第四十九話
微かに耳に木霊す飛翔音。
どうやら件のミサイルは、間違いなくこちらの方角を目指してかっとんで来ているらしい。
「……あとどの位で着弾する?」
「数分でこの戦場の上空を通過、します。王都に着弾するのはその1分後程度、です」
間髪いれずに宰相ちゃんが答え、一刻の猶予すら残されていない緊迫した状況に歯噛みする。
ちぃっ、敵の行動が早いな。流石に核兵器なんてものを使われたらこちらの分が悪い。
俺たちは大丈夫だろう。核兵器が爆発した所で死ぬほどやわに出来ているわけじゃない。
だが、国民は、そして土地は違うのだ。
国家とは、土地と国民がいるからこそ成り立つものでもある。
大地は……まぁなんとかするとしても、国民が消え去ってしまっては国家を維持するのは不可能に等しいだろう。
「カタリ様。アレをどうにか出来るは武器はお持ちですか?」
ティアの表情はあまり冴えない。
だが、その瞳の奥には、不安以上に俺に対する信頼がある。
なぜ俺がどうにか出来ると思うのか? その事実が不思議であったが、同じくらい不思議なことに、俺自身もなぜかそれをどうにか出来ると思っていた。
「……ある。なんでそんな物があるのか分からないけど、たしかにある」
本能が、そしてどこからの誰かたちが俺に語りかけてくる……。
闇が零れ落ちるように空間が歪み、ゆったりと黒色の剣が吐き出されていく。
柄を掴み、ズルリと引き抜くと……そこには神話の体現とも言える武器が一振りその身を晒していた。
「鎌倉時代に猛威を振るった鈴鹿御前と呼ばれた鬼の姫が持っていた魔剣だ」
息を呑んだのははたして誰だろうか?
禍々しいとも言えるその刀身は魔力によるものかはっきりと視認できぬほどに暗く淀んでおり、精神の弱いものなら視界に入れることすら出来ぬほどの異様を放っている。
だが、だからこそ。
「これなら……」
――この空を飛んだと逸話の残る、日本神話の武器ならば、核ミサイルすら切り裂いてみせると断言できた。
「フローレシア王国における対弾道ミサイル迎撃システムは構築が完了しておりません。日本国からも迎撃を要請いたします……」
「魔力をくれ。それで何とかする」
「おまかせください!」
「全力……です」
両肩にふわりと柔らかな感触――刹那、膨大な魔力が身体中に流れ込んでくる。
……ちょっとふたりとも、手加減ってものをできればして欲しいんですけど。
一切俺に対する配慮のない魔力の奔流は、見方を変えれば俺に対する信頼でもある。
かつて無いほどに身体中にみなぎる魔力を手に持つ魔剣へと注ぎ、陽の光すら吸い込む漆黒の塊となったそれを全力で投げ放つ。
「いけ!」
魔剣が重力に逆らい、一瞬にして視界の中で小さな米粒となる。
やがて勢いも消えたのか、緩やかにくるくると虚空を舞い始めた。
慣性の法則に従いそのまま落下しようかと思われた最中、それは朱色の輝きを一瞬放つと、成層圏を飛翔するであろうミサイルに向けて、さらに天高く舞い上がった。
「――っ!! 全員! 衝撃に備えて!」
ティアの叫びから遅れることコンマ数秒。
まず目を覆わんばかりの光が俺達を襲う。
続くは鼓膜を破く程の強烈な爆発音と、同時に衝撃。
大地を根こそぎひっくり返す衝撃に思わずたたらを踏む。
だが、成層圏という距離での撃墜はどうやら俺達を守るだけの十分なものだったらしく、戦場に参列する猛者たちの防御力も相まってか被害は驚くほど少ない。
だが、本当の問題はこの後に控えていたい。
「核の嵐が来るぞ!」
誰かが叫んだ。
ふわりと生ぬるい風が戦場を撫で抜ける。
目には見えない猛威が天より舞い降りてくる。
何か怪しげな眼鏡のような魔道具をつけた宰相ちゃんが、小さな声で「――降ってきた、です」と告げた。
