第四十六話
ミルド・アーヴェスタ連合の勇者達が議会堂より退出するその少し前。
フローレシアの面々は激動する状況の中、まるで散歩に来た貴婦人の様に穏やかな心持ちで会話を重ねていた――。
* * *
宰相ちゃんが手はず通りに議長を血祭りに上げ、フローレシアからの宣戦布告がなされる。
目の前の可愛らしい女の子の一世一代の晴れ舞台を目にし、半ば我が子の成長を見守る父親の心境になった俺は押し寄せる感動を持て余し気味にしていた。
うんうん、ちゃんと言えてよかったね宰相ちゃん。きっと練習したんだね。後で褒めないとね!
血しぶき巻き上がる会議の少し前、フローレシアの控え室で宰相ちゃんによって明かされた計画は、俺達に少なくない衝撃を与えた。
極秘裏に与えられた使命はバレスティア黄金帝国に対する先制攻撃、それに伴う断頭作戦。
一部の個人が圧倒的な戦力を有するこの異世界に置いて、戦略や戦術と言ったものは俺の世界で知られているそれとまた違う様相を見せる。
通常では考えられない戦力の局所投入が可能となるこちらの世界で、最も有効で最も無謀な作戦がこれだ。
断頭作戦――つまり、電撃的な戦力展開で相手が即応体制を整える前に頭脳である戦争統括中枢に壊滅的打撃を与える。
今回、バレスティア側は自らの陣地に迎え入れ袋の鼠とでも思っていたのだろうが、何をいわんや懐に竜を招き入れてしまったのは彼らだ。
国内で五指に入る実力を有する宰相ちゃん。魔王のテスカさん、王連八将の一部。そして勇者である俺。
もはや過剰戦力とも言えるその力が解放されるとどうなるか、彼らは理解できなかったのだろうか?
まぁ、その点はどちらでも良い、ただ俺はティアの命令に従って敵を粉砕するだけだ。
ふと、視線を感じてそちらに目線を向ける。
先に居たのはマイケルだ。なかなか良いやつだった。確か彼は――なんという国だったろうか?
今回の作戦ではバレスティア黄金帝国の太鼓持ちである複数の国の代表も殲滅せよと命じられている。
気の良いマイケルがその一人でなければ良いがと思いつつ、笑顔で手を振る。
「宰相ちゃん。マイケルはどっちだっけ?」
「マイケルさんは、大丈夫な人、です。あそこのベネスさんは賢い人です」
「それは良かった!」
マイケルが先程と変わらぬ陽気な仕草で笑顔を返してくれる。
やはり友情とは良いものだなぁ。
短い間の邂逅だったけど、彼と友達になれて本当に良かったと満足気に頷く。
――刹那振り払われた俺の右手にある剣は、飛びかかってきたバレスティアの勇者を熱したナイフでバターを切り裂いたかのように切断していた。
同時に、宰相ちゃん達の武器を創りだす。
時間が惜しいので最低限の物だけだ。
それでもそこらの凡百の武器では到底太刀打ち出来ないほどの魔力を込めて作り上げたそれを、ホイホイとフローレシアの仲間達へと配布していく。
さぁ、俺と宰相ちゃんとテスカさんが楽して働くためにお前らキリキリと動け。
視線からその意図を感じたのか、フローレシアの大臣や文官達は嫌そうな顔を俺に向けながら適当に辺りで硬直している敵を撃滅していく。
ざわめきが大きくなった。
果たしてそれはどの様な意味か? だが、それすら興味は無く、今は戦闘目標を達成する事だけを考えていた。
◇ ◇ ◇
「しかし、姫様も思い切った事を考えた物だ……」
室内である事を気にしてか、魔法よりも剣閃が主として舞う中、俺が創りだしたよくわけの分からないメイスで敵を手当たり次第に殴りつけるフィレモア伯爵がボソリ呟く。
命をかけた己の力のぶつけあい、その最中において普段通りの声色で不満を口にする彼に宰相ちゃんはその愛らしい眉を顰める。
「む? 姫様の方針に文句ある、です?」
「いやいや、そう言う意味ではなくての――」
