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第三十八話

 フローレシアの重鎮達が一堂に会する会議室。

 誰も言葉を発しないその場にて、一人だけ「あー」だの「うー」だのと言葉にならない声を上げる女性が一人いる。

 テスカ=トリポカさんこと、魔王さんだ。魔王ことテスカさんと言ったほうがわかりやすいかもしれない。

 彼女は自分が魔王であるという事実を皆が知っていた事がよほどショックだったらしく、悲しみとも驚きとも取れる面白い表情をしながら自らのスカートをギュッと握っている。


「実はねテスカさん。俺達はテスカさんが魔王だってずっと前から知っていたんだよ」

「そ、そんな!? 一体いつから! バレるような要素はなかったはずです!」


 代表して俺が説明するが彼女はびっくりした様子で目をぱちくりさせている。

 むしろなんでバレてないと思っていたのだろうか? 俺はそれが不思議でならない。


「なんだかね、いろいろとそれっぽい事言いまくってたでしょ? 皆気づいているよ。テスカさんって嘘つくの下手でしょ?」

「うー……」


 そのまましょんぼりとうなだれながらとぼとぼと自分の席に戻るテスカさん。

 椅子にちょこんと座るとはぁと小さなため息をついて落ち込んでしまう。

 え、ってか宣言して終わりなのかよ! その後はどうするつもりだったんだよ!

 至って普通にその後も会議に参加しようとするテスカさんに少々呆れながら、困ったように集まる面々へと視線を向ける。

 皆もこの反応は予想外だったらしくざわざわと騒ぎ始める。

 やがてティアが軽く手を上げて全員を黙らせると代表するかの様に質問を投げかける。


「テスカさん。聞いておきたいのですがフローレシアの王宮に潜入したのも能力か何かでしょうか? あ、魔王って凄いですね! とっても驚きました! 今も恐怖に震えています!」

「えっ!? えっと、えっと、それは私の固有能力ですね。『万物流天(コハヴ・ノフェル)』って言います。なんだか事実を書き換える凄い能力なんですよ!」


 ティアのお世辞にぱぁっと顔を輝かせながらニコニコハキハキ答える魔王。

 完全に自分がどういう存在かを忘れている様だ。なんだかその能力もかなり強力な気がするが彼女のほわわんとした様子から脅威は全く感じられない。


「なかなか凄い能力なのは分かったよテスカちん! でもなんでフローレシアに来ようと思ったのかい? もしかしてカタリちんに一目惚れしたとか?」


 ニシシとイタズラっぽく笑いながらエリ先輩がテスカさんを茶化す。

 その本人は顔を真赤にさせながら「ちっちがいますよぅ」と手をパタパタさせて慌てふためいている。

 あれだけ過激なご褒美とお仕置きを普段からご所望する割には初な反応ですね。


「実は、そのなんていうか……。魔王と勇者が戦うのは運命なんです。だから私はどの様にあがいても勇者に惹かれてしまうのです。あっ、この惹かれるって言うのは好きになるって訳じゃなくて引っ張られるって意味ですよ?」


 わかっていると頷き右へ左へと脱線する彼女の説明に根気よく耳を傾ける。


「勇者と魔王が戦うのは運命です。そして魔王が勇者に打ち倒されるのも運命です。そして物語が始まり、終わるのも運命です。私は死にたくないのです。魔王城の奥底で微睡みに包まれながらそう渇望し、あの王城を抜け出し運命を変える方法を探して諸国を漫遊しやがて気がついたのです。


 ――私は、誰かに助けて欲しいのです」


 その言葉は彼女の心からの願いである事を表すかの様にはっきりとしており、今までちょっとオドオドしたテスカさんの様子からは考えられない程真剣な表情だ。

 視線が一つに集まっている。

 今度は先程のものとは違う。呆れを持ったそれではなく、皆が皆真剣に彼女の言葉に耳を傾けていた。


「私は考えました。どうすればこの運命を打ち砕く事が出来るのかと。答えはひどく簡単でした。それは……」


「……それが、勇者だった訳ですね」


 言い終わる前にティアがその言葉を答える。

 テスカさんはティアの言葉が正しいことを知らせるかの様に頷くと憂い気な表情でゆったりと、だがしっかりとした表情で前を見据える。


「勇者は革新、希望、勝利、栄光を司ります。変わって魔王は伝統、絶望、敗北、衰退を司っているのです。世界は常に二面性を持っています。私の運命が死で確定しているのであれば、それを打ち砕くのはもはや同じ力と影響力を持つ存在である勇者に縋るしかなかったのです」