「魔導師は対放射線術式の展開! 防御は気にせず、魔力をそちらへ全部振りなさい! 歩兵は魔導師の護衛! 砲兵は続けて砲撃を! 平行して撤退準備を行いなさい!」
「転移魔法の展開は可能か!?」
「1分後に可能! 一個小隊まで転移可能です!」
「負傷兵を優先して転移させよ!」
「観測員は敵兵の状況を報告!」
「指揮系統を潰しているため、一時的に混乱している模様。上空の爆発で動揺が広がっています。こちらに対する動きはありません!」
「放射性物質の到達まで後どの程度猶予がある!?」
「現在分析中です! ――っ!? 予想より効果が早い!? 撤退準備を急がせてください!」
矢継ぎ早に指示が飛び交い、流れてくる怒号とは裏腹に意志を持った一つの生き物の様に静かに軍が動き出す。
薄氷を渡るような作戦ではあるが、現在は目論見通りに進んでいる様だ。
だが、予定通りにはいかないのが世の常であり、戦乱ともなればそれは更に顕著になってくる。
「緊急通達! 聖堂教会が宣戦布告! "原理派"を中心とした軍勢が王都に向かって進撃を開始しました!」
魔道具でどこかと通信を行っていたフローレシア兵が顔色を変えて叫びあげる。
ティアの端正な顔が、小さく歪む。
同時に部隊に一瞬動揺が広がった。だが指揮系統が徹底されているのか、それとも心臓に毛が生えているのか、部隊が混乱するには至らない。
「タイミングを図っていたのですね! 火事場泥棒とはまったく下品なことで! ですがこの程度のことを折り込み済みではないと思われては心外です!」
「続報! 聖堂教会にて動き有り! ――"神啓派"が"原理派"に対して離反! 先導者は認定聖者プッタネスカ大司教です!!」
「グッド! ナイスタイミングですよ!」
あまりにでも出来過ぎたそのタイミングに思わずほうと息が漏れる。
いや、プッタネスカはおそらくこの為に今まで行動していたのだ。
彼の真の目的がなんであれ、この時が目障りな敵対派閥を打ち倒す格好のチャンスだったのだろう。
どこもかしこも争ってばかりだ。
人間界は疑心暗鬼と互いの不和で戦争状態。
これでは、魔界に行ったほうがよほど平和なのかもしれない……。
「魔界は毎日が殺し合いですよ。あそこにはそれしかありません――」
どうやって表情から考えを盗み出したのか知らないが、テスカさんが静かに呟いた。
彼女には珍しく悲しげな表情が、その心に抱える物を表しているかのようだ。
「ティアエリア姫! 現時点を持って、日本国はアメリカ及びバレスティア黄金帝国に宣戦布告! 完全戦闘状況下に入りました!」
「了解しました。ではこちらも予定通りに作戦を開始します」
敵の戦線はすでに崩壊し、こちらも撤退準備に移っている。
核ミサイルはこの戦場の直上で破壊されている。
すでに不毛の大地となったこの地に大量の放射性物質が撒き散らされるのはある種都合が良い。
直下でその影響を一身に受ける俺達の事を考えなければ……の話だが。
「諜報員より報告! バレスティアに確認された転移門より多数の熱源を確認! アメリカ陸軍、自立兵器部隊と予想されます!」
「引き続き動向を監視しなさい! 少しでも動きがあったら報告するように!」
「ティアエリア姫。我々――日本の国防総省が予想していたよりアメリカ軍の規模が大きいです! 派遣部隊では防衛が困難です! 追加派兵の要請を!」
「ティアエリア=アンサ=フローレシアの名において追加派兵を要請します! 戦時により書面は後ほどで!」
「確かに承りました!」
軍勢がうねる。
敵軍の混乱を良いことに一心不乱に撤退を開始する俺達は、常に移り変わりゆく戦況をつぶさに判断し、指示を出している。
戦況はすでに混乱の極みだ。
こちらでは大陸を巻き込んだ世界大戦が繰り広げられ、向こう側の世界からも科学兵器が山のようにやってくるカオスな状況となっている。
