第二十三話(上)
我が愛しのフローレシア。
勝手知ったる王宮の中をグングンと進み、屈強な衛兵が両脇を固める扉の前へと立つ。
繊細な彫刻が施された重厚な扉を目にし、うんうん頷き、自分は帰ってきたんだと感動にも似た気持ちを抱く。
そしてじっくりと満足するまで扉を眺めると、気持ち悪そうにこちらを見る衛兵を無視し、ノックもせずに扉を開けて入る。
「ただいまー!」
巨大なフローレシアの国旗が壁に飾り付けられるその執務室。
国旗に描かれた頭のおかしい国是『いかなる時も笑顔であれ』を横目にズンズンと中に入る。
中央にある巨大な机に座り、何やら書類と格闘していたティアは、俺に気がつくとパァっと笑顔を見せ、こちらに駆け寄ってくる。
「おかえりなさいませー! お土産は!? お土産は!?」
「ほい、これ! なかなか良さ気なのがあったんだよね」
「わぁ! ブローチだ! ありがとうございます!」
「どういたしまして。買い物する時間があってよかったよ」
ターラー王国の王都を探検していた際に購入した、花をかたどったブローチ。
それを懐から取り出し、ほいとティアへ渡す。
ちなみに、宰相ちゃんとエリ先輩にもブローチをプレゼントした。もっとも、デザインは違うけど。
代わり映えがない気もするが、あんまり皆に差をつけて怒られても駄目だと思った苦肉の策なのだ、自分にしてはよくやったと思う。
「てっきりカタリ様の事だからいじわるで変なもの買ってくるかと思ってました!!」
「失礼にも程があるよね? 君とは違うんですよ」
「似合ってますかー?」
嬉しそうに渡したブローチを眺めながら胸元に付けるティア。
美しいドレスに花をかたどったブローチのアクセントが映える。
「とってもね、ティアは何着けても似あうよ」
「えへへー」
心からの賛辞を送る。
お世辞ではなく、本心だ。俺の思いが届いたのだろう、ティアもちょっとだけ恥ずかしそうにはにかみながら、とても嬉しそうにブローチを眺めている。
普段アホな事をしていて、凄くワガママさんなんだけど、こういう所は本当に可愛らしいんだよなぁ……。
俺はティアの幸せそうな笑顔に満足しながら、頷く。
「ではでは、カタリ様? こちらにお座りになって下さい!」
「ん? なんかお菓子くれるの? 毒入りがいいんだけど」
「お菓子はおあずけです!」
「えー……」
執務室に誂えたソファー、まるで座る者を包み込むような柔らかさをもったそれに身体を預ける。
少しだけ真剣な表情で、対面に座り俺を見据えるティア。
そんな彼女の表情に俺も何事かと構える。
「さて、プレゼントはとっても嬉しいのですが。残念ながらカタリ様には私からちょっとお説教があります!」
「おお? 何、俺なんも悪いことしてないぞ?」
指をビシリと俺に向かって突きつけ、何やら宣言するティアさん。
その剣幕に俺もちょっと押され気味になるが、そもそも悪いことをした記憶はないのでここは強気でいく。
「勝手にターラー王国の王宮から外に出て冒険しちゃったことです!」
なるほど。
ティアはどうやら俺が勝手な行動をしたことにご立腹らしい。
だが待って欲しい。ターラー王国への訪問は遠足じゃないんだ、そして俺は子供でもない。一から十まで行動を縛られるなんて嫌に決まっている。抜け出すのは当然という話だ。
それになかなかスリリングな体験だった。可能ならもう一度サバイバってみたいな。
「あれね。楽しかったよ!」
「むぅ! 楽しかったじゃありませんよー! 話はエリさんから聞きましたけど、とっても危なかったみたいじゃないですか! 万が一があったらどうするんです!?」
「ははは! ティアは大げさだなぁ。そんな事はないよ。あの程度だったらどうとでもなると思ったから行ったんだし」
うん、実際たいしたことなかった。
ギルドはしょっぱなから怪しい雰囲気をプンプンとさせており、同行するメンバーも違和感が隠せていない。