「世界は常に二つの属性を持っておりますじゃ。四大属性の上に存在する二大属性。光と闇を司るそれはある意味表裏一体としてこの世に存在しておる。戦うにしろ救いを求めるにしろ、魔王が勇者殿に惹かれるのも無理からぬ話なんでしょうな」


 テスカさんが語る魔王の在り方にじぃやが補足を加える。

 なるほど、平和主義者のテスカさんだ。彼女が家出をしたのもその様な理由があるのか……。つまりその責務から逃れる為に家出をし、救いを求める為に魔王領を混乱の渦に引き込んだ。

 まるで自分勝手な理由だが同時に好ましくもある。基本的に自由に生きたらいいんだ。

 魔王が平和を望んだってバチが当たるわけでもない、むしろその方が喜ぶ人が多いだろう。絶賛内輪揉めの最中である魔王領の人達には悪いが……。


「つまり、テスカさんが諸国を旅していたのもその様な理由があったんだね」

「はい、様々な国の様々な勇者に会いました。バレスティアを始めとした大国から様々な小国まで……。フローレシアはちょっと寒くて嫌だったので後回しになったんですよ」


 適当な理由だなと思う。

 だがあてのない旅なのだ、それ位でいいのかもしれない。

 勇者は複数存在する。自らを滅ぼす勇者に助けを求める旅路とはどのようなものだったのだろうか?

 彼女は一体どの様な気持ちで国々を歩いて来たのだろうか。

 そして、彼女を救う事ができる勇者は存在したのだろうか?


「でも、他の国の勇者ではテスカさんを助けられなかった、ですか?」


 小さな鈴の様な音色が、俺が聞きたかった事を救いを求める魔王に尋ねる。

 テスカさんは宰相ちゃんに視線を向けると、その言葉に代わりに悲しげな表情で首を横に振った。


「はい。皆さん私が魔王だと知ると有無を言わせず襲いかかってきて。中には私が魔王だと言う事を疑う人もいたのでちょっと魔法を誰もいない所に使ってみたのですが酷いことになりました」


 魔王である証拠としてとりあえず魔法をぶっ放してみたということだろうか?

 意外に過激な行動に少々驚いてしまうが、目の前の女性がお淑やかの皮を被った自由人なのは今までの言動で非常に良く理解できている。

 きっと、「じゃあじゃあ実践してみますね」なんて少々困った様子で可愛らしくはにかむと恐ろしい魔法を使ったに違いない。

 迷惑極まりないなぁ、被害を被った他国の方々の心労いかほどばかりかと言った所だ。


「そりゃあ酷いことになるだろうね。……ちなみに、他の国ではテスカさんが魔王だーってバラした時は皆満足する態度だった?」

「はい、それはもう!! 皆凄く驚いて、いろんな人が沢山やってきて、それでそれで、なんだかお祭り騒ぎみたいでとても楽しかったのです!」


 何がお祭り騒ぎなのだろうかこの人は……。

 この世界で魔王がどの様な位置づけでいるかはあまり詳しくは無いが、それでも目の前にいきなり魔王――つまりはラスボスが現れて笑顔で魔法をぶっ放して来たら大騒ぎになるだろう。

 フローレシアだからこそここまで平然としているが、他国の人々はここまで肝っ玉が座っている訳でもない。

 それどころか彼女の目的である"勇者に自らを滅びの運命から救ってもらう"事に全く直結していない。

 完全に目的とは違った行動をとっていろんな所を騒がせてるっぽいなぁ。

 そんな他人ごと全開の感想を抱きながら、彼女に間違いを指摘してやる」


「でも本来の目的はそこじゃないよね?」

「はい、私も何度も勇者さんにお願いしたのですが、どうにも話を聞いてもらえずになんだか凄く怒られてしまいました」


 そりゃあ怒られるだろうね。

 会議室には微妙な空気が流れている。

 それは一様に困惑であり呆れであった。

 まぁ、皆が言いたいことは分かる。要約するとこうだ「もうちょっと上手いやり方があるだろうが」。

 だが待って欲しい。相手はあのテスカさんだ。

 彼女にその様な高度な技術を求める方が難しいと思われた。

 げんに今も勇者に追い掛け回された話をそっちのけでソワソワとしながら何かを期待するような視線をこちらへ向けている。

 ってかオイ。何を期待しているんだ? ってかそれも含めて入り込む為の演技じゃなかったのか?


