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幕間:魍魎嘲謔

 京都。

 古くからの伝統が色濃く残り、いまだ古来からの儀式が受け継がれる土地。

 その一角、人があまり立ち入らない閑散とした地域。その広大な敷地を森で覆い隠した、地元の人々にも知られていないような純和風の屋敷。

 その客間にて、和服に身を包んだ品のよい婦人が、ある男性を前に一人言葉を告げる。


「――化け物。もしかしたら、異世界の住人はカタリさんの事をそう評価されているかもしれませんね」


 カタンと、鹿威し(ししおどし)が鳴る。

 女性の名前は"本堂(くさび)"。本堂家の当主であり、本堂(かたり)の母親だ。

 彼女が唐突に告げた言葉に、正座で対面する男性は訝しげな視線を向け、尋ねた。


「化物……ですか?」


 その男――祠堂(しどう)龍三郎と呼ばれる男は、その強健で(いかめ)しい雰囲気とは裏腹に、実に穏やかな口調だ。


「その通りです。何か気になる点がありますか?」

「ご子息のカタリ君はごく一般的な子だと伺っておりますが……」

「見た目は――と前置きをつければそうなりますね」


 カタンと、鹿威しがまた鳴った。

 楔は客間の隣に見える庭園、この巨大な屋敷の広大な敷地を存分に利用して作られたそれを慈しむように眺めると、ゆっくりと、まるで幼子に言い聞かせるように説明を始める。


「祠堂さんも既にご存知かと思いますが、息子は来る日の為に用意された"護国の英雄"です」


 彼ら二人以外、人の気配がしないこの屋敷に、楔の言葉はよく響いた。

 湯のみに入った茶をゆっくりと飲みながら、彼女は続ける。


「源、織田、武田、島津、舩坂……国内のあらゆる英雄の血を遺伝的に再現し混合して、あの子を生み出しました。その血に刻まれた英雄の素質は、異世界という特殊な環境で必ずや開花し、我々の目的を達成する為の礎になってくれるでしょう」


 卓越した科学はもはや神の領域すら超える。

 "遺伝再現技術(ジーンリザレクション)"……。

 ある一族の遺伝子を収集、解析し、祖先となる過去の人物を遺伝的に再現する技術だ。

 つまり、子孫さえわかっていれば過去の偉人を現代に蘇らせることすら可能とする。

 国内を駆けずり回り、秘密裏に集められた英雄の血筋は、確かに過去の英雄を現代へと再現せしめた。

 そして英雄は、いや、()()()は……"本堂(カタリ)"と呼ばれる、人間の中で密かに息づいている。

 デザインチャイルドと呼ばれるそれは、身体的、精神的優生を得るために、遺伝子を調整し、優越個体となるよう調整された存在だ。

 もっとも、数多くの英雄の遺伝子を下品な程放り込んだ所で、その全てが相対的に薄まり、せいぜいが多少他よりは優れている人間が生まれるだけだ。

 だが……。


「なにせ、あちらの世界は神秘や魔法といった概念が色濃く受け継がれているのですからね。英雄の血、それがどのように発現するか楽しみでなりません」


 それは、"この世界では"という但し書きがつく。

 英雄の血筋とは、現在本堂(カタリ)が住まう、フローレシアが存在する異世界において重要な意味を持つ。

 魂や精神が物理的な力を持つ世界では、血筋もまた強力な能力となるのだ。

 血は歴史だ。そして受け継がれし力でもある。

 わかり易い例で言えば、英雄の子孫が英雄の血に覚醒し、困難に打ち勝つ。

 そんな物語。ありふれた英雄譚。

 だが、それ程までに英雄の血筋とは強力なのだ。


 故に……もし、複数の英雄の血を持つ人物がいればどうなるだろうか?

 それも、何代にも重なり、薄まった血筋ではなく、本人の血をそのまま受け継ぐ人物がいれば……。

 本堂(カタリ)は、一人の人間でありながら、同時に複数の英雄であった。

 通常ならありえないはずの、ありとあらゆる"英雄の血を持つ英雄"。

 矛盾の極地にあるそれは、もはや英雄というカテゴリに存在するべきではないだろう……。


 そんな、英雄ですらなくなった英雄。人工的に作られた英雄のまがい物、もはや化物と言っていいのかすら判別が不能なその存在は、明確な目的をもってフローレシアに送られた。