唯一セイヤとエミリー嬢がのほほんと正義感に溢れてていただけだ。
何かがあるのは確実だった。でもなんとかする自信はあった。
それに、あんな面白そうなこと、放って置けるはずがないだろう。
「そういう甘さが危機を呼びこむんですよ! 絶対なんてないんです、慢心はアホの子がする事ですよ! 予想外はいつだって起こるんです!」
「はっはっは、大げさだなぁ、ティアは」
心配症なティアさんに思わず笑ってしまう。
この子は何を言っているのだろうか? もしそうなったらその時考えればいいじゃないか。
予想外なんてどうやったって起こるんだ。
「もう……カタリ様ったら! もし死んじゃったりしたらどうするんです!?」
「――ん? 死んだら仕方ないね」
簡潔に答える。
「……は?」
「死んだらそれまで、ゲームオーバー」
「……それ、本気で言っています?」
ティアはひどく驚いた表情で俺を見つめている。
それはまるで信じられない者を見るかのようであり、信じられない物を見るかのようでもあった。
「おかしな所はないでしょ?」
唖然とする彼女へと告げる。
……俺は何かおかしなことを言っただろうか? うーん、変なことを言ったつもりはないんだけど。
こめかみをトントンと叩きながら、眉を顰め考えこむ彼女の答えを待つ。
「あ、ああ! 分かりました! まったく、カタリ様ったら!」
しばらく考え込んでいたティアさんであったが、何やら思い至ったらしく、「お説教追加です!」と意気込み、プンスコ怒りながら人差し指を立ててお説教モードを継続する。
むむむ、更にお説教されるのか、俺悪いことは何もしてないんだけどなぁ。
「いいですか。この世界はゲームとは違うんですよ? 日本とは違って危険が満ち溢れていて、慎重に行動しなければ身を守ることもできない。そして死んだら生き返る事は原則できません。まぁ、不可能とは言い切りませんが、無視していい事です」
ティアさんは真剣だ。
まるで俺の考えが根本的におかしいとでも言わんばかりに鋭い視線を向けながらゆっくりと説明してくる。
「つまりですよ。死んだらカタリ様が好きだったゲームみたいに宿屋で復活! みたいな都合の良いことにはならないのですよ? もう、しっかりして欲しいですね、カタリ様のゲーム脳!」
最後に、「このお馬鹿さんー!」とプンプンと怒りをあらわにして説明を終えるティアさん、だがその様子がどこかぎこちなかった。
まるで、演技でもしているかのように動揺が見え隠れしている。
でもまぁ、そんなこと言われたって、俺の答えは変わらないんだよなー。
「もう、そんな事わかってるよ。別にそれでいいじゃん。死んだら死んだで」
「え? え、えっと……ま、待って下さい。死んだら駄目でしょ! 変な事言わないで下さい」
「いやいや、変な事を言ってるのはティアだよ? 生きるのも死ぬのも大して変わらないよ。そりゃあ皆と別れるのは辛いけど。けど生きるってそういう事だよ? 死ぬ時はどうあがいたって死ぬんだよ。それに、地獄も別に悪い所じゃない気がするんだけどなぁ」
ズキリ……と、頭に鋭い痛みが走った。
「…………」
「どうかしたの?」
スッと、ティアから表情が消える。
先ほどまでの真剣な表情とも違う。今のは……そう、まるで感情の篭っていない人形のような表情だ。
「ティア?」
その変化に訝しみながら声をかける。
彼女は、俺の瞳をじぃっと覗き込みながら、今までに見たこともない、ある意味恐ろしい表情で口を開く。
「カタリ様。たしか奴隷が欲しいっておっしゃっていましたね」
「あっ! ば、バレましたか。はい、えっと……欲しいです」
「なんの為に?」
「えっ!? それは……うーん」
突然尋ねられ慌てて返事をする。
ま、まさかこれほどまでに早く話がいっているとは……。
