宰相ちゃんと戸籍偽造
「勇者様は怒っています!」
甘やかすだけでは人をダメにする。
時としてしっかりと過ちを指摘し、間違い正すよう説く事は人が成長する上で非常に重要な事だ。
故に俺は今この場所にいる。腕を組み努めて難しい表情を作ると目の前の椅子にチョコリと座る宰相ちゃんに真剣な眼差しを向ける。
……何が言いたいかというと。
「はい、です。ごめんなさい、です」
俺は宰相ちゃんに絶賛お説教中であったのだ。
「なんで俺が怒っているか分かりますか? 宰相ちゃん!」
「分からない、です」
そのくりくりと愛らしい瞳に困惑を浮かばせながら、宰相ちゃんは何が何やら分からないといった様子で俺の表情をじぃっと眺めている。
いつもの様に俺の部屋に遊びに来た宰相ちゃんであったが、突然俺がお説教モードに入ったのでまだ事態についていけてないのだ。
そんな宰相ちゃんだ。
最近まったく遊んでいない為、思わず頭なでなで攻撃をした挙句そのまま抱っこしておしゃべりタイムと洒落込みたい欲求にかられる。
だが、心を鬼にして懐よりあるものを取り出す。
「これを見なさい!!」
「あ……」
今日は宰相ちゃんを徹底的に叱りつけるつもりだった。
最近の彼女はやり過ぎだ、特に今回の事は……。
左手に掲げられる一枚の紙。
そう、これこそが俺が宰相ちゃんにお説教をすると決心した問題の一品だ。
経年劣化に耐えられる様比較的強度の高い紙に魔術による保護をかけ、王宮のある場所にて厳重に管理される物。
「これはなんですか宰相ちゃん!」
「戸籍の書類……です」
「ですね」
そう、それこそが俺の戸籍情報が記載された戸籍謄本の原本だった。
「ではなんで宰相ちゃんが怒られているか分かりますね」
「宰相ちゃんは、違います」
間髪容れず否定の言葉。だが宰相ちゃんの瞳が泳ぐ。
俺の戸籍の配偶者欄。そこには見慣れた筆跡で「デモニア・ホンドウ」と記載されている。
旧名は「デモニア・ラグ・シェルテル」――宰相ちゃんの本名だ。
「どう考えても宰相ちゃんの筆跡でしょう!」
この様な偽造をする人物は知り合いに複数人いるが……勝手に俺の嫁ポジションに入り込もうとする人物はどう考えても一人しかいない。
それは目の前で所在なさ気にエルフ耳をぴこぴこと動かす女の子――宰相ちゃんだ。。
――フローレシアは意外な事に戸籍管理がしっかりしている。
脳天気で年がら年中適当に遊ぶ事しか考えていない様な国家と人々だが、不思議な事にこの様な国家運営システムに関しては最先端をいっており非常に高度な施政が行われている。
聞いた所によると他国では戸籍どころか総国民数の把握すら満足にできていないらしい。
ちなみにご近所の国は識字率はだいたい20%~30%。学問の推進と魔導科学の発展を国是としている魔導国家『アテム』ですら50%が関の山。
フローレシアの識字率がほぼ100%である点を考えるといかにこの国が異常かよく分かる……。
っと……話が飛んだ。
とにかく、この国において戸籍とは非常に重要なもので国民を正確に管理する点から不正や書き換えは絶対に許されないと言う事だ。
「か、勘違い、です」
宰相ちゃんは椅子の上でもじもじと自らの服の裾をいじっている。
完全に挙動不審だ。
いつもの冷静でしっかりとした宰相ちゃんはどこにもいない。
完全に、この件における犯人だった。
「宰相ちゃん。勇者様の目をちゃんと見て答えてください。本当に違いますか?」
「……はずかしい、です」
「そういうあれじゃないから!!」
咎める様にじぃっと瞳を見つめたが効果はない。
顔を赤らめてイヤイヤをしだす。
多分このまま誤魔化そうと思っているのだろう。
当初俺は宰相ちゃんをこの汚れきったフローレシアに生まれ落ちた唯一の良心かつ天使であると認識していた。
だがそれは間違いだったのだ。
宰相ちゃんは真面目で優しい人柄の内に超我儘な困ったちゃんを秘めていたのだ。
