第四十三話
振りぬいた拳をゆっくりと戻し、さてどうしたものかと腕を組み考える。
テスカさんが嬉しそうに「人がゴミのようです!」と叫ぶ声だけが場違いなまでに明るく響く。
バレスティアの勇者達は突然の出来事に唖然としている。
ただ、ギーグだけがニヤリと不敵な笑みを浮かべたのがわかった。
俺の拳を受けて無様に転がる男はぴくりとも動かない。魔力は込めていないから死んではいないはずなので良しとしよう。
床に倒れながら小さく泣く三月さんの手を取り、ゆっくりと引き起こしながら頬の痣を確認する。
「女の子を殴るのは感心しないなー。紳士的に振る舞わないともてないぞ?」
答えはない。
殺気だけが返ってくる。
取り巻きの何人かが立ち上がり、近くに放ってあった各々の獲物に手を伸ばす。
剣、斧、槍。どれもこれもごちゃごちゃとした装飾がついておりながらも、それなりに魔力を秘めているらしく中々に仰々しい。
銃を持っている勇者はいない。
その技術力の高さから当然いると思われたのだが、勇者の獲物として銃は相応しくないのだろうか?
個人的に勇者が持つ銃という物に少し興味があったので残念に思いながら相手の位置と獲物、そこから導き出されるリーチを脳裏に刻み込む。
剣呑な空気が場を支配する。
ぬるりとした心地良い殺気が身を包み、戦火の香りを想起させてくる。
テスカさんがニコリと暖かく笑い、宰相ちゃんがピクリと反応した。
先ほどまで蚊帳の外だった女達が怯えたように部屋の隅へ退避し、緊張が限界にまで達しようとする。
暗く俯く三月さんの頬は紫に腫れており見ているこちらまで痛くなってきてしまう程だ。
ぽかんと間抜けに口を開けているセイヤに三月さんの傷の治療をお願いしていると、今にも飛びかかりそうな仲間を片手で制しながら、ギークが不敵な笑みを見せる。
「国家の問題になるんじゃあ無かったのか?」
それはどこまでも人を小馬鹿にしたような態度だった。
まるで全てが自分の思う通りになっているとでも言わんばかりに自信に溢れている。
大型のソファーに腰を下ろし足を組むその様子はこの状況を楽しむかの様だ。
してやったりと言ったどころだろうか?
わざと争いを起こさせ、責任問題へと発展させる。
バレスティアとフローレシアの国力は雲泥の差がある。
それらを背景に圧力を高め、優位に立とうとするのはどこの国だって考える事だ。
けれど、世の中はチェスでもゲームでもない。
理詰めで進めた所で全て上手くいくとは限らない事を彼は知った方が良いだろう。
「そうだねー。でも俺はソイツが悪いと思うなー。やっぱり目の前で女の子がイジメられていて見て見ぬふりはできないよ。なぁ、セイヤ」
「えっ!? う、うん。まぁそうだけど……その、カタリ君。君は何を考えているんだい? 大変な事になるよ」
「はははっ! そっちのソイツは幾分マシじゃねぇか! 身の程ってのを弁えてやがる。どうだ、お前も今この場でみすぼらしく謝罪したなら許してやらん事もないぞ? なんだ、日本ではこういうのを土下座って言うんだっけな? 面白いパフォーマンスだ、やってみろよ」
確かに普通の人なら自分のしでかした事に慌てふためき土下座の一つでもするところだろう。
ジャパニーズ土下座。日本人が誠心誠意謝罪をする時に行う最上級の礼。
同時に、相手に強要される事は最大級の侮辱をも意味している。
もちろん、俺の頭はそこまで安くない。
そもそも、あの憎らしい大臣団にすら心からの謝罪をした記憶が無いのだ。なんで目の前の自称勇者様に謝罪しなければならないのだろうか?