「ちなみに、そのお仕置きとかご褒美とかも演技だったの?」

「あ、あの……それは……卑しくていんら――」

「おっけー、もういいから。それ以上はいいから」

「……卑しくて! 淫乱な! 私のせいへ――」

「ストップ!!!」

「――っ!? モガモガ」


 彼女がその美しい美貌に似合わぬ下品な台詞を笑顔で叫ぶ前に無理やりその口に手を添え黙らせる。

 演技じゃなかった。本気だった。

 まったくもって彼女の目的とは違う別の所……個人的な趣味から来ている物だった。

 あまりの自由っぷりと倒錯した性癖っぷりにドン引きする。

 だが彼女はそんな俺の表情や口を無理やり塞がれる事すらご褒美だったらしく、ゆっくりと手を話し距離を取る俺の表情をしげしげと確認すると嬉しそうに両頬に手をあてイヤイヤと首を振りだしている。


「はぁ、とりあえずテスカさんの趣味については置いといて、話が進まないから戻したいんだけど魔王だって宣言してからはどうしたの? 流石に攻撃とかされたりもしたんでしょ?」

「はい、いつも魔王だって言ってからは勇者の人達から"逃げていた"ので今日みたいにお話聞いてもらえたのはとっても嬉しかったです!」


 パァっと笑顔を輝かせるテスカさん。

 チラリと宰相ちゃんに目配せし合図するが問題なしとばかりに首を縦に振っている。

 ……宰相ちゃんは相手の思考をある程度読む能力に長けている。

 その彼女がテスカさんの言葉が嘘ではないと判断している。

 と言う事はテスカさんは驚いた事に本当に平和主義の魔王だと言う事だ。

 事実は小説より奇なりとはよく言った物で、まさにここに小説でもありえないようなどんでん返しが待っていた訳だ。


「じゃあこれからどうするつもりなの? 多分……と言うかまぁ面倒事さえ起こさなければここにいてもいいと思うけ――」

「宰相ちゃんがかわりに勇者様の秘書をする事が条件です」

「――らしいけど。うちで過ごしながらその運命を覆す方法でも探す?」


「いいのでしょうか?」


 俺の提案に彼女は心底驚いた表情を見せる。

 口をパクパクとさせながら、まるで俺が理解できない不思議な呪文を唱えているかの様な少しばかり滑稽な様子で唖然と俺を見つめている。

 おどけるように両手を軽く上げ視線を会議室にはわせると、皆が皆俺の提案に納得したかの様にうんうんと頷きながらその決定に同意してれている。

 彼らが――否、俺達全員が出した結論を見せつけるかの様にテスカさん示すと、キョロキョロと全員を見つめている彼女へ「ほらね」と声をかける。


「あ、ありがとう……ございます」


 ぽたりと一滴の涙が大理石製のテーブル、鏡の様に磨き上げられたその表面に落ちて広がる。

 彼女の瞳からは涙が止めどなく溢れだしており、まるで今まで堪えていた物が決壊するようにポロポロと零れ落ち大理石をのテーブルを濡らしていく。


「私……ずっと一人ぼっちだったので……嬉しいです」


 嗚咽混じりに語られる言葉を一字一句聞き漏らさないよう真剣に耳を傾ける。

 やがて皆の気持ちを代表するかのようにティアが立ち上がりテスカさんが座るこちらへとやってくる。

 ヒックヒックと涙を流しながらどこか嬉しそうに笑うテスカさんの肩にそっと手を置くと、慈愛の篭った瞳で優しく語りかける。


「これからは一人でご飯食べる必要はありませんよ。皆仲間です」


 恐る恐る顔を上げるテスカさん。

 彼女はじぃっとティアの瞳を見つめると、本当に、本当に安心しきった表情で柔らかな笑みを浮かべた。


「ぐすっ……もう一人で夜な夜な自分を慰める必要もない……ぐす……んですね」

「あっ、それは一人でしてください」

「ぐずっ……残念……でず」


 だがこの人はこういう人だった。

 何だが良さそうな雰囲気を出しているがちゃっかりと自らの性癖を押し通すことも忘れていはない。「でもでも、そういう事も大事だと思うんです」とぐいぐいティアに迫るが「ダメです」と頭をペチコンと叩かれてしまう。


