閑話:メイド三姉妹
フローレシア王国とターラー王国の国境沿いにある森。
うっすらと雪が降り積もり、歩くことすら困難な道無き道をゆく影が3つある。
白銀の世界にポツリと浮かび上がる3つの黒点。
メイド服と呼ばれるおよそこの場にはそぐわぬ衣装をまとった女達は、悪路を気にした様子も無く先へと進んでいく。
「しかし、なんで我々はこんな事をしているんだろうな……」
「全ては神の思し召しです」
疑問を口にしたのはリゼットと呼ばれる人間族の女。疑問に答えたのはイレールと呼ばれるエルフの女だ。
リゼットのメイド服は膝丈程まである飾り気の少ないシンプルな物だ。変わってイレールが着るそれはくるぶしまであろうかという丈と、その清純さを表すかの様に首もとを隠す形で止められたチョーカーが特徴的だ。
「不満? この程度の行軍で根を上げるようではこの先立派なメイドにはなれないのだ! にゃーはご主人様に相応しいメイドになるのだ!」
最後の一人、二人よりも幾分背丈が低い猫族の少女――マリテが不快感を隠さず口を開く。
歳相応と言った所か? ひざ上の短いスカートとフリルが随所にあしらわれたメイド服は彼女の愛らしさをより引き立てている。
まるで彼女達の性格をそのままメイド服として誂えたかの様な装いで、勇者カタリの専属メイド達は買い物にでも行くかの様にこの雪降り積もる森を進んでいた。
あまりにも場違いな姿。
10人いたらその全てが目を見開き見直さんばかりのこの異質な状況。
だが、彼女達はその事に違和感を覚えている様子はない。
しかしその情景は人物だけを絵画の中から切り取って別の絵画に貼り付けたかのような感覚さえ覚える。
ただ1つ、それが当然であると思わせる点があるとすれば。
それはメイドと言うよりは、歴戦の猛者を思わせる歩みである事だろうか……。
「今回の件に不満などないさ。だが、果たしてこれはメイドのするべき事なのかと疑問に思っている」
リゼットがポツリと呟く。
外道公の訓練によって無茶な行軍を命じられている最中の彼女は自らの仕事と今回の訓練がはたしてどのような関連性を持っているのか全く理解できなかった。
外道公の訓練を今まで行ってきたのも敬愛する自らの主人の為であって、その実納得している訳ではないのだ。
「生きているだけマシだと思うのだ! にゃーはご主人様の命令に絶対服従なのだ!」
「それは素晴らしい宣言だ。私も偉大なる主であらせられる勇者カタリ様に絶対服従し、その忠誠心を示す事に依存はないぞ。だが、これだけは納得いかん」
「耐久サバイバルがメイドのする事じゃないのは重々承知なのだ! でも外道公のクズ野郎が言ったからしかたないのだ! 逆らうとご主人様の耳に入るのだ、にゃーはそれだけは避けたいのだ!」
にゃーにゃーとうるさく騒ぎ立てるマリテの声を煩わしく思いながら、リゼットは自らの主人を思う。
全ては彼の考えの無い発言から始まった。
だが、自分達には勇者カタリに逆らう気持ち等一切無い。
それは宰相ちゃんと呼ばれる少女によって強制的に忠誠を植え付けられた時よりもずっと前、彼を暗殺しようとしてその罪科を精算させられた時の事だ。
その時に彼女達は反抗心というものを一切失ってしまった。
あの時に見た勇者カタリの暗い底冷えする様な瞳を思い出し、小さく震える。
もはや、彼の怒りを買わない為であればどの様な悪行でも喜んでするであろう。
……それほどの物であった。
「だから! にゃーはご主人様の言うことならなんでも聞く忠誠心の高いメスネコなのだ! 畜生なのだ! ゴミなのだ! 生まれてきてごめんなさいなのだ!」
あいも変わらずあれやこれやと煩くまくし立てるマリテ。
その姦しい様子にため息をつくリゼットであったが、ふと彼女の言葉に違和感を感じその真意を尋ねる。
「おいマリテ。さっきから気になっていたんだが、その自分の事をにゃーって言うのはなんなんだ?」