特にそれは俺に関係する事で顕著になる。
俺にいじわるしたという理由で大臣を解任したり給料を減らしたり、勝手に俺の給料を上げたり俺の得となる様な法案を可決しようとしたり……挙句の果てには国家の運営資金を横領して俺の貯金口座に送金したりしている。
とにかく宰相ちゃんはどうやら俺の事が大好きで、その為いろんな事を裏でこそこそと行っているらしいのだ。
今回俺が宰相ちゃんが行った戸籍偽造を発見したのもその為だ。
変なことをしやしないかと宰相ちゃんの監視を頼んでいた専属メイドのリゼットさんに聞いた所、最近嬉しそうに戸籍を管理する区画へ行くとの報告を得たのだ。
何やら嫌な予感がして自分の戸籍を調べてみて愕然とした、俺はいつの間にか妻帯者になっていたのだ。
ちなみに、結婚に関する各種手続きはつづがなく完了されていた。
複雑な手続きでお役所仕事と揶揄される面倒臭さだが、完全に処理されていた辺り流石宰相ちゃんである。
いや、そんな関心をしている場合じゃないんだが……。
「いいかい宰相ちゃん。戸籍を偽造する事は犯罪です。特にこの国では重罪でおもーい刑罰がかかっちゃうんだよ? わかってる?」
「大丈夫です。宰相ちゃんは司法部門を掌握、してます」
「もみ消せるからOKとかそういう話じゃないから!!」
にっこりと柔らかく笑う宰相ちゃん。
心配しなくていいです。宰相ちゃんが全部うまくやりますから……といった所か。
まったくもって心配である。
全部うまくやると宰相ちゃんと俺が結婚してしまうではないか。
……ため息をつく。
まったく、どうしたものか。今まではティアさんや大臣達のイタズラが一番酷いと思っていたが最近はちょっとその考えを改めつつある。
宰相ちゃんのやらかしは基本的にこちらから気づく必要があるのだ。
今回の戸籍偽造やその他も……俺が自発的に気づかないとそのまま事態が進んでしまう。
そうして取り返しの付かない時点まで話が進行したある日明らかになってしまうのだ。
宰相ちゃんの「こんな事、しました」の報告と共に……。
「勇者様は宰相ちゃんと結婚、嫌ですか?」
「ん? いや、それは嫌じゃないけど……」
そして更に質が悪いのがこれだ……。
宰相ちゃんは悪い事をしたのがバレるとこうやって泣き落としに来るのだ。
俺が宰相ちゃんの事を大切にしているのを理解しているのか、この小さな暴君は瞳を毎度潤めて悲しそうに俺を見つめてくる。
つまり……かわいい無罪だよねって事である。
まぁ、それで毎回許してしまう俺も俺なんだが……ただ、いろんな面で宰相ちゃんにはお世話になってるからあまり強く言えないのも事実だった。
「宰相ちゃんは勇者様のお嫁さん、なりたい、です」
宰相ちゃんの攻めは続く。
いつの間にか座っていた椅子より降りて俺の近くまでやってきている。
……やばい、押し倒される。
「宰相ちゃんは勇者様の事、好き、です」
そっと俺の手を握る宰相ちゃん。
思わずその手の暖かさにドキリとする。
「勇者様ともっと仲良くなりたいと思って、間違った事しちゃいました。次は、もっと頑張って勇者様に怒られないよう、仲良くなりたいと思います」
蠱惑的な視線でそっと語る宰相ちゃん。
まるで脳髄に染みわたる様にその言葉が体を満たす。
ちなみに、宰相ちゃんは他人を洗脳する能力「破折屈服」を持っているが現在それは一切使われていない。
つまり、この俺の胸の高鳴りは完全に宰相ちゃんの魅力のみによって引き起こされていると言うことだ。
今までいろいろと否定してきたが、俺はもうそろそろダメかもしれない。
いつかお巡りさんのお世話になる日が来るのだろうか……。
「だから、ごめんなさい、です」
ふぅ……と溜息をつくようにそっとつぶやき、瞳を潤めて俺の胸に収まろうと近づく宰相ちゃん。
だが俺は――そんな彼女の額をそっと抑え、無慈悲な拒否を敢行する。
「あう……」
自らの誘惑が効かなかったのに驚いたのだろうか?