当然の如く、ノー土下座である。
鉄の意志でふんぞり返っていると何やら強い視線を感じる。
チラリと見やるとセイヤが困惑した様子でこちらを見つめていた。
三月さんの傷をその能力で治療している様子のセイヤに「大丈夫、大丈夫」と根拠の無い返事をする。
全く、この程度で慌てるなんてセイヤらしくもない。
ここは友人として俺の行動を応援して欲しかったのだが。
何故か一緒になって三月さんの様子を確認しているテスカさんといまだアイガードをされて困惑気味に手を上下に振り抗議する宰相ちゃんを微笑ましく眺めなら、三月さんに声をかける。
「三月さんは、力が欲しいと思ったことはないの? 現状に憤りを感じたことはないの? 何かを得るためには、自らの意志で立たないと駄目だよ」
「……えっ?」
何処かから舌打ちが聞こえるがもちろん無視する。
俺が今話をしているのは三月さんであって、ギーなんとか君ではない。
せっかくここまで来たのだ、一応同郷のよしみとして出来れば彼女には困難に立ち向かう強さを持ってもらいたい。
だが、それには彼女自身の意志が必要だ。
でなければ同じことの繰り返しだろう。
「勇者さん――真の勇者たるカタリさんについていけば貴方は救われますよ! 何も怖い事はないのです! 勇者さんは最強無敵なんです! さぁ、こちら側へ来るのです! ふっふふー!」
「勇者様は貴方に真の力と歓喜を与えてくれ、ます。もはや悲しみの日々は過去となり、栄光と幸福に満ちた世界が降りてきた、です。勇者様について行けばきっと貴方が望む物を全て与えてくれるでしょう」
テスカさんと宰相ちゃんが説得に参加してくれる。
なんだかその言葉が凄い悪の組織っぽく感じられるのだがそこは目を瞑る所だろうか?
面白そうなので特に会話を遮る事はせずに二人の説得の言葉を楽しむ。
そう、我らがフローレシアに来ればあとはバラ色の未来が待っている。
もろもろの困難はなんとかなるだろうし、なんとかしてきた。
眼前並ぶ敵、例外なく滅すべし。
ティアの目が覚めた事によって本来の姿を取り戻したあの国は、自らの誇りと信念にかけてその存在意義を世界に証明するだろう。
もはや他人の顔色をうかがう事も、暴力に怯える事もない。
真の自由が待っている。
だが、二人の説得の言葉も三月さんには届かなかった様だ。
深い絶望の染まった瞳を伏せ、小さく拒絶の言葉を告げる。
「誰にも、何も出来ませんよ……」
「えー。そんなこと言わずに来たらいいじゃないですか。最初はあまり乗り気じゃなくても自分の意外な一面を知る事ができるって事もあると思うんです!」
「勇者様の慈悲はごく限られた者にしか与えられません。貴方は幸運です。けど、それを取りこぼそうとして、ます」
二人による必死の説得。
どうやら宰相ちゃんやテスカさんにも思うところはあるらしく、なんとか彼女をこちら側に引きこもうとしている。
だがその行動も三月さんの様子を見る限り無駄に終わるらしい。
不信感、失望、諦め。
彼女の表情から窺えるのはそんな薄暗い感情だ。
「……やめてください。私はこの国の勇者です」
既に俺は諦めモードだ。
同郷のよしみとしてなんとか手を差し伸べてあげたかったが、彼女がこうまで意志の強い人物とは思わなかった。
そこまで自分の意見を主張する事ができるのなら、なぜこいつらの様な雑魚にいいようにされているのだろうか?
