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第四十四話(上)

 ――バレスティア帝国、帝都アストルム。帝国議会院ビル、43階。ミルド・アーヴェスタ連合王国貴賓控室。


 美しい刺繍の入った朱の絨毯。キラキラと穏やかで荘厳な輝きを放つ魔力シャンデリア。精巧かつ繊細な意匠が施された調度品の数々。財を費やしたと言わんばかりのその品格あふれる豪華な一室では、マホガニー材製の高級テーブルを挟んだソファーで一組の男女が何やら騒がしげに言葉を交わしていた。

 一人は二十歳前後に見える男。白地に金の刺繍が施された儀礼用の軍服に身を包み、随所に勲章、腰にはショートソードを下げている。

 その浅黒い肌の色からこの国の人種では無い事がうかがえ、その陽気な雰囲気とは裏腹に秘めたる魔力とにじみ出る強者の気配から勇者と呼ばれる人種である事が容易に分かる。

 対面する女は見た目十二歳程度になろうかと思われる幼い少女だ。

 美しい金髪をツインテールに整えながら、その年頃にしてはやや落ち着いたワインレッドのドレスを着こなしている。

 一見すると貴族の娘。親の地位による恩恵を受けて恵まれ、一定の教養を持ち、ほどほどにワガママで、苦労という言葉を知らないであろう少女。

 それが勇者である男の目の前に座る少女だ。

 だが、彼女が見た目通りの年齢などではなく、またその力も見た目通りでは無いことを男は知っている。

 事実それを証明するかの様に、先ほどから何やら騒ぐ少女の口腔には鋭い犬歯が見え隠れしており、その瞳は引きこまれそうな程に紅く爛々と輝いている。

 何より、にじみ出る気配は少女然とした無邪気さの中に少女らしからぬ淫靡さを含んでおり、だが迂闊に手を出せば身も心も別け隔てなく滅ぼされてしまう毒花を思わせる危うさがあった。


「けどマイコゥがフローレシアの勇者と仲良くなれたのは不幸中の幸いだったのじゃ! はじめに奴らがこの部屋に来た時は絶望で目の前が真っ暗になったのじゃ! おんしが呑気に挨拶している時にな!」


 その装いからは少々似つかず、ギャーギャーと煩く叫ぶ貴族の娘らしき少女は、かの国――ミルド・アーヴェスタ連合王国においてこの様に呼ばれている。

 堕落嬢ベネス=アネスティアティス……と。

 その容貌と雰囲気から判別できるように、彼女は人間ではない。

 ベネスはその見た目とは裏腹にヴァンパイアオリジンと呼ばれるヴァンパイアの原種である超越種族だ。

 同時に古くからこの国が有する決戦戦力でもあった。

 通常ヴァンパイアは人と馴れ合う事がない。慣れ合うことが出来ないと言った方が正しいかもしれない。

 人の生き血を糧に生を紡ぐその性質上、人は彼らにとって餌でありそして自らを滅ぼさんとする憎むべき敵対者でもあるからだ。

 だが、原種でもあるオリジンとなれば話は別だ。

 通常血液感染や他のヴァンパイアによる眷属化などによって発生するヴァンパイアとは違い、古の次代に自然発生的に生じたオリジンは通常ヴァンパイアが持つ制限を受けない。

 彼女達にとって人の血はあくまで嗜好品であり、神聖魔法や流水、火による攻撃もその存在を脅かす事はなく、考慮に値しない。

 ヴァンパイアオリジンと呼ばれる存在はその単体で完結している存在だった。

 故に人類との敵対も和睦も、本人の心内一つである。


 よって、ヴァンパイアと違いオリジンは人の世界に上手く溶け込み生活をする者が少なからず居る。

 ベネスもその一人。元来より良く言えば平穏を愛す、悪く言えば面倒くさがりな彼女は、何よりも自堕落な生活を続ける事を好んだ。

 彼女は超越種としての誇りよりも働かずに毎日を楽しく遊んで暮らすかの方が重要だったのだ。

 故に過去に連合国の王が彼女の力と知識を求め秘密裏に接触してきた際も、提示された条件を聞くや否や二つ返事で飛びついている。

 広く美しい自室、専属の侍女、貴族らしい豪華食事。

 そして何より三時と十時のおやつ。

 国への協力も気分が乗った時に手慰み程度で良い。

 彼女がその赤い瞳を歓喜に輝かせるのも無理からぬ事だった。

 かくしてベネスは食客としてかの国に迎えられる。

 当初数年程度滞在して貰えれば御の字という王国側だったが、その思惑を良い意味で無視して長らくかの地に腰を落ち付かせているのが彼女がこの場にいる理由だ。

 もはや国中の誰よりも古くからミルド・アーヴェスタ連合王国に住む彼女は、ヴァンパイアオリジンとして恐れられる存在でありながら、御意見番の様なポジションにちゃっかりと収まり日々を楽しく過ごしていたのだった。


