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第四十五話

 むせ返るような血と臓物の混じった匂いが議場をゆっくりと満たしていく。

 宰相ちゃんがその白く小さな手をくるくると動かす度に肉と骨が捻れ潰れる音が煩く鳴り、まるで加減を知らぬ子供に振り回される人形の様にミルドーア議長の体躯が踊る。


 突然の凶行に、誰しもが一瞬の思考停止を余儀なくされた。

 それはフローレシア側がしびれを切らして行動を起こしたという事実よりも、今まさに眼前で引き起こされている凄惨な解体劇を目撃してしまった事によるものだ。


 マイケルはその様子をどこか遠くの出来事の様に眺めていた。

 彼が元の世界で見てきたスプラッターなB級映画にも似た光景は、どこか非現実的な物を帯びており、まるでスクリーンの向こう側で起こっているかのようにも思える。

 震える体を無理やり押さえつけ、視線を参列者達へと向けるマイケル。

 びしゃり、びしゃりとやけに耳障りな音が響く中、彼が見た他国の動きは様々であり、だが確実に動揺が含まれていた。

 まさしく今の自分と同じ状況だ。

 この凶行を抑えようとしたのか、別の国の勇者が自らの国の大臣達に押さえつけられている。

 天を仰ぎ見るように肩を落としながら、背後で動けずにいる配下へと指示を送るのはどこの国の者だろうか?