意志とはすなわち力だ。あちら側の世界とは違い、こちらでは意志の力は実際の影響を伴って心に宿る。
リーダーであるギークはともかく、その周りにいる太鼓持ち程度なら一蹴できそうな物なんだけど……。
なんとも表現できない感覚に囚われながら、次にすべき行動に思いを巡らせると、スッと自分の横を横切る影が視界に入る。
「では、宰相ちゃんからプレゼントです。このアクセサリーをあげます。きっとこれは貴方に勇気を授けてくれます。姫様と相棒ちゃんと一緒に作った逸品、です。受け取ってください」
宰相ちゃんは素早くテスカさんの拘束を解くと、懐をゴソゴソとあさって何処かで見た記憶のある、不思議な意匠が施されたネックレスを取り出した。
明らかに不穏な雰囲気を漂わせているその逸品を半ば無理やり押し付ける宰相ちゃん。
テスカさんが楽しそうに「何ですかそれ!? 何ですか?」と尋ねているが、俺だって気になる。あれはなんだろうか? 三月さんはどうなってしまうのだろうか?
じーっと疑いの視線を向けていた事に気がついたのだろう。宰相ちゃんはこちらをチラリと見ると、まるでイタズラが成功した子のようにはにかんだ笑みを向けてくる。
あ、なんか嫌な予感がする。
三月さん。お達者で……。
「あ、えっと……」
「受け取る、です」
突然の事に困惑する三月さんの手を取ると無理やりその手に押し付け、握りこませる宰相ちゃん。
三月さんもどうしたものかと腫れあがった顔に困惑を浮かべていたが、押しに負けたらしく恐る恐る懐にしまう。
「ありがとう……ございます」
「ずっと身につけていてくだ、さい」
必ず身につけるように念入りに説得した宰相ちゃんは、どうやら自らの目的が達成した事に満足したらしくウンウンと一人勝手に頷いている。
どうしたものか。
宰相ちゃんが普通のアクセサリーを渡すはずが無い事はフローレシアに住む者ならだれもが分かる事だ。
となればあとはソレがどれだけの大きさで問題になるかどうかにかかってくる。
この場で聞くのは流石に不味いか、いやしかし……。
あっ、宰相ちゃんがこっちを向いて笑顔でサムズアップしてくる。
これは帰ったから絶対に聞き出さねばと固く心に決めた。
「おいおい、お話は終わりか? 無視するとはいい度胸だな。お前生きて帰れるとでも思ってるのか?」
宰相ちゃんが渡した謎ネックレスで三月さんがどの様な事になっていしまうのか黙想する。
思考の海から強引に引き戻したのはギーグの呼びかけだ。
そう言えば、こんな奴もいたなと目線だけ動かしあちらを見やる。
「うーん。俺は帰れると思ってるけど」
「お前、いい度胸だな。剣を抜けよ、その腰に付いている大層な物はハッタリか?」
小馬鹿にした様な――事実小馬鹿にしながら俺を煽ってくるギーグ君。
しかし思うのだが、こういった場合において相手を煽る行為というのは有効なのだろうか?
それとも、相手を激昂させて隙を作れば事が上手くいくなんて、本当に思っているのか?
「いやいやいや、勇者が剣を抜いたら戦争じゃない? 君、殺し合いの経験ってある?」
「いいかガキ。俺が初めて人を殺したのは11の頃だ。スラムに迷い込んできたバカな観光客がサイフを出すのを渋ったんでをズドン、さ。引き金一つで終わる簡単な仕事だったぜ」
「おー。それは凄い!」
パチパチパチと手を叩く。
折角煽ってくれているのだ、こちらも煽り返さなくては。
心の底から賞賛を込めて拍手を返す。ってか彼はいまだこの世界で人を殺めた事がないのだろうか?
