第二十九話(上)
その日はいつにも増して薄暗い雲が空を覆い、荒れる吹雪が窓を揺らしていた。
フローレシア王宮会議室。
この場には現在多くの人々が集まっている。
ティアを筆頭として宰相ちゃん、じぃや、外道公、エリ先輩……大臣団と普段はあまり見ない重鎮達。
普段であれば巫山戯て茶々を入れる者達も口を閉ざしたままだ。
……彼らは一様に言葉を待っているのだ。
かつて無いほど強い権限をもって緊急招集を行ったティアの言葉を――。
やがて、この場を開いた当人は苦虫を潰したような表情で一言その問題について告げる。
「少々不味いことになりました」
沈黙が支配する。
誰もが言葉を発しない。
ティアの言葉をを待っているのか、それとも別の何かを考えているのか……。
俺は居心地の悪さを感じながらティアに続きを促す。
「不味いこと? どうしたの?」
「聖堂教会に動きがあります。どうやらこちらに対して介入を行う気配がありまして……」
ざわりと一瞬場が騒然となる。
動揺する者、静かに黙想する者、事前に知っていたのか表情を変えぬ者。
その態度は様々だ。だが共通して彼らの表情からは緊張が窺える。
ティアが静かに手を上げる。呼応するように静寂が戻り先ほどと同じような居心地の悪さが薄暗い会議室を支配した。
……はて、聖堂教会とはなんだろうか?
そう言えば以前聞いた記憶もあるが、それがどういった物だったからはすっかり頭の中から抜け去っている。
最近、本当にどうでもいい物に対する記憶力が低下してきているなぁ……。
「現在暗部を動かして動向を探っています。詳細が判明するのはもう少し先になるでしょうが……。現状は全てが不明です」
ティアが目の前に用意されたカップに口を付ける。それを合図としたのか、先程まで静かだった大臣団が我先にと雑談に興じ始める。
「まぁ、最近はいろいろやっていましたからなぁ」
「上手くごまかしていたはずですぞ。目をつけられる筋合いは有りませぬな!」
「なかなかきな臭くなってきおりますなぁ」
あれやこれやと言い合う大臣達。
場の空気が少し和らいだのを感じた俺は合わせるようにティアに尋ねる。
「ふーん……。けどどうして目を付けられたりしてるの?」
「どこかの誰かさんがいろいろと余計な物を作ったせいですよ!」
ティアさんおこ。
何やら俺の言葉が気に入らなかったらしく机をドンと叩き、むがーっと文句を言い出す。
……やっぱりアレはまずかったか。
俺はいまだ国内を占拠する――むしろ現在進行形で王宮の天辺に鎮座する巨大な悪魔像群を思い出しながら素知らぬ表情を作る。
「悪いやつだな。どこのどいつだ?」
「本当に!!」
ダンダンと机を叩くティアさん。
恐ろしい事に彼女が机を叩く度に蜘蛛の巣を張ったように机上をヒビが広がっていく。
大理石の机なんだが、まるでクッキーを砕くように壊すなこの子は……。
俺がティアの怒りから目を背け全く関係ないことをぼんやりと考えていると、にゅっと手を上げた宰相ちゃんが俺の目を見つめながら何かを訴えてくる。
よし、聞いてみよう。
「はい、宰相ちゃん。どうぞー」
「でもおかしい、です。宰相ちゃんも注視していましたが、感付かれる要素はなかった、です」
「ほっほっほ。この程度の戦力増強や奇行で聖堂教会が動くなら、すでにバレスティアとの戦端が開いておりますぞ。今回の件はじぃやも違うと思っております」
宰相ちゃんがぴょこんと椅子から立ち鈴の音を思わせる可愛らしい声で自らの主張を告げる。
それに続きじぃやが、更に後に続くように大臣達もあれやこれやと言葉を交わし始める。
その内容は様々であったが、おおよそ宰相ちゃんやじぃやの主張と同じで今回の動向はいささか疑問が残ると言った物であった。
……ふむ。
頭の中の記憶を無理やり掘り起こす。
まずいぞ、聖堂教会ってなんだっけ? 早く思い出さなければ……。
だが、俺が少ない情報を頭の中で反芻している間にも話は進む。
「たしかに……皆さんの仰るとおりですね。ですが、その場合余計面倒なのです。あの狂信者達がどの様な意図でこちらに接触を図ろうとしているのか検討もつかないのですから……」
「ちょ、ちょっとまって。なんか普通に話が進んでいるんだけど。俺あんまり聖堂教会について知らないんだよね。ちょっと説明してくれない?」
慌ててティアの言葉を遮る。
皆が頷きながら話を進めている事に焦りを感じた為だ。
どうやら俺以外の全員が今回の問題に関して十分に理解しているらしい。
逆に言えばこの場において全く理解していないお馬鹿さんは俺一人。
ここは恥をしのんでも詳しく説明してもらわないと……。
万が一があってからじゃ遅いからな。
「聖堂教会。正式には聖堂教会直轄運営自治国ですね。聖堂教はここ一帯で最大の勢力を誇る一神教です。聖堂教会と呼ぶ場合はこの宗教団体、もしくはそれによって運営されるその特殊な国家を指します」
「へぇ、聖堂教会ってそんな国だったんだ」
