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閑話:宰相ちゃんと戸籍偽造

 フローレシアは戸籍管理が徹底されている。

 他国とは違い、民草はその全てが出生の届け出が義務付けられており、その住居、家族構成、年齢などが各地区を統括する貴族を経て王都に集められる。

 そのフローレシアの人々すべての記録が集約される、戸籍管理室。

 天井近くまで本棚がところ狭しと立ち並び、空き無く書類が詰め込まれるその場所。

 静かに扉を開け、部屋に入室してきたのは宰相ちゃんだった。


「おやおや、これは宰相ちゃん様。いかが致しましたか?」


 この部屋を管理する――戸籍管理官と呼ばれる壮年の男性は、宰相ちゃんを目に止めると、穏やかな口調で語りかける。


「あなたは宰相ちゃんを見ていない」


 だが、返答は彼女の魔力を持って返される。

 戦闘向きではなく、その情報処理能力をもってこの地位についた彼は、抗うすべなく宰相ちゃんの能力にとらわれる。


「はい……私は宰相ちゃん様を見ておりません」

「勇者様の戸籍を持ってきて、下さい」

「……はい」


 宰相ちゃんの洗脳能力には段階がある。

 出力を弱めれば簡易的に相手の思考を誘導する事が可能なのだ。

 そしてこの程度であれば後遺症も無い。

 そう判断した宰相ちゃんは、自らの欲望を達成するために躊躇なく能力――『破折屈服』を使用する。


「……こちらになります」

「ありがとう、ございます」


 管理官が持ちだした紙束。硬い麻ひもで乱雑に纏められ、本状になったそれをワクワクとした表情で受け取った宰相ちゃん。

 彼女はいそいそと近くにある机に向かうと、何やら作業を始める。


「よい、しょ」


 大きめの椅子に飛び乗るように座り、机の上に戸籍を置きページを捲る。

 やがて、ひとつのページにて動きが止まると、近くに置いてある羽ペンを取り出し何やらいそいそと書き込みをはじめた。


「…………」


 フローレシアの戸籍は日本の物と似ている。

 主となる人物の戸籍欄にその人物に関係する配偶者、奴隷、子等の情報を記入していくのだ。

 もちろん、カタリはこの世界に来たばかりなので特別記す情報もない。

 年齢や住まい、後は勇者である為に秘匿情報扱いの印鑑が押されている程度だ。


「よしっ」


 小さな、何やら満足気な声で頷く宰相ちゃん。

 カタリ・ホンドウの横、通常、配偶者が記入される欄。

 そこには小さく控えめな字で、"デモニア"と記されていた。


 デモニアとは宰相ちゃんの本名だ。

 過去のやり取り、ティア姫は冗談で宰相ちゃんを勇者カタリにプレゼントすると宣言した。

 宰相ちゃんはその言葉を忘れていなかった。この国の支配者の言質はとったのだ。そして彼女が心より慕う勇者カタリは奴隷に興味が無いと先日言っていた。

 ならば、彼女がどの位置に着くかは明らかだろう。


 少しだけ顔を紅潮させ、ぽぉっとした表情で戸籍を眺める宰相ちゃん。

 悪魔を意味する呪われし名前、決して自ら呼ぼうとしない、他人にすら容易に呼ばせないその名前が、今だけは眩しく輝いて見えた。


「かたり・ほんどう……」


 戸籍の上、カタリの名前が記されたそこをそっと慈しむように指でなぞる。


「でもにあ・ほんどう……」


 ニヘラと、愛くるしい笑みを浮かべながら、自らの名前をなぞる。


「でもにあ・ほんどう」


 再度、噛みしめるようにその名前を読む。

 普段、穏やかな笑みを浮かべてる彼女にしては、珍しくだらしない笑みを浮かべていた。


「勇者様の、お嫁さん……宰相ちゃんの旦那、様」


 幸せそうに、心底幸せそうに、宰相ちゃんは呟く。

 その言葉には信頼・尊敬・愛情・ありとあらゆる好意的な想いが込められている。

 この時だけ、この瞬間だけ。宰相ちゃんは歳相応の少女に戻れた。宰相としての仕事も、力持つ物としての義務も、後継者としての責務も、フローレシアの悲願も何もかも……何もかも関係のない。

