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第二十四話(下)

 雪が深々と降り積もり、朝日を浴びて街全体がキラキラと煌めく早朝のフローレシア王国。

 その王宮にある俺の自室。微睡みは不意に遮られる。


「ほぎゃああああああ!!!!」

「……ん?」


 数人寝てもなお余裕がありそうな豪華なベッドの上でその温もりを楽しんでいた俺であったが、何やら誰かの叫び声が耳に入り込んでくる。

 はて、何が起きたのやら?

 誰かがいたずらでもされたのであろうか? それとも網に掛かった哀れなスパイの断末魔だろうか?

 どちらにしろ誰かが悲劇的な目にあった事は間違いない。

 心のなかで哀れな犠牲者に祈りながら、起き上がる決心ができるまでの間身体を包み込む温もりを最後にもう一度楽しもうと潜りこむように布団をかけなおす。


………

……


「勇者様、勇者様……」


 気が付くと、目の前に宰相ちゃんの愛らしい顔があった。

 どうやらあの後寝てしまっていたらしい。

 普段なら二度寝なんてしないのだが、珍しい事もあるものだ。


「ああ、おはよう。宰相ちゃん――あれ?」


 毎朝の日課、宰相ちゃんとの挨拶を交わしながらベッドより起き上がろうとする。

 だが、不思議な事に何やら身体に違和感を覚える。


「どうしたのですか? 勇者様?」

「なんか凄くだるい……」


 体中を倦怠感が襲う。

 まるで体中の筋肉を酷使し、全力疾走した後の様な感覚で力を入れる事すらままならない。

 戸惑いを感じながらも無理に身体を動かしベッドより起き上がる。

 あまり宰相ちゃんに心配はかけたくないからだ。


「うっ!」

「勇者様!!」


 だが、どうやら予想以上にこの身体は深刻だったらしい。

 ガクリと膝をつく俺に宰相ちゃんが慌てて手を添えて支えてくれる。


「だ、大丈夫。ちょっとふらついただけだよ」

「風邪、ですか?」

「どうかな? なんだか身体に力が入らないんだよね」


 宰相ちゃんを心配させまいと声をかけるが、その言葉を遮るようにスッと彼女の顔が近づいてくる。

 気がつけば額と額がくっついている。

 宰相ちゃんの顔が目の前にあることにドギマギしながら、慌てて視線を逸らす。

 ……熱をはかっているのだろうけど、ちょっと距離感近すぎやしませんかね?


「……熱は、ないです」


 横目に映る宰相ちゃんの表情はホッとした様子だ。

 どうやら風邪では無いみたいだが、何故か熱をはかり終わった後も宰相ちゃんは額をくっつけたまま離れようとしない。

 流石にこのままずっとくっついているわけにもいかない。

 ゆっくりと彼女を離そうとしたが、ガッチリとホールドされていて今の貧弱な俺の力では到底叶わない。

 気づいた。俺これ宰相ちゃんに抵抗できないぞ?

 同時に、キラリと宰相ちゃんの瞳が光った気がした。

 どうやら、俺は宰相ちゃんにとってネギを背負った鴨となってしまったようだ。


「さ、宰相ちゃん。あんまりそういう事をするとまた誰かに見られると……」

「大丈夫です、痛くしません」

「え? ちょっと待って。何をするつもりなの!?」


 思わず彼女を突き放し後ずさる俺に宰相ちゃんがずずいと近づいてくる。

 分かる。飢えた獣の目、本気だ。

 首に手が回される。

 背後は壁だ。逃げ場はない。

 ぽうっとした表情の宰相ちゃんが目の前に広がり、そして二人の距離がゼロになろうかという瞬間……。


「カタリ様! カタリ様!! カータリーさ…………あ」


 幸か不幸か、狙ったようなタイミングでティアさんがやってきた。


「カタリ様がまた宰相ちゃんに手を出してるー!!」

「誤解だよ!!」


 わたわたと慌てながら大声で騒ぎ出すティアさん。

 もう何度目かになるこのやりとりだが、いまだに冷静に対応できる自信がない。

 とりあえず、ごきげんナナメのティアさんがこの出来事を面白おかしく大臣達に伝える事だけは防がなければいけない。

 これ以上俺の不本意な噂が広まるのをどうしても止めたいのだ。

 だがそんな俺の願いも虚しく、ティアさんは怒り心頭で俺の行いを咎めてくる。


「何が誤解ですか! そうやってすぐ小さな女の子に手を出そうとして! この変態! 変態カタリ様! ロリコンカタリ様! 私はドン引きです!」

「姫様、それ違います」

「宰相ちゃん!!」


 ビシッと手を挙げアピールする宰相ちゃん。

 どの様な場合であっても俺のフォローしてくれるその献身に思わず涙ぐんでしまう。

 ありがとう、宰相ちゃん。二人でティアに誤解だって説明しようね。


「勇者様は宰相ちゃんにしか手を出していません」


 けどそれは甘い考えだった。宰相ちゃんは俺を裏切ったのだ。


「なんでそこ嘘言っちゃうの!?」

「押せばいけると、思いました」

「俺の好きな素直な宰相ちゃんは何処に行ったの? なんで堂々と嘘ついたの!?」

「勇者、様」

「上目遣い禁止!!」

「あう……」


 最近の宰相ちゃんは本当にあざとい。どこで覚えてきたのか上目遣いまで覚えるようになってしまって俺に甘えてくる。

 嘘も言い通せば本当になるって事か? 押せ押せで俺が後に引けなくなる所まで周りを固めるつもりか!?

