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第三十一話

 結局、ティアはプッタネスカの提案を断る事にした。

 彼の正体不明なその様子と目的に懐疑心を抱き、自らの権力が及ぶモーガン司教を通じて穏便に済ませる事を選択したらしい。

 長々と考えた末に出された拒否の回答にプッタネスカは「そう」と一言だけ呟いた。

 提案を断られたにもかかわらずさしてショックを受けている様子でもなかった彼はその後も積極的にこちらへの支援を提案し、現在はティア達と一緒にワイマールを含めた異端審問会をどの様に追い返すかを協議している。


 俺は抜けさせてもらった。

 あまり難しい話には入り込めないし、そもそもあの場では俺が役に立つ場面など殆ど無いだろう。

 あとは当日ティア達が上手くやってくれるはずだ。

 俺はそれを見守るだけ――。


 ――フローレシアの夜は冷える。

 地理的に北に位置するこの国は年がら年中雪が降る極寒の地だ。

 魔力を用いた暖房装置が普及している為人々は安心して暮らすことができるが、本来だったら死者すら出る厳しい環境だったりする。

 だが、俺はそんなフローレシアの夜空が好きだった。

 最近は夜景を眺めるのが趣味になっている。

 今もこうやって教会の裏庭、普段洗濯物を干したり子供達が遊んだりするこの場所にあるベンチに座り夜空を眺めている。


 どの位時間が経っただろうか? キィと小さな音と共に何者かが教会の裏口から現れる気配がした。

 近づくその人物を確認するとそれはこの教会のトップ――例の会議の際にティアから叱責を受け縮こまっていたモーガン司教だった。


「いや~、これはこれは勇者様! この様な所で如何されましたか!?」

「えっと……」


 揉み手をしながらニコニコと卑屈な笑顔を浮かべてこちらにやってくる司教。

 はたしてどう答えたものか。

 俺が言葉に困っていると、彼は自らの額をぺちんと叩き「これはしまった」とでも言いたげな表情で自己紹介を始める。


「おお! これはこれは、私めはこちらの教会の司教を勤めておりますモーガンと申します。勇者様に置かれましては――」

「大丈夫、覚えてますしそんなにおべっかを使わなくていいですよ」


 彼の言葉を遮る。だがモーガン司教はその卑屈さから来るヨイショを止めようとせず、ひっきりなしにもっと気軽に喋ってくれと強要してくる。

 しばらく押し問答が続いたが、結局俺が彼に敬語を使わない事で話が決着してしまう。

 勇者とは言え、相手は年上なんだけどなぁ……と言うかなんだかこれだけの事なのに妙に疲れた気がする。

 さて、次は本題かな。


「それで、どうかしたの?」


 折角の静かな時間はこの卑屈な司教にぶち壊しにされてしまったが、誰かと会話をするのもいいかもしれない。

 なにやらソワソワと落ち着きがないモーガン司教の目的に興味があったというのもある。

 俺は急かすように彼に合図をし、その真意を聞き出す。

 やがてモーガン司教は思わせぶりに一枚の紙切れ……チケットの様な物をこちらに手渡してきた。


「いやー、実はですね、勇者様はこういうのもお好きではないかと私め愚考いたしまして……」

「何々――って! これ娼館の招待券じゃねぇか!」


 手渡されたのはいかがわしいイラスト描かれたチケット。よくよく読み解くと娼館の無料招待券だった。

 ご丁寧に有効期限が本日までで、しかもモーガン司教は自分の分とばかりにヒラヒラ同じチケットを見せつけてくる。


「はっはっは! ここは親睦を深める意味合いで如何ですかな? 王都でも随一の娼館で一晩で骨の髄まで精を搾り取られますぞ!」

「行かねぇし! ってか、いいのかよ。曲がりなりにも聖職者でしょ? 怒られるんじゃないの?」

「バレなきゃいいのですよ。ささ、今がチャンスですぞ!」


 ニヤニヤと嬉しそうに夜遊びに誘ってくる司教。

 この大事な時にこの男は何を言っているのだろうか?

