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第四十四話(下)

 議場の注目をその幼い体躯に一身に浴びながら、されどその笑みを絶やす事のない少女。

 宰相ちゃんはしばし沈黙を保った後、その小さな手をしゃきっと挙げる。


「議長。発言を求める、です」

「……どうぞ」


 コホンと可愛らしい前置きの仕草を取りながら、宰相ちゃんはまっすぐ議長を見つめる。

 この件に関して彼女はどの様な発言を行うのか?

 聴衆の期待が高まる中、彼女の言葉は紡がれる。


「先程の議長の報告。我々フローレシアとしても寝耳に水、です。魔王と言う世界の脅威が我が国に入り込んでいるとなれば一大事。この問題に関して"我が国"が全力を持って対処する事をこの場にお集まりいただいた各国の皆様にお約束、します」

「しかしシェルテル卿。この様に申し上げては失礼だが、貴国の国力を考えるといささかそれは大言では御座いませんかな? 我々のどの国もが辛酸を嘗めさせられた魔王に対してどの様に貴国のみで当たるのか、是非とも我々にお聞かせ願いたい」


 開始のジャブは無難なものであった。

 恐らくどの国もある程度は予想できたであろう言葉に、各国の代表者はやや落胆の気持ちを抱く。

 当然、その様なありきたりな返答だ、間髪容れずに返されるミルドーア議長の言葉も予め用意されていたものであり、正論でもあった。

 やはり所詮は見た目相応の少女か?

 侮りにも似た思いが参列者、なによりミルドーア議長の胸中を占める。

 だがしかし、次にその小さく可憐な口より齎された言葉は正しく彼らの予想を超えてきた。


「まずは関係各所に連絡する、です」


 ピシリと指を立てる宰相ちゃん。


「続いて調査委員会の設立と、調査委員の選定に当たり、ます」


 ぐっと拳を握り、「頑張ります!」と言いたげに突き上げる宰相ちゃん。


「その後国民に大して一定の周知期間を経た上で、官民問わずの大々的な作戦を実施するために、有識者会議を開きます。


 腰に手を当て、うんうんと頷く宰相ちゃん。


「あ、その前に予算を通さないとダメ、です。なので来年の予算委員会にて本件の予算を通す為の監査委員を招集しまして各所との調整に当たり、ます!」


 そこまで一気にまくし立てると、ニッコリとやりきった笑顔を議場に振りまく宰相ちゃん。

 おおよそ対応としてふさわしくない発言では合ったが、その笑顔に思わず数少なくない参列者が魅了されてしまう。

 それは公園で無邪気に遊ぶ幼子を眺める保護者の感情だ。

 庇護欲を誘い、かつ自分まで元気を分け与えられる気持ちになるような……太陽を思わせる笑み。

 この場において最も場違いなものであった。


「……おい、ベネス。アレって?」

「あ、ああ。多分喧嘩売っておるんじゃろうな。まぁ、まぁ、よくもまぁあそこ迄ふざけられるものじゃ。妾も流石にここまでは予想しなかったのじゃ!」


 ドヤ顔で完全に事態の解決を先送りしようとする宰相ちゃん。

 盛大な拍手がフローレシアの席上からのみ送られる。

 マイケルはもしや一見ふざけたこのやりとりに自分が理解できない深謀遠慮が存在するのではとベネスに恐る恐る確認する。

 だが、ベネスの答えはマイケルがあまり信じたくはない物だ。

 そう、宰相ちゃんは――否、フローレシアは全力でミルドーア議長を馬鹿にしていた。


 議場が静かに、だが確かにざわめき始める。

 ミルドーア議長のこめかみに筋が立っているのが遠目に見える。

 その後も「それでは遅い」、「だがこれ以上は難しい」、「魔王の脅威は一刻の猶予を待たない」、「そもそも魔王が我が国に滞在している証拠が確認できない」等といった役所の窓口にも似た限りなく程度の低い堂々巡りのやり取りがバレスティア側とフローレシア側で交わされる。


 同じ内容を言葉を変え表現を変え、もう十回は聞いただろうか?