目をぱちくりとさせながら額を押さえる手と俺を交互に見つめる宰相ちゃん。
……甘い、甘すぎるぞ宰相ちゃん。
俺は勇者だ、この程度の事でおとせると思ってもらっては大間違いだ。
「宰相ちゃん。なんだかいい話風に持って行こうと思ってるみたいだけど、俺が言わなかったらそのまま既成事実としてでっちあげる予定だったんだよね」
「今日は天気がいい、です」
「絶賛吹雪いているよ」
ほら、都合が悪くなったらすぐこれだ。
結局、宰相ちゃんもこの国の国民性をちゃあんと受け継いでいる様で、自由で、我儘で、普段から突拍子もない事をする子だったのだ。
まぁ……と言っても、彼女が魅力的で素敵な女の子である事は変わらないんだけど……。
そう内心勝手に結論つけた俺は戸籍を元に戻してもらいこの件に関してはそれで終了であると甘い判決を下す。
ちょっと宰相ちゃんに本気になられると困ってしまうからだ。
「とにかく、これは元に戻すこと。いいね」
「わかりました、です」
ササッと戸籍の原本を受け取り、備え付けられた羽ペンでさらさらと書き換える宰相ちゃん。
その手は淀みなく一切の悔いや戸惑いが無い。
「…………」
「戻しました、です」
戸籍をテーブルの上に置き、俺の目の前で頭を突き出してなでなで頂戴の合図をする宰相ちゃん。
俺は彼女の素直な態度に疑問を感じてしまう。
……どうにも聞き分けが良すぎる。
宰相ちゃんはこの国の政務のトップだ。ティアさんを除けばこの国のありとあらゆる事を掌握していると言っても過言ではない。
この国において彼女が知らない事はおおよそない。
逆にいうと、何でも隠し通す事ができるという事でもある。
つまりは……。
「宰相ちゃん。まだ勇者様に隠している事があるね?」
「……なんの事です? 宰相ちゃん、知らない、です」
「目が超泳いでるよ宰相ちゃん」
やはり宰相ちゃんはまだまだ何かをやらかしていたらしい。
俺は大きくため息をつく。
宰相ちゃんは慌てて俺の手を取りにっこりほほ笑み誤魔化そうとするが、若干頬が引きつっており誤魔化せていない。
「宰相ちゃんは無実、です。勇者様、信じてください」
「じゃあ、抱っこを掛けるかい?」
流石の俺もそろそろ宰相ちゃんを甘やかす時間を終わらさなければいけない。
このままでは宰相ちゃんがダメな子になる。
ここはビシッと言って彼女を矯正させねばならぬ。
よって俺は最後の手段に出る。
彼女が俺の事が大好きな事を利用した最終手段だ。
そして、俺の認識が自惚れでない事は彼女の動揺っぷりを見れば明らかだ。
「だ、抱っこ……ですか?」
「そう。宰相ちゃんが嘘をついていたら今後抱っこは無し、永遠にね。その代わり宰相ちゃんが正しかったら今後はいつでもどこでも抱っこしてあげよう」
「本当……ですか?」
「もちろん、本当だよ」
さて、宰相ちゃんは抱っこをかけてまで己の嘘を突き通す事ができるだろうか?