「キャラ作りなのだ! ご主人様が可愛いって言ってくれたのだ! にゃーは今後も全力でご主人様に媚びへつらって明るく楽しく生き延びるのだ!」
至極真面目な表情で理解し難い発言をするマリテ。
彼女は自らの発言と行動を一切疑っていない。彼女は、言葉通り勇者カタリに全力で媚びていた。
いっそ清々しい程の宣言。その言葉にリゼットは注意をするでもなく真面目な表情で頷き答える。
「素晴らしいな。私も真似しよう……ぴょん」
マリテがまゆを潜める。後ろで二人の様子を静かに観察していたイレーナが口元を手で隠し小さく笑う。
リゼットのその語尾は、致命的なまでに似合っていなかった。
「気持ち悪いからやめるのだ!」
「ままならんものだな……私はこんなにも頑張っているというのに」
「いつだってリゼット姉は方向性が間違っているのだ!」
「ありのままの自分を神へお見せするのですよ」
ビュウっと強烈な風が吹く。
遠くに見える雪山より木々の隙間を縫って吹き付ける風は容赦なく体温を奪う。その猛威は人はおろか分厚い毛皮に覆われた獣すら死に至らしめるだろう。
だが彼女達の様子に変わりはない。
まるで王都の街並みを歩くような気軽さだ――事実、彼女達にとってこの程度の環境、王都を歩く時とさほど変わりは無かった。
「まぁ、こんなくだらん行軍などさっさと終わらせてしまおう――おや?」
話題を終了させようとリゼットが言葉を締める。
だが、その言葉を終わらせる前に彼女は何かを見つけたように疑問の声を上げる。
義姉の異変に眉を潜め眺めたマリテであったが、すぐにその理由を察したのだろう。愛らしい表情を歪めて苛立ち混じりに言い捨てる。
「ああ! 面倒なのだ! なんでにゃー達ばかりこんな目に合わないといけないのだ!」
――その瞬間。
木々を縫い轟音と共に巨大な業火が彼女達を襲った。
鋼鉄級の多重詠唱魔法。
複数の魔術師の詠唱によって放たれるこの火炎魔法はドラゴンの皮膚すら焼き尽くす強力な物だ。
大木を焼き払いながら迫り来る炎に三人が飲み込まれその生命を散らすかと思われた瞬間。
「神への信仰が試されているというわけですね。よろしいでしょう『魔術防御壁:火炎』」
凛と響くイレールの声が不可避と思われた死に否を突きつける。
ハンドベルを鳴らしたかの様な澄んだ金属音と共に半球状の膜が彼女達と火炎の間に出現する。
迫り来る火炎がまるでその膜を恐れるかのように弾かれ、左右に割れた。
辺りに撒き散った火炎が舞い上がる雪を溶かし水蒸気を発生させる。
水蒸気が発生する強烈な音と共に辺りは一面の霧に包まれ、数秒も経たない内に一寸先すら見えない状況となってしまった。
その瞬間を狙っていたのだろう。
彼女達の後方、その死角から一つの影が躍りかかった。
ネコ科の獣を思わせるその柔軟な動きと瞬発力は一瞬にして一番近くにいたリゼットの背後に接近し、鋭い剣筋がその首筋めがけて振り払われる。
だが残念な事に、彼は知らなかったが――リゼットに死角と呼ばれる物は存在しなかった。
ピュアクリスタルに刻まれた魔術式は常識を超えた知覚をリゼットに齎し、周囲のありとあらゆる存在は彼女の瞳から逃れる事叶わぬ。
これこそが彼女が自らの主人より賜りし至高の宝珠であり彼女が最も誇る最大の武器だ。
故に……。
「まったく、ままならんものだ」
リゼットは振り向きざまに大剣を抜き放ちながら、まるで溜まった雑務を片付けるかの様な気軽さでそう一言だけ呟いた。
グシュリと刃が肉を穿つ生々しい音が白銀の森に木霊す。
霧が晴れ、閉ざされた視界戻ってきたそこにあったのは大剣を悠々と片手で突き出し静かに佇むリゼット。
そして、その大剣の先端で腹を突き刺されビクビクと痙攣する白色の装束を身にまとった暗殺者らしき男だった。
「ふむ、主より賜りしタイラントソードは今日も良い仕事をしてくれる」
