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閑話:宰相ちゃんとデート(下)

 フローレシア王都、高級店街、貴族御用達の超が付くほどの店。

 金銭を吸い取るその底なし沼から勢い良く退店する。

 宰相ちゃんは不思議そうに「どうしたの、ですか?」と疑問を口にしている。

 彼女に「なんでもないよ」と答えた俺は、二度と高級店と呼ばれる場所に来ないことを心に誓うと、小さくため息を吐く。


 ここはちょっと一般市民には手が出しづらい。予算は奮発して30万エーンまでだ。

 予定よりオーバーしているが仕方あるまい。本日宰相ちゃんが買った物と比べるなら、最低でもこの位は出さないといけないだろう。

 ……これ以上はちょっとビビって無理だけど。


 丸石敷きの道を宰相ちゃんと手を繋ぎ、歩きながら考える。

 予算は決まった、だが問題は山積みだった。

 先ほどから、チラチラと視線の端にエリ先輩とバロウズ公の部下、そしてじぃやや大臣が見える。

 非常にうざったいが、あえて放置する。構ってもややこしくなるだけなので現状こうするしかないのだ。

 内心舌打ちをしながら、ニヤニヤとこちらを見つめるエリ先輩達を軽く睨みつけていると、ふと古めかしいアクセサリー屋が目に入る。

 場所はすでに貴族達が利用する高級店から、中流階級が利用するやや高めの店が軒を連ねる場所まで来ている。


「ここアクセサリー屋さんか……このお店見てみようか、宰相ちゃん?」


 ここなら大丈夫だろう。流石に先ほどみたいな恐ろしい値段の商品が置いていることもあるまい。

 俺はそう楽観的に予想すると、宰相ちゃんの了解を得て、その店に入る。


 店の中はよく言えばアンティークな雰囲気がある、悪く言えば古臭く地味な印象があった。

 天井に吊り下げられた魔法ランプが穏やかなオレンジ色の光を放っており、店内に置かれている様々な備品を見ると、なんだか別の世界に来てしまったような気分さえさせられる。

