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第三十九話

 先手を打ったのはテスカさんだった。

 見つめ合う二人、眼前に据える彼女の身体が一瞬かげろうの様に歪んだかと思うと次の瞬間に感じたのは全身を襲う刺すような痛みと、背中で鳴る壁が破壊される音だった。

 ――殴られた。

 コンマ一秒にも満たぬ刹那の時間で俺に迫ったテスカさんは、その細腕からは考えられないような剛力を持って俺の反応速度を超えた攻撃を繰り出したのだ。

 石造りの壁は衝撃によって無残にも破壊され、俺の背後で粉々の石塊と化している。

 ガラガラと崩れ落ちてくるその塊を鬱陶しげに払いのけながら、違和感を覚える身体の感覚に注意を向ける。

 ……力が身体に馴染んでいないのか。

 身体の神経が軋み、疼くように魔力が体中を這う。

 まるで自分の身体では無い様な感覚を覚えながら、どす黒い魔力をゆっくり馴染ませるように身体を起こす。

 ズキリ……と、頭痛を感じる。

 思った以上に時間は残されていない。早めに決着を付けないと。


「カタリ様っ!?」

「皆の者、援護する、です!」


 俺が先手を取られた事に驚いたのか、ティア達が慌てた様子でテスカさんに殺到する。

 テスカさんは手をだらりと下ろしながら、意志の篭っていない瞳でこちらを見つめ続けていた。

 剣戟、魔法、飛翔物。ありとあらゆる攻撃が無防備に立ち尽くす白の麗人に殺到するが、フローレシアの重鎮――輝晶級の力量を持つ猛者達が放った一撃はまるで最初から存在していなかったかの様にかき消されてしまう。


「万物流天」


 否、存在していない事になったのだ。

 テスカさんの固有能力、それは事実をねじ曲げる能力。

 本来だったら意識の誘導と代わりがない程弱いそれであったが、"運命"と呼ぶ存在の力を受けて今ではかなりの威力を持って現実を書き換えている。

 白く濁った瞳が只々俺を見続けているのが救いか、彼女の有り余る力がティア達に向けられる事はない様子だがこのまま二人の戦いに巻き込まれる様な事があっては危険だ。

 もはや二人が纏う魔力……そして力はこの場にいる誰も比較にならない程強大な物となっている。

 なにより……勇者と魔王の戦いに余計な手出しは邪魔にしかならない。


「皆、援護はいい」


 静かに告げた言葉に全員が一斉にテスカさんから距離を取り、俺に意図を問う視線を向けてくる。

 誰も俺の言葉を否定しないのは恐らくわかっているのだろう。目の前の魔王を打ち倒すには勇者である俺が出る他ないと言う事を。

 幽鬼のように佇むテスカさんが一歩を踏み出す。相変わらず意志の篭ってない瞳は俺を見ているのか見ていないのか分からないが、彼女に応えるように深く腰を落とす。

 相棒。どうすればテスカさんを救える?


『彼女が身に付ける首飾りを破壊して、その隙にボクが"運命の鎖"を切り離す』


 端的な返答が帰ってくる。テスカさんがまた一歩を踏みしめた。

 賛美歌の様な澄んだ音楽がどこからともなく流れ込んでき、彼女を包み込む光が一層輝きを増す。

 どうすれば攻撃を通す事ができる?