 他ならぬ楔の……楔達の手によって。召喚術式に干渉し、強制的に介入する形で。

 くすくすと、心底嬉しそうに楔は嗤う。

 だが(カタリ)について語る楔の表情は、母が見せるそれであった。

 打算や思惑の無い、純粋な笑み。

 彼女は、自らの息子を、もはや人と言ってよいのかすら分からないそれを心から愛していた。


「……もちろんそれだけではありません。さらにあの子には――」

「そこまでです。その事は口に出すことすら憚られます」


 饒舌に我が息子について語り続けようとする楔を龍三郎が遮る。

 禁忌にも限度がある。

 本堂(カタリ)に施された術は、世に出れば必ずや糾弾の的となるだろう。

 余計な事を言わないに越したことはない。

 万が一誰かに聞かれては処理が面倒だ。

 そう、咎めるように強く楔を睨みつける。


「……失礼しました。息子の事となるとつい夢中になってしまって」


 少々慌てながら、口元を着物の袖で隠し誤魔化すように小さく笑う楔。

「親ばかでしょうかね?」と恥ずかし気に尋ねられた言葉に、龍三郎は「いえ……」と一言だけ答える。


「ですが、あの子に眠る多くの英雄の血は、必ずやあの子を一流の英雄へと、英雄の中の英雄へと覚醒させてくれるでしょう。あの国で経験する非日常。例えば死に瀕す出来事や極度の空腹、それに準ずる極限状態。その時、あの子は覚醒します。護国の英雄へと……。それこそが我が国の悲願。日本の……」

「しかし、デザインチャイルドですら国際法で禁止されています。本当に、この様な倫理的過ちを犯してまで彼を造り上げる必要があったのか……」


 どこかうっとりと語る楔に龍三郎は話題を変えるように呟く。

 これ以上彼女の息子自慢に付き合ってられない為だ。もっとも、あのような"悍ましい存在"をまだ自分の息子であると言い張れる点では尊敬以外の感情は沸かないが。

 残念ながら彼とて楔のお喋りに一から十まで付き合えるほど暇な人間ではないのだ。


「カタリさんを創りあげたのは、すべて承知のうえで行われた事です。そうしなければいけない理由が我々にはあります」

「……そうですね」

「何かご懸念が?」


 楔は初めて怪訝そうに尋ねる。彼が何やら憂いの表情を見せていたからだ。

 龍三郎は、少しだけ思案すると、己の不安を楔に打ち明ける。


「私は危惧しているのです。我々は意図してご子息をあの世界へ送りました。出来る限りの力を与え、考えうる限りの素質を持たせた……人の道から外れた法を施してまでも」


 科学が世界を網羅し、神秘が駆逐された現代。

 だが、常識や数式で説明できない事象はひっそりと、様々な形をとり、受け継がれる。

 本堂家はその最たる例だ、数多くの家元の中で強い影響力と強い力を持つ。

 古来よりある種の祭祀を担ってきたこの家には、数多くの神秘の欠片がいまだ色濃く残っていた。

 それらすべてを動員し、ありとあらゆる可能性、ありとあらゆる効果を検証し、本堂(カタリ)は造られる。

 本堂(カタリ)は、現時点で彼らが送り込める最高の英雄であり、そして兵器であった。


「遺伝子を操作する事は我々の世界ですら禁忌とされている事です。それをふんだんに、まるで神を嘲笑うかのようにおこなってしまった。カタリ君を生み出し、あの世界に送る為に」


 堰を切ったように龍三郎は語りだす。

 彼の五感がガンガンと警鐘を鳴らしていた。彼が地位と権力を得て、初めてこの国にはびこる魍魎達へと謁見し、その目的を聞かされた時から聞こえていた物だ。


「はたして、この行いは上手くいくのでしょうか? 私はこの冒涜的な行いが、何か得体のしれない、我々も、そして異世界の彼らすらも予期せぬ恐ろしい災厄を呼び起こしてしまうのではないかと……そう、危惧しているのです」


 長年培ってきた、そして彼を彼たらしめる感が告げる。

 恐ろしいことが起こっている、何か取り返しの付かない事が起きている。

 故に、彼は普段では見せることないほど饒舌に、そして興奮気味に楔へと己の不安を打ち明けた。


 ……龍三郎の独白を聞いた楔は、その様子に少しだけ目を見開くと、破顔し、クスクスと笑い出す。

 そうしてひとしきり笑うと、一言「失礼」と居住まいを正し、龍三郎に答える。


「心配症ですね。我々だって残された神秘をかき集め、ありとあらゆる可能性を考え息子を造ったのですよ? そのような事はありえませんよ。それとも、それほどまでに慎重にならなければ務まらないのでしょうか?」