 店内のカウンターに居るのは30代位の店員のみ、なにやら難しい顔をしながら俯き、自らの手元を見つめている。他の客はいない。

 チリンと、人の出入りを感知する魔道具が鈴を鳴らし、店員がこちらに気付く。

 彼は先程の笑みを消すと、ニコニコとこれまた違和感ありまくる笑顔で早速接客をしてきた。


「らっしゃい! おやおや、これはこれはご夫婦でのご来店ありがとうございます! とてもお似合いのご夫婦ですね。まさにご夫婦です!」

「夫婦……嬉しい、です」


 何やらご夫婦を強調する店員のおっちゃん。

 明らかに作為的な物が感じられる。俺は訝しみながらも、どうしたものかと考える。

 流石に夫婦は無いだろう。別に宰相ちゃんの事が嫌いだとかそういう訳ではないが、そもそも俺と宰相ちゃんは結婚していない。戸籍だってまっさらだ。

 お世辞とは言え、変な噂が流れても困る。ここは訂正しておいた方が無難だろう。


「いや、俺達は――ッ!?」

「勇者様、お願いだから宰相ちゃん様に全力で媚びてくれ」


 だが、その瞬間。

 すぐ近くまで来ていたおっちゃんが、俺にぶつかるように体を寄せ、小言で何やらよくわからないことを言ってくる。

 ちなみに、宰相ちゃんは先程の夫婦発言がクリティカルヒットだったのか、両手を頬に当てながらイヤイヤと嬉しそうに自分の世界に入り込んでいる。


「な、なんでだよ……」

「見ろ、あの幸せそうな顔を。オメェさん、それを壊せるのか?」

「いや、できないけど……」

「だろ? それは俺だって一緒なんだよ。この街の住人は皆宰相ちゃん様が大好きだ。あの方の悲しむ顔をみたくねぇんだよ」

「おっちゃん……」

「何より怒らせてぶっ殺されたくないんだよ」

「おい、震えてるぞ」

「分かったなら媚びてくれ、全力で」


 おっちゃんは顔面蒼白でガタガタと震えていた。弱い、そりゃ全力で宰相ちゃんに媚びるわ。

 しかしだ、彼の言うことにも一理ある。

 俺のリップサービスで宰相ちゃんが機嫌を良くしてくれるのならそれに越した事はないだろう。

 チラリと伺った宰相ちゃんは、あいも変わらずイヤイヤと嬉しそうにしており、なかなかにゴキゲンな様子が分かる。普段ではあまり見れないはしゃぎようだ。

 ……今日は宰相ちゃんに普段お世話になっているお礼をする為のデートだ。

 よし、ならばこそ、ここは全力で話に乗って上げるべきだ。


「いやあ! そう見えちゃうかな! 俺達仲良しさんだから仕方ないかもね、宰相ちゃん?」

「仲良し、です」


 ぎゅっと俺に抱きつきながら嬉しそうに同意する宰相ちゃん。思わずその頭を慈しむようになであげる。

 幸せそうに目を細める彼女に俺も微笑ましい気持ちになる。

 店員のおっちゃんは盛大に安堵の溜息を漏らしていた。おい、ちょっとは自重しろ。


「それで、本日はどの様な物をお探しですか?」

「ああ、宰相ちゃんにプレゼントする指輪を探しているんだ」

「奥様へのプレゼントとはお優しい! ではこちらがオススメですよ!!」


 待ってましたと言わんばかりにカウンターの奥から何やら取り出すおっちゃん。

 途端、室内に禍々しい魔力が満ちる。

 なぜか異常なほど慎重に出されたそれは、嫌な予感をビンビンと感じさせる、薄い朱色の指輪だった。


「……げっ」

「ケイオスクリスタルの指輪。忠誠石による処理済み。もちろん、全て輝晶級のグレードです。持ち主を選ぶ指輪だが、これこそが奥様に相応しい指輪かと……」

「かわいい、です」


 おっちゃんの言葉が震えている。

 だが、そんな態度も思わず納得してしまう威圧がその指輪にはあった。

 ケイオスクリスタル……聞いたことがある。持ち主の魔力を何倍にも引き上げるが、その邪悪な力により生半可な使い手では逆に破滅をもたらすと言う希少鉱石だ。

 しかも一度固定したら持ち主以外が使用する事を拒絶する力をアイテムに与える忠誠石。更には全てのグレードが最上級の輝晶級と来た……。

 これは、とんでもない逸品だ。

 ゴクリと、自然に息を飲む。けど……とんでもない値段だぞ?


「ちなみに、おっちゃん。お値段は?」

「2億3千万だ……」


 目眩がする。

 なんでこんな馬鹿みたいな値段の指輪がここにあるんだよ。

 カタカタと震えながら、指輪が乗ったトレイを持つおっちゃんを睨みつける。

 彼は引きつった笑みで、そっとカウンターの上にトレイを置くと、慌てて飛び退る。

 その後を、とててーと宰相ちゃんが駆けてゆき、その指輪を興味深げに眺め始めた。

 見ようによれば、お気に入りの指輪に羨望の目を向ける少女の図だが、その対象物がろくでもない。なんていうか、どこかのラスボスとかが装備していそうな雰囲気がプンプンする。

 宰相ちゃんがそんな邪悪アイテムに目を奪われている隙に、俺は冷や汗をだらだらとかくおっちゃんににじり寄り、先ほどと同じように小声で語りかける。


「いや、おっちゃん。流石にこれはちょっと、ってかなんでこんな高級なのあるんだよ……」

「じ、事情があるんだよ……」

「なんだよ、その事情って」

「わ、悪い事は言わねぇ、勇者様。あれにしとけ」

「今度はなんでだよ? あんまり高いのだと宰相ちゃんも気後れするだろ?」

「ばっかやろう! だからお前さんは地味なんだよ! 脇目もふらず最高の物をやるのが甲斐性ってもんだろうが! ちなみにな、バラしちまうとこれは外道公の娘であるエリ様が街で一番高価なのをわざわざ探してここに持ってきた奴なんだよ」