そもそも、物理法則が根本から違うあちら側の世界の話を自慢気にしたところで、欠片ほど役に立つ訳でもないのになぁ……。
「くくく、今日の事は忘れるなよ。俺の能力は国の許可がいるんでな……。お前、次に会う時が楽しみだぜ」
「それは怖い! 俺なんて一撃でやられてしまうだろうな! んじゃ、そういう事で」
ああ、なるほど。彼は自分の能力に絶大に自信があるみたいだ。
国から制限されている程だ、さぞかし強力なものなんだろう。
取り敢えず彼の自尊心を満たしてあげる為に盛大に怯えの演技を見せてあげる。
相変わらず不敵な笑みを浮かべ、仮初めの玉座でふんぞり返るバレスティアの勇者。
隠し切れていない怒りが、彼の小物さをこれでもかと引き立たせていた。
………
……
…
バレスティアの控室より退室し、帰路を進む。
ギャーギャーと煩いセイヤは、途中で見つけたターラー王国の兵士――心配して彼を探しに来た人達に押し付けた。
どこもかしこも同じで見慣れた様式の廊下を、宰相ちゃんとテスカさんの歩調に合わせながらゆっくり歩く。
「……あの女の子、気に入りました、です?」
「いや、気に入ったって訳じゃないけどあのままにしておくのも可哀想な気がしてね。同郷のよしみって奴でなんとか助けてあげれないかなーって思ったんだよ。難しそうだけどね」
「連れて帰ってえっちぃ奴隷にしちゃいたかったです。私も時々勇者さんからお借りしようと思っていたのに……」
テスカさんの変態発言を軽く注意しながら、先ほどのやりとりを思い出す。
確かに三月さんは同郷だ。
同じ日本人として思うところが全くないわけではない。ただ、あそこまで頑なに拒否されたは俺としてもどうしようもない。
不信感というものがあるのは理解できるが、それでも助けを求めてくれなければどうしようもない事だってある。
残念だが、彼女は見捨てるしかないかもしれない。
「大丈夫、です。あの人に渡したネックレスがきっと良い結果を導き出してくれるです。あとはドサクサに紛れてフローレシアにお持ち帰りすれば皆幸せになれます」
俺の顔を見つめていると考えが分かるのだろうか?
じーっと見つめてくる宰相ちゃんは俺の考えを見抜いたらしく、えっへんと平らな胸を突き出して問題無しとばかりに己の計画を教えてくれる。
その言葉から彼女が三月さんに渡したネックレスが碌でもない物である事を再度認識すると、何も聞かなかったとネックレスの事を頭の奥に押しやる。
俺に責任はない。
「そう言えば、バレスティアの勇者と揉めた事に関してはどうしようかな? あれだけ好き勝手やったんだしあのまま許してくれるとも思えないんだよね。それに……宰相ちゃんが言うみたいに三月さんを持ち帰るにしても黙っているとも思えない」
むしろなぜあんなに簡単に帰してくれたがわからない。
普通、あそこまで話が拗れたらその場で戦闘になってもおかしくはないはずだ。
もちろん、フローレシア側に全面の非がある形でだ。
バレスティアの連中が俺の予想以上にヘタれだったと言う事だろうか?
と言うか、自分で言うのもなんだが結構なやり過ぎた感があった。
勢いに任せて自分勝手にやらせてもらったが、普通なら既の所で宰相ちゃんが制止してくれるはずなんだけど……。
と、考えると今回の話も何やら裏があるやもしれないな。
「ふふふ……」
案の定、俺の懸念に対する宰相ちゃんの返答は蠱惑的な物だった。
彼女はいつもとは違って、冷たい……まるで虚無そのももの様に冷たく感情の読み取れない笑みを浮かべたかと思うと、どこまでも透き通る声で語る。
「……宰相ちゃんに任せて欲しい、です」
◇ ◇ ◇
