ティアさんとお笑いノート2
「ほっほっほ。勇者殿、今お暇ですかな?」
それは突然の事だった。
いつもの様に自室で新しい武器防具の案を考えていると、どこからともなく長い白ひげを蓄えた老人が背後に現れる。
唐突な出現ではあるがこの国の人間――特に王宮に住んでいる人々は常識を当てはめてはいけない存在だ。
じぃや等その最たる例だろう……。俺はその出現に特別驚く事なく首をひねり背後に視線を向け彼に声をかける。
「んー、じぃやじゃない。どうしたの? 珍しい」
相変わらずその長い髭を撫でている彼の姿を確認すると目の前の紙に視線を戻して沸き起こる形にならない案を書き綴る。
少々失礼な態度ではあるが、じぃやにとってはそれも予想された事なのだろう。
満足気に笑いながらゆったりと近くのソファーに腰掛け、テーブルの上にある紫色のクッキーを当然の様に頬張る。
「んぐむぐ……いやはや、本日は勇者殿にすこーし面白い物を見て頂きたくですな……」
何やら嬉しそうに切り出すじぃや。
この普段何をしていてどんな役職についているか全く不明な老人が楽しげにしている時はろくな事が起きない。
今までだってそうだった。
やれ、ティア姫にいたずらしようだの、やれ宰相ちゃんを誑かせだの、その暇人極まりない迷惑な提案は枚挙にいとまがない。
毎度毎度迷惑を被る俺の身にもなって欲しいものだ。
「面倒事じゃないだろうな? 嫌だぞ、変な事に巻き込まれるのは」
視線を向けずに告げる。
予め釘をさして置かなければ何をするかわからない。
この好々爺は誰も彼もがその正体に口を閉ざす謎の人物にもかかわらず、国内に大した影響力と人望を持っている。
彼が否と言えばティアですら意見を押し通すのが難しい位だ。
何故そうなのかは知らないし別段興味もない事だから追求等はしていない。
重要なのは彼が俺に面倒事を持ってくるという事実だけだ。
「ほ! 勇者ともあろうお人がなんと気の小さい! その様な事ではいけませんぞ!」
「いけないことはないですぞ……っと。俺は平穏に生きたいんだよ、じぃやのお遊び事に付き合うのはまっぴらゴメンだ」
「まぁまぁ、そう言わずに。きっと勇者殿も気に入ってくれる事間違いありませぬからの」
いつの間にか背後に立ち、俺の肩を気持ち悪く揉んでくるじぃや。
あまりの態度に思わず振り向きざまに拳をお見舞いするが、その老いた身体からは想像も出来ないような身軽な仕草であっけなく避けられてしまう。
……お前は忍者か何かかよ?
とりあえずこのまま放置した所でこの鬱陶しい徘徊老人が俺を逃さないであろう事は明らかだったのでしぶしぶ話を聞いてやる。
老人は敬わないといけないからな……、面倒だけど。
「……で、結局何を見せようって言うんだよ?」
瞬間輝く笑顔。悪意が透けて見える。
本日何度目かになるため息をつきながら、その問題事を待つ。
「では、早速。こちらになりますぞ!」
「これって……」
それは一つの日記帳? らしきものだった。
丁寧な革張りの装丁に金箔で洒落た模様、そして所有者の銘が入っている。
確認したその名前は間違いなく、どこをどうみても『ティアエリア・アンサ・フローレシア』――この国の頂点に君臨する我儘姫ティアさんの名前だった。
「うわぁ……」
ティアの私物……それも本。
なんであのじじぃはこんなプライバシーの塊の様な物を平然と持ちだして、平然と俺に渡そうとするのだろうか?
そして俺に何を期待しているのだろうか?
