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閑話:ティア姫とお笑いノート

 勇者カタリが召喚される数ヶ月前。

 フローレシアの王宮。最低限の調度品しか置かれていない簡素な会議室にて、この国の姫、ティアエリア・アンサ・フローレシアは大臣達を呼びつけ、なにやら自信満々に宣言を行う。


「今日は皆さんに今後のフローレシアにとって、大切な話をしたいと思います!」


 ドカリと大量の紙束をテーブルに置き、集まった大臣達の一人ひとりを見極めるように見回すティア姫。

 その頼もしい姿に、大臣達からも自然と賞賛の声が沸上がる。


「おお! 姫様!」

「我らは姫様と共にありますぞ!」

「なんでも申してくだされ!」


 大臣達からあげられる声は何処か大げさともとれた。

 だが、ティア姫はそれを意に介する事無く、自信に満ちた笑みでそれに答える。


「分かりました! ではじぃや! これを皆さんに配って下さい!」

「ほほぉ、ではじぃやにお任せを……」


 じぃやと呼ばれた、この場にいる大臣達の中でも一際年老いた老人が手に持つ杖を振るう。すると、ティア姫によって積み上げられた紙束は、まるで意思でも持っているかの様にテーブルに座る大臣達へとひとりでに配られていく。


 大臣達は我先にとその内容を確認する。

 自らの主君が初めて記した物だ、きっと素晴らしい物だろう。

 だが、件の紙束は何やら事細かに記されており、大臣の一人がよくよくそれを確認すると、あらゆる状況を想定したくだらないやり取りを記した物であった。

 それが延々と書き綴られている。

 筆跡はティア姫の物だ、彼にも覚えがある字体で、「爆笑ポイント!」と可愛らしくチェックが入っている。

 この紙束を一言で説明するなら。

 それは、致命的に面白くないギャグの羅列だった。


「こ、これは何ですかな……?」


 大臣の一人が恐る恐る尋ねる。

 禿げ上がり、両側の髪の毛が申し訳程度に残るこの大臣は、フィレモア伯爵と呼ばれる人物だ。


「お笑いノートです!!」

「「「……は?」」」


 ――時が、止まった。

 ティア姫は満面の笑みだった。疑うことを知らない、希望と決意に満ち溢れた笑み。

 つまり、とても残念な事に……。


「お笑いノートです!!!」


 彼女はこの紙束に記されたゴミの様なやり取りがとても面白いものだと判断していた。


 会議の場は騒然となる。

 それは驚愕であり、困惑であり、何より動揺であった。

 おい……どうすんだよこれ、誰が責任持つんだよ?

 そんな声が聞こえてくる。


「静かにー! 静かに皆さん!」


 バンバンとテーブルを叩きながらティア姫は叫ぶ。

 途端、シンと辺りは静まり返る。忠誠心は不足なく備わっている。

 ただ、ティア姫が考えたギャグが面白くなかった為、動揺しただけだ。


「ひ、姫様? 我々、ちょっとボケが始まってしまいましてのぉ。このノートについて説明して欲しいのですが……」


 大臣の一人が恐る恐る手を上げて尋ねる。

 ティア姫以外の全員が、彼の行為を称えるように尊敬の念を込めた視線を向ける。

 件の姫も満足気に頷きながら、彼の質問を反芻し、言葉を紡ぐ。


「分かりました!」


 ゴクリ……と、全員が息を呑む。

 はたして、この我儘で生まれたての雛の様に幼い姫は何を言い出すのだろうか?