「おいいいいぃいぃぃぃぃぃ! このゴミクズ共がぁ!!」
フローレシアの控室に帰ってことの顛末を包み隠さず全て話した後の第一声はそれだった。
他所の国の控室へと遊びに行った所まではつまらなそうに聞いてたフィレモア伯爵だったが、俺達がセイヤを伴ってバレスティアの控え室に突撃し始めた頃からその様相は面白いように変化する。
やがて俺達がバレスティア相手に喧嘩を売りに売って大きな火種をおみやげとして持って帰って来たことを知るや否や彼の怒りは頂点に達する。
地獄の赤鬼という存在がいたら彼の様なことを言うのだろう。
顔を赤に染め上げながら憤怒の表情で罵倒の叫びを上げるフィレモア伯爵。
その様な鬼気迫る表情だ。俺達も自然と笑顔が漏れてしまう。
「はっはっはっは!」
「わぁわぁ! ぱちぱち!」
「真っ赤っ赤、です」
わいわいと盛り上がる、俺達。
対照的に激怒する伯爵はまるでゆでダコの様だ。
それが俺達の心に清涼剤となって染みわたる。
こういうのを幸せって言うんだろうな……。
「ふざけるな! ほんっとう、もう、ふざけるなよ貴様ら! 何してるんじゃ! 本当に何してるんじゃ! これあれだぞ! 外交問題だぞ! 一体何を考えておる!?」
「まぁまぁ、落ち着いて。起きてしまった事は仕方がない。今は責任を追及するよりこれからどうすべきかを皆で考える方が建設的だと思うんだ」
机の上にある書類に当たり散らしながら叫ぶ伯爵。
どうどうと諌めながら、あまりの慌てぶりに少々引いてしまう。
周りに控える文官達も同様にドン引きしている。
なんだか普段からふざけている人物の真面目な様子を見てしまうと予想以上にショックを受けるのかもしれない。
「お、ま、え、ら、が! その原因だろうがぁ!!」
フィレモア伯爵の怒りは治まらない。
彼はターゲットを宰相ちゃん個人に向けると、品よく口元に手を当ててコロコロと笑う宰相ちゃんに向かって迫る。
「宰相ちゃん殿! 説明を求めますぞ! 貴殿がついていながら一体どういう事ですじゃ!? いくらこの穀潰しに絆された駄目女だとしても止める事位はできるでしょうに!」
誰が穀潰しで、誰が駄目女だ。
宰相ちゃんも突然の暴言に驚いて俺にしがみついてしまったではないか。
全く、品の無い言葉を宰相ちゃんの前で使わないで欲しいものだ。
宰相ちゃんはまだまだ小さな女の子なんだから、もっと広い心で接してあげないといけない。
「勇者様。怒られて怖い、です」
ご覧の通り、宰相ちゃんは怯えきっている。
その割にはここぞとばかりにスキンシップを図って来ている様な気がしないでもないが、宰相ちゃんが怖がっているのは確定事項だ。
彼女の頭を優しく撫でながら、まずは傷ついた彼女の心を癒やさんとばかりに、俺は宰相ちゃん甘やかしモードに入る。
「宰相ちゃん、大丈夫だよ。勇者様がこの赤鬼から守ってあげるからね」
「今日は怖くて一人じゃ寝れない、です」
「仕方ないなぁ、宰相ちゃんはいつまでたっても甘えん坊さんなんだから。今回だけだよ?」
「えへへ、勇者様、大好き、です」
ニコリと微笑み、感極まった様にぎゅーっと抱きついてくる宰相ちゃん。
積極的な彼女に思わず俺もたじろいでしまうが、先ほどまで理不尽に怒られて落ち込んでいた宰相ちゃんだ。
彼女の笑顔を取り戻す為だったら、俺はどんな事でもやってやるつもりだった。
ちなみに、今回だけと銘打ったこの添い寝は、今まで合計すると都合数十回目になっている。
もちろん、その事に関しても目を瞑らなければならない。
大切なのは宰相ちゃんの笑顔だ
ふと、俺の胸に顔を埋めていた宰相ちゃんと視線が交差する。
