閑話:ある聖職者の死と生誕
――ある男の話をしよう。
聖堂教会直轄自治区、中心都市聖都。
その一角で聖堂教会が運営する孤児院の取りまとめを行っていたプッタネスカ司教と呼ばれるなんの変哲もない男の話だ……。
穏やかな日差しが差し込み、暖かな陽気が気分すら高揚させる季節。
勇者カタリが召喚される丁度一年前。彼は聖都にある孤児院にて働いており、その温和な人柄と面倒見の良さから子供達より親愛を込めて「お父さん」と呼ばれていた。
聖堂教会は慈善事業として孤児院の運営を行っている。
飢餓、両親の死、捨て子……理由は様々ではあったが神の威光を受けし栄光の都市と言えども影が生まれる事を避ける事は出来ない。
強大な版図を持つ聖堂教会ではその傾向も顕著となり、その中心都市である聖都ともなると想像を越える規模の孤児達が毎年発生している。
プッタネスカ司教はその様な孤児院――聖都及び各都市にて運営される物の統括を行っており、適切な運営が行われているかを巡回管理し同時に幼子達へ聖書を読み聞かせる事が仕事であった。
彼は幸せだった。
孤児院への寄付はけして少なくないが、それ以上に孤児の数が多い。
満足に食事を食べさせてやる事もできないが、だがなんとか飢えない程度には養う事ができる様な状況であった。
――赤貧を呪っていはいけない。真の幸福とは貧しさの中にも存在するのだから。
これは聖堂教会に伝わる聖書の一節ではあるが、プッタネスカは神が示したと言われるその言葉の意味がまさに目の前にあると信じていた。
貧しいながらも孤児院は笑顔に溢れ、子供達は両親を失った悲しみをこの場所にて存分に癒やしていた。
恋人も家族もいなく同じ孤児院で過ごし育ったプッタネスカにとって彼らの笑顔は幸福そのものであり、日に日に大きくなる子供達を見守り巣立つ姿を送り届けるのは何よりの幸福であった。
司祭衣は子供達のイタズラで汚れ、落書きにまみれ訪れる人が呆れる程だ。
「将来はお父さんのお嫁さんになる!」と嬉しそうに語る少女になんと答えたら良いか困る事も少なくはない。
誕生日の日、子供達が密かに用意し渡してくれた聖堂教会のシンボルをかたどった歪な手作りのアクセサリーはいつだって身につけている。
やんちゃで手がかかったガキ大将も成長し、小さな子の面倒を任せれる位逞しく育ってくれていた。
何もかもが、神の愛の元に祝福されていた。
プッタネスカはこんな日がいつまでも続くと考えていた。
この日々こそが、神が自らに与え給うた天命であり、同時に人生における真の幸福であると信じて疑わなかった。
子供達全員が生贄として供されるその日までは。
とある安息日の日。
聖堂教会の本部より他の都市へ一時的な出張を命じられたプッタネスカは帰宅の途についていた。
わざわざ自分が出向くほどの事があったのかという疑問を感じながらも問題は滞り無く片付き、帰りの道すがら愛すべき子供達が喜ぶであろうと市場で油のたっぷり乗ったベーコンを購入し夕食に間に合うようにと急ぎ足で暖かな明かりの灯る我が家へと向かう。
だが彼を迎えたのは明かりのない冷えきったがらんどうの孤児院だった。
困惑するプッタネスカに待ちわびたように縋りつくのは憔悴しきった表情のシスター。
子供達を任せておいたはずの女性だ。
「な、何が合ったのですか?」
「申し訳ございません司教。子供達がっ……子供達が!」
泣き崩れるシスターに話を聞き、プッタネスカは目の前が真っ暗になった。
彼女の言葉によると、彼が出発して程なくして聖堂教会の異端審問会がこの孤児院に訪れ泣き叫ぶ子供達を無理やり連れ去ったと言うのだ。
自らの理解を越える出来事に一瞬呆けてしまう。
子供達が連れていかれる理由など無いはずだ。聖堂教会側にもメリットも無いし目的も予測する事も出来ない。
そう困惑するプッタネスカであったが、彼の心の中で恐ろしい懸念が沸き起こる。
新しい聖者が生み出される為には多くの生贄が必要であると言う話をおぼろげながら噂に聞いた事がある。
その時は下らない妄言だと一笑に付したが、今となっては恐ろしい未来がまるで悪魔の様に心のなかで暴れ狂うだけだ。
プッタネスカは慌てて聖都の大聖堂、神が座すると言われる聖堂教会の中枢部へと向かう。
全力で走り、途中でぶつかる人々に謝罪する余裕も無い。