『全力で攻撃して。こちらも"加護"を持ちだした今なら相手の"加護"も相殺できる』


 また、テスカさんが一歩を踏み出した。

 自らの拳に力を込め、心臓から溢れ出る魔力を全身に張り巡らせ全神経を集中する。

 どこからとも無く間延びした笛の音色が聴こえだす。

 心臓を包み込む黒色の泥からまだ足りぬと魔力を引き出し、握りこんだ拳に滅茶苦茶に詰め込む。

 濃縮された魔力が振動を起こし空気を揺らす。

 キィーンと金属音が高鳴りピリピリとした威圧が城を揺らした。

 想像をたやすく超えた魔力量に誰かの息を呑む声が聴こえる。


「皆、お願いがあるんだ。援護はいい、だからその代わり――」


 静かに告げながら魔力を解放する。

 限界まで引き絞られた弓から矢を射つかの様に一瞬にして魔力が荒れ狂う風となって辺りに充満する。

 テスカさんと視線が交差した。

 無秩序に暴れていた魔力がまるで俺の意志を受け取るかの様に停止し。


「……っ!? おい、貴様ら頭を下げろ!」


「――全力で離脱して」


 力となって解き放たれた。

 爆音が響いたのは王宮の一部が崩壊する音だ。

 視認できない早さの拳がテスカさんに向けて放たれる。

 純白の力場と拳に纏った黒の魔力がぶつかり合う。

 バチバチと互いを侵食しあうかの様に歪な閃光が起き、己の意志を貫き通そうとせめぎ合う。

 ティア達がこの場より脱出する気配を感じながら更に力を込める。

 ガラスが割れる音に似た鈍い破壊音が鳴り、白のヴェールにヒビが入り砕ける。

 だが、相手の加護を打ち破り俺の拳がテスカさんの頬を撃った瞬間。


万物流転(コハヴ・ノフェル)


 振りぬいた拳が彼女の両手によって掴まれる。

 全力で振り払おうと力を込めるが、なぜか力が入らない。

 驚き右腕を見ると、そこには彼女の能力によってすでに肘の辺りまで存在を消されつつある己の腕が視界に入る。

 俺の存在その物を能力で消しに来たのか!?


■■■■(□ェ□□ル)


 俺が距離を取るため全力を込めた蹴りを彼女の無防備な腹に撃ちこむのと相棒が何らかの言葉を発するのは同時だった。

 ふと失ったはずの右腕に感触が戻ったことを感じ腕を上げて確認してみると、そこには何事も無かったように――だがドス黒く変色した右腕が存在していた。


『カタリは消させない』


 頼もしい声が心の奥底より聞こえてくる。

 どの様な仕組みかは分からないが、相棒が消されつつあった俺の右腕を補完したのだ。

 相棒――つまり俺の能力はあらゆる事象を自在に変える彼女の能力に対抗できるだけの何かを持っている。

 ただ物を生み出すという説明だけでは理解できないそれを疑問に思う間もなく、テスカさんに追撃を加えるべく大地を蹴る。

 余計な武器などは創りださない。

 その暇を相手が与えてくれるわけないだろうし、そもそも生半可な武器では今の俺の魔力に耐える事すら不可能だから。


 白の魔力が輝きを増し、一点に流れ込む。

 それは彼女が身につける歪な首飾りだ。

 それこそが彼女を縛る鎖。相棒が言う運命とやらが宿る触媒。


 大地が割れ、頭上を含め全方位より様々な種類の武器が降り注いでくる。

 全てが白く輝く魔力と威圧を持った剣や槍、斧等の数々。

 彼女が現実を曲げ顕現させた聖剣の数々だ。

 それらが殺到する。俺を射殺さんと恐ろしい勢いで降り注ぐそれらを避けようとした瞬間、地面――王宮の床がぬかるみに代わり足を取られる。

 回避間に合わず凶刃は到達する。

 幾重にもなる刃が俺を切り裂きその生命を散らさんとするが……。


『愚策だよ』


 侮蔑を篭った声が響いた。

 恐らくは、他人からは黒い塊の様に見えたのだろう。

 一瞬にして膨れ上がった魔力はその先すら見えないほど濃い色の黒となって殺到する剣群を防ぐ。

 光り輝く神聖な武器は黒の魔力に触れた瞬間まるでその神聖さを汚されるかの様に色褪せ、折れ、破壊されてゆく。

 ぬかるんだ地面を無視するかの様に無理やり力を込めて大地を蹴り上げる。

 一瞬にしてコンマ数センチまで肉薄すると、纏う魔力を全て右腕に込め貫手を放つ。

 魔力を剣群の召喚に費やしていた為か、まるでバターにナイフを突き刺すかの様に相手の防御をするりと抜けた手刀はテスカさんが首に身につける歪な首飾り――その先端にあしらわれた不可思議な紋章に到達する。