 その超越者であるベネスが、この日珍しく動揺し子どもじみた怒りを露わにしている。

 大声でまくしたてながらも自らのティーカップを品よく口へ運び喉を潤すベネスを眺めながら、目の前の男――勇者であるマイケル=ウィルソンは肩をすくめ、彼の出身である欧米独特の大げさなジェスチャーで明るく切り返した。


「はっはっは! 言い過ぎベネス! 確かに突拍子もなく遊びに来るなんてクレイジーな所はあるが、カタリも宰相Changも皆いい人だったじゃないか!」


 そう、カタリ達が議会院ビルを探索した折に快く迎え入れ、雑談に興じてくれたのが彼らミルド・アーヴェスタ連合王国の勇者だった。

 当初は突然の訪問に何色を示した連合王国だったが、勇者マイケルの言葉、それに何より国で一番の権限を持ち古くから盟友として国家の為に尽力しているベネスによる強い言葉があった為にこれをしぶしぶ了承する事となる。

 もっとも、何かしらの政治的思惑があるのではないか? という彼らの懸念など最初から無かったかの様に会談も穏やかな雰囲気で行われ、連合王国の文官と大臣団もそのノミのような心臓を休める事ができたのは幸いだった。

 だが、彼らの中にあって一人だけ、他とは違った意味で薄氷を渡る緊張感を持って会談に望んだ者が居た。

 それこそがヴァンパイアオリジンのベネスであり、世界でも上から数えた方が早いと呼ばれる輝晶級の超越者だ。

 彼女だけは知っていた。古くからこの地――この世界に住む彼女だけが、もっとも敵にしてはいけない者達のことを。

 彼女は絶対的な強者に似つかわぬ腑抜けた顔でぐでんと目の前のテーブルに突っ伏すと、ジトッと咎める様な視線をマイケルに向ける。

 相手が肩を竦めるのと同時にはぁ、と溜息一つ、先ほどから繰り返していた小言を聞き分けのない子供に言い聞かせるように再開する。


「あんなマイコゥ。おんしはなーんも知らない脳みそ空っぽの肩書だけの勇者だからバカ面下げてアヤツラとお喋り出来ておるが、妾は本当に寿命が縮む思いだったんじゃぞ? この会議に来ていることは知っていたがまさかフローレシアから直接接触を求めてくるなんて……。正直ちょっと漏らしたのじゃ!」


 小言の中に重大な発言が含まれていた事を持ち前のデリカシーをもってスルーしたマイケル。

 彼はベネスの心配を吹き飛ばすかの様に明るく笑うと、召喚されて以降ずっと世話になりっぱなしの少女を励ます意図を込め、からかいの言葉を投げかける。


「何をビビってるんだベネス? いい年ぶっこいてらしくない。それでも誇り高きヴァンパイアオリジンか? おっと! もしかしてお前あのテスカChangが言ってた魔王とか言う話本気にしてるんじゃないだろうな!? 助けてママーン! 魔王がいるの! ってか、こりゃ傑作だ!」