おそらくそれは向こう側の世界でも同様で、日本とアメリカのドンパチを皮切りに相当愉快なことになっていることが随伴する日本の支援部隊からの報告で明らかになっている。
もちろん、その有様をのんびりと眺めている余裕などどこにもない。
その渦中の真ん中に俺達はいるのだ。
とは言え、いくら絶大な力を持つ人間でもやれることには限りがある。
今の俺に出来ることは少ない。
だが、短くない時間を共に過ごしたあのフローレシアの人々が共に戦っていると思うと、不思議と不安だけはなかった。
「……!? 緊急! 国内への敵部隊侵入が確認されました! 複数の部隊が王都への攻撃を行っております!」
「転移阻害の術式は張っていたはずですよ!? 魔導部隊は何をしていたのです!」
「魔法ではありません! これは……ステルス高速輸送艇団による強襲です!」
「王都防衛部隊に即時迎撃を命じよ! 転移門を死守しなさい!」
今度は先程よりも大きな舌打ちがティアより漏れる。
聡明な彼女であっても、流石に異世界の軍事行動を完璧に予測するまでは行かなかったようだ。
チラリと向けた視線は日本の随伴部隊隊長に注がれている。
何か現状を打開する提案を待っているのだろう。
だが、事態は予想外の方向に動いていた。
「馬鹿な! アメリカの展開が早い! ティアエリア姫! 現在我が国、日本国本土への直接攻撃が行われています! 申し訳ありません! 日本側の転移門防衛の為、定刻までに王都防衛部隊の派遣が困難です!」
相手側の行動は迅速だった。
アメリカは軍事大国ではあるが、同時に民主主義の国でもある。
なぜそこまで素早く大規模な行動が行えるのか……。疑惑は晴れないが、今は悠長にそんなことを考えている場合ではなかった。
「くっ! 次から次へと……国民を非戦闘地域へ移動させなさい! 命さえあればどうにでもなる! 同時に周辺の部隊を王都へ集結させよ! ゲリラ戦を行います!」
軍へと指示を出すティアの言葉に焦りが生まれる。
優秀であるということは、時として悪い方向に進むこともある。
フローレシアの人々は皆優秀なのだ。特に彼女の周りに付き従うものは。
その焦りをつぶさに感じ取ってしまう程に……。
動揺が一瞬にして広がった。
兵には家族がいる。帰るべき家がある。
それらが危機にひんしているとなれば、動揺するのも当然だ。しかも対処が後手に回ってしまうとなれば更に……。
フローレシアの軍は精強だ。
だが、だからと言って無限に戦えるというわけでもない。
特に、この様な限界状況下においては士気の低下は避けられない。
ならば――。
「いや、大丈夫だティア。――俺がなんとかしてやる」
彼らの不安を払拭し、その戦意を鼓舞するのが、俺の役目だろう……。
「王都防衛部隊より通達! 王国内の全ゴーレムの起動を確認! 敵部隊市内に侵入した敵部隊と交戦を始めています!」
「なるほど……これなら行けます! 防衛部隊を市民の避難誘導に充てよ! 迎撃はゴーレムが行います!」
ティアに目配せし、小さく頷く。
自らの魂が訴えかけてきた。何をすべきかを、何が出来るかを。
……なるほど、この日、この時、この瞬間の為にあの下らない茶番は全て存在したのか。
相棒がどのような意図を持ってあの行為をしたのか納得いかなかったが、ここに来てようやく疑問が解消された。
そして、相棒――彼女は俺達が知らないことまで知っている。
おそらく、あの|天上の運命《ル=シエルと同等の存在であろうということを……。
鬨の声が上がる。
まるで王都で動き出したゴーレム達の奮戦を願うかのように。
彼らの帰るべき場所が託された。
王都に設置された、鉄の彫像は、彼らの想いを魂とし、必ずや彼らの大切な人と故郷を守るだろう。