 刹那――絶叫が響き渡った。

 この紋章こそが触媒。テスカさんを苦しめるこの光の主である"運命"と彼女を繋ぐ楔。

 紋章にヒビが入る。どの様な金属で出来ているのか、ありえないほどの硬度を持ったそれではあるが俺の全力に耐えうる物でない様だ。

 勢いそのまま彼女を押し倒し、地に抑えこむように力を込める。。

 慌てて俺の右腕を捕まえようとするテスカさんだが、その両腕を振り上げる前にズンと鈍い音がなりその行為は無理やり阻害される。

 落ちて来たるは巨大な二つの刃。舞うはテスカさんの両腕。

 ギリギリ俺の脇を通る形で空中より左右に落ちてきたのは"運命の断頭台"に使用されていた刃だ。

 同じ系統の魔力をまとっていた為か、"加護"による防御をよしとしなかったその一方的な断罪は彼女の強靭な腕を楽に切り落とし、その役目を終え空中に消える。

 白に濁った彼女の瞳に色が戻り始める。

 突き刺した紋章はすでに原型を留めないほどに崩れており、あと数秒もあれば完全に破壊されそうな気配さえ感じさせる。


 否――今破壊された。


 絶叫が響く。それはテスカさんの口から漏れたものではなく、どこか遠くから聴こえる怨嗟の声だ。

 テスカさんを侵食していた神聖なる魔力が拠り所をなくしたかの様に彼女から離れ、やがて彼女の直上にて一つの塊となる。

 どうやら本体が姿を表した様だ。


『オオオッ!!』


 脈打つ光の塊。

 広げられたのは輝く猛禽類を思わせる羽。

 敬虔な聖堂教の信者がこの光景を見れば一言こう表現するだろう。


 天使――と。


 数分にも見たない攻防により半壊した王宮。瓦礫の山の頂にて真なる敵と相対する。

 身体は満身創痍。

 失った心臓を治すあても無し。

 時間は刻一刻と過ぎていく。

 だがここで負けるわけにはいかない。

 もしかしたら最後になるかもしれない戦い。

 だが後の事なんて考える余裕もつもりも無い。

 今は全力でこの魔力を込めた右腕を振りぬくだけだ。


 光の塊が羽を羽ばたかせ隼の速度で向かってくる。

 圧倒的な魔力量を誇るそれを眼前に据えながら、腰を落とし全力で殴りつける。

 だがまるで水の塊を殴りつけたかの様な感触と同時に光を伴った魔力塊が爆ぜる。

 その破片がそれぞれを意志を持ち、攻撃後の無防備になった俺へと殺到しようとする。

 だが……。


『捕まえた』

『……!?』


 胸の内から確かに聞こえた声は驚くほど底冷えのするものだった。

 気がつけば胸に開いた穴から無数の触手――先端に子供の腕が付いた様な不気味黒色の魔力を吐き出しており、光の塊を縊り殺す様に乱暴に暴れ狂っている。


『残念だね。いい気味だよ"運命の鎖"』


 侮蔑を含んだ笑い声と共に光が暴かれ一つに収束する。

 そこにあるのは一つの薄汚れた宝石と思われる小指の先程の大きさの石だった。

 それが微かな魔力を伴って発光している。

 あれが何かは分からないが、恐らく魔力を供給しているゲートの役割をはたしているのだろう。

 これを破壊すれば全てが終わる。


『カタリっ! トドメを!!』


 相棒によって"運命の鎖"と呼ばれたその小さな欠片は黒色の魔力に囚われて苦しみもがくかの様に振動している。

 全てを終わらすべく力を込める。残りの力を、ありったけのそれを…‥。


「……あれ?」


 だが、込めようとしたはずの力は初めから無かったかの様に霧散し、視界が歪むと同時に四肢が動かずつんのめる様に地面に倒れ伏してしまう。


『ギィィィッィィ!!!』

『カタリっ!?』


 まさかここまで来てタイムアウトとは……。

 俺の肉体の限界に合わせるように、胸を塞いでいた黒色の魔力が消え代わりにドクドクと夥しい量の血液が溢れ出てくる。

 拘束を振りほどいた"運命の鎖"が歓喜の声を上げる。

 急速に魔力を纏い始めた"運命の鎖"は頭上高くまで上がり、全てを滅するであろう光を放ち始める。


『カタリっ! しっかりしてカタリ! 逃げるんだ! 立って!』


 立ち上がろうと必死に力を込める。

 誰かに助けを求めようにも、ティアや宰相ちゃん達はこの場から離脱している。

 どこからかこの様子を見ていたとしても間に合う事は不可能だろう。

 最後の力を振り絞ったが、身体を少しだけ持ち上げるのが精一杯だった。

 ゴロリと仰向けになり、頭上高く光り輝く魔力塊を見つめる。

 恐ろしい程の光量を持ったそれは俺が迎えるであろう死を見せつけるかの様にゆっくりと降りてくる。


 そして視界全てが光で満たされた。

 もはや光も音も、上も下も、自分がどの様になっているのかすら分からぬ不思議な感覚の中で……。



「――万物流転(コハヴ・ノフェル)