 自分達が仕掛けたにもかかわらず、何をすべきか分からずに滑稽にも狼狽えるのはバレスティアが用意した警備兵だ。


 一瞬の停止。

 だが、その短く、激動を予感させる嵐の前の静けさは当然終わりを見せる。


「議員達を守れ! そのガキの魔法を通すな!!」


 金属がぶつかり合う鈍い音が連続して鳴り響く。

 ミルドーア議長の横で突然の出来事に固まっていた議員は、機転のきくバレスティアの勇者によってその生命を永らえた。

 彼の目の前には淡青に輝く数枚のヴェール。咄嗟の指示によってバレスティア側の魔術師が放った防御魔法が宰相ちゃんの念力魔法を防いだのだ。


「むぅ。防がれてしまいました」


 幼い声音が耳に流れてくる。

 ミルドーア議長の解体も終わり、次の獲物を物色していた宰相ちゃんは自らの魔法が防がれた事に口をとがらせ不満をこぼした。

 どこまでいっても悪意も罪悪感も存在しないその無邪気な様子に、マイケルは薄ら寒いものを感じる。

 それは本能が発する警告だ。

 生まれ持った物、そして今までの人生で培ってきた物、神秘的な物、科学的な物、心の中にあるその全てが最大級の警告を発している。

 もはやこの場に残る必要な一切無い。

 質問も無駄であるし、観察も意味のない事だ。

 くいっ、と弱く自らの袖口が引っ張られる。

 そっと視線を向けた先にはその愛らしい顔をこれでもかと歪めたベネスが居る。


「いくぞ……」

「あ、ああ」


 小さく告げられた言葉に小さく返す。

 今は何よりも相手を刺激したくはなかった。

 あんな得体のしれない者達と同じ場所に居ることすら耐えられない。

 フローレシアから漂うのは不気味で悍ましい魔力だ。

 強力な魔力はその主の性質を色濃く表す。

 マイケルは、あの様な不気味な色を今までに見たことが無かった。


 ベネスに急かされ、ジリジリと後退するミルド・アーヴェスタ王国の参加者。

 このまま相手を刺激せず、議場を後にし逃走の一手を取る。

 マイケルが振り向こうと固まる足を一歩踏み出した瞬間。

 だがその瞬間は訪れる事がなかった。



 …………視線を受けている。

 "彼"は確かにマイケルを見ている。

 体が凍ったように硬直し、まるで命令を受け付けない。

 心臓はこれでもかと体中に血液を送り続け、張り裂けそうな程振動を繰り返している。

 呼吸は浅くなり、まるで空気の薄い高山にいるのかの様だ。



 ――フローレシアの勇者、本堂啓は無機質にマイケルを眺めていた。



 地獄と言う概念が生きて存在しているのならば、きっとああいうヤツの事を言うのだろう。

 カタリの視線を受け極限状態のマイケルは、この様な状態にあってどこか場違いな感想を抱いていた。

 カタリの目は笑っていない。なんの感情も感じられない瞳。人間――生き物ですら無い。

 ほんの数時間前にはあれほど楽しく談笑した相手から向けられる視線がいまや地獄の釜の様にも感じられる。

 何故? その一つの単語のみがぐるぐると彼の心を無秩序に駆け巡る中、マイケルにとっての救い手はやはりベネスであった。


「わ、笑い返せ……」


 マイケルはその言葉の意味を理解しようと必死に考えを巡らす。

 しかし、それはどういう意味で、どんな理由があって――。


「早くしろ!!」


 恐慌気味に発せられる声にはっと意識を浮上させる。

 気がつけば勇者カタリはこちらに向けて笑顔で手をふってきている。

 その態度、そして先のベネスの言葉を直ぐ様把握したマイケルは慌てて手を振りながら笑顔を返す。

 震える手先は振っているとは到底言いがたく、その表情は笑顔と呼ぶには引きつりすぎている。

 だが、どうやら彼と彼女の願いは通じたらしく、勇者カタリはウンウンと頷き満足したのかふっと視線を外す。

 同時に、どこに持っていたのか陽光を反射し黄金に輝く剣を無造作に抜き放った。


 ……彼に飛びかかったバレスティア側の勇者と警備兵、その数人が一瞬にして輪切りにされるのを目撃しても、マイケルの心にはもはや安堵しか無かった。


「い、行くぞ……」


 肉を断つ音と鮮血が飛び散る音、怒号と悲鳴、断末魔の叫びが重奏する中。マイケル達は一切の未練なく議場を後にした。


◇   ◇   ◇


 議場を離れ、廊下を突き進むマイケル達。

 すれ違う仰々しい装備に身を包んだ兵士達を横目に見やりながら、彼らは足早に、されど目立たぬように階下を目指す。


「あれはなんなんだ? なんなんだよ!」

「妾に聞くでない。それよりさっさと逃げるぞ。気分変えて追いかけられでもしたらかなわん」


 濃密な死の気配漂う地獄から抜けだした事によるものか、マイケルが興奮気味に叫ぶ。

 ベネスはその愚かしい行為が自分達の首を絞める事になるかもしれないと理解していたが、勇者カタリの視線を一身に受けた彼の心情を察し否定に留める。


「べ、ベネス様。その、間違いであれば良いのですが……」

「……? 何かあったのか?」


 黙りこくったマイケルに次いで彼女へ言葉を投げかけたのは文官の一人だ。

 優秀な魔術師で、彼女が手ずから育て上げた自慢の教え子の一人でもある。

 他と比べ頭ひとつ抜きん出た彼が、この様な状況において言葉という余計な事に労力を割こうとしている事に苛立ちを感じながらもベネスは先を促す。


「バレスティア側の動きがやけに鈍いと……思われませんでしたでしょうか? 本来ならこういった事態に備え短距離強制転移や攻勢魔術トラップが仕掛けられているはずなのですが」