「ってか、そう言えば。なんでティアはバレスティアに宣戦布告するって言い出したんだっけ?」
宰相ちゃんと伯爵が手を休めて普通に雑談を開始する中、俺は彼らの分まで受け持つように手近に警備兵を斬り伏せ自らの内に湧いている疑問を先に割り込ませる。
宰相ちゃんから直々に説明を受けようなど千年早いのだ。
「え? お主聞いてないの?」
「むぅ、勇者様。説明しました、です」
「おっちょこちょいですね! 私は聞いてましたよ! えっと、えっと……」
視線を一身に受ける。
それは宰相ちゃんであり、フィレモア伯爵であり、テスカさんであり、フローレシアの随伴者達だ。
辺りには原形をとどめていないかつて人であった物体。
どうやら敵もこの一瞬の隙を利用して戦力を整えているらしく手を出してこない。
不意に出来上がった膠着状態と集まる視線に少しだけドキドキした気持ちになりながら、自分に向けられた批難を全力で逸らす。
「よし! 宰相ちゃん! ここにいるお馬鹿なテスカさんの為にもう一度説明してくれるかな?」
ビシリと指差す先にはテスカさんだ。
どうやらこの場におけるフローレシアの面々でその真意を理解していないのは彼女と俺だけらしい。
これは由々しき事態だ。
勇者と魔王だけが全く話を理解していないとかかっこ悪いにも程がある。
と、言うわけで相変わらずぽややんとした小春日和な表情を見せるテスカさんを生贄にし、再度宰相ちゃんより説明を受ける事にする。
「はい、です。実はバレスティアはフローレシアを狙っていました。だからバレスティアを先に攻撃することにしたのです」
「おお! なるほど、分かりやすい!」
パチパチと両手を叩き宰相ちゃんを盛り上げる。
本当はその言葉だけではあまり意味が理解できないが、それでもここはちゃんと事態を把握した風を装わないと宰相ちゃんの中で俺の評価が下がってしまう。
それだけはなんとしても防ぎたい。
「あれ? でもなんでバレスティアはフローレシアを狙うんですか? フローレシアは寒くてしょぼくてなんにもないですよ!!」
「テスカさんはフローレシアが嫌いなの?」
「大好きです! えへへ……」
テスカさんのフローレシア全力ディス。なんだろうか……俺もあまり人の事を言えないが、どうやら彼女の中ではフローレシアは寒くてしょぼくてなんにもない国らしい。
帰ったらティアにチクってやろう。
――だが、しかしだ。
彼女の言葉はある意味で正鵠を射ている。
フローレシアが何も無いのは確かにその通りだ。周辺国への影響力をある程度持っている為に崩せばあの地域一帯の支配がやりやすくなるのは確かだが、それでもリスキーであることに違いはない。
にもかかわらずフローレシアが狙われた、集中的に。それだけではない。フローレシアがその行為に対して先制攻撃と言う形で応えた事だ。
通常ならばこの行為はやや失策に思える。
幾ら吹っ切れてパワーアップしたティアさんとは言え、――いや、だからこそここでこの手段を取る事は考えにくい。
彼女なら裏で動きまくって、相手側に内乱でも起こして混乱する国を高笑いしながら刈り取っていく位の事はしそうだった。
となれば、宰相ちゃんやティアがまだ説明していない何かがあると思われるのだが――。
「フローレシアは特異点、です」
その言葉は、不意に彼女の小さな口よりもたらされた。
眉を顰めてチラリとフィレモア伯爵以下大臣達の反応を窺う――が、どうやら彼らも何かを知っている訳ではないらしい。
「「特異点?」」
オウム返しに尋ねた言葉は、偶然にもテスカさんと重なる。
息のピッタリのその行動にちょっとばかりおかしさを感じながら、だが真剣な表情で皆を見つめている宰相ちゃんの言葉を待つ。
「正確には、決められた流れを覆す可能性を秘めている。という事、です」
決められた流れ?