「はぁ!? なにやってるんだあの人……嫌がらせか?」


 俺が声をかけた事によって少々落ち着いたのか、淡々とあの指輪を持ちだした理由を語るおっちゃん。案の定そのカラクリが見えてくる。

 多分そういう事じゃないかなぁとは思っていたが、やっぱりエリ先輩と愉快な仲間たちが原因らしい。

 宰相ちゃんはゴキゲンで頭をユラユラ揺らしながら、まるでトランペットを眺める少年の様にキラキラとした視線を指輪に向けている。

 ……どうやら本気で気に入ったらしい。凄く邪悪なオーラが出てる指輪なんだけど、全然問題ないんだね。


「いつもどおりのお戯れだ。だけどな。そんな下らないこと気にしてここで安物なんてやってみろ。あの方々にいらん隙を見せる事になるぞ! そうしたら……どうなる」

「宰相ちゃんがキレて血の雨を降らせるな……」


 やーい、そんな安物の指輪なんてしてるんだー! カッチーン! 容易に想像できる。


「ならわかってるな?」

「けどそこまで金が……」

「商業ギルドのお偉いさん達が話し合って、この件に関してはオメェさんに代金をツケる事で同意している。あとは度胸だけだ」


 よくよく気配を探ると、この店の外に複数の人の気配を感じる。それも素人ではなく、プロのソレだ。

 ……完全にエリ先輩達だった。

 彼女達は俺をどうしたいのだろうか? こんな高価なものを買わせて、借金漬けにして……。多分面白いからなんだろうなぁ。逆の立場だったら俺も似たような事するだろうし。

 借金は踏み倒せるかな? まぁ、最悪大臣達の貯金をパクればいいだろう。あとは……相棒に頼んで黄金で出来た建造物を作ってもらうとか? その時は頼むよ相棒。


――経済が壊れるよ!


 ……知らんよ。

 あれやこれやと思い悩む。気が付くと、俺はすでにこの指輪をプレゼントする金をどうやって工面するかだけに思いを馳せていた。

 ふふふ、まぁいいか。宰相ちゃんがあれだけ欲しそうにしているんだ。ちょっと……いや、かなり高額な買い物だけど、相棒に協力してもらえばなんとかなるだろう。


 ――よしっ! 決めた!!