「……っ!? ミッティア神父!」


 何故かうんともすんとも言わないエレベーターを横目に延々とも思われる非常用階段を降っていたベネスは、自らの弟子の言葉に目を見開き別の随伴者へと自らの懸念を問う。

 目立つ訳にはいかないと理解しているにも関わらず思わず声を上げてしまうベネス。

 彼女の視線の先に居る初老の男性――神官位を持つ子飼いの神父は驚くほどに青ざめていた。


「し、神聖隷属領域魔法でございます……間違いございません……発動を確認いたしました」

「…………急げ。最悪貴様等を見捨てる事になるかもしれん。何としてでもマイケルと妾だけは逃せ」


 ベネスの口より少女に似つかわしくない低い声が漏れる。

 彼女による絶対命令は無言の肯定によって返された。

 神父の言葉によってベネス達が決死の覚悟を再度決めた中、唯一状況を理解できぬマイケルは我慢できずに神父へと食って掛かる。


「なんなんだよ!どういう事なんだよ! 神父!」


 飛びかからんばかりの勢いで掴みかかられた神父はよろめきながらもマイケルの言葉に答えようとする。

 だが、彼の口から出てきた言葉は、質問に対する回答よりも事実を理解出来ぬ事による混乱だった。


「あ、外敵や悪意のあるトラップの動きを封じる魔法でございます。事前準備の必要な……。そんなまさか、神の国が、聖人も絡んでるとは……?」

「どういう事だよ! 原因はなんなんだよ! はっきり言えよ!」


 気がつけば壁面に記された表示が一階を指している。

 非常階段よりロビーに踊り出たベネスは辺りの様子を窺う。

 数々の政府系機関が入る議会堂ビルともなればロビーを行き交う人の数は膨大なものとなる。その様な中で目立つ行動は面倒にしかならない。

 行動は迅速かつ最大の身長を求められていた。

 ふと、ベネスの視界の端で自らと同じく別のルート逃げ出してきた国家の者達が足早に外へと向かうのが見えた。

 ロビーにいるバレスティアの人々の反応を見る限り、何か問題が起こった事は理解しているがそれが何かまでは伝わっていないらしかった。

 騒ぎを大きくさせぬ様、そっと人差し指を口の前に当て合図を送ったベネスは、歩む速度を周りの不信を買わぬ程度に抑えながら小声でマイケルの疑問に答える。


「さっき神父が言った魔法はな、聖堂教会門外不出の最高位魔術なのじゃ。使えるのは聖者のみ。後は言わんでも分かるな?」

「……え? それって……」


 ロビーをキョロキョロと見回し、そわそわと居心地悪そうに声を押さえるマイケル。

 彼の困惑を補足するように、憔悴しきったミッティア神父がベネスの言葉に付け加える。


「彼らが用意したのです。聖堂協会が――フローレシアの為に。彼らは、初めからこうなる事を、そしてこうする事を予定していたのですよ……」

「は、初めから?」

「言ったじゃろう。フローレシアと言う国は狂っているのじゃ。徹頭徹尾。はじめから終わりまですべて」


 マイケルはようやくベネス達が恐れていたのか理解した。

 つまり、フローレシアは最初からバレスティア黄金帝国と事を構えるつもりでこの会議へとやってきたのだ。

 バレスティアは自らの巣に獲物を誘い込んだ蜘蛛のつもりであったろうが、本当の蜘蛛はフローレシアだった。

 かの国はバレスティアの思惑を看過し、それを利用する形でバレスティアの首、議員達のそれを落として見せた。

 魔王を内に抱え込んでいる事実。そして魔王と全面的に対立しているはずの聖堂教会が公然と協力している事実。

 それらの事実が、マイケルの中にあったフローレシア像を大国の圧力に怯え藻掻く小国から、大国すら手玉に取り己の野望の糧にせんとす悍ましい存在へと変貌させる。


「どうやって聖堂教会を味方につけたのか知らん。知りたくもない。だが……過程はどうあれ事実は変わらん」


 ビルから無事に出た一行。ベネスは路肩で手を上げ道行く自動車を数台止める。主に観光客を乗せる事を目的としたタクシーだ。

 数台に分かれ飛び込むように車内に滑り込んだベネスは予め予定しておいた合流地点を運転手に伝える。

 乱暴に車内へと入り込む客にタクシーの運転手は少々気を悪くしたが、伝えられた場所がかなり離れた距離であり、ベネス達の身なりから乗客であることを知ると一転機嫌を変えて軽快に運転を開始する。