 いつの間にか自らを後ろ抱きにさせる様な形で俺の胸の中に潜り込んだ宰相ちゃん。

 そんな彼女を俺は無慈悲にも抱き上げると、力の入らない身体に鞭を打ってそっと横に退かす。

 宰相ちゃんも油断ならないな。気がついたら結婚していたとか有り得そうだ。今後気をつけないと……。


「抱っこも禁止です!」

「寂しい、です……」

「仲がよろしいことで!! それで、お話は終わりましたか? カタ……ロリコン様?」

「言い直してるんじゃねぇよ。って言うか、なんか慌てた様子だったけど、何かあったの?」


 その言葉にポンと手を打つティアさん。

 どうやら、俺と宰相ちゃんのやり取りに気を取られたが、本題は別にあるらしい。

 ツカツカとこちらに歩み寄って俺の手を取り、ぐいっと引っ張り立たせると何やら憤慨しながら俺を何処かへと連れて行こうとする。


「すっかり忘れていましたがその事を話そうと思っていたのです! 外! バルコニーまでついてきて下さい!!」

「お、おう……」

「宰相ちゃんも、着いていきます」


 王宮の廊下を無言で進む。

 いつの間にか俺の横に並びながら腕を絡めてくる宰相ちゃん。

 何やらごきげんらしく鼻歌まで口ずさんでいる

 その様子を眉を顰めながら見つめるティア。

 何かとても嫌な予感がする。


「……宰相ちゃん。貴方ちょっとくっつきすぎじゃありませんか?」

「ふふ……」


 今日の宰相ちゃんはダーク宰相ちゃんだ。

 ティアの忠告に思わせぶりに薄く笑うと、絡める手に力を込める。


「むー! むー! カタリ様!」

「え、えっと……どうぞ?」


 何故か怒られる俺。

 とりあえずどうしていいか分からなかったので、ティアにも残った腕を差し出してみる。

 すると珍しいことに彼女は少し逡巡する。そして何を思いついたのか、えいっと勢い良く腕に手を絡めとりそのまま宰相ちゃんをちらりと睨み、鼻で笑う。

 ピシリと、空気が軋んだ気がした。


 え? なにこれ、怖い。


 いつの間にか空気は剣呑なものになっている。

 と言うか、二人から魔力が漏れだしていた。

 お互い牽制しあっているのだろうか、殺気が尋常じゃない。間に挟まれる俺は生きた心地がしなかった。


 どこへ向かっているのだろうか、地獄の歩みは続く。

 遠く通路の端でメイドがぎょっとしながら何処かへ逃げていく様子が見えた。

 なるほど、さすがフローレシアの王宮に務めるメイドだ。危機察知能力が半端じゃない。

 今頃はこの事をおもしろおかしく大臣達に伝えている事だろう。

 ……味方は誰も居ない。


『ボクは味方だよ、カタリ!』

 じゃあ助けてくれよ、相棒。

『やだーーー!!!』

 やはり味方はいない。


 バチバチと魔力が弾ける音がする。二人が放つ魔力の干渉が最高潮に達している証だ。

 普通の人間だったら死んでいる。

 本当に外道公の訓練を受けておいてよかった。内在魔力を用いた防壁の貼り方を教えてもらわなかったら今頃は血反吐を吐きながらのたうち回って死んでいる頃だろう。


 両手に花……綺麗な花には毒がある。

 その毒は人を死に至らしめる猛毒だ。おそらく両手を二人の女の子に掴まれるという男なら一度は経験したい状況にありながら、俺は世界で最も危険な場所にいるに違いない。


 威嚇するようにティアが青く突き刺す魔力を膨れ上がらせる。

 同時に俺達が歩む廊下の窓が片っ端から割れる。

 ティアの魔力に呼応するように今度は宰相ちゃんが赤く燃え上がるような魔力をまき散らす。

 床に敷き詰められた絨毯がその余波を受けグズグズと爛れながらめくり上がる。


 俺はこの惨状から目を逸らしながら、ボンヤリと全く関係ないこと――例えば今日の夕食について思いを馳せ、現実逃避をするのだった。


◇   ◇   ◇


 一難去ってまた一難。どうやら、俺の悲劇はこれだけでは終わらなかったらしい。

 ティアと宰相ちゃんに引きずられ、案内されたそこは王都を一望できるバルコニーだ。

 眼下にはうっすらと雪化粧したフローレシアの街並みと、王宮が見渡せる。

 一番最初に召喚された場所。地平線の彼方まで見渡せるこの場所は俺が好きな所の一つでもある。

 実は、時間があればここから街並みや王宮を見渡し、ボンヤリと時間を潰すのが俺の密かな楽しみでもあったのだが……。


「なんの有り様ですかこれー!!」


 そこから見渡せる景色は、どうやら俺の記憶にある物とは少し違っているようだった……。


「ど、どえらい事になってるね」


 なんと説明すれば良いのだろうか。