「おっちゃん! この指輪を買うよ!」


 宰相ちゃんに聞こえる様に少しばかり大きな声で告げる。

 驚いた様子の宰相ちゃんがこちらへ向き直り目をぱちくりさせた。

 慌ててこちらにやってくる宰相ちゃんにウィンクしながら、おっちゃんに視線を戻す。

 ここまでくればもう言葉はいらない。おっちゃんは待ってましたとばかりに大げさな態度でヨイショを始める。


「ええっ!? このフローレシア、いえ、近隣の国を含めて一番高価で一番美しくて一番センスがいいこの指輪をですか!? でもこれお高いんですよ!?」

「勇者様、いいんですか?」

「宰相ちゃんの為にだったら安い買い物さ! さぁ、借用し……請求書を用意してくれ!」

「まいどありっした! いやぁ、奥様は幸せ者ですなぁ! 羨ましいですよ!」

「おいおい、照れるじゃないか! でも……当然だな! あっはっは!」


 無理やり明るく振る舞いながら、おやじが借用書を用意するのをぼんやり眺める。やがてふと冷静になって己の購入した品物の金額に恐怖した。

 に、2億3千万か……。手持ちが8千万程あるから1億5千万の借金持ちになった訳だ。

 帰ったら早速ティアに仕事をくれるようお願いしないと……。

 今の俺は女の子に貢いで借金を作った駄目な勇者だ。でも貢がないという選択肢は無かった。

 女の子で破滅する世の男性の気持ちが少しだけわかった気がする。

 なんだか勢いに乗って後に引けなくなる事が時としてあるのだ。


「勇者様……」

「ん? どうしたの宰相ちゃん」

「付けて欲しいです」

「お安いご用さ。さ、指を出し……はい、付けたよ!」

「わぁ……」


 頑なに左手の薬指を出す宰相ちゃん。

 俺も特になにも言わずにそのまま指輪をはめる。

 もちろん、こちらの世界でも左の薬指に指輪をはめる意味は一緒だ。

 なんだか不思議な事に沢山の共通点があるあちらの世界とこちらの世界だが、そんな疑問も太陽の様に眩しい笑みを浮かべる宰相ちゃんの前に霧散してしまう。


「勇者様、ありがとうございます」

「どういたしまして、宰相ちゃん」

「じゃあ、行こうか」

「はい、です」


 店員のおやじに軽く挨拶して退店、気がつけば夕暮れ時になっており、辺りが紅く染まっている。

 楽しかったデートもそろそろ終わりの時間。

 手を取り合い、どちらともなしに王宮へと歩き出す。あれやこれやと楽しかった一日を振り返るように語り合う。


「いろいろあったけど、楽しかったね。宰相ちゃんはどう? 楽しかった?」

「はい、楽しかった、です」

「喜んでくれてよかったよ。また一緒にデートしようね」


 宰相ちゃんを横目で見る。

 ふと立ち止まった彼女は、自らの薬指につけられた指輪をまるで自慢するかのように落ちゆく夕日に翳し、眩しそうに眺めている。

 二人だけの時間、まるで本物の恋人同士の様に仲睦まじく人通りがまばらになった王都の商店街。

 繋いだ手のぬくもりが温かい。

 宰相ちゃんの言葉だけが心地よく聞こえている。

 まるで今だけは、この世界に二人だけしかいない気分にさせられた。

 だが、ふと気配を感じ、横目に商店街の細い路地、薄暗くなにがあるのか分からないそこに視線を向けると、ニヤニヤと笑うエリ先輩と目が合う。

 ……強烈に嫌な予感がする。


「宰相ちゃんは嬉しい、です」

「俺も宰相ちゃんが喜んでくれて嬉しいよ」


 ……チラリと宰相ちゃんを確認する。

 彼女は両腕を俺の腕に絡めると、ニコニコと空を眺めて雰囲気に浸っている。

 よし、まだ気づいていないぞ。

 俺は視線をエリ先輩に向けると、早くどこかへ行くように目で合図する。

 だが、彼女は耳に手を当て、なんだって? とわざとらしくジェスチャーすると、何やら看板の様なものをこちらに見せてくる。


「宰相ちゃんは幸せ、です」

「ははは、なんだか照れるな!」


 宰相ちゃんに言葉を返しながら、エリ先輩を追い払おうと全力で睨みつける。

 彼女が掲げた看板には「そこで押し倒せ! キスをしろ!」と書いてある。

 よくよく観察すると、エリ先輩だけではない、同じくこちらの様子を伺う大臣達がニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべながらこそこそと喋りあっているのが分かった。

 鬱陶しい。

 本当にあいつらどこかに行ってくれないかな? 今でこそ宰相ちゃんは超ごきげんモードだが、怒らせるとどうなるかわからないんだぞ?

