第二十九話(下)
「聖堂教会は10人の聖者によって運営されています。聖堂教会認定十聖者は最強の兵器であり、同時に最高位の神官でもあります。その一人、最も峻厳なる聖者ワイマール。その名の通り、異教徒に対する苛烈な行いで有名な男ですよ」
重苦しい会議室にティアの言葉だけが流れる。
彼女の説明によるとワイマールという人物は非常に熱心な異端審問官であり、多くの人々がその信仰の犠牲になっているらしい。
以前は教会における一部署であった異端審問会が現在非常に強い権限を持っているのも彼が熱心に異教徒を処刑し、政敵を放逐した為との事。
まるで教科書の例として記載されそうな狂信者だが、呆れてもいられない。
それがこの国に入り込むという事はなんらかの問題が発生し、場合によっては人が死ぬという事と同意義なのだ。
それは到底見逃せる事ではない。
「追い出せないの?」
「建前上は宗教活動ですからね、聖堂教会との関係を考えるとおいそれと追い返す訳にはいきません。帰る事も良しとしないでしょうし……」
難しそうに顔を顰めながら左右に首を振るティア。
政治的なあれこれが影響しているのか……。
ティアだったらそんな事関係なしになんでもしそうな雰囲気があるのだが、意外とそうでもないらしい。
でもそうだとするとなかなか面白くない事になりそうだ。
なんとかその聖者を遠ざける方法はないものか。
「しかし、それではつまらないな。何か方法はないの? って言うかティアのことだからサックリ殺して皆で知らん振り決め込むと思ったんだけど」
「できればそれが一番楽でいいんですけどね! 今回ばかりは……」
顔を俯かせる。意気消沈した様子でそうポツリと語る彼女。
しばらく無言の時間が続く。
だが、表を上げたティアの表情はいつもの様に明るいもので、そしていつもの様にいたずらっ子の物だった。
つまり……っとっても悪い顔をしていた訳だ。」
「と、いう訳で。フローレシアの聖堂教会の神官を上から下までお金で抱きかかえていますのでそこから間を取り持つよう頼んでみようかと思います!」
「宗教家の割にはあっさりと陥落してるんだな!」
非常に世俗的な解決方法に思わず声を荒らげてしまう。
聖職者がお金で抱きかかえられるってどうなんだよ! しかもこの国の聖堂教会って結構規模が大きかったぞ! それ全部ってどうなってるんだよ!?
あまりの解決方法にあんぐりと口を開けているとその様子を見て穏やかに笑っていたじぃやが会話に混じってくる。
「ほっほっほ。フローレシアに赴任している神官殿達は皆聞き分の良い方々ですぞ」
「お金って素晴らしいですね、カタリ様! あんなに敬虔で頑固だった人もあっという間にしっぽを振ります!」
お金は素晴らしいな。確かに素晴らしい。
けど聖職者がお金の誘惑に負けるってどうなんだ? あ、でもフローレシアだからいいのか……。
なんだか危ない予感もしたんだが、これなら大丈夫なのか?
どちらにしろ、対抗策はいくつかあるみたいだ。ならば俺も安心していいのかもしれない。
いや……本当に大丈夫なのだろうか?
俺は胸中を支配する不安感を振りほどくように「お金は力です!」と息巻くティアさんに告げる。
「もう、何も言わんよ……んで、今日の会議はそれだけなんだな?」
「はい、あとカタリ様にはちょっと忠告を」
まだ何かあるのかな? と彼女の方へ視線を向ける。
ティアは何かを逡巡する様子を見せたかと思うと、俺の方をじっと見つめ口を開く。
「今後聖堂教会の異端審問官がやって来たとして、何があっても手を出してはいけませんよ?」
……そこの言葉に疑問が湧き上がる。
何があってもとは言い過ぎじゃないだろうか? 世の中何が起こるか分からない。
万が一の場合は何を置いても行動する必要があるのではないか?
「問題を起こしたとしても?」
「起こしたとしても、です。残念ながら今の我々には聖堂教会と事を構えるだけの力がありません。
自らの疑念を率直にぶつける。
だがティアの言葉は先程とは変わらない。
つまり、彼女はどの様な犠牲があっても聖堂教会と問題を起こしたくないらしい。
……ふむ。
ティアの言い分はよく分かる。
彼女はこの国のトップだ。国民の平和を守る義務がある。
だがしかし、本当にそれでいいのだろうか?
