! 私は神を信じている、心の底から、神の存在を信じている! その思いに一切の迷いは無い!」
「では、どのようなことなのですか! ……まさかっ!!」
「なればこそ、当然のごとく! あれは偽物なんだよ司教! あれは、あれこそが! 神の意志を曲解、自ら絶対なる神の代理者を自称し欲望のままに動く堕落の権化だ!」
神官は困惑に目を見開く。
不安げに二人のやり取りにそば耳を立てていた他の者たちも同様だ。
慌てた一人がプッタネスカにつめより、その真意を問いただそうとする。
猛禽類の羽音が聞こえたのはちょうどその時だった。
「これが、これこそがその証拠だよ!!」
こちらを視界に入れたのか、天使の一群がプッタネスカめがけて殺到する。
その瞬間プッタネスカはある神聖魔法を行使した。
神聖なる光が天使たちを暖かく包み込む。
……光で守られしはずの天使は、悲鳴を上げる間もなく消滅した。
「ばっ馬鹿な……!」
神官は驚愕に目を見開く。
自分の記憶に間違がなければそれは最も古い神聖魔法で、神が直接人に与えた邪なる者を退散させる魔法だ。
神の言葉とは言え退魔の魔法としてはもはや古錆びており、儀式などでしか聞かれない言葉であったが。
どうして神の僕である天使にその神秘が効くのか?
瞬間、恐ろしい、実に恐ろしい考えが神官の頭をよぎる。
「ああ、偽物め! 唾棄すべき神の模造品め! ただ見守られていることを許されたと勘違いする傲慢な者め! さぁ、いまこそ、いまこそその罪科の代償を払わせるぞ!」
――ワタシの復讐はここに成る!!
プッタネスカが高らかに叫びあげる。
同時に防衛箇所より同じ神聖魔法が戦闘神官より放たれた。
天使への反撃は、少しずつだが各所にて勢いを増していった。
◇ ◇ ◇
与えられた魔道具による通信を終えた後、カタリは外道公と別れて戦場で一人奮闘していた。
彼の力をもってすれば、天使の一群に致命的ダメージを与えることなど容易い。
魔力を帯びた兵器は、通常のそれとは違って魔法生物である天使に攻撃を通すことができる。
神話に記される武具の数々、もう一つの世界で猛威を振るう大量破壊兵器。
擬似的な生命を与えられた魔道兵器。
機械的な生命を与えられた自立兵器。
久方ぶりに恵みの雨がふった大地から芽吹く草木のように、途切れることなくそれらが地面より生まれ出て、天使の軍勢へと突撃をかけていく。
魂なき軍勢が進軍する様子を眺めながら、カタリは一つの気配を感じる。
大地を踏みしめる音が鳴った。
「よう……お前を断罪しに来たぜ、悪魔」
一人の男がカタリの目の前に立ちふさがった。
四肢は健在。漲る覇気は聖なるそれだ。
全身が光に包まれており、どのような素材でできているのか虹色に輝く長剣を手にしている。
「うーん。誰だっけ?」
はてとカタリは首をかしげる。
男の名前はギークという。天井の運命によって手ずから調整を施されたかの軍勢の切り札なのだが。
カタリのとっては路傍の石にも劣る、興味の欠片も感じさせない生き物だった。
かくして、天の軍勢と地の軍勢、その主力がぶつかり合う。
戦いの楽曲は未だ煩くかき鳴らされている。