これは完全に面倒事の香りがする。それも俺が理不尽にティアさんの怒りを買ってしまう特大級の爆弾だ。
決してその表紙を開かぬように心に決め、じぃやに真意を問う。
いい加減俺とティアさんで遊ぶのを止めて欲しい。
「なぁ、じぃや。なんでこんなの持ってるの? 何処から盗ってきたんだよ?」
だが、俺が放った呆れを含んだ問いは虚空を溶け込む。
「ってもう居ない……」
視線を日記帳から室内へと移す。
じぃやは忽然と消えていた。
「……参ったな」
ペラリペラリとページを捲りながらそう誰ともなく呟く。
見てはいけないと思いつつも我慢ができない。
……なんとかなるだろう。
とりあえずやることも無いのでその本を読み進める。
一字一句逃さず、彼女の秘密を見てやろう。
正直、こんな危険な物を書いてしまうティアさんにも責任はあるしあまつさえそれをじぃやに盗まれてしまうのだ。
これは完全に彼女の落ち度だろう。
こうして俺は穏やかな午後の昼下がりに、当然の様に人のプライバシーに土足で踏み込んだのだ。
◇ ◇ ◇
「ふぅ……」
パタリと本を閉じため息をつく。
これはやばいな……。
正直ティアさんがこんな事を書く娘だとは思ってもいなかった。
さてどうしたものかとぼんやり窓の外に映る景色を眺める。
本日は晴天なり……俺のこの陰鬱とした気持ちとは裏腹にフローレシアは晴れやかな日差しだ。
しばらく現実逃避気味に外を眺める。いつも吹雪いているのにこういった時だけ天気が良いとは腹ただしい。
静寂を破ったのは唐突に開かれた扉だった。
バタンと扉を壊す勢いで開け放たれたそこからは一人の少女が元気な挨拶と共に勢い良く入室してくる。
「こんにちはー!」
現れたのはティアさんだった。
……ついに現れてしまったか。
俺はとりあえず再度その本を開き内容を読み進める。
まぁ、なんとかなるだろう。
「カタリ様ー、先日お話した国境付近の件ですが防衛計画見直しに伴う監視所の改築に――」
俺が手にもつ本が視界に入ったのか動きが止まるティアさん。
張り付いた笑顔のままダラダラと冷や汗をかいている。
俺はそんな彼女にチラリと視線を向けると早速彼女の本――否、黒歴史ノートに書かれている一文を読み上げる。
「おひげ姫……80点。おすすめ度二重丸」
「うきゃああああ!!!」
「おおっと!」
目にも留まらぬ早さで一瞬で距離を詰めると俺から本を奪い取ろうとするティアさん。
俺も素早く立ち上がり俊足の回避にて彼女を躱す。
まだもう少し遊び足りない。ここまで動揺するティアさんなんてレア中のレアだ。
もっと彼女で遊びたい。
そう――じぃやが俺に寄越した私物の本は、ティアさんがこっそり作っていたであろう面白いネタを書き記したお笑いノートだったのだ。
なかなか面白そうなネタから正直これはどうかな? と思われる物までしっかりと丁寧に書き綴られている。
そういえば……確かにここに書かれている様な事をされた記憶があるなぁと思いながらティアさんに一番ダメージが行きそうなネタを探す。
「な、ななななな! なんでカタリ様がそれを持っているんですか!?」
「先程じぃやと名乗る謎の老人がニヤニヤしながら押し付けてきました」
「ヘルメスぅぅぅ!!!」
ティアが全力で虚空へ叫ぶ。
ヘルメス……?
そう言えば、じぃやの本名ってそんな感じの名前だったなぁと場違いな事に思いを馳せる。
まぁ、じぃやの事はどうでもいい。
次は……と。
「アホっぽいキャラで勇者様の心をオープン。何も考えていない様な脳天気キャラがいいかも。――でも本当はちょっと寂しがりやさん。うさちゃんマーク」
「ぎゃああああああ!!」
ティアさんが絶叫と共に俺のベッドにダイブしその上で転がりまわる。
シーツがグシャグシャだ。
ショックが大きいのか、スカートがめくり上がりその柔らか気な太ももまであらわになっている。
おいおい、年頃の女の子がなんてはしたない格好をしているんだ。
流石に注意しようと思ったが、ふと記憶の端に引っかかる物を感じた。
そう言えば……以前もこんな事あったな?
ティアさん的に色仕掛けネタとかあるのだろうか?
思い立ったら即行動だ。
パラパラとノートをめくり、それらしき項目を探す。
――っとあった。何々……?
『ちょっぴり色仕掛けとかもあり? でもパンツちらっは×! 女の子は慎みを持つこと!』
「あ、パンチラはアウトなんだ」
「いやああああ!!」
スカートをババっと直しながらティアさん大絶叫。
なんだか普段見れない彼女の姿に楽しくなってくる。
これは楽しいな。もう少しからかってみよう。
どうせ後でこってり復讐されるのだ。ならば今を楽しまければ損だ。
さて、次はどんな面白い話があるのだろうか?