 大臣達は気が気でない。

 もちろん、彼らの実力を持ってすれば、この行いの間違いを指摘し、訂正を求めるのは容易い。

 単純に一言「面白くない」と告げれば良いのだ。

 だが、彼らにそんな事を言えるだけの勇気は無かった。

 ようやく前に進みだした、この姫にどうしても味方したかったのだ。


 そんな彼らの心中での葛藤を知らず、ティア姫の説明は始まる。


「私は思ったのです。このままではいけないと! 私がこの国をちゃんと纏めていかないといけないと! だからです!」


 答えになっていなかった。完全に空回りしていた。

 唸り声があちこちで鳴る。

 それは大臣達の葛藤だ。はたしてどの様にこの空回り全開の姫に告げるか。

 この国を率いてきた、歴戦の強者である大臣達にとって、一世一代ともとれる挑戦が始まろうとしていた。


「え、えっと? 姫様それは……」

「だからです!!」


 答えになっていなかった。完全に勢いだけだった。

 今のティア姫は眩しいほどのドヤ顔だった。その顔を見てしまった大臣達は何も言えなくなってしまった。

 それ程までに、輝かしく、傅きたくなるような、そんな笑顔だった。


「ひ、姫様が元気になられてなによりです……」

「はい!!」


 一番最初に尋ねた大臣は、なんとかその一言だけを絞り出した。

 それ以外に、伝える言葉が思いつかなかった。

 周りの大臣達もウンウンと頷き、彼の言葉に賛同している。

 このまま、有耶無耶にして適当に話を流してしまおう。

 それが、大臣達が視線を交わす事のみで判断したこの現状に対する唯一とれる方法だった。


 もちろん、そんな彼らの苦しい心中など、覇気に溢れる今のティア姫は知ったことではない。

 彼女は大臣達の言葉にそれはそれは満足気に頷くと、人差し指を高くあげ、その愛らしい小さな口からまた爆弾を投下する。


「では、早速皆さん練習してください! ここに書いてある事を1週間後までに覚えてきて下さい!」


 ざわめきが一層強くなる。

 大臣の一人は配られた紙束の内容を再度確認する。

 いろいろと酷かった。何がと問われれば、その内容が、である。

 フローレシアは文化や笑い、祭りと言ったものを愛する国風だ。それ故に大臣達も子飼いの奇術師や道化師を有しており、多くの絵画や音楽等の芸術にも触れる。

 その為、フローレシアの国民――彼らの様な上級貴族なら特にこの様な物事について造詣が深い。

 誰しもがこと笑いに関しては一家言持っているほどだ。


 そう、彼らは全員が笑いに関してはうるさかった。

 もちろん、ただうるさいだけではなく秘められた才能や、光る部分を探す事にも長けている。

 その様な彼らを持ってしても、ティア姫のネタは致命的に面白くなかった。

 致命的に、つまらなかった。

 光る部分なんて、ひとつもなかった。

 だが、その様な場にあっても、勇敢なる者は現れる。

 それは、先ほどまで満足気な表情――まるで孫を見守る老人の様なそれで、ティア姫の宣言を見守っていたじぃやと呼ばれる老人だ。


「ほっほっほ、お任せ下さい姫様。このじぃやにお任せください。かならずや爆笑もののギャグを身につけてみましょうぞ」

「流石じぃやです!」


 じぃやはぐっと拳を握り、ティア姫に優しい声色で告げる。

 それを見たティア姫も満面の笑みで拳を握り、彼に答えた。


「大賢者ヘルメス様までそんな事を仰るとは……」

「我らも頑張らなければいけませんな!」

「しかしこのネタは全体的になんというか……」


 大賢者ヘルメスと呼ばれた彼、普段は皆からじぃやと呼ばれ親しまれる彼は悠々とティア姫に答える。

 彼の言葉にティア姫も気を良くし勢いづいたのか、取り残される大臣団をぐるりと見回し、やや不満そうな表情で口を尖らせ、不満を口にする。


「どうしたのですか皆さん? ちゃんと楽しくやってくれなければいけませんよ? これから勇者様を召喚するのです。全てに報いる為、我々は尊き国是を遂行せねばなりません。国難を皆の力で乗り越えましょう!」


 言葉だけ聞けばとても尊い、頼もしささえ感じるものだ。

 彼ら大臣達とて、そこに不満はない。

 むしろ、よくぞ立ち上がってくれたと畏敬の念を浮かべる程だ。

 ただ、笑いのセンスは壊滅的だった。


「きっと勇者様も突然こちらに呼び出されて不安に思うはずです。勇者様は鍵です。来る日に向けて、彼と良い関係を保つ為にはなんとしても終末の日の事を隠し、友好的に接しなければいけません」


 その言い分は大臣達も理解できる。

 勇者は非常に重要な存在だ。

 彼らの目的、そして彼らが払った犠牲を考えれば失敗する事は到底許されない。

 来るべき終末の日に向けて、ありとあらゆる準備が必要だろう。

 勇者に対する準備も、それはそれで間違ってはいない。

 ただ、ティア姫は努力の方向性が致命的におかしかった。


「だからお笑いです! どんなことがあっても、笑って過ごせば耐えられるのです。それが国是です! フローレシアの在り方です!!」


「うむ……素晴らしいお考えだとは思いますが」

「お笑いノートって発想がそもそも……」

「しかもなんと言うか、これ、さぶ……」


 困惑を含んだざわめきは次第に広がる。

 これどうするんだよ。普段から様々な思惑が複雑怪奇に絡み合う彼らではあったが、本日に至ってはその思いは一切の違いなく統一されていた。

 そんな困惑だ。当然その隙は見透かされる。

 彼らの動揺を感じ取り、攻めの一手を取ったのは、ティア姫ではなく意外な人物だ。


「ほっほっほ、姫様。皆も突然の事で混乱していると思うのですじゃ。ここは一つ、姫様がお手本を見せるというのは如何でしょうかな?」


(((爆弾落としやがった……)))


