第三十話(中)
その道化師と見間違う聖者――プッタネスカと呼ばれた男は変わらぬ様子でその場に立っている。
俺達と彼の間には微妙な雰囲気が流れていた。
変わらず警戒を解かずに間に立つエリ先輩の両手はいつの間にか腰に備えた大型ナイフの柄へと向かっている。
まぁ剣呑な空気が流れていはいるが子供の前でする態度じゃないだろう。
俺は注意するようにエリ先輩の脇をちょんちょんと突くが、彼女はその合図を勘違いしたのか俺が望んでいた事とは別の答えを俺だけに聞こえる様に小さく告げる。
「入国の情報は入って来てないはずなんだけどね」
「……そんなヤバイ奴なの?」
声色に焦りが混ざっている。
彼女にしては珍しく立ち振る舞いにも動揺が見られる。
「未知数ってところかな、聖者の何人かに関しては情報が全くないんだよね。彼もその一人」
「うんうん! 分かる分かる! ワタシってばそういう所あるからね! さぁさぁ、立ち話もあれだ! 見窄らしい教会だけど、どうぞゆっくりしていって下さいね!」
底抜けに明るい声で語るプッタネスカ。
いや、見窄らしいってか俺が建て替えたんだけどね。
知ってか知らずか実に失礼な発言をするこの聖者に内心ちょっとだけムッとする。
まぁいいや。
ティアの方を向き直り尋ねる。
本日は彼女がメインだ。
全て彼女の計算でやって来た中でのイレギュラーなので、向かうも良し向かわぬも良しと言った所である。
「んー、どうするティア?」
答えは返ってこない。
ティアは相変わらず険しい表情を見せるだけで、一向に方針を決めれないでいる。
何度も口を開いては閉じ、困った表情で何やら思案を続ける。
その様子にプッタネスカも業を煮やしたのだろうか? それとも気を使ったのだろうか?
まとわりつき、服によじ登ってくる子供を引っ張っては下ろし、引っ張っては下ろしながら話題を切り替えるように陽気に語る。
「別に、お姫様は構わないですよ? ワタシがお話したいのは、彼!」
ビシリと刺された指は、逸れる事無く俺を指している。
試しに左右に揺れてみたが、逃さず俺を追尾してくる事からどうやら俺をご指名したいらしい。
「勇者カタリ様だけだからね!」
そう、笑いながら語るプッタネスカ。
先ほどと同じように、何が楽しいのやらひとしきり笑ったあと驚くほど低い声で「さぁ、どうする?」と囁くように告げる。
「……よいでしょう、行きましょう」
決心が決まったといった所か。
ティアはその重々しい口を開き、ようやく敵陣に乗り込む事を了承した。
◇ ◇ ◇
ペレーナ大聖堂、最上階歓談室。
複数人が集まって会話や相談が出来る様になっているその部屋の中で、俺達は質素な木製の長テーブルを囲み向かい合う。
相手の席には先程の聖者プッタネスカ。
そして居心地悪そうに縮こまりながら座る一人の壮年の神父が居た。
「モーガン司教」
「は、はひぃ!」
モーガンと呼ばれたその男は、ティアの呼びかけにビクリと肩を震わせ、まるで死刑台に向かう罪人の様な表情で恐る恐る顔を上げる。
身につけている豪華な服装からは想像もできない情けない態度ではあるが、どうやら彼が本来ここで一番偉い人物であり、かつフローレシアにカネで飼いならされた忠犬である様だ。
「この様な話は聞いていませんでしたが?」
「い、いぇえ! 滅相もございません! こ、この件に関しては、その……」
もっとも、その忠犬も今やその尻尾を限界まで垂れ下げ、自らの主人に形にならない言い訳を並べている。
……可哀想に、ティアさんを怒らせたら後でどうなるかわかった物じゃないからな。
けど、彼もこの事態は予想外と言った様子だ。
必死に弁解の言葉を探している。
もっとも、その言葉をティアがちゃんと聞き入れてくれるかどうかは俺のあずかり知らぬ所ではあるが……。
