閑話:宰相ちゃんとデート(上)
フローレシアの王宮。私物も増え、幾分住み心地の良くなった自室。
紙袋からいそいそと俺の為に買ってきてくれた服を見せてくれながら、ニコリとはにかむ宰相ちゃん。
俺は、いつものようにこの年下の小さな女の子に、外出用の服を買ってきて貰っていた。
このやり取りはすでに何十回と繰り返した儀式だ。
もう俺はフローレシアでは服を買うこともままならないだろう。と言うか、未だに服飾店の場所が分からない辺り致命的だった。
「本当、いつもありがとうね。宰相ちゃん」
「お安いご用、です」
完全にお世話モードの宰相ちゃん。
完全に生活能力を削ぎ落とされた俺。
この小悪魔にまんまと堕落させられた哀れな勇者である俺は、もはや宰相ちゃんなしでは朝起きる事もできないだろう。
いや……朝はちゃんと起きれるけど。多分起きれるよな? 相棒起こしてくれるはずだし。
――自分で起きれ!
若干の絶望を感じつつ、心中から放たれる自らの相棒による反論を軽くかわす。
湧いた懸念をどこかへ放り投げるかの様に、るんるんと楽しそうに俺の服をタンスへと仕舞いこむ宰相ちゃんに声をかける。
「でも本当に宰相ちゃんには感謝しているんだよ? だって俺一人で買い物行こうと思っても何故か毎回の様に妨害会うし。他の人に頼んでも明らかにダサい服しか用意されないからね……」
「誰が勇者様に、意地悪してますか?」
「いや、それは大丈夫だから。べつに勇者様なんとも思ってないからね」
「わかりました、です」
「でもね、最近本当に宰相ちゃんにお世話になっていてね。勇者様なにかお返ししないといけないなーって思ってるんだよ」
そう、俺はこの事について少々頭を悩ませていた。
このまま宰相ちゃんに依存するのはいいとしてだ……いや、もちろん良くないんだけど、それは置いといてだ。宰相ちゃんにお礼もしないと言うのはいけないと思う。
相手は小さな女の子なんだ。その子が俺の為にここまでしてくれている。
無償で、しかも仕事をサボってまで……。いや、仕事をサボるのは駄目なんだけど、本当はちゃんと注意しないといけないんだけど、大臣達の仕事が代わりに増えて面白いからいいっちゃいいんだけど……。
……っと、考えが飛んだ。
混乱する思考を整理する。
つまり、俺はこんな小さな女の子の献身に全然報いていないと言う訳だ。
流石にそれでは格好悪すぎるだろう。
せめてなにか彼女が喜ぶことをしてあげたい。最近強くそう思うようになっていた。
「お返し、ですか?」
俺の提案にきょとんとした表情で、そのくりくりとした愛らしい瞳を大きく見開き驚く宰相ちゃん。
彼女はそんな事を言われるとは思ってもいなかったのだろう。タンスをパタリと閉めると、いそいそと俺の側までやってき、その真意を伺う様に上目遣いで俺を見つめ返してくる。
……あざといな宰相ちゃん。
「そうだよ、何かあるかい? して欲しい事とか、お願い事とか……。宰相ちゃんの為だったら勇者様なんでもしちゃうよ?」
今のは俺の嘘偽りない本心だ。
宰相ちゃんの為だったら何でもする。もちろん、犯罪行為は厳禁だが、宰相ちゃんの為だったらスレスレの事であろうと躊躇なくする位には彼女に恩義を感じている。
もっとも、この汚れきったフローレシアに舞い降りし翼の折れた天使である宰相ちゃんは犯罪行為なんて考える訳無いんだけど。
「お願い事……本当、ですか?」
「もちろんだよ、宰相ちゃん。
「勇者、様」
「何かな? 宰相ちゃん」
じぃっと俺を見つめる宰相ちゃん。
なにを考えているのか、少しだけ困った表情でぱくぱくと口を開き、何かを言おうとして躊躇している。
その様子に疑問が湧く。宰相ちゃんには珍しい、何か悩んでいる事があるのだろうか?
こういう時ならすぐさま喜んで俺を風呂やベッドに連れ込もうとする宰相ちゃん。
だが、今回は少々彼女の考えは違ったようだ。
「宰相ちゃんと、デート、してください」
「で、デート!?」
「はい、です」
「デートかぁ……」
胸の前で両手をグーの形に握りながら、「頑張って言いました」とこちらを見つめる宰相ちゃん。
しかしデートとは困ったぞ。いや、もちろん宰相ちゃんとデートするのはやぶさかではないが、そもそも彼女を喜ばせるにはどういった事をすればいいのか全くわからない……。
買い物に付き合うとかだけでいいのかな? それならこの世界に来る前はさんざん妹に付き合わされたから大丈夫だけど。
……気にしてもしょうがないか。変に悩んでも仕方ないし、出たとこ勝負で行こうじゃないか!