フローレシアが何か重要な意味を持っているのだろうか? 確かにあの国は頭から尻尾までもれなくフリーダムだ。
自由という単語が服と剣を身につけて生きているような国家。
ならばこそ、決められた流れを覆すのは何よりも得意だと思うが……。
「うーん? どういう事なのかな?」
「私もちんぷんかんぷんです!」
だが、その真意はハッキリとは読み取れなかった。
詳しい説明を彼女からもっと聞きたかったが幾ら小休止とは言えここは戦場、これ以上のお喋りはあまり感心できる事ではない。
「うーん、宰相ちゃんもお話上手じゃないので、あまり上手く説明できません……」
俺達の困惑を感じ取ったのか、困った表情で悲しげに呟く宰相ちゃん。
俺は彼女を安心させるように微笑むと、気にすることはないと軽く手を振る。
「いいよいいよ宰相ちゃん。今はそういう時じゃないしね。じゃあ帰ったらティアさん辺りに説明してもらおう? ありがとうね、宰相ちゃん」
「はい……です」
しょんぼりしちゃった宰相ちゃん。帰ったら全力で甘やかそうと心に決めながら、ふと辺りを見回す。
既に招かれた無関係な国の重鎮は退避を完了した様で、遠巻きに俺達を注目する警備兵やバレスティアの勇者達が残るだけだ。
だが、その中で一人だけ違和感を強烈に放つ人物がいる。
その男は、俺の視線が自分に向いた事に気がつくとパンパンと手を叩きながらまるで道化師の様に陽気な足取りで周りにいるバレスティアの戦士達を気にもとめずに会話に入ってきた。
「やぁ、やぁ。その話はぜひともぜひとも、ワタシも絡ませてほしいものだね!」
「プッタネスカじゃないか、居たのかよ! 久しぶり!」
取り敢えずさわやかな笑顔で手を上げてハイタッチの体勢を取ってみる。
彼はうっと止まり、少し思案すると静かに俺の手にタッチする。
「……この格好は結構目立つと思うんだけどね、カタリ様」
「はっはっは! 冗談だって。ところで、皆々様の動きが鈍いようだけど、これプッタネスカがやったの?」
「もちろんもちろん! これはワタシがやりましたよ! ティア姫に頼まれたのです! とある事を条件にね!!」
そう、バレスティアの動きが鈍く俺達がお喋りできているのは何も彼らが無能だからという訳ではない。
開戦当初より行使されたなんらかの魔法が彼ら――俺達の敵の行動を著しく阻害していた。
少人数ながらもさほど労なく俺達がこの場を制圧出来たのもそのお陰だろう。
彼の支援が無かったらもう数分ほど時間がかかっていたはずだ。
「条件ねぇ……。でもいいのか? こんな事やっちゃって……あー、今日来てるのは全員自分所の派閥なんだ」
「もちろんもちろん! カタリ様がワイマールを殺してくれたお陰で上手くやれました。他の派閥の聖者も暫くは動けないでしょうし、好き勝手やらせて貰っているのですよ!」
どうやらプッタネスカもあらかじめティアから何かを聞かされているらしい。
彼は彼で何かやりたいことがあったはずなので、その答えの一端がティアよりもたらされたと言うことだろうか?