「そう言えば、国の平和にする決意のポエムまであったんだった……」
「うわぁぁぁん!! いっそ殺してくださいー!」
俺からノートを奪い返すことができない事を理解しているのだろうか?
びったんびったんとベッドの上で暴れながらティアさんが絶叫する。
そういう趣味はなかったが俺はもしかしたらSっ気があるのかもしれないな?
涙目で暴れるティアさんを満足気に眺めながら、俺は嬉々としてページを捲るのであった。
………
……
…
「死にたい。泡になって消え去りたい」
ティアさんは躁モードの次は鬱モードに移行してしまったらしい。
ぐちゃぐちゃになったベッドの上でずずーんと膝を抱えながら凹んでいる。
……正直ちょっとやりすぎてしまったかもしれない。
俺によるティアさん黒歴史ノート朗読大会は予想以上に彼女の心をすり減らす結果になってしまった。
見たこと無いほど凹む彼女の様子に俺も少しだけ自分の行いを反省しながら無理やり話題を作る様に声をかける。
「でもさ、なんでこんな事しようと思ったの? 別にいつもどおりしていればいいんじゃん?」
「わ、私は毎日人生を楽しんでいる面白い子なので!」
「いや、まぁ、確かに十分面白い子だと思うよ? けどまたどうして?」
膝を抱えながらジトーっとした涙目でこちらに反論するティアさん。
やばい……なんだかもっといじめたくなる!
己の中に芽生える新たな感情を必死に押し殺しながら彼女の言葉……その続きを待つ。
「むぅ……フローレシアの国是を知っていますか?」
「たしか『いかなる時も笑顔であれ』だったかな……」
ふざけた国是だ。
だがこれは最近作られたとかそういうものではないらしい。
建国の時からの国是で初代の国王が決めた物らしい。そして建国以来この国の住人達はその国是を律儀に守って日々を過ごしているのだ。
故にこの国の人達はアホだ。
もっとまともなものにして欲しかったと思うのは俺の我儘だろうか?
「私にはその国是を徹底的に守りぬく義務があります」
「もっとこう、力を抜いたほうがいいと思うけどなー」
なぜそこまでこだわるのか分からないが、面白おかしく生きると言う事を実践する為にに面白おかしさを演じるのは間違っていると思う。
普段見るティアさんは非常に愉快で、突拍子も無い事をして、すごく笑っている。でもそれが毎晩必死で考えたネタでそれを一生懸命演じているのだとしたら滑稽だ。
……そういった意味でもティアさんはちょっとずれていて、ちょっと面白い子なのかもしれないが……。
「……カタリ様も私が無理していると思います?」
「誰かに言われたの?」
「外道公に毎日の様に小言を言われています。『貴様はもっと人生を楽しむべきだ』って……」
「まぁ、そうだねぇ。あまり思いつめてもいいことないし、その位の気持ちで日々を過ごした方がいいのかな?」
ちなみに外道公は人生を楽しみすぎている。
と言うか、俺の知る限りエリ先輩だって宰相ちゃんだって、じぃやだって国民皆だって人生を楽しんでいる。
もしフローレシアにおいて人生を楽しんでいない人がいるとすれば……それは目の前にいるティアだけかもしれない。
「……出来ませんよ。だって私はこの国の君主ですよ? 民を導き国家を安定させる義務と責任があります」
「そういう所が注意されちゃうのかもしれないねー」
「そうですか……」
彼女は少し真面目なのかもしれない……。
いや、君主として頑張るってのは当然の事だしそれはとても素晴らしい決意なんだろうけど、ことフローレシアにおいてはまた違ってくる。
この国では自分勝手に生きた方が正しいのだ。皆そうやっているし俺だってそうしている。その上に国家の平和が成り立っている。
無理に何かを取り繕っても疲れるだけだろう。
俺は今後もっと彼女に優しくする事を心に決める。
少なくとも黒歴史ノートの事は誰にも告げないようにしよう。
手に持つノートをティアさんに返そうと彼女が膝を抱えて座るベッドの横に腰掛ける。
ティアさんはしょんぼりとしている。
いつものハツラツとした様子は一切ない。