 彼女の声を聞いた。


 それは驚くほど静かな出来事だった。

 光の柱は、まるで最初からなかったかの様に消え失せる。

 いつの間にか立ち上がっているテスカさんはゆっくりと、まるで高貴な身分の淑女の様に優雅な歩みで俺の眼の前まで歩んでくる。

 やがて頭上で怒り狂う"運命の鎖"等最初からいなかったかの様に自然な様子で俺の横に屈みこんだ彼女は、ポッカリと穴が開いた俺の胸へと慈しむ様に失ったはずの両手を添える。

 瞬間……ドクン、と失ったはずの鼓動が戻る。


 彼女の能力で心臓を失った事実を書き換えたのだ。

 今まで人の意識を意図的に変える程度の能力しか発揮できなかった彼女が今は自らの意志で明確に世界を塗り替えている。

 それは、まるで定められた運命に囚われていた彼女が初めてその楔から解き放たれた証の様に思える。

 だが、今はそんな事はどうでもいい。

 心配そうに俺を見つめる彼女を安心させる様に起き上がり、彼女の瞳を見つめる。


『ハハハハハ! そうだった、彼女もだった! 彼女もそうだった!』


 無邪気に喜ぶ相棒の声が心の中より聞こえてくる。

 心底安堵した様なその声を聞きながら、身体を起こし彼女に向き直る。


「テスカさん……」

「ありがとうございます。勇者さん」


 立ち上がったテスカさんはペコリと丁寧なお辞儀をする。

 それはいまだ敵がいるこの場ではとても似つかわないもので、だた惚れ惚れする程美しいものだった。


「その……私、知らない間に凄く悪い事していたんですね。やっぱり私では運命に逆らえなかった。でも、勇者さんは私を助けてくれました」


 再生――いや、元から失われていなかった事になった心臓は今までの分を取り戻すかの様に鼓動を繰り返し、俺の全身に力を漲らせてくれている。

 いつの間にか右腕も元通りだ。

 力は十分にある。

 それどころかむしろ今まで以上に調子が良い。


「えっと、その……どうしましょう?」


 キョロキョロと辺りを見回しながらコテンと首を傾げる彼女に苦笑いしながら立ち上がる。


「まずはあそこでさっきから光ってる害虫を退治しよう。話はそれからだね」

「あれが……。はい。分かりました」


 体中を魔力が満たしている。どこか心地よささえ感じさせるそれは先程とは違って完全に俺の制御下にある。

 隣でたおやかに立つ彼女からも同様に魔力が湧き上がる。

 彼女本来の魔力であろうか。それは透明で澄んだ色をしていて、純粋無垢なテスカさんの性格をそのまま表したかの様であった。


「こ、こういうのって初めての共同作業って言うのでしょうか?」

「いや……少し違うと思うよ。たぶんテスカさんが想像している様な破廉恥な意味はないよ」

「残念です……」


 ハッ! と何かに気付いた様子を見せ、期待した表情でソワソワと同意を求める彼女の言葉を速攻で否定する。

 まるで穏やかな昼下がりに紅茶でも飲みながら行う様なやりとり。

 そんな雰囲気に苛立ちを覚えたのか、離れた場所で力を蓄える光玉が劈くような叫びを上げる。


「けど――」


 チラリと、いつもと変わらぬ穏やかな表情を見せながらテスカさんは続ける。

 次はどんな突拍子もないことを言うのかと少しだけ興味が湧いた俺は、彼女の言葉を促すように視線を向ける。

 くすり……と、こちらに視線を合わせたテスカさんは品よく笑う。


「世界を滅ぼす魔王と、世界を救う勇者。二人が力を合わせたら凄く凄く、強いと思いませんか?」


 同意を求める様に告げられた言葉に「全くだ……」と笑みを返す。

 二人の魔力が強大な柱となって天に登る。

 目の前の存在などまるで虫けらの如く蹂躙する魔力は大きな渦となって俺達を包む。

 準備は万全、そして力も十全、後は事をなすだけだ。

 そうして、俺達は自らの身体にありったけの魔力を収束させるる。


『ギィィィィィィァァァ!!!』


 空を劈く絶叫が放たれる。

 それは己の消滅を悟った断末魔にも思えた。

 そして、二人と一つの光玉が交差する。


 後の事は特別語る必要も無いだろう。

 運命から解き放たれた魔王と、運命を切り開いた勇者。この世界でも恐らく頂点に近しい二人の全力を受けた"運命の鎖"はあっけないほど簡単に消滅する。


 こうして、勇者と魔王の戦いは終わりを迎えた。

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