司教位に位置するそれなりに名前の知られている彼の慌てように街中の人々は驚き奇異の目で彼を見送っていたが、プッタネスカにはその様な事はどうでも良かった。
何かの間違いであって欲しかった。
ただ、彼の知らない用事により子供達が大聖堂に招かれただけで、無事過ごしていて欲しいと思った。
心の底からそう願い、息切れする中で神に祈った。
だが彼の祈りは届かなかった。
大聖堂に慌ただしく入り、道行く神官に恐慌気味に子供達の居場所を尋ねるプッタネスカ。
やがて一人の高齢の神官よりその場所を聞くに至る。
大聖堂の一角、普段は祭事等を行う儀式場に飛び込むプッタネスカを待っていたのは……。
うず高く積み上げられた色とりどりの魂石だった。
脇には満足そうにその様子を眺める聖者ワイマールの姿と幾人かの神官が見える。
プッタネスカは信じられなかった。
目の前の光景が何かの間違いであって欲しいと、何か自分が重大な勘違いをしているのだとそう思いたかった。
プッタネスカは縋る様にワイマールへ詰め寄り子供達について問いただす。
だがその問いはもはや言葉になっていなかった。
彼はこの時点で理解していたのだろう。
子供達がどうなってしまったか。
神に祈りは届かず、全ては手遅れになってしまっていたという事を。
動揺し、歯のかみ合わせが上手く行かず、涙と鼻水でその顔を醜く歪めながら嗚咽混じりに問う。
子供達がどうなったかを。彼の愛する子供達はどこへやったのかと。
まるで酩酊者の様に呂律の回らないプッタネスカの問いにワイマールは心底不機嫌そうな表情を見せたが、彼の尋ねている内容がようやくく理解できたのかまるでなんの事もないといった様子で薄笑いを浮かべ端的に答えた。
「全ては神のお導きです」……と。
唖然とするプッタネスカを他所に、ワイマールはそれだけを告げると部下であろう神父を伴って満足気に退室する。
残されたのは哀れな司教と彼が愛した子供の数と同じだけの魂石。
ここに来て彼は全て理解した。
聖堂教会は初めからこの為だけに孤児院を運営していたのだ。
今まで聖堂教会では多くの人々が失踪している事実があった。
ソレは罪人であったり、異教徒であったり、貧しい人々であったり、そして孤児であった。
プッタネスカはそれを治安の悪化と神の威光を恐れぬ邪悪な者達による犯行であると予想していたが、その想像は全て過ちであったのだ。
人々を失踪させていたのは他ならぬ聖堂教会だった。
彼らはこの様に自国内で扱いきれぬ人員が出ると魂石へと変換し新たな聖者を誕生させていたのだ。
それはもはや神の意思とは関係のない、邪悪でおぞましい所業であった。
全ての罪は神の名のもとに認可された。
全ての邪悪は神の皮を被り自らの欲望を満たしていたのだ。
プッタネスカは聡明な男だった。
お人好しで、人を疑う事をあまり知らない男ではあったが愚か者ではなかった。
彼は分かっていた。
その魂石は王都に点在する孤児院に住まう子供達の数と同数であろう事を。
この行いは自分が巡礼を行って孤児院に目が届いていない時期を狙って行われた事を。
この件は聖者を含め多くの神官が関わっているであろう事を。
愛すべき子供達は、
全員殺されてしまったという事を。
子供達だった物を呆然と眺めながら、白痴にも似た表情で膝をつくプッタネスカ。
やがて彼の背後に立ち、慰めるように語りかける者が現れる。
プッタネスカも所属していた"融和派"の司教達だ。
彼らは茫然自失とするプッタネスカにこの世の終わりが来たと言わんばかりに悲劇的な口調で同情の言葉を送る。
曰く「此度の出来事は誠に残念でした」。
曰く「我々"融和派"はその所業を止めようとしたのですが今一歩力及ばず……」。
曰く「ですが貴方の子供達の献身を無駄にはしません。貴方には彼らの思いに答える義務があるのです司教」。
曰く――。
「貴方が新しい聖者となって人々を導くのです」……と。
彼らはまるで最初から全てを承知していたかの様なタイミングでやって来たのだが、もちろんその事はプッタネスカとて理解していた。
"融和派"は最初から子供達が儀式の生贄となる事を知りつつ放置した。
彼らは知っていたのだ。ここで"融和派"に属するプッタネスカを聖者にすれば"原理派"にとって大きな切り札となる事を。