俺はエリ先輩の行動の早さに感服しながら、思いもよらない質問に少々慌てる。
動揺する俺をよそに、不思議そうな、本当に不思議そうな表情で、ティアは質問をはじめた。
「エッチな事をする為に?」
「うーん、それは興味ないね」
そういうのはなんていうか、愛しあった二人でするべきだ。
青臭いかもしれないけど、俺はそう思う。
それに、女の子を無理やりだなんて俺の趣味じゃないしな。
「可愛い女の子を侍らせたい?」
「いや、流石にそんな事はしないよ」
可愛い女の子が一緒にいてくれれば確かに幸せかもしれない。
けど、別にそれならティアや宰相ちゃん、エリ先輩がいるし、そもそも彼女達よりも可愛い女の子なんてそうそう考えられない。
これも理由ではないね。
「身の回りの世話をしてくれるお手伝いが欲しい?」
「宰相ちゃんが怒るでしょ? それに俺はなんでも自分でする派だよ」
そもそも、日本人なんて基本的に自分の事は自分でする。身の回りの世話をして貰うなんてこの世界に来てからだ。別になくても困らないし、むしろ無い方がよい。
それに、身の回りのお世話だなんて、そんなことを頼んだら宰相ちゃんが黙っていないだろう。
「……もしかして拷問して楽しむ為?」
「失礼な! そんな趣味はないよ!」
なんでそんな事を聞くんだよ。
あまりにも突拍子もない質問に語気を荒らげて答える。
俺をなんだと思っているんだこの子は!
その答えに、ティアは少しだけほっとした表情を見せた。
だが……。彼女が真剣な表情を戻して告げた次の質問。
「じゃあ、何のために奴隷が欲しいとか言い出したのですか?」
俺は、それに答えることが出来なかった。
…………あれ?
俺、何の為に奴隷が欲しいだなんて言い出したんだ?
セイヤとエミリー嬢が羨ましかったから? いやでもそれで奴隷だなんて……。女の子に興味があった? でもそんな気は……。
別にあって困る物でもないから?
ちょっと待て、あっても困らないってなんだ? あの時俺は何を考えていた?
俺は奴隷の女の子を何に使おうとしていた?
「え? あれ? えっと……」
言葉が出てこない。
思考がグルグルと巡り、ズキズキと頭痛が酷くなってくる。
混乱する頭を落ち着かせるように手で抑える。
――ぬるっとした感触にハッと視線を向ける。
……手のひらは、冷や汗でべったりと濡れていた。
「……暗殺者。あそこまでする必要があったのですか? 皆女の子ですよね」
続けて言葉を語るティアに視線を向ける。無理やり上げた頭が予想外に重い。
彼女も動揺しているのだろう。無表情ではあるが、酷く怯え、酷く混乱しており、俺を咎めるように言葉を紡ぐ。
「日本は平和な国ですよね? 暴力とは無縁の世界だったんですよね。いままで喧嘩の一つもした事が無かったんですよね。こちらのように甘さが死に繋がるような世界ではありませんよね?」
「う、うん……」
「私もカタリ様のことを咎める立場にはいません。ただ、カタリ様はそんなに残酷な人だったのですか? もともと、その様な願望が隠されていただけで、本当は人の悲劇を楽しめる方なのですか?」
「いや、そんな事はな……い……」
「じゃあ、あの哀れな暗殺者達はなんだったのですか?」
「そ、それは反撃されると危ないから……」
日本は平和な国で――違う。
生まれた時には戦争なんてなく――違う!
俺は人を殺したことなんて一度も無くて――違う!!
俺は――――違う!!!
頭の痛みが酷くなる。
ガンガンと、まるで金槌で殴られているように痛み、吐き気とともに強烈な不快感が襲ってくる。
思考が纏まらず、頭のなかに住み着いた何かがざわざわと蠢き、俺の考えを端から食い散らかしていく。
「それが、それがあの有り様だったのですか?」
「…………」
フラッシュバックする。
絶叫、命乞い、舞う鮮血、気絶し動かぬ物体。
俺は……あの時、あの子達に何をしたんだ?