 と言うか、ゴキゲンだからこそ、邪魔をされると烈火のごとく怒ると思う。

 今みたいに幸せそうに雰囲気に浸っている時が危険なんだ、いい加減にしないとどうなるか分かったものではない。早い内に切り上げるのが無難だ。


 こんな風にゴキゲンでお喋りしている内にね、と宰相ちゃんに視線を戻す。

 だが、どうやら全て遅かったらしい。

 彼女は、いつもは愛らしいクルクルとした瞳をこれでもかと見開き、真紅に染まった眼光でエリ先輩達を睨みつけている。

 ……あ、終わった。


「さっきから外野が邪魔、です」

「うっ!!」


 一転ドスのきいた声で静かに告げる宰相ちゃん。

 やばい、宰相ちゃんお怒りモード突入だ。

 急速に辺りの温度が上昇した。宰相ちゃんから漏れだす魔力が熱となって湯気を作り出している。

 正直に言おう。俺はビビってなにも言えない。

 古今東西、女の子というものは怒らせてはいけない。特に普段穏やかな子はなおさらだ。

 俺にはこの怒れる少女がその溜飲を下げるのを黙ってみている事しか出来ない。

 勇者なんてもてはやされても、ぶっちゃけ俺はこの場において、12歳の女の子にビビるヘタレでしかないのだ。

 だから、宰相ちゃんの左手がスッと静かにあげられるのも、見る事しかが出来なかった。


「――意思よ、松明の火よ、煌めく光と炎獄の皇よ。我が呼び声に答え、顕現せよ」

「さ、宰相ちゃん?」


 掲げられた2億3千万の指輪が、値段分の仕事はしますよ、とでも言いたげに赤黒く光り輝く。

 宰相ちゃんから恐ろしい量の魔力がほとばしり、螺旋状に指輪へと吸い込まれていく。

 輝きは衰える事を知らずに増してゆき、キーンという甲高い音とともに、彼女を中心として薄暗くなった街並みを燦燦と照らしだす。

 付近にいた住民達が、陸上選手さながらの見事なフォームで全力逃走を開始したのが分かった。

 遠目に見るエリ先輩達の表情は完全に引き攣っている。

 多分、俺の表情も引き攣っていた。


「猛り狂え……『火炎の暴君(フレイム・タイラント)』」


 一瞬の静寂、その後の大地を揺るがすような爆音。

 辺りは一面火炎で包まれ、波のようにうねる。

 まるで極限まで引き絞られた弓から矢が放たれるように、その膨大な魔力は炎となり、王都全てを焼きつくさんと傍若無人に暴れ出す。

 習ったことがあるぞこの魔法。火炎系の対軍魔法だね。間違っても街中で放つ魔法じゃないぞ!