 話は一向に進んでいない事を理解したマイケルはその隙に乗じて隣でアホなやり取りにドン引きしているベネスへと己の疑問を投げかける。


「それにしてもフローレシアに魔王がいるってのは本当なのか?」

「バレスティアはそう言っておるな。バレスティアは。ようは難癖つけたいだけなのじゃ、あの国は。昔からそうやっていろんな所に喧嘩を売って国土を増やしてきた。戦争が経済に組み込まれてる愚かな国なのじゃ」

「……なんでこんな一大事に

「フローレシアはあれで影響力が強い国家なのじゃ。あの国がなくなればバレスティアにとって周辺国家への影響力が少なからず増す事になる。おおかた魔王襲撃のこのドサクサに紛れて版図を変えようとでも思っておるのだろう」


 国際社会において必要な事は正当性である。

 周辺国家との戦争を繰り返し、その版図を大きく増やしてきたバレスティアとは言え理由もなしに戦端を開く訳ではない。

 大抵その場合にはとってつけた様な理由が上げられる。

 わかりやすい例が今彼らの目の前で繰り広げられているフローレシアに対する追及の様な物だ。

 この様にして無罪の証明が困難な罪を突きつけ、正義を主張しながら強引に宣戦布告を行うのがバレスティア黄金帝国が得意とする方法だった。


 ベネスの説明をマイケルは深く考える。

 この際魔王の件は保留しても良いだろう。この場は魔王に関する対策を行う会議であると称しながら、その実難癖をつけてフローレシアへの進行を企むバレスティアの狩場だったのだ。

 自分達はホイホイとその場にやってきてしまっている。

 明らかに相手の方が上手、少なくともこの場においては彼らの優位は揺るがないだろう。


 マイケルの胸中を不安が占める。

 彼は陽気で人当たりがよく、親切で、博愛主義な人間だ。

 さほど長い時間ではないが、それでも言葉を交わし、語り合ったフローレシアの人々。

 彼らが窮地に立たされているこの現状を甘んじて見ている事は、マイケルの心を酷く抉った。


「カタリ達は大丈夫なのか?」

「さぁな。あんまり――いや全然堪えてないようじゃがな……なんぞ対抗策でもあると思うのじゃ。あるいは、それを考えているとか」


 議場はミルドーア議長と宰相ちゃんのやり取りで毒気を抜かれながらも、決して緊張を解く事は無かった。

 相変わらず剣呑な空気は消え去る事なく辺りに蔓延している。

 誰しもが警戒を解いていない。

 だが同時に、少女に無邪気にもかき乱されたこの会議の行方がどの様になるのかにも注視していた。

 終わりの無いやり取りを何度繰り返したのだろうか? 先までの優雅さなどすでに捨て去ってしまったかの様に激昂するミルドーア議長は、年端もいかない少女に翻弄されている事に心底堪らないといった様子で己の切り札を遂に切る。


「ええい! のらりくらりと! だがこれを持ってしても言い逃れは出来ますかな? "探針"をここへ!」


 合図と共に議場の中央の切れ目が割れ、何やら仰々しい装飾を伴った台がせり上がってくる。

 それは1メートル四方程の台で、その中央には一本の短剣の様な物が浮かんでいた。

 鍔もなく、また柄も無い。

 見方によっては戦端が刃物の様に尖っているだけの金属棒とも言えるそれは、白金の色を持ちながら黄金の輝きを放っている。

 放つ魔力は一級品のそれ、帯びる気配は神聖ささえ感じさせる。

 一見して高位のマジックアイテムだと判明する物体を眺めながら、マイケルが疑問を口にするより先にベネスが驚きの声をあげる。


「む? あれは……。いや、そうするとどういう事だ? まさか……」

「な、なんなんだよベネス」


 目の前に見据えた金属棒は変わらず穏やかな輝きを放ちながら台座の上で浮かんでいる。

 マイケルはあれがどの様なものであるか興味が尽きなかった。だが肝心のベネスが驚愕するばかりで答えてくれる様子はない。

 少なくともベネスを驚かすだけの逸品。

 その事実がマイケルの焦燥感を煽る最中、彼の焦りを感じ取ったのか代わりに背後に控える文官の一人――魔術に長けた者が説明を代行してくた。


「マイケル様。恐らくあれは"運命の探針"と呼ばれるアーティファクトです。聖書にて伝えられる、あらゆる罪悪を示すと言われる探索魔道具。実在するとは聞いておりましたが、まさか聖堂教会ではなくバレスティアが持っているとは……」