「――内閣総理大臣という職は」

「……国を預かるとはそういうことです」


 第116代内閣総理大臣――祠堂龍三郎。

 この国の、表の頂点に立つ男は、静かに、だが強い瞳で答えた。


「立派なお心がけです」

「ありがとうございます」

「まぁ、既に賽は投げられたのです。今更どうこう言ってもどうにもなりません。我々は我々に出来る事をしましょう。……では、こちらが今回送られてきた文章になります」


 視線が交差する。

 楔は懐から丁寧に折りたたまれた書簡を取り出すと、まるで繊細な工芸品を扱うかのように、そっと龍三郎の方へと差し出した。


「確かにお預かりします」

「解読は進んでいますか?」


 中身を確認する事もなく、大事そうに自らの懐へと書簡をしまう龍三郎へ、楔は静かに尋ねる。


「予定通りには。フローレシア王国が簡単な翻訳表を付けてくれていたのが助かりました。お陰で護国院は上へ下への大騒ぎですよ」

「信じていない方も多かったですからね。しかしお国の未来がかかっているのです。大変でしょうが彼らには頑張って貰わねばなりませんね」

「……仰るとおりです」


 静かに、確認するように伝える。

 そしてそのまま、もう互いにこれ以上は話すことは無いと、両者は深々とお辞儀をした。


………

……


「お疲れ様です」


 本堂家の玄関にて龍三郎は自らの秘書に案内され、出迎えの高級車に乗り込む。

 革張りのシートにドカリと座り込むとネクタイを緩め、ふぅと息を吐く。


「すぐに東京へ戻るぞ、護国院へ連絡しておけ、本堂より新たな親善書を受け取ったとな」


 運転席に乗り込む秘書へそう告げると、そっと胸元に手を置く。

 ここにある書簡が国の命運を左右する。

 その事を思うと、気が気でない。彼ほどの人物を持ってしても、その責務は重かった。


「かしこまりました。所で、先ほどからチョロチョロとネズミがうろついているようなのですが……。スキャンダル目的の新聞社ですね、どこから嗅ぎつけてきたのやら」

「そうか……」


 科学技術の発展は、個人の居場所の特定を容易にする。

 個人レベルでの所有が可能な各種センサーや追跡用サービス。それら――特に法の網を潜ったものを利用すれば、一国の首脳といえど追跡することは不可能ではない。

 しかし、この場においてはそれは非常に良くない事態を引き起こす。

 彼らはスキャンダラスな献金や賄賂の証拠を求めているのだろうが、藪の奥底に潜むのは蛇ではなく凶悪な大蛇――蠎蛇(うわばみ)だ。

 そして、藪をつついて無事なほど、彼らは甘くはない。

 よって、何の気負いもなく、まるで尋ねられた業務の対応を部下へ告げるかのように、龍三郎は秘書から受けた質問に答える。


「いつも通り殺したまえ」

「かしこまりました」


 今月に入って何人目になるだろうか? そろそろ気づいてもよい頃だが……。

 世の中には知らなくても良いことがある。知ってはいけない事がある。

 とは言え、知らずに命をかけるとはご苦労なことだ。

 恐らく、明日の日の目を見ることは無いであろう哀れな記者を思いながら、龍三郎は大きなため息をつく。

 まぁ、これ以上余計な詮索をする場合は新聞社の幹部級を何人か殺せばよいか。

 まるで人を数字のみで勘定するかのように、車の窓から流れる景色を眺めながら、龍三郎は一人そう考えた……。


◇   ◇   ◇


 一人になった客間。

 楔は冷たくなった茶を飲みながら、庭園の景色を眺める。


「それにしても、カタリさんはあちらの世界で上手くやっているでしょうか?」


 呟きは風に乗り、静かな屋敷に溶け込む。


「カタリさんはちょっと空気が読めない所がありますから、ご迷惑をかけていないか少々心配ですね」


 クスクスと嗤いながら、愛しい息子との日々を思い出す楔。

 彼女の頭には既に失敗などという言葉は存在しない。それは異常とも言える彼女の息子に対する信頼から来る物だ。


「私の可愛いカタリさん。国家の命運を一身に背負った護国の英雄……。ふふふ、頑張って下さいね」


 最後に勝つのは我々だ。

 終末の日は日本の勝利で終わる。

 すべてが灰燼に帰す世界にて、やがて新たな日は我が国から上り、すべての世界は日本の名のもとに真なる平和を迎えるのだ。

 夢想し、楔は嗤う。

 その笑みはどこまでも暗く、陰鬱としたものだ。

 そしてどこまでも無垢で、どこまでも愛に満ちている。


「応援していますよ」


 暴力も、戦争も、何もない平和な国日本。平和なはずの国。

 その裏に潜む魍魎達は、その魔手を次元の向こう側まで伸ばしながら、自らの野望を成就せんと嘲謔するのであった。

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