「カタリ様……貴方、最近おかしいですよ?」
「……おかしい?」
「どうしてそんな事を言うのですか? どうしてそんな風になったのですか? 私達のせいですか? いや……でもそんな筈は……」
目を伏せ何やら考えこむティア。
しばらくし、瞳を上げた彼女は……。
「――カタリ様、貴方はどうなってしまったのですか?」
その言葉、俺はティアの言葉を受け止めるとその問いに答えようとし……。
あれ? 俺は――。
何者なんだ?
――カタリ!! 無理に考えちゃダメ!!
遠く、本当に遠くから、相棒の声が聞こえた気がした。
頭痛はやまない。
笛の音が聞こえる。どこかで聞いたことのある、恐怖を呼び起こす音色だ。
泣き叫び、慟哭する声が聞こえる。人が死ぬ際に放つ絶望の音色だ。
人が燃える音がする。生命が失われ、ただの炭と化す音色だ。
頭の中で、地獄がぶちまけられていた。
「カタリ様?」
座るソファー、目の前にあるテーブルに手をつく。
冷静を装い、なんとか立ち上がろうとするが、まるで自分が石にでもなったかのように力が入らない。
頭痛は止まず、耳鳴りも酷い。
幻聴も止まない、ティアの声がはっきりと聞き取れない位に俺の脳内で騒ぎ立てている。
「カタリ様っ!!」
「あ、ごめん……ちょっと目眩が……」
慌てて立ち上がり、こちらへと駆け寄ってくるティア。
俺の肩を抱えながら、必死に声をかけてくる。
「まさか呪いの類!? 失礼します!!」
すっと、ティアの顔が目の前に現れる。
まるで今からキスでもするかの様な距離、彼女は自らの額を、俺の額に押し付け、何やら魔力を送ってくる。
「くっ、判別できない!」
どうやらこの頭痛の原因はティアでも分からなかったようだ。
普段完璧に見える彼女でも分からないことがあるんだなぁ。
そんな、どこか場違いな感想を抱きながら、焦点の定まらない瞳でティアを見返す。
ふと気が付くと、ティアが何やら淡い光を放つ拳大の宝石を持っている事に気がついた。
美しいカッティングがされ、綺羅びやかに輝くソレは、金額にするといくらになるか分からない程に価値があるであろうことが分かった。
光り輝くその宝石は、ティアが何やらつぶやくのと同時に一際強い光を放つと、同時にチリとなって掻き消える。
不思議な魔力が、俺を包み込んだ気がした。
「い、いかがですか? 気分は良くなりましたか!?」
「ごめん……」
ティアが何かをしてくれたのは分かった。
きっと俺に何か重大な異変が起きてると判断し、その対抗手段を使用してくれたんだ。
俺は、今にも泣きそうな表情を見せるティアに感謝しながらも、その行為が無駄に終わってしまったことを謝罪する。
「そんな、輝晶級の解呪石を使ったのによくならないなんて!……どういう事!?」
ティアの動揺は加速する、次に彼女は執務室の扉の方を向き、大声で叫びあげる。
「衛兵! すぐにこちらへフィレモア伯爵と治療魔法使いを呼んで下さい!」
騒ぎを聞きつけ、衛兵が飛び込み駆けつけてくる。そして俺の様子を見ると、よく聞き取れないが何やらティアへと話しかけはじめた。
「さっさとしろこのグズがっ!! 殺されたいのか!!」
ティアの返答は激昂であった。
青い、底冷えする様な魔力が放たれ、衝撃で衛兵が吹き飛ばされる。
彼女は、普段の彼女らしからぬ下品な舌打ちをすると、俺に視線を戻し、慌てて魔力を抑えながら揺さぶり叫ぶ。
「カタリ様! どうしよう、しっかりして下さい! カタリ様! やだっ! そんな! 死なないで!!」
ボロボロと涙をこぼすティア。愛らしい顔がグシャグシャだ。
ああ、後で謝らないとな……。
朦朧する意識の中、俺はそんなことを考えた。
間延びした笛の音が地の底より聞こえる。
邪悪で……悍ましき音色だ。
俺は、その音に魂の底から恐怖を感じながら、自らの意識を手放した。