 ――運命の探針。

 それは聖書に記載される神の遺物。

 白金の刃を持ちながら黄金に輝くその探針は、ありとあらゆる罪悪を白日の下へと晒すと言われている。

 独特の形状、通常ではありえない魔力光。

 そしてなにより明らかにそれと分かる神聖性。

 バレスティアが余程現実離れした――それこそ神の御業を模倣する程の技術を有してでもいない限り、目の前の存在が本物である事は明らかだ。


「それで、それがあるとどうなるんだ?」

「あれが本物であれば確かに魔王の所在をも示すでしょう。であればバレスティアの主張が正しいと言う事になります」

「まさか、そんな訳ないだろう? そんな伝説のアイテムがホイホイこの場にあるわけ無いんじゃないか?」

「私もそう思いますが……」


 運命の探針の能力は単純明快だ。

 それが悪に属す性質を持つものなら、どの様な場所、どの様な隠遁、どの様な存在をも探し当てる事ができる。

 その威光と断罪からは逃れる事決して叶わぬ。

 "探す"という行為のみで邪悪なる存在を戦慄させる神の道具。

 それが運命の探針と呼ばれる物だった。


「いや、あれは本物じゃ。縁あって似たような物を見たことがあるが、同じ聖気を感じるのじゃ」

「って事は……」

「魔王はフローレシアに居る」


 ベネスはその長い時間で様々な物を見聞きした。

 彼女がかの国にとって絶対的な庇護者たる理由は、超越者としてのその力よりも知識にある。

 いつかの昔、数えるのも呆れるほどの過去に偶然見た"運命の断頭台"。

 確かに目の前の探針はあの日の断頭台と同じ輝きを持っていた。



「さぁ、運命の探針よ! 魔王の居場所を示せ! 人類の裏切り者、フローレシアの罪を明らかにせよ!」



 ようやく落ち着きを取り戻したミルドーア議長が高らかに宣言する中、ベネスは小さく歯噛みする。

 恐らく探針がフローレシアを指し示すのは必定。

 この場には聖堂教会も聖者も存在している。恐らく探針の真偽は彼らが保証するだろう。

 であればフローレシアにもはや逃れる術はない。

 彼らがどの様な理由で自国に魔王を抱え込んだかは理解できない。だが確実に言えることがある。

 戦端が開かれる。

 戦争が起きる。

 一体どれだけの人が死に、どれだけの人を殺すのだろうか?

 ベネスは全身を駆け巡る不快感に顔を歪めた。


 彼女がその端正な表情を歪めている間も、フローレシアへの断罪は進む。

 探針の起動と操作を担当する魔術師であろうか、ミルドーア議長の宣言と共に何人かの人間が探針の周りに集まり聖書の一文を含む神聖魔術を唱える。

 探針が浮き上がり壁にかけられた巨大な地図へとその刃先を向けた。

 戦端より一条の光が漏れだす。

 光は迷わず地図上の一点を目指し走る。

 ――遂に神の遺物による逃れられぬ判決が下された。



「…………は?」



 間抜けな声が静寂に包まれる議場にやけに煩く響く。

 声こそ漏らさなかったものの、探針の回答を見守っていた全員が同じ感想を抱いた。

 必定と思われた結果。それを覆す本来ならばありえぬ結果。

 ……声の主、ミルドーア議長を非難できる者はいない。


 探針の光は――バレスティア黄金帝国の首都アストルムを指していた。


「ど、どういう事だ!? なぜ魔王が我が国におる!? 調査は継続しておったのか!?」

「い、いえ、探針は一度使用すると一週間程休眠致しまして……! 前回確認した時は確かにフローレシアを指していたのですが」


 ミルドーア議長は半ば恐慌をきたしながら担当官である魔術師達にがなり立てる。

 魔術師達もこの結果を予想していなかったのだろう、慌てた様子でしどろもどろに答えるばかりで役に立たない。


「ええい! では魔王はどこにいると言うのだ!?」

「お、お待ちください! すぐにアストルムの地図を用意しますので!」


 慌てた様子で部屋から飛び出し、数分せずに飛び込むように戻ってくる魔術師の一人。

 作法も何もあったものでは無かったが、は誰一人としてその事について咎めない。

 それよりも、真実を早く知る事の方が重要であった。


 一抱え程もある地図が無造作に議場中央の床に広げられる。

 魔術師達が探針に向かって再度呪文を唱えると、周りの焦りとは裏腹にひどくゆったりとした動きで探針がアストレアの地図へと向きを変える。

 再度刃先より光の筋が伸びる。

 その先に記された場所を確認した途端、大国バレスティアでも有数の魔術師達はまるで泣き出す前の子供の様に情けなく顔を歪める。


「ば、ばかな……。そ、そんな。こ、こ、こ……」

「早く言え! どこだ!?