タイラントソード。暴君の名を冠すこの剣はバスタードソードと呼ばれる種類でリゼットが自らの主より直接支給された彼女専用の武器だ。
メテオライトとオリハルコンの合金で造られたこの武器はアポーツ――物体取り寄せの契約魔術が刻印されているだけの装飾すら無い無骨な一品である。
だがその内に秘めたる力は想像を絶するものであり、いまだこの剣を振るう時リゼットはそれが持つ威圧に飲み込まれそうになる。
ちなみに、その価格は諸般の事情により秘匿されている。
「それで、これは誰なのだ?」
リゼットが自らの武器の力に酔いしれいてるとその余韻を壊すかのようにマリテが苛立ち混じりに尋ねてくる。
面倒事を嫌がっているのか、せっかちな妹分に苦笑いを返しながらリゼットは手首を軽く動かし剣先にぶら下がる襲撃者の顔を近くに寄せる。
「ん? んむむむむ! おおっ! 思い出したぞ! ギルドに居た頃のご同輩ではないか! 名前は……忘れたな」
「口封じ? 依頼不履行の報復? どちらにしろご苦労な事なのだ」
「神の使徒たる我らに逆らうとは愚かなり……」
その男――息絶えた彼は彼女達がターラー王国の冒険者ギルドで仕事をしていた時の同僚だった。
もっとも、同僚と言っても顔見知り程度であって普段どの様な仕事をしてどの様な人物かは全く知らない。
日頃きな臭い仕事を一手に引き受け、様々な所より疎まれるギルドには彼の様な暗殺者が多く所属している。
お互いを監視させ牽制させ合うことで裏切り者の排出を抑制しているのだ。
裏切ればギルド全てが敵に回る。
彼女達がその後ろめたい稼業から足を洗う事ができなかったのはその様な理由もあった。
もちろん、その様な事実はもはや彼女達にとって何ら意味も興味も持たない物であったが……。
「殺してやりたいのはこちらの方なんだが、まぁいいか」
胸に大きく穿たれた穴よりぼたぼたと血を流し絶命する男。
リゼットは彼の表情を一瞥すると「ふん」と鼻を鳴らし軽く大剣を薙ぐ。
剣圧で雪が舞い遠心力で男の身体が吹き飛び、付近の大木にぶつかり赤を撒き散らす。
大の男と大剣を片手で振り回すその力、それはどれほどの物だろうか?
深く考えずとも恐ろしい力が必要な事が分かるその所業。にもかかわらず先ほどからリゼットの体軸は一切ぶれていなかった。
「相変わらずの筋力なのだ。外道公のしごきを受けてからよりいっそう際立っていて、にゃーはドン引きなのだ」
まるで棒切れを振り回すかの様な大剣を振り回すリゼット。
以前にも増して突出した筋力を誇る様になった彼女にマリテはなんとも言えぬ呆れた表情で呟く。
半ば嘲笑を伴った言葉ではあったが本人はどこ吹く風、軽く考える仕草を見せ肩をすくめるだけだ。
「ふーむ。もしかして力持ちの女の子はご主人様の覚えが悪いだろうか?」
「力持ちとか可愛らしい言葉で誤魔化すな! この馬鹿力!」
「女の子発言にも違和感がありますよ?」
「ままならんものだな。……それで、どうするんだ?」
どこかピントがズレた返答をしながら、まるで昼食のメニューを尋ねるかの様な気軽さで薄暗い森の先を見つめながら問うリゼット。
暗殺者は一人ではない。
先の火炎魔法を放った者もまだ健在であり他にも隠しきれていない人の気配がする。
「にゃーが行く。ちょっと最近イライラしているのだ。それに――」
リゼットがその驚異的な視界によって敵の位置と実力を確認していると先程とは打って変わって低い怒りの篭った声色でマリテが前に出る。
マリテは気をつけなければ分からないほどの小さな動作で右手に刻まれたアポーツの術式を発動されせる。
やがて――。
「――トーマスが血を吸わせろと煩いのだ」
ギチギチと不気味な音を鳴らす、刃先が奇妙にささくれ立つ黒色の斧がその手に現れた。
「相変わらず不気味な品だな」
リゼットが顔を顰めながら嫌そうにその斧を眺め呟く。
「にゃーも同意見だけど、主様がくれた武器に文句を付けるななのだ」
マリテが怒りながらブンブンと斧を振る。