「わかったよ。デートしよっか?」
「うれしい、です」
「俺も嬉しいよ、宰相ちゃん」
ニコニコと微笑む宰相ちゃんに俺の口元も自然と緩む。
確かに最近は宰相ちゃんと一緒に過ごす時間も少なかった。
こういうのも悪くないかもしれない。
穏やかな毎日、平和な日常、争い事などまるでどこか遠い国の話の様に思われるこの状況。
「じゃあ、次の休みの日にします、です」
「うん、俺も宰相ちゃんをエスコートできる様にがんばるよ!」
こんな日が、こんな日がいつまでも続けばいいと思う。
そう、晴れやかな空を確かめるように窓の外をふと眺め……。
「あっ!!」
部屋を覗くエリ先輩と目があった。
「……? どうかしました、ですか?」
「な、なんでもないよ宰相ちゃん。ただ、凄く邪魔が入りそうな気がするだけだよ」
宰相ちゃんの不思議そうな声に思わず彼女へと向き、言葉を返す。
慌てて見返すが、すでにエリ先輩は消え去っている。
もちろん、先ほどのエリ先輩は幻などではない。恐らく今頃は俺と宰相ちゃんのデートを面白おかしくいろいろな人に言いふらしているはずだ。
俺は強烈な不安感に苛まれながら、隣で首を傾げる女の子と無事デート出来る事を神に祈る。
神様……どうか何事もありませんように。
具体的にはエリ先輩達が余計なちょっかいを出しませんように……。
そんな俺の動揺は、となりで俺の顔をじぃっと眺める宰相ちゃんには全てお見通しだったらしい。
彼女はテクテクと窓の外まで歩いて行くと、バン! とまるで親の仇の様に勢い良く窓を開け放ち、キョロキョロと外を眺める。
思わずビクリと反応してしまう。
分かる。宰相ちゃんはちょっと不機嫌だ。
やがて、ひとしきり確認が終わったのか、彼女はクルリとこちらへ向き直り、ニコリと愛らしく微笑む。
「安心して下さい、邪魔者は排除、します」
「さ、最近のデートって物騒なんだね!」
なんとかそれだけを絞りだす。
宰相ちゃんの目は笑っていなかった。
この小さな女の子は、神に祈るよりも実力を行使するほうが早いと判断したようだ。
怪我人がでなければいいけど……
俺は強烈な不安感に包まれながら、宰相ちゃんとのデートの日を待つのだった。
◇ ◇ ◇
フローレシア王国、王都の高級商店街。
貴族御用達の店が多く軒を連ねるその場所。
丸石敷きの道と、レンガ造りの町並みが特徴的なそこで、俺と宰相ちゃんは買い物を楽しんでいた。
俺は普段あまり王都に出ることは無い。
ここぞとばかりに二人でデートと言う名の買い物を楽しむ。いや、買い物と言う名のデートが正しいのかな?
それにしても、勇者と宰相だなんて重要な地位にある人が街を歩いていたら騒ぎになるかと思ったが、別にそんな事もなかった。
少し心配していただけあってこれは地味にありがたい。自意識過剰だったのかな? とも思ったが、道行く人々がなるべくこちらに視線を合わせないようにしている事からその真実は推して知るべしといったところだ。
多分、皆いろいろあるんだろうなぁ……。
「こんなのどうかな宰相ちゃん? 似合ってると思うんだけど」
「買い、ます」
ともあれ、所々の事情はあれど、今は立派なデートタイム。街の人々の気苦労は仲の良い二人には関係ない事だ。
ここぞとばかりに目に映った店に入り買い物をを楽しむ。
俺も宰相ちゃんも基本的にはお金を使わない。俺はその機会があまりないし、宰相ちゃんはもともとあまり物に執着するタイプじゃないからだ。
現在いるこの店は貴族御用達の高級店。歴史古く創業なんと50年。
店内の雰囲気もまるで貴族の邸宅のように豪奢で、品があり、自ずと商品の高級さが伝わってくる。
普段ならこんな所は入らない。だけど今日は特別だ。それに二人共多少はお金を持っているんだ、少し位……そう、奮発して数万エーン位なら思い切って買っちゃうつもりでいた。
せっかくなのだ、ちょっと無駄遣いしても誰も怒らないだろう。それに、高級店と言ってもそこまで高い物が売っている訳でもないだろう。
そう、今の今まで思っていた。
……ちなみに、俺の言葉で今宰相ちゃんが買ったのは『ハルモア銀糸のドレスコート』。 ミスリルと銀の混合金属であるハルモア銀を特殊な製法で糸にし布を織ったハルモア銀布。その布をふんだんに使った白に近い銀色が美しい魔力の込められたドレスコートだ。
そのお値段実に1000万エーン……。フローレシアの貨幣単価と日本円のレートは非常に似通っているので、そのまま日本円に換算できてぴったり1000万円。
気が遠くなる様な数字だ……。
高級店って値札貼ってないんだね。何気なく宰相ちゃんに薦めたけど店員から値段を聞いて顎が外れるかと思った。
だが、話はこれで終わらなかった。
代わって別の店。