 議席からは地図に記された場所は確認できない。

 ミルドーア議長は腰を抜かしたかの様にその場にへたり込む魔術師達に業を煮やし叫び急かす。


「こ、ここです。 この議会堂ビルにいます」


 ガタガタと震える魔術師が恐る恐る告げる。

 議場に居る各国の参列者が一斉に立ち上がり、各々予め決めていたであろう警戒態勢を取る。

 暗器が抜き払われ、魔力が人目も憚らず練られている。

 まさに一触即発の雰囲気。

 予想外の事態に皆が疑心暗鬼に囚われているこの状況。もはやここまで混乱すれば誰が魔王で誰が人類の裏切り者であってもおかしくはない。

 張り詰めた糸は、入り込んだ猫が一声鳴いただけでも切れてしまう程儚いものであった。



 緊張に誰しも動けぬ状態が続く。

 さしものミルドーア議長ですら口を開くのを躊躇っている。

 誰しもが行動を躊躇し、されど事態の打開を望む中、最初に動いたのは"探針"だった。

 腰を抜かしている魔術師達は何も行っていない。

 だが、それはまるで意志を持っているかのようにアストレアの地図上から更に浮かび上がり、ゆっくりとその刃先をもたげ水平になる。

 視線がひとつに集中する。


 フローレシアの席上。

 一条の光が指すその先は、闇が顕現したかと思わせる漆黒の衣装が特徴の女性だった……。


 先ほどまで居眠りをしていたであろう彼女はここに来て自らが注目の的になっている事にようやく気がついたのか驚き飛び起きる。


「えっ? えっ? あ、えっと……」


 目をゴシゴシと擦りながら話についていけずキョロキョロと当たりを見回しているのははたして演技であろうか?

 ありとあらゆる行動が何か得体の知れない者の様に思われてしまう。

 やがて女性は隣に座る勇者カタリから何やら耳打ちされ、ウンウンと頷きながら片手を恐る恐る上げる。


「魔王だぞー! ……なんちゃって」


 可愛らしく頬を染め、もじもじと照れる女性。

 バレスティアに来てから今までのやり取り全てを走馬灯の様に脳内で反芻しながら……。

 マイケルは予想も出来なかった展開にただただあんぐりと口を開け、呆けていた。


 ◇   ◇   ◇



 白磁の様な細腕を頭の後ろにやりながら、ペコペコと照れ気味に参列者に頭を下げるテスカ。

 相変わらず隙だらけの様子にマイケルは彼女が本当に魔王なのかいまだ信じれずに居た。

 だが彼の困惑――議場に居る大多数の困惑を他所に、否応なしに事態は進む。

 開催国としての矜持があったのだろうか? それとも口火を切る事で利を狙ったのか。

 その内心がどうであれ、人類の敵――魔王に向かったのはミルドーア議長だった。


「シェ、シェルテル卿よ! 貴殿に聞きたい! なぜ魔王を匿う、そしてなぜ魔王をここへと連れてきた!」

「まず魔王という定義から決めないとダメ、です。我々の認識では彼女は魔王ではありません」

「ではなんだと言うのだ!?」

「彼女はテスカさん、です」

「煙に巻くでない! その様な世迷い事が通じると思っているのか!? 恐ろしい国め! 魔王の力を利用して何を企てているのだ!?」


 直接言わずに宰相ちゃんに抗議する辺り底が知れるのだが、誰がその事を責められようか。

 魔王とはまさしく恐怖の体現であり、人類が打ち砕くべき試練の具現である。

 本来ならば数多くの勇者が挑み、ようやく倒せる程の存在。それどころか今代の魔王は得体が知れず何より恐ろしいほどの力を持っている。

 武芸ではなく弁舌と知謀だけで今の地位に上り詰めたミルドーア議長が立ち向かえた事は賞賛されこそすれ非難される謂れはないだろう。


「あっ、あっ、私は魔王なんで世界征服を企んでいます! えへへへ……」


 もちろん、ミルドーア議長のその様な不退転の覚悟などテスカの知った事ではなかった。

 自分の事なのに会話に入れないのが不満だったのか、はにかみながらもグイグイと話題に入ってこようとする。

 ミルドーア議長は肝が冷える思いだったが、テスカは魔王だからと気にせず持っと絡んできて欲しかった。


「な、世界征服だと、そんな大それた事を……」

「――テスカさん。大事なお話の最中なのでちょっと大人しくしてください。……えっと、お聞きの通り魔王も人類に対して害意はなく、ただ必要に迫られ力を行使した迄、フローレシアに来たのも平和を求めてと言っている、です」