するとまるで主の意志を代弁するかの様に斧がゲゲゲーっと不気味な声を発す。
「交換は申し出なかったのですか?」
「なんだか徹夜明けの変なテンションで嬉しそうにくれたのだ。流石に言い出せる雰囲気じゃなかったのだ」
彼女が勇者カタリから受け取った武器がこの"生きている斧トーマス"だ。
どういう理由か何かちょっと普通じゃなくてかっこいい武器が良いという勇者カタリの理解し難いセンスと、深夜に渡る作業から来るナチュラルハイによって作成されたこの武器。
それは生きている金属と呼ばれるライフタイドを主原料として複数の金属によって創られ、中二病をこじらせた設定と命名センスによってこの世に生まれ落ちてしまう。
ごく普通の感性を持つマリテとしては本当なら遠慮したい代物であったが、世の中にはどの様な事にも慣れが存在するらしく今では普通に自らの愛斧として活躍している。
「あの時は凄く張り切っておられたからな……っと。50メートル先に3、100メートル先に7だ。どれもこれも大して強くない。鋼鉄級が席の山だろうよ」
リゼットが目を見開き、無色の瞳に魔力の色が灯る。
全てを見通すその魔眼から逃れられる術は無いに等しい。
自らが誇る隠遁術を信じて疑わない哀れな襲撃者達は一瞬にしてその位置と力量を特定され、マリテが繰り出す凶刃の獲物と化す。
「じゃあ早速殺るのだトーマス」
タタンと木々を蹴る軽い音が鳴り、マリテの姿は木々の合間に消え見えなくなる。
程なくして遠くより絶叫と笑い声が流れてくるのを聞きながら、リゼットは妹分が振るう不気味な斧について思いを馳せる。
「生きている斧か……悍ましいものだな」
「定期的に血を吸わせないと夜泣きするらしいですよ?」
「武器の癖に面倒くさい話だ……」
小さなため息を漏らし、万物を見通す目を木々の奥へと向けるリゼット。
目に映る光景は一方的な蹂躙と言って差支えのない物であった。
………
……
…
「ただいまなのだ。トーマスもごきげんなのだ!」
その瞳を爛々と輝かせ、どこか恍惚とした表情でマリテが戻ってくる。
右手に握る生きた斧――トーマスは哀れな暗殺者達をたらふく食い散らかしたのか真っ赤に染まっている。
リゼットはその様子にウンウンと小さく頷く。そして恐らくは徒労に終わるであろう事を半ば確信しながら一つ質問を投げかける。
「それはよかったな。それで……彼らは何用だったんだ?」
「き、聞くのを忘れたのだ……」
「まぁ、そうだろうな……」
「まぁ、そうでしょうね」
バツが悪そうに舌を出して誤魔化すマリテにリゼットとイレールはため息をつきながら答える。
だが、彼女達は次の瞬間には過去の同僚であった者達の事等一切忘れ、自らが進むべき道そしてすべき目的について意識を切り替える。
「さぁ、行こうか。道草を食っている暇はない」
小さく呪文を呟き、タイラントソードを送還したリゼットは道無き道を歩き出す。
暗殺者の事は気になれどさほど注意する程のことでもない。
何より、来たら来ただけ殺せばよい。それが彼女達が外道公の訓練を通じて理解した真理だ。
「戦争だ。戦争が起きる。ならば我々は来る時の為に少しでもご主人様の敵となる可能性がある者を殺し、ご主人様の役に立つ為力を蓄えねばならん」
誰に言うでもなく、リゼットは謳うように呟く。
イレーナが先を行くリゼットに無言で続き、マリテも送還呪文で血塗れた斧を返すと小走りでその後を追う。
「ようやく私達に平和が訪れようとしてるのだ。なら平和の為に手当たり次第殺すのは当然だろう」
彼女の言葉は風に乗って白銀の森に満ちゆく。
やがてリゼットは歩きながら後ろを振り返り不敵な笑みでイレーナとマリテを見つめ 静かに同意を求めた。
「なぁ、そうだろう?」
まるで何かを確認するかの様なリゼットの問いにイレーナとマリテは無言で頷く。
彼女達の瞳は暗い狂気の光を宿している。
騒乱の時は、もうそこまで来ていた。