 まず、バルコニーからは王宮の全体が見渡せるようになっており、中庭や各執務を分担する行政機関が入った建物の屋根、外壁などが目に映る。

 それだけであればいつもどおりの景色だ。だが今がその屋根の突出部にまるで鬼瓦のように悪魔像が設置されている。

 そう、悪魔像だ。

 もうこの時点で犯人は分かってしまったが、俺は自らの目を疑うかの様にキョロキョロとバルコニーより見える王宮の全容を確認する。

 屋根には無数の悪魔像が整然と並べられており、異様な様相を醸し出している。

 中庭にある噴水は三体の女神をかたどった石像が水があふれ出す巨大な瓶を持つ美しいものであったが、もちろん醜悪で見るものに恐怖を与える三体の悪魔に取って代わっている。

 侵入者を拒む為に作られた城壁は黒い葉脈の様な謎の物質で覆われており、うっすらと瘴気を放っている様にさえ見えた。

 ふと、嫌な予感を感じてこんどは天を仰ぎ見る。

 バルコニーより更に上。王宮の一番天辺。

 そこにはどす黒い金属らしき物でできた、巨大な龍の像が鎮座していた。


 もう、いいだろう。一言で表そう。

 俺の知っている美しく優雅なフローレシア王宮は、一晩にして劇的ビフォアアフターしてしまったのだ。


「魔王城ですよ! 魔王城になってますよこれ! 輝かしきフローレシアの景観が! 先祖より受け継がれし歴史がー!」


 わー、わー! と騒ぐティアさん。

 俺も流石に彼女の言葉を真摯に受け止める。どう考えても彼女の言い分が正しかった。

 あの、その、相棒さん? 貴方一体何してくれたのでしょうか?


『がんばったー!』


 褒めて褒めてー! となんだか知らないが嬉しそうなオーラを心の中より放ってくる相棒さん。

 俺は彼女の言葉を華麗にスルーすると、このとんでもない事態を保護者としてどう責任を取るか頭を抱え、悩みこむ。


「そういえば、どうりでメチャクチャ疲れてると思った。魔力欠乏かこれ……」


 朝から無駄に力が抜けると思ったが、何の事はない。只の魔力欠乏による疲労だ。

 魔力は生命力であり、魂の力でもある。

 急激に減ると体力を奪うことになり、場合によっては命の危険性すらあるのだ。

 どうりで身体が動かないにもかかわらず危機感を感じなかったはずだ。久しく経験していなかったが外道公の訓練を受けた時に嫌という程経験していた感覚だった。


「この前の像と一緒の、タングステン、です」


 近場の像を調べていた宰相ちゃんが、分かりました! と言った表情で教えてくれる。

 謎の金属タングステン。どうやら相棒は王宮中にこの悪魔像を設置したらしい。

 よくもまぁここまで……、ってかよく俺の魔力が持ったなとさえ思う。

 自分の魔力量がかなり高いことは理解しているが、それでもこれだけの量の像を一夜にして設置するにはまったく足りない気がしたからだ。

 最もその様な事は今は気にすることではなくて、今最優先することは隣で混乱の極みにいる魔王城――フローレシア王宮の持ち主についてだ。


「えっと、その……ティアさん?」

「うわーん! お父様ー! お母様ー! ごめんなさいー! フローレシアの王宮が魔王城になってしまいましたー!!」


 ギャン泣きだ。ティアさんがギャン泣きしている。

 俺はその様子にわたわたと慌てるだけだ。しかもおふざけというよりも割りとガチで凹んでいる様子がある所が始末におえない。

 こういう時どうすればいいのか、正直分からなかった。

 しかも、原因は完全に俺にある。余計な事を言えば火に油を注ぐ事は明らかだ。


『外壁も沢山強化してるよー!』


 全く空気を読めない相棒。今日はお説教確定だ。

 いまだ変わり果てた王宮の全貌を眺めながら、偉大なる祖先に謝罪の言葉を叫ぶティアさん。

 俺は渾身の勇気を振り絞って彼女に恐る恐る語りかける。


「その、ティア……」

「なんですか!?」


 ビクリと思わず反応してしまう情けない俺。

 怖いのでなるべく視線を合わせないようにしながら、なんとか彼女の機嫌を取ろうと頑張って話題を切り出す。


「えと、外壁も強化されてるらしいから、その、良かったね! 何があっても壊れなさそうだよ!」

「よくないー!! このスカポンタンがー!!」


 だが俺はどうやら選択肢を間違ったらしい、ティアの雷が落ちる。

 その後、俺は滅茶苦茶お説教を食らうことになった。

 残酷な事に大臣団が見守る中で、だ。

 正座はとても痛かったし、大臣団のニヤニヤ笑いは癪にさわるし、相棒は像の撤去を拒むし、ふんだり蹴ったりな一日だった。

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