宰相ちゃんが嘘を付いている事はその態度から完全に明らかだ。
あとは彼女が自ら非を認めて謝罪する事。その為には嘘をつくに見合わないリスクを負ってもらわなければいけない。
宰相ちゃんは抱っこをかけてまで嘘をつくことができるだろうか? 俺ならばできない。
彼女を抱っこする事は普段から気苦労が絶えない俺に許された唯一の癒やし時間なのだ。
それは宰相ちゃんだって一緒のはず。
宰相ちゃんを抱っこする度に大臣達からヒモロリコン扱いされるが知ったことではない。
俺は自由に生きる。自由に宰相ちゃんを抱っこするのだ。
「分かりました……」
俺が宰相ちゃんを抱っこする魅力に思いを馳せていると、目の前の彼女は悲痛な決心を胸に秘め真剣な表情で俺を見返す。
どうやら、決心がついたようだ。
さぁ、宰相ちゃん。君の答えを俺に教えてくれ。
「宰相ちゃん、嘘ついてました」
「早い!!」
宰相ちゃんは早かった。
どうやら宰相ちゃんは抱っこ禁止と嘘を突き通す事を天秤にかけて一瞬で判断を下したらしい。
流石宰相ちゃん抱っこである。俺も抱っこ禁止を発動しなくてよかった。
少しだけほっとした気持ちになる。
だがここからが本番だった。宰相ちゃんは抱っこ人質に取られ、自分が今まで行ってきたやらかしを怒涛の勢いでぶっちゃけたのだ。
「戸籍だけじゃなくて、現住所や年金制度、出自まで一緒に書き換えました。あと、王都のお店のカップル割引も勇者様と宰相ちゃん名義で沢山使い、ました」
「さらには勇者様と宰相ちゃんは夫婦であると国民にお触れを出しました。違反した人は重い刑罰が待っています」
「それと勇者様と宰相ちゃんが一緒に暮らすお家も買ってます。家具も揃えたのでいつでも引っ越すこと、できます」
「メイドの人も最近勇者様と仲が良くて羨ましいので、ご飯を一品減らす様に料理長に命令、しました」
「結婚式の式場も予約してます。プランは一番高いコース、です」
「やりたい放題じゃないか……」
「です」
やりたい放題だった。
想像以上に宰相ちゃんはやりたい放題だった。
どこか満足気にぺったんこな胸を張り主張する宰相ちゃん。
流石の俺もその所業に呆れ果てる。
まさかここまでいろいろな事をやらかしているとは思いもしなかったのだ。
宰相ちゃんは結構フリーダムな娘だったのだ。
「ちゃんと言ったので抱っこ」
「いや、ちゃんと言ったら抱っことかそんなのはなかったはずなんだけど……」
にゅーっと両手を伸ばして抱っこをせがむ宰相ちゃん。
ピョンピョンと飛び跳ね「早くして!」と急かしてくる。
「抱っこ……」
「もう! はいはい、ぎゅーっとね」
仕方ないなぁと彼女を優しく抱きしめる。
柔らかな感触と暖かなぬくもりが胸に収まり花畑を思わせる香りがふわりと鼻孔をつく。
うりうりと頭を擦り付ける宰相ちゃんにほとほと困りながら、俺は満更でもなくこの一時を楽しむ。
「嬉しい、です」
「なんか宰相ちゃん、どんどん我儘さんになってくるなあ……」
「宰相ちゃんは、甘えん坊さん、です」
うずめていた顔をこちらへ向け、ふわりとはにかむ宰相ちゃん。
まぁ、宰相ちゃんが甘えん坊なのもそうだけど俺も大概宰相ちゃんを甘やかしちゃってるからなぁ……。
「そうだね、甘えん坊さんだねー」
「なでなでもして、ください」
「はーい、仰せのままにー」
「許して、くれます?」
「仕方ないなー、俺も宰相ちゃんに甘いからなー。もう悪い事しちゃダメだよ? 今回だけだだからね」
「もちろん、です」
コクリと頷き、また俺の胸の中に顔をうずめる宰相ちゃん。
でもなんだかこの時の宰相ちゃんがやけに聞き分けが良い事が少々気になったので後日俺はこっそりと自分の戸籍を再度確認してみる事にした。
案の上、元に戻したはずの戸籍は再度書き換えられていた。
もちろん、筆跡はあの小さく愛らしい我儘ちゃんの物だ。
結局、宰相ちゃんへのお説教をすると意気込んだ今回の件も彼女には全然届いていなく、それどころか俺と宰相ちゃんがひたすらイチャイチャしただけだった様だった。