彼女の言葉は酷くこの国のあり方にそぐわない気がした。
◇ ◇ ◇
その後いくつかの懸案事項を話し合って会議は終わる。
今回の問題に関するフローレシアの基本的な方針は平和に問題を解決する事らしい。
いくつかの反論はあったものの全てティアに却下されてしまった。
それ以上強く言い出す者もいない為会議はすんなりと終了する事になったが、俺にはそれがどうしても納得行かなかった。
「ほっほっほ。勇者殿、勇者殿」
「ん……どうしたの、じぃや?」
会議が終わった後の時間。
俺はいつものバルコニーでフローレシアの夜景を眺めながら先ほどのやりとりに思いを馳せていた。
フローレシアはもっと過激な国だ。
この国は表面上のおちゃらけたアホっぽいノリの中に恐ろしい怪物を飼っている。
その事実はこの国で日常的に行われている事を見れば明らかだ。
そしてその苛烈さは他国に対しても同様だと思っていた。
しかし今回のティアの言葉は違う。
彼女は終始何かに怯えるようにしており、冷静な表情とは裏腹にその内心はとてもそうだとは思えない。
ティアから聞いた、彼女が外道公によく言われている言葉が思い出される。
たしか『貴様はもっと人生を楽しむべきだ』……か。
はたして、真にフローレシアの君主として正しいのはどの様な人物か……。
フッと。隣に気配が現れる。
この様な事ができる人物はこの国において一人しかいない。
……じぃやだ。
彼は俺と同様、バルコニーの手摺に手を置くと、こちらを見ずに静かに語り始める。
「先ほどの姫様の話、聞いておられたと思いますが……」
「聖堂教会のやつらに手を出すなって話? 言われなくてちゃんと聞いてるしちゃんと理解しているよ。流石に国家間レベルの争い事を呼びこむ訳にはいかないから安心して」
「いやいや、じぃが言いたいのはそういう話ではないのですじゃ」
「……?」
警告じゃないのか?普段から自由な行動が過ぎると注意を受けている俺に対する……。
思わず眉を顰め彼の方向を向いてしまう。
だがじぃやはこちらを見ずに続けて語るのみだ。
「もし、勇者殿が自由で、何者にも縛られなく、そして無限の力を持っていたとして……いや、余計な前提条件は必要ありませんな――勇者殿はもし事が起きた場合、どうするのが正しいと思いますかな?」
静かに告げられたその問い。
俺は少しだけ頭の中で考えをまとめると、決して変わらぬであろうその答えを返す。
「敵は問答無用で殺したほうがいいんじゃない? 俺はあんまり詳しくないんだけどさ、こういうのって舐められたらおしまいでしょ? そうでなくても、国家としての誇りを守ることは時として何にも代えがたい物であると思う……」
問答無用というのは少し過激かもしれないが、この世界は俺が来た世界とは違う。
命の価値は限りなく低いし弱者は強者に食われるだけだ。
だからこそ重要なのは屈しない心だと思う。
何か起こった時に死を覚悟して相手の喉元に食らいつく気概こそがひいては国家を守る矛となり盾となる。
相手の顔色を伺って事なかれ主義に走っても何もいいことは無い。
それこそが、フローレシアが小国にもかかわらず今まで生存できた理由であると思うし、フローレシアが少なくとも他国から注視されている理由であると思う。
つまり、ティアの考えは基本的に間違っているのだ。
俺にはそう思えた……。
「まぁ、政治のせの字も知らない若造が言う事だけどさ…‥」
自らの本心をぶつける。
俺はどうかしてしまったのだろうか? こんなに過激な思想を持つような生まれではないはずなんだけど……。
もうどの位になるか、懐かしい実家、懐かしい日本での日々を思い出す。
怪しい家だったが、優しく、そして己の責務に厳格だった。
なるほど……。
もともとこうだったんだ、俺は俺の責務に忠実なだけだ。
日本男子、そしてキレる日本人と言うワードが頭のなかをグルグルと回る。
そう言えば、過去の大戦の時からそうだったけど、日本人っていう人種は普段穏やかながら怒らせると手が付けられなくなる存在だった。
今ならその理由がよく分かる。