「カタリ様はお勉強をちゃんと聞いていましたか? 周辺国の事をもっとよく知ってほしいのですが……。ちなみに、この聖堂教会とバレスティア黄金帝国が二大国家で、あとは我々の様な小国や、公国、二大国家に比べやや規模が落ちる中規模な国家がひしめき合っています」
思い出した。聖堂教会……そしてバレスティア黄金帝国。
ここ周辺でもっとも注意すべき国家だ。
その規模と国力は強大で正直フローレシアでは遠く及ばない。
大国特有の内的問題――派閥や経済的理由等で大きな行動をしてきていないがこの国に目をつけられない事がこの地で生き残る最重要項目でもある。
その一つ……聖堂教会か。
「んで、その聖堂教会が今回フローレシアに目をつけたってわけか。心当たりとかあるんじゃない?」
「心当たりで言えば沢山ありますね、むしろ健全な部分を探す事の方が難しいです。ですが彼らは基本的に国家の利益よりも信仰を優先します。争い事が教義により禁止されている為あまり積極的な姿勢は見られなかったのですが……」
「でも、聖堂教会は信仰を優先、します」
遮るように宰相ちゃんが否定する。
ティアはチラリと宰相ちゃんに視線を向け、同意するように頷く。
「そう……その通り、彼らは時として我々が理解できないような理由で動く事があるのが悩みの種なのです」
「どんな事が起こるの?」
悩ましげに肩を落とすティア。
俺が放つ疑問の言葉もなかなか答えてくれない。
どうしたものかと悩んでいると、先ほどから俺の様子をガン見している宰相ちゃんがその変化を見逃さずにチャンスとばかりに答えてくれる。
「信仰に伴う宗教戦争、です。聖堂教会は過去多くの国家と宗教問題で矛を交えた経緯、あります。今回もその様な理由の可能性、高いです」
「ほっほっほ、我々は多宗教国家ですからな。宗教そのものであるあの国とは相性が悪いのですぞ」
「けど、その聖堂教会――聖堂教か……。 それってこの国にもあるんでしょ? 別にそう目くじら立てられる事も無いとは思うんだけど」
この国は多神教国家だ。
何を信仰するかは各人のノリと気分で自由にして良い。
正式な原始宗教から新興宗教、怪しげな邪教からサークル的なノリの物まで様々だ。
たしか聖堂教会もその様な中で信仰を保証されていたはずだが……。
「今まではそうでしたね。フローレシアの法律が許す範囲であれば宗教活動は自由でしたし、彼らもわざわざ血を流してまで無理に宗教を広めようとはしていませんでした――」
その後もティアの説明は続く。
聖堂教会も実のところそれほど悪い宗教では無いらしい。
弱者救済が根本の教義にある為、孤児院の設立や無料の診療なども行っており貧しい者達から人気が高い。
確かに教義にそぐわぬ邪教を排そしたりする過激な部分はあるが、それだって理性的な段階を経て行われる物でありその経緯を見れば万人が納得するとの事だ。
そういった事情もあり今までフローレシアと聖堂教会は仲良くもなく悪くもなく、程よいお付き合いをさせて頂いていたというのが実際の所みたいだ。
「だけど、今回に関しては違う……と」
ティアの説明を頭の中で反芻しながらポツリと呟く。
小さく頷いた彼女は――やがてその一言を告げる。
「異端審問官会が動いている気配があります」
その言葉が会場に響いた瞬間。
確かに強い敵意が満ちた。
それは誰によるものか――だが少なくともこの会議場で話を聞く全員がその言葉に好意を持っていない事だけはわかった。
「異端審問会?」
「聖堂教会の尖兵ですね。人道に背く悪逆を裁くとは聞こえがいいですが、その実態は聖堂教会の勢力を広げ、不穏分子を合理的に排除する為の僧兵です。聖堂教会の過激派の中でも特別苛烈な事で知られる部隊ですよ」
「なんだかきな臭くなってきているなぁ。それでどうするの? 秘密裏に消し去ったりするの?」
フローレシアは武闘派だ。
この国ならば自らの目的を達成する為に邪魔者を排除する等朝飯前だろう。
特に今回はいろいろと厄介な面倒事が起こりそうなのだ。
ティア達も事を起こすには異論は無いと思われたが――。
「それこそ彼らの思う壺ですよ。もっとも、当代の異端審問会の長は聖者ですからね。そう簡単には話はいきません」
だが、彼女の返答は否だった。
と同時にまた俺の知らない単語が出てくる。
初めて聞く言葉だがティア達がそれを警戒していると言うことは十分に理解できた。
そして、その言葉から少々厄介な相手であろう事も理解できる。
「えっと、聖者って何?」
「逆に問いますが、カタリ様は聖者と言われてどんなイメージを抱きますか?」
質問を質問で返された。
ティアの表情は真剣で、俺の言葉を待っている。
本来なら「質問を質問で返すな!」なんておちゃらける所ではあるが、流石の俺もそこまで空気が読めない男ではない。
となると、聖者……か。
「うーん。なんか凄い人で人望が沢山あるとか? あ、あとは奇跡を起こせる」
「正解――と言いたい所ですが、実は聖者についてはその多くがわかっていないのですよ」
「ん? どういう事?」
確か俺の世界における聖者とは奇跡をなした人物の事をいうのであったかな?