 彼らの焦燥もあってか、バレスティアが誇る自動車の速度はやけに遅く感じられた。

 その後の時間は、彼らにとって緊張緩まぬ、戦場のまっただ中のようでさえあった。

 ようやく首都アストルムから抜け出し隣国との国境に面した街へと入ると、ベネスはこれでもかと大きなため息をつき、ようやく肩の力を抜く。


「良かった、本当に良かった。どうやら妾達は首の皮一枚の所で見逃されたみたいなのじゃ」


 窓から遠くを眺め、気が抜けたのかぽへーっとした表情でだらけるベネス。

 彼女の感と計算ではここまで逃げ切れるのであれば自分達に害が発生する可能性はゼロに等しい。

 もちろん、勝手に会議を抜けだした事によってバレスティアによる妨害が発生する可能性もあるが、その程度の事であればどうとでもなる。

 あの得体のしれないフローレシアの眼中から外れていたという確信が、今の彼女にこの様な態度を取らせていた。


「おんしに初めて合った時はなんという脳天気なお馬鹿が来たものかと世界を呪うたりもしたが、今ではその脳天気さに感謝の念しか浮かばんよ」


 おもいっきり伸びをしながら流れ行く景色を楽しむベネス。マイケルに軽口を叩く余裕すら戻ってきている。

 彼女達はこれから国に戻り、休む暇もないほどに働かねばならぬだろう。

 それならば、この一瞬でも落ち着いた時を堪能したかった。


「は、話をしてよかったのか? おれ、知らずに普通に話を……」


 マイケルは情けない程にガタガタと震え、その顔は青白く生気が宿っていない。

 タクシーの運転手が背後を確認する鏡越しに不審げな視線を向けてくるのを手をパタパタとふり交わしながら、ベネスは彼女には珍しく優しい声音でゆっくりと語りかける。


「だから肝が冷えたと言っただろう、だがここまで来たら大丈夫じゃ。五体満足でこうやって会話出来ているのがその証拠じゃよ」

「こ、これから。どうなるんだよ……」

「知らん。妾は知らん。だが、大勢死ぬだろうな。それは確実だ。奴らが普通の考えをもって戦争を起こすはずがない。やはりあやつらに常識を求めたのが間違いじゃった。どうせ今回も妾達には到底理解できぬ理由だろうさ。その為に大勢死んでいくのじゃ。敵も味方も……」


 どこか遠くで微かに爆発音が鳴る。

 超越者のみに許されたその超然たる身体能力で帝都での惨状を知ったベネスは思考を放棄気味に「あっちはどえらい事になってるのじゃ……」と感想をこぼす。


「な、なんで……なんでそんな事が。なんでこんな事に」


 気が抜けたのか、それとも思考が追いつかないのか、恐らくそのどちらともだろう。

 マイケルは壊れたラジオのようにブツブツと答えのでない問いを繰り返す。

 ベネスはしばらく彼をそっとしておく方が良いだろうと判断し、だがこれだけは言っておかねばならぬと彼の手を引きその視線をこちらへと向けさせる。

 マイケルの瞳をじぃっと見つめるベネス。

 彼の瞳に映るのは他なぬ彼女自身だ。


「わからぬなら何度でも言ってやろうマイコゥ。その空っぽの脳みそにこれだけは覚えておけ、奴らは――」


 マイケルの瞳が揺れる。

 瞳の中の彼女も、また同時に揺れた。


「奴らは狂っておるのじゃ。理解しようとする事が間違いじゃ」


 はたして、ベネスのそれはマイケルに語りかけたものか、それとも彼の瞳に映る自分に語りかけたものか。

 瞳の中に映る彼女は、驚くほど怯え、酷く弱々しく映って見えた。

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