 ケラケラと無邪気に笑うマイケルは完全にベネスの言葉を眉唾な物と判断している。

 もっとも、彼の行動を愚かであると非難する事はベネスにもできない。

 彼女だって、過去に見聞きしたフローレシアの所業を知らねば今のマイケルと同じ態度を取っただろう。

 むしろ一笑に付し、たかが人間と見下したかもしれない。

 しかし、そのような愚か極まりない――自らの寿命を火にくべて呆けるが如き行為ができるはずも無かった。

 彼女の記憶は、そして恐怖は、いまだに心の中でその危険性をこれでもかと煩くかき鳴らしていたからだ。


「バカにするでない! それに……あながち嘘ではないかもしれんな」


 ベネスは思考の海に埋没する。

 マイケルの言葉もすでに耳へ入ってきていない。

 彼女の胸中を支配するのはフローレシアとの会談の際に語られた話だ。

 テスカと名乗った少女。ベネスですら底が見抜けぬ漆黒の少女は、何も知らぬ温室育ち然としたおっとり口調で確かにこう言ったのだ。

 ――自分は魔王である、……と。

 あの時はあまり上手ではない冗談であろうと軽く笑って返しておいたが……。

 何故かその言葉が、ベネスの脳裏にやけにこびりついていた。


「ん? 嘘ではないって何がだ?」

「…………」

「わかったぞ! ベネスは魔王にマジでビビっちゃってママンのおっぱいが恋しくて恋しくて堪らないんだな! よし、話は早い! 俺ので良ければ吸ってみるかい?」


 嫌な予感を感じ、ベネスは伏せた視線を上げる。

 目線の先にて座る男は相変わらず陽気で底抜けに阿呆だった。

 ゴソゴソと服を脱ごうとするマイケルに顔を赤らめながら「やめい!」と大声で制したベネスは、誤魔化しがちにゴホンと咳をし空気を切り替える。

 数秒の沈黙の後、ふざけた雰囲気に飽きたのか、ベネス表情を変え人差し指をマイケルに突きつけた。


「兎に角、妾から忠告できることは一つじゃ。気をつけよ。何があってもフローレシアと敵対するな。出来ればこのまま友好的な形で付き合いを続けたいものじゃ……」

「ん? まぁ俺は博愛主義だから仲良く出来るならずっとフレンドリーにいきたいけど、……本当にどうしたんだ? ベネスは俺より強いよな? そんなにビビって。マジでなんかあるのか? 奴らはガッズィーラか?」


 首を傾げるベネスに「ガッズィーラならマジでやばいぜ」とオドロオドロしく告げたマイケル。彼は彼女の懸念が伝わっていないのか自らの肩を抱くような仕草でブルブルと震える演技を始める。

 わざとらしく怯えるマイケルによる「ブルブルっ!」という演技の声、その声にかき消されるようにボーンっと振り子時計が時の経過を知らせた。

 片や戯れ、片や沈黙。

 テーブルを隔てて対面するベネスはそのふざけた様子をしばらく眺めていたかと思うと、はぁーっとため息をつき大きく首を左右にふる。

 やがて一言だけ、低く傲慢な――超越者の声で「話を聞け」と告げマイケルの意識を強制的に切り替えさせる。


「おんしの言うガッズィーラが何かは知らんが……これだけは覚えておくのじゃ」


 その鬼気迫る態度にマイケルはゴクリと……息を呑んだ。

 普段から親しみやすい人柄で彼に接してくれるベネスではあるが、その力は彼には到底及ばない程強力なものだ。

 その彼女が今までに見た事ないほど真剣な眼差してこちらを見つめている。

 戦闘における指南役として日頃からスパルタ教育を施されているマイケルは、思わず苦行の様な日々を思い出し身震いする。

 自分が考えていた以上に彼女の懸念は重いものだった。そしてそれが意味することは事態の重大さである。

 そして何より彼を動揺させたのは、その紅く爛々と光る瞳の震え――微かな怯えを感じ取ったからだ。


「奴らは化け物じゃ。あの目を見て、話をして理解した。あの国は何年経ってもいっこうに変わらん。昔から狂ってるし、今でも狂ってる。そしてこれからも狂い続けるんだろうよ。それを、忘れるな……」


 超越者。

 生きとし生けるもの全てのピラミッド、その頂点の一角に君臨する存在が怯え警戒している。

 その彼女が見せる真剣な眼差しにマイケルはどの様に答えていいか分からず、ただ小さく頷く。


「ああ、ああ、これは良くない。本当に良くないのじゃ。嫌な予感がする。――否、嫌な予感しかしない。……全く、なんでこんな目に合わなくてはいけないのじゃ」


 虚空を見つめながら呟かれた言葉。

 少なからず室外の喧騒が届いていた室内は、気のせいか不気味なほどに静かだ。

 ひんやりとした空気がマイケルの首筋に不愉快に絡みつく。

 窓からの陽の光とシャンデリアが照らしているにもかかわらず、室内はやけに薄暗く感じてしまう。


 ――予感。


 彼女が言わんとすることの片鱗をようやく感じ取ったマイケルは、ベネスの言葉を決して忘れまいと心に刻み込むのだった。

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