 確かにモーガン司教も俺も完全にいらない子だったが、だからと言ってその様な事をするのはおかしいだろう。

 ってか司教なのに娼館に行く時点でおかしすぎる。もちろん勇者が娼館に行くのもおかしすぎる。

 ここは全力で拒否だ。


「まぁ俺は行く気はないけどね。モーガン司教が一人で行ってシスターにバレて怒られたらいいんじゃないかな?」

「これは一本取られましたな!」


 たはーっと額に手をペチンと当てて大げさに取り繕うモーガン司教。

 これで引いてくれるかな? と思ったがそうは問屋がおろさなかったらしい。


「ではでは、お酒などはいかがで? 旨い酒を出す店を知っておりましてな……」

「却下!」


 両手でバッテンを作る。

 勢いそのまま間髪容れずチケットを返し、さらにこれ以上は全く話を聞きませんよと意思表示をするようにベンチに深く座り直す。


「さ、さようでございますか……」


 その様子を見たモーガン司教はそれはそれは残念そうな表情を見せると、ベンチの空いてる場所へと当然の様に座りだす。

 はぁ、と大きなため息をつく司教。こいつ本当は一緒に夜遊びをする知り合いが欲しかっただけなんじゃないだろうか?


 俺が困惑と共に気落ちしているモーガン司教を眺めていると、ふと本日の会議に関する幾つか疑問が湧いてくる。

 そうだ、タイミングもいいしこの機会にいろいろと聞いておこう。


「そういや、聞きたかったんだけど。あのプッタネスカさんってのはなんであんなに奇抜な感じなの?」

「プッタネスカ大司教ですか? 我々もあの御方の全てを知っている訳ではありませんが……」


 明らかにテンションを下げていたモーガン司教ではあったが、俺の言葉に顔を上げるとゆっくりと思い出すように質問に答え始める。


「現在聖堂教会には大きく分けて3つの派閥がございます」


「聖書を厳粛に守る事を主張する過激な傾向の"原理派"。聖書の解釈を時代に合わせて解釈して神の真意を正しく理解し、平和的な解決手段を模索する事を主張する穏健な"融和派"。そして神の真意を神に問うという目的で新しく創られた"神啓派"」


「プッタネスカ大司教はその"神啓派"をまとめ上げるトップなのです」


 スラスラと語られるその言葉。

 俺が考えていた以上にプッタネスカと言う男は重要な位置にいる人物らしい。

 ただ、どうしてだろうか? 彼の所属する"神啓派"という派閥だけが何故か漠然とその存在意義が定まらない歪なイメージを感じさせた。


「元々融和派であったプッタネスカ大司教なのですが、彼が聖者となった日から彼は大きく変わりました。道化師の様な奇抜な格好や言動をする様になったのもその頃からです。更には積極的に原理派や融和派とぶつかるようになり、聖堂教会の内部でもかなりの揉め事が起こっているとか……」

「何それ、じゃああいつが諸悪の根源なんじゃないの?」


 モーガン司教は俺のその言葉に悲しそうに首を振る。


「ただ、彼に救われた者も多いのです。元々融和派であったあの方は亜人にも分け隔てなく接し、虐げられる者達からとても人気が高かったのですよ。私も彼に救われた一人です……」