戦の女神は、すでに俺達に向けて微笑みかけていた。
………
……
…
日が暮れ、一時の休息が訪れる。
俺達の軍はすでに王都へと帰還し、留守中に入り込んだ間男達はその代償を生命と絶望で支払わされている。
だが俺達がすべきことはまだまだ多くある。
深夜でありながら、王都はどこもかしこも明かりが灯り、獲物を見つめる獣の様に爛々と輝いていた。
「宰相ちゃん。現在の予測は如何でしょうか?」
「現時点でフローレシア国消滅の可能性は10.77%まで下がって、ます。このまま行けば、最終的に停戦交渉がなされるはず、です」
「見境なくドンパチやってるからなぁ。流石にしんどいだろう。バレスティの上層部がどう考えていようが、兵や市民の厭戦感情が高まりすぎている」
バレスティアとの戦端が開いてすでに少なくない日数が経過している。
俺達の世界の介入によって、すでにこの時代、この世界の常識では考えられないほどの物的、人的被害が出ている。
更には戦火の拡大は留まることを知らず、各地で大小様々な国家が己の思惑に基づいて挙兵している。
人は戦争を望むのではない。勝利を望むのだ。
終わりの見えない戦いは、ただ死と荒廃しか生み出さない。
人々が戦争に否を突きつけるのも当然だった。
「現に今入った情報ですと一部の都市で自発的な停戦が行われているようですな。もはやバラバラなのですよ、彼の国は」
大臣の一人が軽快な指さばきでキーをタッチしながら各国の情報を提示する。
未だに大陸の随所で戦闘行動が発生しているが、それも当初よりなりを潜め、全体的に収束に向かおうとしていた。
「そう言えば、聖堂教会は?」
「一度大きくぶつかった後に沈黙を保っていますね」
「聖堂教会も内紛で大忙し……か」
「プッタネスカ殿が上手くやってくれたようですね。あちらはあちらで楽しいことになっているみたいですよ」
聖堂教会の軍事力はその全てが経験な信徒による僧兵となっている。
となれば神の名のもとに同士討ちを行ってしまった彼らがどの様な有様になっているか、少し考えるのも嫌になりそうだ。
「……つまり、どういうことなんです皆さん? あのあの、できれば私にも分かるように説明してくれると嬉しいのです!」
テスカさんがおどおどと手持ち無沙汰気味に尋ねてくる。
基本的に仕事をしていないのに何故かいつもいる彼女。大臣いわく立ち位置としては癒やし係らしいが、この様に話の随所で話の纏めを要求してくれるだけは会議の円滑化に一役買ってくれていた。
「つまり、そろそろ戦争も終わりそうって話ですよ」
「わぁ! それは良かったです。皆仲良くするのが一番ですからね。私も嬉しいです」
「もっとも、そうは思わない方がいらっしゃるんですけどね」
テスカさんの喜びとは裏腹に、ティアの顔色はすぐれない。
「天上の運命か……」
ポツリと呟いた言葉に静かに頷き返される。
たとえ全ての国家が停戦しまた元の平穏な日々を取り戻そうと努力したところで、奴が存在する限りそれは叶わないことだ。
……ったく。何を考えているのやら。
どう考えてもヤツが全ての原因に思えて仕方ない。迷惑すぎる。
「このまま黙っていてくれればいいんだけどな……」
膠着した場の空気を混ぜ返すように軽口を叩く。
「いいえそれは違いますぞ勇者殿。奴の目的は世界の破壊。ここまでお膳立てをしてなお、世界は破滅へと向かわなかった。しびれを切らして直接動き出す頃合いでしょうな」
やけに真剣に語るじぃや。
認めたくない現実がそこにはある。
どうやら、俺達の戦いはまだ続いていて、大一番が残されているらしい。
その数日後、俺はじぃやの言葉が正しかったことを、最後の戦いがやってきたことを身をもって知ることになる……。
お、お久しぶりです……(震え声