目の前に紅茶の入ったティーカップが置かれる。
人の良さそうな老齢のシスターさんが用意してくれた紅茶だ。
「あ、どうも」
礼を言いながらためらわず口にふくむ。
ふわりとした紅茶特有の香りと、暖かな感触が喉を潤す。
紅茶の良し悪しなんてわからないが、少なくとも毒は入っていない。
たまにはこの様な薄味の飲み物も良いだろう。
一息で用意された紅茶を飲み干し、カップを戻す。
カチャリ――とカップと皿が打ち合う音が鳴り、それを合図としてプッタネスカが会話に入り込んでくる。
「まぁまぁまぁまぁ! 彼に関しては何も知らないんだよ! 今回の件はワタシの独断と偏見で行われた事だからね! 彼は哀れな子羊って事さ! 神の下僕だけに!」
聖者からの援護に顔色をいくらか戻し、曖昧な笑みを浮かべるモーガン司教。
ティアもいつまでもこの哀れな司教を追求しても話が進まないと理解したのだろう。
今度はその会話の矛先を聖者プッタネスカに向けると、咎めるように彼がこの場に居る真意を問い始める。
「プッタネスカ様? 貴方の様な全ての人々から信頼と尊敬の念を一身に受ける神の子が我が国にお越しいただいた事は光栄の極みであります――ただ、少々突然ではありませんでしょうか?」
静かに語るティア。
その言葉は丁寧な物であったが、嫌味と刺がこれでもかと盛り込まれている。
もっとも、その言葉を受けるプッタネスカは相変わらず飄々とした態度であった。
「信頼と尊敬ねー」
何かを思い出すように腕を組み、小さく呟くプッタネスカ。
思わせぶりな態度にティアも表情を困惑に変える。
「何か?」
「いやいやいや! なんでもないよ! ワタシが来た目的はさっきも言った通り、勇者カタリ様! ただその人のーみ! だからね!」
「カタリ様に? 先ほどからその様におっしゃっていますが、カタリ様にどの様な用事があるのでしょうか? ぜひお聞かせ頂きたいですね」
この男は俺にどの様な目的があるのだろうか?
今までの雰囲気からこの国というよりは俺個人に話があるようだが……。
「ふーむ。ふむふむ。どうしたものか? どうするべきか。ワタシも困ってしまいますね! 神よ! お導き下さい!!」
思わせぶりな態度に俺もだんだんと苛立ちが募ってくる。
それほど気が長い方じゃないんだ。
先ほどまではティアとプッタネスカの会話だった為あまり割り込む事もなかったが、ここまでくれば俺が無理に割り込んでも問題ないだろう。
どうやら向こうさんは俺との会話をご所望らしいからな。
「あー、分かった、分かった。えっと、プッタネスカさんだっけ? 俺に用事があるんだろ? あんまり回りくどい事は嫌いなんだ。シャキッと言ってくれないか?」
「ふむ、ふむ! そうだね! それが一番だね!」
両手を掲げ、おどける様に宣言するプッタネスカ。
途端、空気が変わる。
彼は先程の陽気な様相とは打って変わって一瞬にして静かになる。
そうして、目の前で両手を組んだまま、何かを反芻するかの様に黙りこくる。
数分経っただろうか。
皆が息を呑む中、聖堂教会認定十聖者の一人、プッタネスカ大司教よりその本題が切りだされる。
「まず、異端審問会がフローレシア王国への強制査察を検討している事は知っているかい?」
「驚きました。そうだったんですね! しかし我が国にその様なやり玉に挙がる謂れはありません! ここはひとつ――」
軽く手を上げティアの言葉を遮る。
訝しげにこちらを視線を向ける彼女に、小さく首を振ると強引にこちらへ会話の流れを持っていく。
「カタリ様?」
「知っているし心当たりもある。面倒なのは嫌いなんだ。はっきりしてくれ」
「うんうん! ワタシもわかりやすいのが一番好きだ! やっぱり貴方に話してよかったよ!」