 ――一人の恋する少女になれた。


「後片付け、お願いします」

「かしこまりました、宰相ちゃん様……」


 やがて、ひとしきり戸籍を眺め、幸せな気分に浸った宰相ちゃんは席を立つ。

 足の付かない、大きな椅子からぴょんと軽やかに飛び降りると、入室時よりもずっと柔らかな声で、管理官に伝え、戸籍管理室を後にする。

 戸籍偽造は重罪だ。正式な手続きをおこなっていない戸籍には効力も無い。

 姫が主導し、計画され、自分に対して行われたものとは違って、今回の偽造は独断によるものだ、見つかったら問題になるだろう。

 だが、まぁ、そんな事知ったことではない。

 それが、宰相ちゃんの主張であった。


………

……


 やがて、彼女はカタリの自室の前へとやってくる。

 扉一枚へだてた向こうにカタリがいる……。ふぅ、と一度だけ深呼吸をした彼女は、トクトクとその小さな心臓を鳴らしながら、そっと扉をノックする。

 ちなみに、彼女は自らの仕事をすべて放り出してカタリの所へと遊びにきている。

 お陰でそのツケを哀れな大臣達が払わされている訳だが、今の宰相ちゃんにとってさしたる問題でもなかった。


「勇者、様」

「やぁ、宰相ちゃん! いらっしゃい!」

「お話、しに来ました」

「大歓迎だよ宰相ちゃん!」


 トテトテと、カタリの所へと向かう宰相ちゃん。

 ソファーにゆったりと座り、何やら紫色のティーを飲んでいるカタリ。

 そんな彼に対して、宰相ちゃんは少しだけ勇気を出して、その膝の上に座る。


「あ、あれ? どうしたの?」

「なんでもない、です」


 いつもならソファーの横に座るはずが、このような行動を取ったことに驚いているのだろう。

 もっとも、宰相ちゃんが膝の上に座るのはこれが初めてではない。

 カタリも少々戸惑っただけで、包み込むように自らの前で手を組んで抱きとめてくれる。

 その優しげな扱いが、宰相ちゃんにとっては何よりも嬉しかった。


「やけにご機嫌だね? 良いことあったの?」

「とってもいいこと、ありました」

「なになに? 勇者様にも教えてよ!」

「勇者様は、ヘタレだから駄目、です」

「えー。厳しいなぁ宰相ちゃん」


 楽しそうに宙ぶらりんになった足を揺らす宰相ちゃん。

 カタリも自然と微笑ましい気持ちになって来る。

 身体を捻ってこちらを向く宰相ちゃんより向けられた微笑みは最上の物だ。

 ああ、この世界に召喚されてよかった。

 カタリは思わずその笑顔に胸を高鳴らせる。

 外道公の訓練を経て、鋼の意思を持つようになったカタリは、余程のことでないと心底動揺するような事態にはならない。

 そのカタリが思わず動揺するほどの笑顔。それ程までに、今の宰相ちゃんは魅力的だった。


「ねぇ、こっそり勇者様に教えてよ」

「ちゅーしてくれたら教え、ます」


 が、カタリは止まる。

 またこれだ、この小さな天使はまた我儘を言い出したのだ。

 最近熱心にアタックをしてくるこの女の子をどうやって躱そうか、カタリは悩む。

 別に、宰相ちゃんを嫌っている訳ではないのだ、だが、まだそういうことは早過ぎると思う。

 もちろん、目の前の子はそんなことは思っておらずバッチコイであろう。

 カタリは半ば諦めながら宰相ちゃんの提案を問いなおす。


「で、でこちゅーかな?」

「ヘタレ、です」

「えー……」


 プクーっと頬を膨らませながら、ご機嫌斜めになる宰相ちゃん。

 カタリは相変わらず困った表情のまま、だが内心でほっとする。

 あの笑みのままでいられたら、自制できる自信がなかったからだ。


「勇者様、宰相ちゃんはこれからも一杯ご奉仕、します」


 しばらく膨れていた宰相ちゃんではあったが、少しして変化が訪れる。

 いくらカタリに言っても駄目だと理解したのだろう。

 宰相ちゃんも不機嫌な表情を和らげ前を向き、先ほどと同じように楽しそうに足を揺らしながら、謳うように告げる。


「ん? 別に無理しなくてもいいんだよ? 毎日大変でしょ」

「大丈夫、です」

「そう? でもいろいろお願いしちゃって悪いね」

「当然、です」


 フンスと、胸を張りながら自慢気に語る。

 そして、ゆっくりと、まるで噛みしめるように、小さくその言葉を紡ぐ。


「宰相ちゃんは勇者様の――」

「えっ? 何て言ったの? 聞こえなかった」


 小さな言葉はカタリには届かなかった。いや、意図して言わなかった。

 その言葉を告げるには宰相ちゃんはちょっとだけ幼く、ちょっとだけ勇気が足りなかったからだ。

 その代わり宰相ちゃんは、クルリとカタリへ顔を向け天上の笑みで「秘密、です」とだけ答える。

 不思議そうな顔をするカタリの表情を見て、クスクスと笑いながら。


 ――お嫁さん、ですから。


 カタリに聞こえぬよう、心の中で。

 宰相ちゃんは自らの思いを告白した。

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