日本人ってやつは本当に大切な物の為にすべてを投げ打つ事が出来る事ができる人種だったんだ。
そして俺もその血を引いていると……。
「ほっほっほ。なるほど、なるほど、わかりましたぞ」
過激なはずの俺の言葉に満足気に頷くじぃや。
おそらく……彼はティアの考え方に反対なんだ。
いや、ティア以外の全員が反対なんだ。
フローレシアはもっと頭のネジが外れている国だ。
それがこの様に後先の事を考えて行動していてはこの国の根底から崩れてしまう。
ティアはどこか無理をしている。
彼女の行動は全て計算の上に成り立っている。
それではダメなのだろう。
それでは、フローレシアの姫としてはふさわしくないのだろう。
だからティアは外道公に毎日の様に小言を言われる……。
幽閉されている……と説明された彼女の両親の事が少しだけ気になった。
「じぃやはティアの考えに反対なんだな」
確信を持って。相手の出方を窺う様にわざと聞いてやる。
だが、当の本人は動揺することもなく穏やかに笑うのみだ。
「いやいや、じぃの口からはなんとも。ただ、勇者殿は実に魅力的な男であるなと思った次第ですじゃ」
「え、何? お前ホモだったの? 近寄らないで」
「かーっ! このクソガキが! わしだって可愛らしい女子がよいわ! 折角ちょっと褒めてやればつけあがりおって!」
「俺とお前達はそういう関係じゃないからこれでいいんだよ」
「近頃の若いもんは! 近頃の若いもんはー!」
地団駄を踏みながら顔を真赤にして怒りを露わにするじぃや。
魔法を使ってこない辺り彼もこのやり取りを会話の箸休めとして楽しんでいるのだろう。
普段ならここで王宮の防御魔法を破壊しない程度に魔法が飛んでくる。
それが無いと言う事は本題はまだなのだ……。
「んで……なんかこそこそやってるみたいだけど、どうなんだよ?」
「戦争になる」
尋ねたかった疑問はあっさりとその老いた口より漏れた。
それは予想していた事ですんなりと心の中に入ってくる。
確かにここ最近の空気はおかしかった。
誰も彼もが何かに焦っていて、そして何かを期待していた。
「確定なの?」
「遅いか早いかの話じゃ。姫様は止められる事ができると思っているようじゃが、定められた"運命"を覆すのは生半可の事じゃできぬ」
戦争……か。
恐らくは聖堂教会。場合によってはその他の国とも。
まさか異世界に勇者として召喚されて人間同士の戦争に巻き込まれるとは思いもよらなかった。
もっとこう、魔族やモンスターとの戦いが俺を待ち受けているとばかり思ってたんだけど……。
そういえば、魔王なんて存在もこの世にはいるはずだったな。
話は全く聞かないが、魔王は今頃何をしているんだろうか?
「……で、俺はどうするんだよ? 一緒になって戦えばいいのか?」
「戦ってくれるのかの?」
尋ねられた言葉は気弱なものだった。
いつものじぃやらしくない物に思わず吹き出してしまいそうになる。
だから俺は、そんな彼の不安を消しさるように、なんの事はないと答える――。
「義が此方側にあれば……もっとも、無くても俺は戦うだろうけど」
「ふむ、ふむ」
「なんだよ気持ち悪いな」
嬉しそうに何度も頷く年老いた賢者。
非常に気持ち悪い。いや、真面目な雰囲気で悪いんだが、正直気持ち悪い。
「別になんでもないわい、とりあえず我々とて只の老いぼれではない。最悪の事態にならない様になんとかしてみせるわい」
「あてにはしてないけど、頑張ってくれよ」
ついでにこの不可解な老人の正体と、彼ら――否、彼だけが隠している真実について問いただしてやろうと思いつく。
おそらく、彼がすべてを知ってる。
何故か向こうで聞いた名前、ヘルメス・トリストスメギスと呼ばれるその名前が意味する世界の真実と共に。
「なぁ――」
だが、その言葉は虚空に溶け込む。
全く、落ち着きのない爺さんだ……。
そう思うだろ? 相棒。
『そうだね。本当にそう思うよ……』
暗闇が支配し、暖かな生命の営みを感じさせる明かりがうっすらと王都の街並みを照らす中。
俺は何をするでもなくじっとその光景を眺めていた。