 その言葉の直後に己の髪を掻きあげて何かを見せるモーガン司教。

 俺がその行為に疑問を感じたのは一瞬だった。

 そこにあったもの――いや、あるはずだった物を見て俺は絶句する。


「耳が……」


 モーガン司教には耳が存在しなかった。

 まるで無理やり引きちぎられた様な荒々しい傷跡には空洞しか存在していない。

 反対側の耳を同じように見せるが、同様に耳が存在しなかった。

 何故耳が……。その疑問に一つの答えが導き出される。

 耳が特徴、そして誇りとなる種族を俺は知っていた。――「もしかして、エルフ?」と尋ねた言葉に、モーガン司教は小さく頷いた。


「原理派は人族以外の存在を許しませんからね。聖堂教を信仰する私めではありましたが、あの国はエルフにとって生きづらい国でした」

「この国に来た理由は?」

「それこそ、お分かりでしょう? プッタネスカ大司教のお導きですよ」


 あの胡散臭い聖者はそんな事もしていたのか。

「もっとも、あの頃あの方は只の司教でしたが……」と何かを懐かしむ様に夜空を眺めるモーガン司教に、彼が経験した迫害の過去を垣間見た気がした。


「フローレシアはまぁ生きやすい国ですよ。タブーさえ犯さなければ何をやっても個人の自由が尊重される。それは迫害を受ける多くの亜人達にとって希望となり得るのです」


 司教の言葉は続く。

 俺もその言葉に返事を返すでもなく只々聞き手に回る。

 ふと手のひらに冷たな感触を受けた。視線を向けるとちょうど小さな雪が体温によって溶ける所だった。

 深々と雪が降る中、モーガン司教の独白は続く。


「あの子達とはもうお会いになっておりますでしょう?」


 あの子達とはこの教会が併設している孤児院に住まう子供達、一番最初に出迎えでくれたちびっ子達の事だ。

 小さく頷く俺の表情を確認すると、モーガン神父は再度空を見上げる。


「亜人への迫害は日に日に苛烈になっています。それはどの国でも同じ。――もう、この国以外にあの親をなくした小さな子達が安住できる地はないのですよ」


 静かに語られる言葉は虚空に溶け込む。

 空より降る雪の量はだんだんとその勢いを増しており、既に俺やモーガン神父にもうっすらと積もっている。


「プッタネスカ大司教が何を考えているのかは私めにも分かりません」


 肩に積もった雪をその手で払いながら彼は静かに語る。


「ですが、あの方は聖者となった今でもあの頃の優しく穏やかな彼であると私めは信じております」


 ほぅっと両手に息を吐きながら手をこすり合わせるモーガン司教。

 どうやら彼の話はこれで終わりの様だ。

 ……俺にはあの胡散臭い聖者が本当に彼の言う様な人物がは判断できない。

 でも、彼にとって……いや、彼ら聖者プッタネスカに助けられた人達にとってはそうではないのだろう。


 人は一つの面だけでは語れない。

 いい奴も悪い奴も、いろんな面を持っている。

 政争を起こし同じ聖者を平然と殺そうとしているプッタネスカも、彼らにとっては自らの命を救ってくれた恩人なのだろう。


 世の中、面倒な事ばっかりだな……。



「では、行きましょうか!」


 俺が思いに耽っていると、何故かポンと手を叩きながらワクワクとした表情でベンチより立つモーガン神父。

 突然変わった彼の様子に俺も困惑しながら思わず尋ねる。


「え、どこに?」

「娼館に!!」


 この男は…………。


「……行かねぇよ! お前一人で行けよ! ちょっと見直した俺が馬鹿だったよ!」

「まぁまぁ、そう言わずに。何事も経験ですぞ!?」

「シスターさんにチクってやるよ! 目一杯怒られたらいいんだよ!」

「おやめください! 次バレると本当にひどい目に遭うのです!!」

「じゃあ行くなよ!」


 席を立ち、告げ口をする為に歩みを進める。

 あの老齢のシスターさんはなかなか影響力の強い人らしくトップであるモーガン司教ですら頭が上がらない事は既に他の噂好きなシスターさん連中から聞いている。

 この不誠実で遊び人な男は一度こてんぱんにやられたらいいのだ。

 その方がちびっこ達の教育にもいいだろう。


「なんと酷い事を言われるのですか勇者様! あ! お待ち下さい! もしかしてガチでチクるのですか!? ちょ、まって! マジで待ってください!!」

「知らねぇ!!」


 慌てて追いすがる司教を振りほどきながら裏口より教会に入り大声でシスターさん達を呼ぶ。

 モーガン司教がこの世の終わりとも取れる表情で青ざめ出す。

 俺はその表情を満足気に眺めながら怒りのオーラを纏う老シスターに全てをぶっちゃける。

 結局モーガン司教は滅茶苦茶怒られた。

 良い気味だった。

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