一般的なイメージではあるがこれで間違ってはいないだろう。
もちろん、こちらの常識や文化ではそれが正解かどうか全くわからない訳だが……。
けど、ティアが告げた答えは曖昧な物であった。
……正解でもあり不正解でもあるって事か? よく意味が分からない。
軽く首を傾げる俺だったが、ティアの言葉を補佐する様に宰相ちゃんより続きが語られる。
「聖者が教会内で多くの人望を集め、信仰されていると言うのは事実、です。勇者様の言うとおりのイメージで基本的にはあって、ます」
「へぇ、じゃあもしかして奇跡とかも使えるの!?」
「はい……聖堂教会認定十聖者。十人存在する彼らはその全員が奇跡を使えます。……もっとも、奇跡と称した固有能力ではありますがね。聖者はそのどれもが強力な固有能力と戦闘能力を有しており、その能力は勇者と同等とさえ言われています。聖職者の為一部を除いて実際に戦う人は多くありませんが」
ティアの言葉が正しいのなら聖堂教会は勇者を有しているのと同等の戦力を別に持っているという事か?
そりゃたしかにティア達も慎重になる。
他の勇者はあまり見たこと無い――お隣のターラー王国の勇者、セイヤ位だろうか?
勇者に関しては俺とセイヤ位しか情報を持っていないがそれだけでも強力な兵器となる事は容易に分かる。
正直セイヤはあまり強くなかったが、ポテンシャルは十分にあった。
能力も強力だしちゃんと戦闘訓練を重ねればそこら辺の有象無象では手も足も出ないだろう。
それと同等の存在が10人か……なかなか厄介だな。
「ふーん。……ん? じゃあそれの何が謎なの? 何も不思議な点は無かったんだけど。勇者と同じくらい強くて偉い人。終わり――じゃないの?」
「……聖者の能力は何処から来たものか全くわからないのです。彼らが聖者に認定される前はごく普通の神官であったり司祭だったりします。それがある日突然能力を得るのです。この謎は彼らの秘中の秘であり、私達もいろいろ調べているのですが一切尻尾を掴ませません」
「聖堂教会では、これを『神が与えた奇跡』と称して、ます」
「もっとも、神が与えた等と嘘も甚だしいですが」
……ん? どういうことだろうか?
神様が与えたんじゃないのならどうして聖者が生まれるんだ?
俺の疑問を察したのだろう。
ティアは一言その事実を告げる。
「彼らは何らかの方法を用いて強力な固有能力を発現しているのですよ」
「聖堂教会が勇者を召喚しないのもそういう理由、です。勇者を召喚は"大変"、です」
「…………」
元気よく手をあげて宰相ちゃんが説明を続けてくれる。その後何かに気付いたような表情で「もちろん勇者様を召喚できて嬉しい、です」と俺に微笑んでくれるのもご愛嬌だ。
それにしても宰相ちゃんは「自分も説明に混ざる!」と言った様子でグイグイ会話に入ってくる。ティアと宰相ちゃん二人に説明されるなんて結構豪華だな。
二人共とも頭の回転が早く説明もすんなり入ってくる。
つまり今までの話を纏めると、聖者とは聖堂教会が用意する勇者の代わり――秘密兵器って訳だ。
それがあの国には10人居る……と。
「勇者召喚が彼らの教義に反すると言う点もありますけどね。どちらにしろ、勇者を召喚しなくて良い程の力を彼らは持っているのです」
「なるほどー。それでその異端審問会の長が聖者って訳なんだ……」
勇者と同等の力を持つ――つまり国家が用意する兵器そのものである聖者。
それが率いる異端審問会。
つまりそれが今回やって来るであろう俺達の敵……か。
ようやく理解できた。
そして、ようやく事の重大さも把握できた。
小さく頷く。
俺の方をじっと見つめていたティアは、その動作を確認するとそっと告げる。
「聖堂教会認定十聖者。"最も峻厳なる者"ワイマール」
ゾワリ……と、全身が総毛立つ。
何故かその言葉がとても良くない物に思えた。
「異端審問会『魔女への鉄槌』の長」
ティアの言葉は続く。
「異教徒狩りのプロフェッショナルですよ」
目を細め、吐き捨てるように放たれる言葉。
その言葉は冷たい会議室に重く響き渡った。