同じく貴族向けの高級店。気のせいか先ほどの店舗よりも置かれている調度品の質が良い気がする。
もうすでに腰が引けてビビりまくっている俺。しかし宰相ちゃんはそんな俺の手を引っ張ってずいずいと当然の様に店内に入り、俺に選ぶように言ってくる。
本当なら、宰相ちゃんを説得してこの場から退散したい。ちょっと高すぎるよって伝えたい。
だが何よりそんな事を言ってしまえば、宰相ちゃんが途端に不機嫌になろう事は明らかだ。買い物では男性よりも女性の方が上位に位置する。
俺は借りてきた猫の様におとなしく宰相ちゃんの後ろを歩き、彼女に似合う物を選ぶお供と化していた。
「え、えっと。このアクセとかつけたら宰相ちゃん可愛いと思うよ。思うんだけど……」
「買い、ます」
もちろん、店員が価格を提示して再度愕然とする。
『メテオライトとピュアクリスタルのペンダント』お値段実に870万エーン……。
ちょっと意味が分からない数字だ。
ほくほく顔の店員。ほくほく顔の宰相ちゃん。
恐らく、俺だけが顔面蒼白だろう。
宰相ちゃんはどうやらこの店の品物が気に入ったらしい。俺の手をずいずい引っ張ると、完全にビビって小さくなっている俺を別の商品が陳列されている場所へ連行する。
「えっと、この髪飾りとか腕輪とか、似合ってると思うけど、あの……そろそろ」
「全部買い、ます」
「お買い上げありがとうございます」店員の笑顔が更に輝く。
俺は生まれたての子鹿みたいになっている。
宰相ちゃんはすでに値段を聞く気もないようだ。大人買いとか、ブルジョワ買いとか、そういうレベルを完全に超えている。
『ファイアシルバーと獄炎石の髪飾り』、『六色保護術式のオリハルコンバングル』、『妖精鱗粉による祝福済ブローチ』。そして明かされるはお値段しめて3700万エーン。
フローレシアの重鎮、宰相ちゃん。彼女はその要職につく事によって得た給料、その全てを使い尽くさん勢いで買い物を楽しんでいた。
「あ、あの、さっきから買いすぎじゃありませんかね? 宰相ちゃん?」
流石に俺も勇気を振り絞って宰相ちゃんに忠告する。コテンと首を傾げる仕草が可愛らしくて、なにもかも許しそうになる。
だが、この子がここ数時間で5000万エーン以上の買い物をしたと言うことを忘れてはいけない。
宰相ちゃんは自重を知らない。
先ほどから俺が勧める品、勧める品、全て購入している。
幸いな事に高級店であることから、商品を王宮まで届けるサービスなどもおこなってくれているが、これが手渡しだったら今頃どれほどの荷物になっているか分かったものじゃない。
そもそも金額が金額で、持つ気にもならない……。
「勇者様が選んでくれたから、買います」
えっへん、とそのぺったんこな胸を頑張って張る宰相ちゃん。
思わずその仕草に笑みが漏れるが、慌てて冷静になる。
流れる様に、手に持つ淡く輝く帽子を店員に渡し、購入したからだ。
本当に大丈夫なのだろうか?
「お金とか大丈夫なの? こんなに買い物しちゃって、宰相ちゃんのお小遣いがなくならないか心配だよ?」
いや、俺は知っている。宰相ちゃんは金持ちなのだ。
宰相ちゃんがこの前「宰相ちゃんの貯金箱、です」と教えてくれたそれは箱どころか小さな倉庫だったし、その中にある金銀財宝はとてつもない量だった。
恐らく、現金換算したところで数億は下らないだろう。
ちなみに、強力な妨害魔術がかけられているそうで、宰相ちゃんと俺以外が触ると周囲5キロメートルを巻き込んで爆発するらしい。
とにかく、なにが言いたいかと言うと。宰相ちゃんは凄くお金持ちだと言うことだ。
「ってか俺もお金なら多少は持ってるから、全部自分で買わなくてもプレゼントするよ? そう、その……あまり高くない物なら」
「プレゼント、ですか?」
「そう、プレゼント。何か欲しいのない?」
だからといって、俺が宰相ちゃんがホイホイ無駄遣いをする事を見逃す理由にはならない。
それに、今日は宰相ちゃんとのデートなのだ。彼女の買い物に付き合うだけなんて格好悪すぎる。日頃の感謝を込めてなにかプレゼントをするべきだろう。もちろん、あまり高くない物で。
プレゼントとは金銭では無いと思う。大切なのはそこに篭もる思いだ。
俺が宰相ちゃんにプレゼントしたいと思う事が大事なんだ。
そう、きっとそうだ、そうに違いない。
「指輪……」
ポツリと小さく呟く宰相ちゃん。
少し恥ずかしいのか、こちらに視線を合わせず俯いている。
思わずその言葉に俺も気恥ずかしくなる。
確かに、指輪をプレゼントって恋人同士みたいだしね……。
ただまぁ、今日はこの小さなお嬢様の我儘を聞いてあげるかな。
「指輪かぁ! じゃあ一緒に見ようか! 別のお店でね!」
「はい、です」
元気よく返事をする宰相ちゃん。
俺は満足気に頷くと、彼女の手を取りダッシュで退店するのだった。