「さ、宰相ちゃあああん!? 何やってんの!?」

「火を、放ちました」


「うきゃああ!! 警ら兵ー! すぐに消火活動ー!」

「た、対軍魔法を街で放つとかなに考えておるのじゃ、あのロリは!?」

「だからロリをからかうなってワシは言ったのですぞ! 奴は手加減せん!」

「流石にこれは想定外だろうがぁぁ!」


 満足気に頷く宰相ちゃんに慌てて叫ぶ俺。

 その声にかぶせるように、何処かで哀れなエリ先輩達の叫び声が聞こえる。

 とりあえず、ナチュラルに直撃を受けていたはずなんだけど……。いろいろと煤けていはいるものの無事のようだ。流石フローレシアの重鎮達。


「さすが勇者様に貰った指輪、です」

「ああ、哀れなエリ先輩……」


 宰相ちゃんは満足げだ。

 指輪の効果に満足したのか、嬉しそうにボフッと俺に抱きつき、グリグリと頭を擦り付けて甘えてくる。

 もちろん、絶賛王都は炎上していた。


「この隙に逃げる、です」

「すまん……あとは頼む、エリ先輩」


 グイグイと押され、どこかへと連行される俺。

 後ろ目に慌てながら消火活動を指揮するエリ先輩と大臣達を見送りながら、俺は盛大に燃え上がるこの場所を後にした。


………

……


「上手く抜け出せました」


 やってきたのは王都が見渡せる小高い丘だ。

 初めて来た場所だが、どうやら人々の憩いの場となっているらしく、椅子や休憩所などが置かれており、小さな公園の様になっている。

 眺めた王都は夕日を浴び、美しい朱に染まっていた。


「宰相ちゃん? 駄目じゃないか! 街の人にも迷惑がかかってるし、あの炎だと怪我人や死人が出てるかもしれないんだよ!?」


 周りには誰もいない。どうやら宰相ちゃんのお気に入りスポットらしいこの場所へと連れて来られた俺は、彼女が落ち着いたのを見計らって先ほどのご乱心を注意する。


「大丈夫です。エリさんがいますし、フローレシアの国民は、皆元気、です」

「だからって……」


 皆元気だからって何でもして良いわけないと思うんだけど。

 流石に今回の事をやり過ぎだと感じた俺は、宰相ちゃんへのお説教モードに入る。

 宰相ちゃんはとってもいい子だが、まだ12歳の女の子だ。

 まだまだ善悪の判断が甘い時があるだろう。

 だからこそ、こういう時は年長者の役目として俺がビシッと言ってやらなければならない。


「勇者様。宰相ちゃんは勇者様と二人きりでデートしたかった、です」

「……」


 だが、寂しそうに告げられた言葉に、俺は言おうと思っていた事がなにも出てこなかった。

 宰相ちゃんは悲しそうに笑うと、テクテクと公園の縁にある落下防止の柵まで歩いてゆき、その先、王都の景色を眺める。


「せっかく二人きりになったと思ったのに、皆付いてきて嫌だった、です」

「そっかぁ……」

「だから、ちょっとだけ悪い事しました」


 クルリと振り返る。

 小さな頭がぺこりと下がり、鈴の様な音色の謝罪が風に乗って流れてくる。


「ごめんなさい」


 ああ、俺は駄目な男だなぁ。

 正直に言おう。俺は宰相ちゃんの謝罪を聞いた瞬間、もうなにもかもがどうでも良くなってしまっていた。

 どうにも宰相ちゃんには敵わないらしい、この小さな女の子の悲しむ姿を、どうしても見たくないと思ってしまっている。

 小さくため息をつく。

 不安そうにこちらを見つめる宰相ちゃんの前まで歩き、しゃがみ込み視線を合わせる。

 少しばかり怯えが入った表情で瞳を揺らす彼女に微笑みかけると、その絹のような金髪を撫で、そっと優しく語りかけた。


「仕方ないなぁ、宰相ちゃん! 次からは気をつけるんだよ?」

「許してくれるのですか?」

「勇者様は怒ってないよ、あとで皆に謝りに行こう? 一緒にごめんなさいしてあげるからさ」

「はい、です」


 ふわりと、穏やかな笑みが宰相ちゃんに戻ってくる。

 俺が一番好きな彼女の表情だ。

 よくよく考えれば宰相ちゃんばかりを責めるのも酷だ。

 そもそも、彼女が俺とのデートでゴキゲンな事を知りつつ邪魔をしたエリ先輩達こそ本当に責められるべきだろう。

 ったく、そう考えると宰相ちゃんに悪い点なんてひとつも無いじゃないか。

 エリ先輩達はティアに頼んでちょっと給料を減らしてもらった方がいいかもしれない。

 ……もっとも、それは今考える事では無い。今はこの小さなレディとのデートが先だ。


「じゃあさ、もう少しゆっくりしていこうか? 今だけは本当に二人っきりのデートってね」

「はい。二人きり……です」


 二人でベンチに腰掛ける。

 いつの間にか、二人の距離はゼロになっており、コテンと預けられた宰相ちゃんの身体からその温もりと優しさが伝わってくる。

 このまま二人で永遠に過ごしたいとさえ思えた。

 穏やかな光が頬を差し、二人を暖かく包み込む。

 ゴウゴウと、風に乗ってその光の原因が猛威を振るう音がやってくる。


「ところで宰相ちゃん?」

「はいです?」

「なんかスゲー延焼してるっぽいんだけど……」

「……ヤバイ、です」


 王都は燃え上がる炎の光を受け、朱に染まっている。

 あちらこちらから、煩いほどに警鐘が聞こえており、慌てふためきながら逃げる市民の動きがここからでも見える。

 一言で表すなら、王都は宰相ちゃんが放った対軍魔法によって大変な事になっていた。


 結局、王都を壊滅しつくさん勢いで燃え上がった炎は、エリ先輩達の尽力もあって無事鎮火。

 だがその主犯である宰相ちゃんと、彼女を止められなかった共犯である俺はその責任の追求を受け、『土木建築』による無償の王都復旧と、被害を受けた住民への金銭を用いた賠償を命じられることになる。


 たった一回のデートで、俺と宰相ちゃんは一気に文無しになってしまった。

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