「えへへ、痛いです」


 頭を抑えずびびーっと鼻をすすり、はにかむ彼女が、この瞬間だけはこの世界で一番美しく見えた。


「ではこの件はこれで終わりですね。テスカさんとカタリ様にまつわる運命ついてはまたいろいろと検討するとして、本日はこれでお開きにしましょう!」


 ザワザワと喧騒が戻る。

 ティアの一声によって皆の意志が統一されたのか、これ以上語ることは無いとばかりに書類を纏める等して終わりの支度をしている。

 俺も膝に乗せた宰相ちゃんを抱きかかえて下ろしながら、この後の予定を思い浮かべる。

 だが空気を打ち破るかの様に、まるで晴天の空に突如雷鳴が轟くかの様に、この和やかな雰囲気はその男の言葉によって突如一変した。



「ふむ、良く練られた感動的な作り話だな。劇にすれば拍手喝采やもしれぬ」



 ――外道公の言葉を聞いたその瞬間の皆の表情をなんと表現すればいいだろうか?

 ティア……宰相ちゃん、エリ先輩はもちろんの事、普段から飄々としている大臣団やじぃやまでもが普段見せぬ様な憤怒の表情で一点を凝視している。

 それは俺の隣でほわわんとした表情をみせていた魔王――テスカ=トリポカだ。


「気がついた様だな……。貴様らまた事実を誘導されているぞ。最近ここらで何人勇者が殺されていると思っているのだ?」


 その言葉がやけに重たくのしかかる。

 何故その言葉に気がつかなかったのか。相手が魔王であり、特殊な能力を有しているにもかかわらず対して疑いもせずに彼女が引き続き王宮に住まう事を許可している。

 いくら大らかで包容力のあるフローレシアといえど、いささかうかつが過ぎる決断だ。

 ……相手が何らかの影響力を行使していない限りは。

 だが、不思議な事に当の本人であるテスカさんは信じられないと言った表情を浮かべている。

 俺には彼女が見せるその表情が嘘か本当か見分ける事が出来ず、もう何が何やらわからなくなっていた。


「えっ!? 待ってください! それは私は知りません! 私じゃないです!」


 慌てて立ち上がるテスカさん。

 全員がその動作を敵対行動として各々戦闘態勢に入るが、俺にはどうも彼女が嘘を言っているようには思えなかった。

 だから、とりあえず皆を落ちつかせようと、ちょっと待ってよと声をかけようと。

 そうしたんだけど……。


『カタリ! 避けて!!』

「――え?」


 ドンッ……と、何かにぶつかられた様な衝撃を受ける。

 次いでまるで熱い鉄の棒を押し付けられたように胸が痛み出す。

 慌てて胸を抑えると、ぬるりとした感触。


「カタリ様っ!!」


 ティアの悲鳴にも似た叫びがどこかフィルターをかけたようにぼんやりと聞こえる。

 ガンガンと頭の中で警鐘が鳴り、こみ上げる物を吐き出すように咳き込む。

 撒き散らされたのは赤、震える手には陽光を反射しぬらぬらと輝く血が絡みついている。

 ゆっくりと、今にも消え去りそうな意識を無理やり叩き起こし視線を下に向ける。

 鮮血に塗れる俺の胸の辺り、心臓がある場所には……。


 ――ポッカリと穴が開いていた。



『ばかなっ! 早すぎる!』


 忘れていた。

 何たることだ。俺としたことがテスカさんの人柄に癒やされて少々気を抜いていたらしい。

 すぐに気づくべきだった。

 よくよく考えればありとあらゆる事がおかしかった。

 彼女が来た目的、そして彼女の願い。

 彼女が言う決められた運命とやらを考えるとこのまま大団円で終わるはずがないのだ。

 自分の愚かさに苛立ってしまう。

 刹那の瞬間。

 一瞬を何倍にも引き伸ばしたかの様に錯覚させる感覚の中、全てが目まぐるしく移り変わる。

 テスカさんが俺の血で濡れた右腕を驚愕に見開いた目で見つめている。

 ティアの剣閃とエリ先輩の投げナイフが飛び、テスカさんの首を跳ねんと襲いかかる。だが不思議な力場――どこか神聖さを感じさせる物によって防がれた。