 大臣達の内心が綺麗に一致した。

 好々爺然とした穏やかな表情で、じぃやは全力で爆弾を落とした。

 いや、大臣の一人が気づく。

 じぃやはただ笑っているだけではいなかった。ニヤニヤと悪どい笑みを浮かべていたのだ。

 それは、この場をかき回してとりあえず面白い事にならないかなぁと言う子どもじみた物だった。


「分かりました、ではいきますよ!」


 ティア姫はそんなじぃやの思惑など一切知らない。

 嬉しそうに彼の言葉に同意すると、ささっと自らの椅子から立ち上がり、皆から見える位置へと移動する。そして……。


「この椅子……座ってもいいっすかっ!?」


 それは、自信に満ち溢れたものだった。

 その内容に一切の疑いがない。

 ティア姫という人物は、自らが放った渾身のギャグに絶大なる信頼を寄せていた。

 そんな彼女を誰が笑えようか……。いや、いろんな意味で笑えなかった。


「しゅ、シュール系って奴ですかな?」

「いやまて、あれはガチの顔だ」

「え、なにこれキツイ」


 大臣達は恐怖にひきつりながらその内容を小声で語り合う。

 あまりにも、あまりにもひどい出来だった。

 ちなみに、その原因であるティア姫はニコニコと屈託の無い笑顔で、先ほど放ったギャグの笑いどころを説明し始めている。

 大臣達の胃がキリリと痛む。

 正直きつかった。あんな笑顔でギャグの説明をされてリアクションを取れる程、彼らも鋼の心を持っていないのだ。

 流石に、いろいろと無理があった。


「ほっほっほ! 姫様には特訓が必要ですな」


 そんな彼女に勇敢にも切り込む人物がいる。

 大賢者ヘルメスことじぃやだ。

 彼は、他の大臣達の苦悩を他所に、全力でティア姫へダメ出しをおこなった。


 大臣達は神に感謝する。

 そして同時に、大賢者ヘルメスに感謝した。

 心配したティア姫の様子も、確認してみるとあまり気にしていることはなく、少々不満そうにしているだけだ。

 大臣達は全員が全員、ほっと胸を撫で下ろす。


「えー? 面白いと思ったのですが……」

「では、じいやが本当に面白いお笑いというのを教えてあげましょう」

「流石じいやです! 楽しみにしています!」


 予想外な場所からもたらされた提案。

 大臣達もこの提案には目を丸くする。


「フローレシア建国から培われたお笑いか……」

「何か物凄いものが出てくるんでしょうな」

「抱腹絶倒、楽しみですな!」


 自然と期待が膨らむ。

 大賢者ヘルメスは大臣達が子供の頃――否、それよりはるか昔より生きてきた存在だ。

 そこに秘められた知識は想像を容易く超えるだろう。

 はたしてどの様なネタを披露してくれるのだろうか、その場にいる全ての人物の視線が一点に集中する。


「ではいきますぞ……」


 全員の視線が、集中する。


「カエルがひっくりかえる!!」


 沈黙が会議室を支配する。


「す、凄いですじぃや! とっても面白いです! 流石です!!」

「そうじゃろ、そうじゃろ?」


 口火を切ったのはティア姫だった。

 彼女は尊敬の眼差しをじぃやに向けており、受けるじぃやもこれでもかと自慢気な表情を見せている。

 つまり、二人とも、今行われたゴミの様なやりとりに、最上の物を感じていたのだった。


「しゅ、シュール系って奴ですかな?」

「いやまて、あれはガチの顔だ」

「なにこれマジでキツイ」


 大臣達の胃は限界だった。

 どのようにリアクションしていいか分からない。

 彼らは、もはやこの二人になんと声をかければ正解なのか、まったく分からなくなってしまっていた。


「とにかーく! 皆さんにはもっともっと面白くなってくれなくてはいけません。だから、ちゃんとお笑いの事を勉強して、私やじぃやの様に面白い人間になってくださいね!」


 ティア姫は続ける。


「全てを覆い隠しましょう! 悪いことも、良いことも、そうすればきっと明日は素晴らしい日がやって来ます! 恐ろしい事など何もありません! 最後に勝つのは我々です。――我々こそが、終末の日を乗り越え、真なる平和を手にするのです! そう、それこそが……」


「――それこそが、犠牲となった"死者"への弔いとなります!」


「では、解散!!!」

「ふぉっふぉっふぉ! では皆の衆、姫様とフローレシアの為に頑張りましょうぞ!」


 全力での無茶ぶり。

 ティア姫は良い笑顔だ。自らのネタの面白さを疑ってもいない。

 じぃやも良い笑顔だ。これから胃を傷ませるであろう大臣団を思い、愉悦の表情を浮かべている。

 数千年を生きる人の枠を越えた存在でありながら、未だにこの様に無邪気であり続ける老獪なる大賢者。

 王連八将の一人。フローレシアの建国からこの国を見守る超越者、死してなお生き続ける者、ヘルメス・トリスメギストス。

 いまだ子供のようにはしゃぐ彼を睨みつけながら、大臣団は目の前の難題をどの様に解決するか、頭を悩ませた。

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