隣でテスカさんが歌うウエディングマーチをBGMに俺と宰相ちゃんはお互いの絆を確かめ合う。
「おい、下手な小芝居でイチャつくのはやめろ」
「出来ません。二人の仲は神様にだって引き裂けないのです」
「愛の逃避行……です!」
ねー! と二人で顔を合わせて微笑み合う。阿吽の呼吸がお互いの距離感を表しているかの様だ。
これは更に宰相ちゃんを甘やかせねば思っていた俺にトントン、と肩が叩かれる。
振り返った先にいたのは、期待の表情でこちらを見つめるテスカさん。
「勇者さん、私は、私は何役ですか!?」
「えー。よく分かんないけど、俺と宰相ちゃんの共通の友人とか?」
「なるほど……こ、この泥棒猫! 私の勇者さんと寝るだなんて嫌らしい!!」
「え、そういう役柄!?」
よくわからないけど、そういう方向性で絡んでくる事にしたらしい。
これ以上フィレモア伯爵を誂うと流石にマズイかなと思いつつも、なんだかテンションが高まっているせいか乗ってしまう。
それはいつの間にか俺の胸の中で顔を埋める宰相ちゃんも一緒だったようだ。
「ど、どういうことです勇者様? さ、宰相ちゃんが一番だって、宰相ちゃんだけだって……」
「ち、違うんだ宰相ちゃん。か、彼女は、そ、その!」
「実家に帰らせてもらう、です」
「待ってくれ宰相ちゃん!」
ととと、と部屋の角へと走りより何やら自分の荷物をゴソゴソと漁りだす宰相ちゃん。
手早い作業でリュックを背負い込むと、満足気に戻ってくる。
こちらをキリッと睨みつけ「次に会うのは法廷、です」と宣戦布告。
迫真に迫る演技で、なんだか悪い事をしていないはずなのに無性にドキドキしてしまう……。
「小芝居はやめろこの脳足りんどもがぁぁ!!」
「……なんだよ?」
「煩い、です」
「伯爵さんはお義父さん役なので出番まだですよ?」
ブーブーと参加者から文句が出てくる。
ノリノリでお芝居を楽しんでいた所を邪魔されて今の俺達は不機嫌だ。
全員が全員、ふてくされた表情でフィレモア伯爵に非難の視線を向けている。
「……答えよ、デモニア殿」
シン……と室内が静まり返る。
空気が凍った。否、フィレモア伯爵から吐き出された殺気が朗らかな雰囲気を一気に追いやったのだ。
その瞳と表情は、先ほどまでとは打って変わって無機物を感じさせる冷酷さを持っている。
やばい……調子に乗って本気で怒らせたみたいだ。
「こと場合によっては貴殿の責任問題にも発展するのじゃぞ? そろそろ目的をあかせ」
俺のすぐ隣、いつの間にか俺の右手を握っていた小さな女の子からぞろりとぬめりつく様な殺気が漏れ出す。
あ、やばい。宰相ちゃんが不機嫌になった。
このままでは周りの被害を顧みない盛大な喧嘩が始まる事を察知した俺は、咄嗟に右手をくいくいっと引っ張り、宰相ちゃんを諌める。
「…………むー」
チラリと俺を見ながら、困った表情で眉尻を下げる宰相ちゃん。
俺が視線と口パクで「まぁまぁ」と宥めると、幾分機嫌を取り戻してくれる。
「では拝聴しろ、です」
大きく室内を見渡し、一言告げる。
その言葉は先ほどまでの大好きな勇者様と遊ぶ小さな女の子の物では無く、一国の宰相としての物だ。
フィレモア伯爵も漸く彼女から何らかの説明を受ける事を理解したのか、殺気を収め聞きの姿勢に徹している。
「丁度良いタイミングなので、姫様から伝えられたフローレシアの方針、そして今回の遠征に関する目的を伝えておき、ます」
シン……と静まり返る室内に宰相ちゃんの幼い声色だけが詩を謳うかの如く流れ響く。
やがて宰相ちゃんから皆へと伝えられた常軌を逸した方針に、俺を含めたフローレシアの面々はそれぞれ思い思いの表情を浮かべた。