 宰相ちゃんと大臣達が無詠唱で収束された光線の様な魔術を撃つが、まるでそよ風が壁に防がれたかの様に反射され、辺りを焼き焦がす。

 全ての攻撃が不可思議な力場によって防がれ、まるでその威光を示すかのように、彼女が身につける首飾りから魔力が溢れだす。


 光が満ちた。


 首飾りは一層輝きを増し、光の渦に包まれ唖然とする無防備な彼女を絡めとる。

 同時にテスカさんが胸を抑え、苦しみに耐えるかの様に呻き声を上げた。

 それは神聖な何かでありながら同時に悍ましさを感じさせる何かでもあった。

 這いつくばり、やがて光に包み込まれる彼女にようやく事態が単純な問題ではないという事を判断した面々に動揺が走る。


『まさかこのタイミングで魔王が覚醒するなんて……ボクが見誤っていた? それとも誰も知らないルートに入った?』


 驚いたことに、その動揺は俺の相棒とて一緒であった。

 困惑する声が心の中から聴こえる。

 相棒ですら理解の範疇外とは……。

 俺が知らない事まで知っている彼女にも知らないことなんてあったんだと、この逼迫した状況の中で場違いにも考えながら、再度咳き込み赤い血を吐く。

 いつの間にか己の横に誰かが立つ気配がする。

 俺を支える様に手を添え、何やら回復魔法らしき淡い光を滝のように血が流れ出すその穴へと向けている。

 だが残念な事にもはや身体の感覚は無く、治療が進んでいるのか進んでいないのかすら分からなかった。


 どこか遠くから俺を心配する声が聴こえる。

 まるで世界の終わりが来たと言わんばかりに悲痛なその声は、はたして誰のものか。

 もはや視界も定まらない。

 血を流しすぎたか、そもそも血が流れていないのか。

 心の臓が完全に潰れた胸を抑えながら、なんとか意識を保ち相棒へと尋ねる。

 ……どうするんだよこれ。なんとか耐えているけどいろいろとやばいぞ?


『それはこっちでなんとかするよ。短時間だけど動けるだけの物を持ってくる。だから……』


 刹那。胸から黒い泥が溢れだす。

 それはどの様な作用か、まるでビデオの逆再生の様にぽっかりと開いた胸中へと這い戻ると、胸の穴を塞ぐ形で固まり、ドクドクと不気味に脈動を始める。

 先ほどまでの倦怠感が嘘だったかの様に身体に力がみなぎる。

 まるで心臓の代わりに何かとてつもない物を埋め込んだかの様に力がみなぎり、四肢へと激流となって流れこむ。

 ……この時初めて相棒の言う短時間の意味を理解する。

 これは長く続けると身体が持たない。

 巨大な……想像も付かないような巨大な魔力の固まりがまるで台風のように荒れ狂い、俺の身体の中を縦横無尽に駆け巡っている。

 どこからか溢れる無限大の魔力。軽自動車に無理やりF1のエンジンを積んだかのような感覚。

 身体が悲鳴を上げる音に鳴らぬ音を感じ取りながら、面を上げ、自らの敵を見据える。


 ――勇者と魔王が戦う事が宿命であり、それが逃れられぬ運命であるのならば……。それを仕組んだ奴が存在する。


 這いつくばった相手が起き上がり、面を上げたのは、奇しくも俺と同時であった。

 光り輝く葉脈が病巣の様に体中に走り、美しかった黒髪と黒眼はくすんだ純白に侵されている。

 こちらを見つめているにもかかわらず視線の定まらない……視線すら分からないその表情は今まで見てきたテスカさんのどれとも違う。

 正に別人の……別種の何かであった。


『来るよカタリ。"運命"がやってくる。気を抜かないで、相手は魔王を操っている。強いよ。でもここで殺しきらなければ僕達に未来は無い』


 身体が軋む音を聞きながら、まるで幽鬼の様に佇むテスカさんを見据える。

 先ほどまで必死に横で不安げな表情を見せる宰相ちゃんやティア、エリ先輩を片手で制して下がらせながら……。

 戦いの火蓋は切って落とされた。

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