「ふ、ふざけおってぇ!!」


 ――バタン! と勢い良く扉が開かれ、大勢の武装した戦士が雪崩れ込んでくる。

 どうやらビルに詰めていた他の勇者達を含めた戦闘員を招集していたらしい。

 すでにフローレシアの席上は一種の空白地帯の様になっており、会議の参加者達は遠巻きに距離を取って気を緩める事無くその動向を注視している。

 追加の人員はとどまる事を知らない。バタバタと慌ただしく入室してきながら、より戦いやすい位置取りを行っている。

 各国の重鎮が集まる議会とは言え過剰と言わざるを得ないその戦力に目を細めながら、ベネスはさり気なく背後の扉の位置を確認する。


「ふ、ふん! ちょうど良いわ! 今この場においては各国の勇者や歴戦の強者が勢揃いしておる。如何に魔王と言えどもこの戦力ではひとたまりもあるまい。……どの様な理由でここまでのこのこといやってきたかは知らんが、ここで滅ぼしてくれようぞ!」


 先ほどまで各国の代表が静粛に議論を重ねていた議場は、絢爛豪華で華々しい装いを失い雑然としていた。

 兵士達が間合いを確保する為に主を失った長机と椅子は倒れ散らばり、どこかの文官が慌ててしくじったのか、滑り落ちた書類がそこらかしこに散らばっている。

 フローレシアの席を中心に、バレスティアの勇者と警備の兵士。その後ろ側に引く形で各国の代表者とその関係者。

 完全に包囲されている形であり、フローレシアには逃げ場はない。


「待って欲しいです。何とか平穏無事に事が収まる方法を考えて欲しいです。フローレシアは人類に対して叛意は無く。ただ己の生存権の確保と自国の繁栄のみを目的としております。仲の良い国の人達とは、これからも仲良くしたい、です」


 ピクリ、と参列者の何人かがその言葉に反応する。

 それはターラー王国の関係者であり、ミルド・アーヴェスタ連合の関係者であり、そしてフローレシアに対して好意的な国家に所属する人物だった。


「重ねていいます。フローレシアは"積極的に戦火を拡充する意志はありません"」


「…………? ちっ、いまいちよく分からんのじゃ」

「どういう事だベネス? 今の言葉の意味は?」


 警戒を一段階下げ、何やら思案を始めるベネス。

 マイケルは警戒を解くこと無く、彼女にこの混沌とした状況に含まれた意図を確認する。


「あれはバレスティアではなく同盟国や近隣諸国、中立国に向けたメッセージだろうな。フローレシアはあれで強力な軍事国家でもあるのじゃ。周りの国々からしたら奴らの起こす戦争となればそれこそ総力戦も覚悟する程の出血を強いられるが、フローレシア側にその意志が無いのであれば話は変わってくる。はて、ではなぜ魔王を匿うか? どういう理由があるのか……」

「フローレシアとしては戦争は不本意なのか? けど魔王を匿うだけの理由があると……。あれ? でも今回ここに魔王を連れてきているんだよな? なんでだ? 頭がこんがらがってきたぞ」

「ん……うぅむ。妾にもわからないのじゃ!」

「まぁ、今はこの場がどうなるかだよな……」


 言葉の裏に隠されたメッセージから、フローレシアが置かれた状況を推測するベネス。

 だが老練たる彼女の知謀を持ってしてもフローレシアがどの様な目標を持って動いているのかは分からなかった。

 戦争を望んでいないと言いながら、まるでお披露目式かの様に魔王を連れてき中立国や友好国まで刺激するその浅慮。にもかかわらず実際に戦争になろうかというのにまるでそれが当然であるとでも言わんばかりに堂々たる態度。

 どこかチグハグな物を感じさせて止まない。

 それが何なのか、ベネスにはまったく想像つかなかった。

 だが少なくともベネス達ミルド・アーヴェスタ連合含む数カ国においては、これらのやり取りを通じて、今回の問題に人類の存亡よりも政治的な意図を嗅ぎとったであろう事は確かだった。


「どうしても話し合いで解決する事は出来ませんか? まだ議論の場はテーブルにあります。剣を抜けば多くの人が死ぬ、です」

「ふん! 片腹痛いわ! ここまで来てまだその様な世迷い事を言っておるのか! やはり所詮文科の度合いも低い発展途上国家。対話をしたければそれ相応の民度が必要だろう!」