そう言えば、いつも外道公に注意されているって言われたな……可哀想に。
「ってか、外道公ってなんでそんなに偉そうなの? 不敬罪で死刑にしようよ」
「一応叔父にあたりますからね……」
「え!? あいつ王族なの? 絶対国家転覆とか考えてるよ。適当に難癖つけて投獄しよう!」
「翌朝ケロリと食堂で朝食をとっているので無理ですよ……」
「それに殺しても生き返りますし」
外道公が殺しても生き返るのは別にいいとして、アイツ王族だったのか? 道理で偉そうだと思った。
しかし、だからこそ王族としての在り方について一家言あるのだろう。
だからティアさんはいつも外道公に小言を言われる……と。
なんだか面倒くさいな、そういうのも適当にやってればいいと思うんだけど。
ここはフローレシアなんだし。
「……私はどうすればいいんでしょうね」
ポツリと呟くティア。
「なんだか時々無性に疲れる時があるのです」
その言葉には強い悲しみと、強い孤独が現れていた。
「大丈夫だよティア」
「カタリ様……」
彼女を肩を抱き寄せる。
ハッと一瞬身をこわばらせたが、そのまま体を預けてくる。
小さな子供をあやすように、安心させるように、彼女の柔らかな髪を撫でる。
「君には助けてくれる人が沢山いるでしょ? 宰相ちゃんにじぃやにエリ先輩。それに外道公や大臣達だって居る」
「もちろん、俺だってティアの味方だ」
「だからさ、そんなに気を張り詰めなくてもいいんだよ。困った事があったらどんな事でも相談して。なんでも解決! とまでは言い切れないけど、一緒に考える位ならいくらだってしてあげれるから」
「だからさ、そんな寂しそうな顔しないで」
「カタリ様……」
「みーんな、ティアの事が大好きなんだからね?」
「ありがとうございます」
俺の言葉は届いただろうか?
小さな、だが強い意志のこもった言葉が帰ってくる。
やがて顔をあげこちらを見つめるティア。
そこには先ほどまでの弱々しい女の子はいなくて、俺が知っているこの国のお姫様がいた。
「ちょっと、弱気になっていたのかもしれませんね。これでは父様と母様に怒られてしまいます……」
ギューッと抱きついてくるティアさん。
……雰囲気的に離れる感じじゃありませんかね? あんまりくっつかれると有事の際に俺の命がヤバイんですけど。
具体的にはこの事が言いふらされてエリ先輩にからかわれたり、あと宰相ちゃんのバレたりして……。
「カタリ様、改めてお礼を。本当にありがとうございます。私は貴方を勇者として呼び出せて本当に良かったと思います」
そっと彼女の肩を押し距離を取ろうとする。
あんまりボディタッチは良くないんだと思うんだよね。
だが反発する様に彼女は更に自らの身体を押し付けてくる。
今まで見たことない積極さを見せる彼女に俺は降参するしかない。
……仕方ないなぁ、まぁたまにはこういう事もいいだろう。
「この御恩は、必ず報いたいと思います。
「ほらほら、また緊張してる。もっとリラックスして、別にそういうのは適当でいいからさ!」
「むぅ! カタリ様は適当すぎます! 最近本当に酷いんですからね!」
「ははは! まぁ、そう言わずに!」
「もう少し、もう少ししたら本当の事をお伝えします。そうしたら……その、それでも」
「大丈夫、俺はずっとティアの味方だよ」
「ありがとうございます」
彼女の笑顔。
まるでフローレシアに降り積もる雪をすべて溶かしてしまいそうなほど眩しくて、暖かいそれ。
初めて見る彼女の心からの笑顔に見とれながら――俺とティアはこの後もとりとめのない話をしながら二人きりの時間を楽しんだ。
そうそう……。
なんだかちょっとだけ良い雰囲気になって恥ずかしいなって思ってたんだけど、案の定大臣達が二人のやり取りをストーキングしていたらしい。
もちろん、ティアと一緒に全力で復讐した。
いつも以上に張り切るティアに大臣達はそれはそれは酷い有様で、俺も大いに笑わせてもらった。
いろいろあったが、少しだけ本当のティアを知ることが出来た様な……そんな気がした。