義憤に駆られたプッタネスカが"原理派"の勢力を大きく削ぎ落とすであろうことを。
であれば後は政治的な準備を行うだけだ。
『孤児達を悪魔に攫われた司教が神に祈り聖者として祝福を受ける』
これほど人々の心を打つ演出は他になかった。
この感動的な物語を元にプッタネスカを聖者候補として推していけば反論をする事も難しいであろう。
結局、聖堂教会において子供達の庇護者となりうるのはプッタネスカ司教だけだった。
子供達との楽しい思い出がまるで閃光の様に頭の中でグルグルと駆け巡る中。
プッタネスカは"融和派"の言葉に耳を傾ける。
彼は誠実な男だった。
彼は優しい男だった。
彼は子供達を愛していた。
彼は今にもこの猫なで声で語りかける者達を切り裂きたい衝動に駆られたが、何より自らの心の内でふつふつと湧き上がる溶岩の様にドロドロとした怒りと憎悪がそれを許しはしなかった。
皮肉にも"融和派"の言う通りこの様な悲劇を繰り返してはいけないという呪いにも似た義務感があったのだ。
それは彼ら言葉にほだされたからではない。
彼の中にある神の教えが決してそれを許してはいけないと語りかけていた。
そして何より、何よりも、彼は子供達の魂石によって自分以外の誰かが聖者になる事を許す事ができなかったのだ。
やがてプッタネスカを聖者とする儀式は厳粛に執り行われる。
一時期"原理派"から別の立候補者が立てられる一幕があったものの"融和派"による組織票に負け横槍も収まる。
聖堂教会では内部による対立が日に日に激化しているとはいえ建前上は神の名のものに集った敬虔な信徒の国である。
その様な理由で明確な敵対など出来るはずもなく、結果プッタネスカを聖者とする案も問題なく推し進められる。
利欲にまみれた祝福の中、新たな聖者が生まれる。
それは無数の屍の上に成り立つ輝ける神の子だ。
数多の悲劇と慟哭を糧に産声をあげる。
「神よ、お聞かせください」
彼が授かったのは『守護天使』と呼ばれる能力だった。
それはありとあらゆる不可視の物を見通す不思議な能力であり、直接的な戦闘能力こそないものの応用次第によっては誰にも真似できない事象を引き起こす事が出来る非常に強力な能力だった。
「神よ、天の座におわします神よ。どうかお聞かせください」
そう、『守護天使』は全てを見通す。
聖堂教会に渦巻くドロドロとした悪意も、彼の大切な子供達がどの様に生贄として供されたのかも。
彼が仲間だと思い、日頃から神の愛について語り合ってきた"融和派"の思惑も。
全てが天使の前にさらけ出された。
「あの子達は何故死なねばならなかったのでしょうか? 本当に貴方のご意思なのでしょうか? どうかお答えください。迷える子羊にどうか道をお示しください」
そして神の意さえも……。
プッタネスカは小さな部屋にて一心不乱に祈りを捧げた。
その場は聖堂教会でも許された人間しか入ることを許されぬ聖域だ。
彼はそこでで寝食を忘れ神に祈り続けた。
自らの能力を使って、神に問いかけ続けた。
やがて気が遠くなるほどの時間が経った頃、――聖域に光が満ちる。
「ああ、神よ……」
プッタネスカが聖堂教会の深部、神が降りると言われるその聖域で何を見たのかは誰も知らない。
だが、彼はそこから戻ってきても神への愛を失わなかった。
しかしながらその瞳には致命的な狂気の色を宿しており彼が今までの優しく穏やかな人間ではなくなってしまった事を表していた。
こうして、多くの子供達が死に、一人の化け物が生まれてしまった。
それは神の祝福を受けた化け物だ。
神の子でありながら、身を焦がすほどの憎悪に突き動かされる化け物。
もはや穏やかで優しかった男はいない。
子供達が「お父さん」と呼び親しんだ人物は子供達と一緒に死んでしまったのだ。
プッタネスカはその残骸だ。
幸せだった日々の記憶に身体を引き裂かれながら動くがらん堂の復讐鬼。
故に化け物。
狂った聖者が征く――。
多くの人々を戦火に巻き込みながら、ただ子供達の復讐の為に、ただ子供達が生きるべきだった平和な世を作るために。
プッタネスカは死したる子供達の魂を心に宿しながら、神の名の下に神の子を滅する。
やがて多くの信徒を地獄に送り込み、聖堂教会を混乱と恐怖の渦に巻き込む男。
"堕落せしプッタネスカ"はこうして生まれたのであった……。