 戦力が整ったことで落ち着いたミルドーア議長は、居丈高に宰相ちゃんの言葉を切り捨てる。

 対する宰相ちゃんは、特に気にした様子も無く、だが引き続き根気よく説得を続けていた。


「おい、短慮な行いはするなよマイコゥ」


 不意にベネスがマイケルに忠告する。

 彼の心の中で暴れる正義感を持て余している事に気がついたからだ。

 事実マイケルは白く変色する程に強く拳を握りしめており、最も新しい友人達の危機であるこの現状を解決出来ない事に歯がゆさを感じてた。


「ぐっ! けど、なんとかならないのか!?」

「お前はどこの国の勇者だ? お前の肩には何がかかっている? 貴様が持つその正義感は尊い物だが、皆を巻き込むな」

「…………すまない」


 すでに主役はミルドーア議長と宰相ちゃんに移っている。

 ここでマイケルやその他の者が首を突っ込んだ所で事態は悪化すれど好転する事は無いだろう。

 マイケルの苦渋を少しでも和らげようと、ベネスは警戒が弱まる事も顧みず簡単にだが説明をしてやる事にする。


「まぁ、フローレシアもこういった交渉事はなれておるじゃろうから多分切り札でも持っていると思うのじゃ。流石のあやつらもここで問題を起こす様な愚は――馬鹿な!」

「……え?」


 しかし、その思いは半ばで遮られる。

 突然ワナワナと震え出すベネス。

 視線の先には宰相ちゃんが居た。


「……? どうしたんだベネス?」

「馬鹿な! 馬鹿な馬鹿な馬鹿な! くそ、くそくそクソ! 読み誤った! なんということだ! おい、マイケル! 今すぐ逃げるぞ。貴様らもすぐに資料の破棄を行え! 今すぐじゃ!」


 常人には決して判別出来ない何かを感じ取ったのか、ベネス何やら慌てた様に自国の者へと指示を行う。

 その鬼気迫る態度を見、マイケルはなにか良くないこと、それも致命的な何かが起こった事だけを理解する。


「おい、待て! な、何があったんだよ! マジでやばいのか!?」

「いいから今は黙っていうことを聞け小僧!」

「け、けど!」



 ――リン。 と音が鳴った。

 鈴の音色を思わせるそれは断続的に続いており、音源はフローレシアの人々が陣取る場所から流れてく。

 何事か? と誰しもが警戒する中、宰相ちゃんは胸元から懐中時計を取り出し、カチカチと出っ張りを操作して音を止める。




「――時間です」




 その瞬間の事。

 そしてこれから起こる一連の出来事。

 それら全てをマイケルは自らの人生において一度も忘れる事は無いだろう。

 血の色を思わせる赤黒い魔力が宰相ちゃんより流れだし、吐き気と怖気を催すその気配はすでに愛らしい少女とはかけ離れたものとなっていた。

 瞳はどこまでも暗く感情が篭っておらず、ただ無機質で得体の知れない怖気を感じさせる。

 彼は突然の出来事について行けず、だが本能が鳴らす警鐘に従い必死に体を動かそうとする。

 動かそうとした。

 ありったけの勇気と意志を振り絞った。


 初めて遭遇する根源的な恐怖の前では、それらはあまりにも無力だった。


「さて、本当にお待たせしました、です」


 無造作に掲げられた少女の手。

 何かを握りこむような仕草を見せ、刹那ガラスを叩き割った様な音が連続して鳴り響く。

 参列者の中で魔法に長けたものはソレがある種の魔術防壁が無理やり破られた音だと理解した。

 一瞬にして魔術防壁――それも連続する音から察するに多重構造であろう物を破壊する魔力。

 カランと小さな音を立てて、防御の魔法が込められていたであろう勲章が地面に割れ落ちた。

 暴虐的な魔力を向けられた哀れな生贄は、苦し紛れに自らの首に両手を当てているミルドーア議長だ。


「か、かはっ!」


 宰相ちゃんがぐぐぐと拳を握る。

 その所作はまるで相手の首を絞めるかの様だ。

 否、事実首を絞めている。

 宰相ちゃんによる魔力を利用した念動力。

 彼女の拳の動きに合わせギチギチと肉と骨が軋む音がなり、ミルドーア議長が空中に吊り上げられ、足をバタつかせる。


「戦争、はじめます」


 水気を含んだ生々しく鈍い音が一つなり、ビチャビチャと後を追うように鮮血が地に落ち不愉快な音色を奏でる。

 止める暇さえない数秒の間に、ミルドーア議長の頭はあっけなくその胴体と永遠の別れを告げ、誰しもが予期しない形で戦端が開かれた。

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