パクパクと、まるで今聞いた言葉が心底信じられないと面白い表情を見せるティアを横目で見ながらプッタネスカとの会話を続ける。
ティアや他の面々から何か横槍が入ってくるかと思われたが特にその様な事もない。
恐らくは、口に出した以上はこのまま話を進めてプッタネスカの真意を把握した方が良いという判断なんだろう。
だが、次の言葉が出てなお黙っていられる人物はいなかった。
「聖堂教会はフローレシア王国への大規模介入を検討している。この国の勇者は神の反逆者と認定された」
「馬鹿な!」
ティアが机から立ち上がりヒステリックに叫ぶ。
宰相ちゃんやエリ先輩までもがその表情を驚愕に染めており、先ほどの発言が信じられないと言った様子だ。
積極的に会話に入って来る様子はないが、その表情にはその発言に対する困惑がありありと浮かんでいる。
「なぜです! なぜその様な判断がくだされなければいけないのです!? カタリ様には何の落ち度もないでしょう?」
「お姫様? 重要なのはそこじゃあない。大切なのは"聖堂教会がそう決めた"と言う事実のみだ。過程や事情は後から付け加えるものなんだよ。それが聖堂教会と言うものだ」
声を荒げるティアであるが、プッタネスカは動じない。
それどころかまるで我儘を言う幼子を言い聞かせるように穏やかでゆっくりとした声色で語り聞かせる。
「そんな事、君達なら嫌と言う程知っているはずだろう?」
「……それで、俺が神の反逆者とやらに認定されて、お前は何の為に来たんだ?」
全てを知り尽くしたと言わんばかりのその態度が癪に障ったので遮る様に言葉を重ね、こちらの問いを一方的に投げかける。
プッタネスカは、その分かりづらい表情の中に少しだけ驚きを見せると、すぐさま先ほどと変わらぬ胡散臭げな笑みを浮かべだす。
「ふっふっふ! 動揺しないんだね」
「意味がよくわからないからな。大変な事になるだろうと言う事は理解できるけど、正直実感はないな。ただ、敵なら倒すよ」
「素晴らしい答えだね。やはりワタシが見込んだ事はある」
俺の何がそこまで彼を喜ばせるのだろうか。
プッタネスカはその表情をハッキリとわかる程に歪めると、不気味に笑う。
その笑みに含まれた物を無視しながらこの道化師兼聖者の目的を聞き出すべく会話を進める。
「見込まれた覚えはないけどな。神の反逆者とかも勘違いじゃないのか?」
「貴方は違うこと無く神の反逆者に選ばれた。それはワタシに言わせれば実に理解できる話で、神の奴隷たる彼らなら必ずやその判断を下す。事実下された。そこに一切の考慮の余地はないよ」
聖職者特有――俺がそう思っているだけかもしれないが周りくどい言い回しで事実を告げるプッタネスカ。
分かりづらい表現の中でもハッキリとしている事といえば、俺が神の反逆者として選ばれたと言うその一点のみだ。
「心当たりはないんだけどな。んで、どうして欲しいの? 何かあってここまでわざわざ来たんだろ?」
確信に迫る。
結局彼は何を言いたのだろうか、そして俺に何を伝えたいのだろうか。
その問いにプッタネスカは「くっくっく」と小さく笑う。
その笑みはどこまで言っても薄っぺらいもので、どこか狂気を含んですらいる。
「尖兵としてやってくる異端審問会の長、聖者ワイマールを殺して欲しいのだよ」
プッタネスカのその言葉は底冷えする程静かなものだった。
だが、この場にいる誰よりも強い意志が込められている。
恐らくは、俺とプッタネスカ以外の全員がその言葉の真意を理解できずに混乱と驚愕の渦に巻き込まれる中、俺は大きな――それは大きなため息をつく。
どの様な理由が存在するかは分からない。
だが、どうやらこのプッタネスカと言う聖者はその見た目通りに胡散臭い男で、見た目通りに一癖も二癖もある男だったようだ。