もちろん、言葉通り好き勝手やっている訳ではないだろう。
「プッタネスカさんにも説明は、します」
「頼むよ、殆ど確証は得ているんだ。だが最後の確信が欲しい。私の神への信仰を揺るぎない物にする為にもね!」
どうやらその言葉を聞く限り、俺の推測はまたしても正しかったようだ。
はたしてどの様な意味が今回の開戦に秘められているのか。これはいよいよもって詳しく知っておくべき事だな。
俺が人知れずそう判断したその時……何やらゴソゴソと蠢く音と共に罵声が飛んできた。
「き、貴様等! ふざけおって! 逃げられるとでも思っているのか!?」
「あらぁ……テスカさん。この人は?」
「はい! なんだかお話したそうだったので、お話が出来るようにしてあげました!」
「なるほど、お話……ねぇ」
言葉を発したのは議員の一人……のはずだ。
いつの間にやらテスカさんがうんしょうんしょと可愛らしく引きずり運んできたその男を観察する。
その男は四肢が消失し、まるで初めからそこには何もなかったかの様に傷口であるはずの場所には肉が盛られているのが見える。
どうやらテスカさんがその能力を応用して相手の存在を書き換えたらしい……エグい。
「この悪魔どもめ! やはりお前達は滅ぶべきだ! 存在そのものが邪悪な存在など、この世界には必要ない!」
もぞもぞとみっともなく動きながら、だが口だけは達者なようであらん限りの文句を言ってくる議員。
テスカさんもわざわざこんな人連れてくる必要なんてなかったのに、きっと行動に移さず文句ばかり垂れる彼に伝えたいことがあると感じ取ったのだろう。
相変わらずの謎行動に俺も苦笑いが絶えない。
「おやおや、まるで我々の様な物言いをするんだね。悪魔だのなんだのとは聖職者の専売特許だと思っていたが、存外君たちの様な科学信奉者も内心捨て置けないらしい!」
「何も知らぬ愚か者どもめ! 今に貴様等に滅びがやってくるぞ! その時どの様な顔をするか、今から見ものだ!」
その口ぶりから察するに、逃げ遅れたこの哀れな議員はテスカさんに捕まった時よりすでに命を諦めているらしい。
今はプッタネスカにからかわれながら、すでにバリエーションの少なくなった暴言を唾を飛ばさんばかりの勢いでまくし立てている。
そろそろ良いか――。興味をなくした俺が無言で剣を振り上げた時……。
その言葉は唐突だった。
「"運命"」
「――――ッ!?」
「……?」
宰相ちゃんが一言だけ告げる。
俺の胸中を困惑が占める。原因は宰相ちゃんの不可解な行動ではない。
むしろ、先の言葉を聞いた瞬間に議員が見せた、驚愕の表情のせいだった。
「我々の目をごまかせると思ったら大間違い、です。貴方達がソレを味方につけるのなら、我々もアレを味方につけます」
「な、何を言い出して……」
名も知らぬ議員は驚くほどに狼狽している。
どうやらその単語は彼らにとって何らかの意味を持つものらしい。
運命――どこかで聞いた覚えがある。
いや、ここ最近で何度も耳にしていた言葉だ。
ピリと隠しきれぬ殺気を感じ、視線だけを横に向ける。
さっきまで隣であんなに朗らかに佇んでいたテスカさんは、恐ろしいほどに無表情だった。
「地上に這う蟻は盤上の駒に過ぎないと慢心しましたか? 世界は全て自らの手の内にあると錯覚しましたか? 自身の存在を穢れ無き善であると錯覚しましたか?」
まるで託宣の様に告げられるその言葉。
誰しもがその言葉に聞き入っていた。
この場にいる、どの様な存在であっても、その言葉を聞く以外の行動は取れずにいた。
「もう、既にカラクリは解けたのです。フローレシアは、そして我々は言いました。これは宣戦布告だと。先に手を出したのは貴方、です」
宰相ちゃんはチラリとその視線を天井に向ける。
それは、ここに居て、だがここには居ない何かに向かって告げている様だ。
「そう、――宣戦布告、です」
シン――と。音が止まり、空気が清浄な何かで満たされた気配がした。
「聞いてますか? "天上の運命"?」
その瞬間、耳には聞こえないが、だが確実に。
――何かが嗤った気がした。
「ギークっ! ギークっ! あいつらを殺せ! 決して逃がすな!」
音の無い世界は突如終わりを迎える。
議員の叫びに合わせるかのように、会議室の扉が開かれる。
現れたのはどこぞで見た偉そうな勇者。
そしてその取り巻きだ。
彼はこの惨状であっても何ら感じるものは無いらしく、唾を吐き捨てると残忍な笑みを隠そうともせずに笑う。
「やっと俺の出番か……待ちくたびれたぜ。さぁ、勘違いした坊や達にお仕置きしなくちゃあな」
剣を構える音が鳴る。
ギークと取り巻きから魔力が溢れ、一触即発の空気が議場を満たす。
さて、さっさと終わらせて帰るか。
どうやらフローレシアが戦う相手はちょっとばかり面倒な存在らしい。
これは本格的にティアに説明を求めなければいけないな。
――"天上の運命"。
今までに起きた出来事は何やら一本の線で繋がっていた様だ。
再度戦いの火蓋が切っておろされようとする中、俺はこの下らない前哨戦を終わらすためにありったけの魔力を手に持つ武器へと流した。