第十九話(上)
樹木生い茂る森を鼻歌交じりで歩く。
ターラー王国の西方、隣国であるバレスティア黄金帝国に跨ぐよう位置するこの森は、地面が複雑に隆起しており、開発が難しい事からあまり人の手が入っていない天然の迷路だ。
唯一地理に詳しい付近の村人が木を切り倒したり、浅い場所で薬草を採取するのみで、安易に立ち入ることは禁止されている。
その地形から、慣れない冒険者では遭難する恐れがある為だ。
今回は専門のガイドがいる為、なんとか無事に進めているが、彼がいなければ一瞬で生存をかけたサバイバルとなるだろう。
「えっと、勇者カタリ様、ゴキゲンですね?」
「おお! エルフさん。そうだね、なんかこういう冒険的なのに憧れていたからね! 凄いテンション上がってるの!」
ゴキゲンに答える。
今声をかけてきてくれたのはサポート役の冒険者チーム『青の短刀』の一人、エルフの弓手さんだ。
ほわほわんとした感じがとても可愛らしい女性でスラリとしたスタイルが美しい。
胸は……残念だ。ちなみに指摘すると物凄く怒るらしい。
主に後方からの支援と森に関する知識面でのサポートをしてくれている。
「今までは冒険とは殆ど無縁だったからね!」
「まだ浅い場所とは言え、魔物が出るかもしれません。お気をつけ下さい」
「ありがとう、リーダーさん!」
次に話しかけてくるのは『青の短刀』のリーダーさんだ。
この人は人族の女性で、目にある傷が特徴的な真面目そうな人だ。
いかにも仕事が出来そうな雰囲気があってかっこいい。
日本で言うなら、キャリアウーマンといった所かな?
一見怖そうな雰囲気があるが、細かな点に気を使ってくれるあたり親切な人だ。
「わたし、もっと勇者様のお話聞きたいのだー!」
「いいよ、いいよー。お話ししてあげよう!」
そして最後に話しかけてきたのがロリロリな猫ちゃんだ。
宰相ちゃんと同じくらいの背丈かな? 猫族であるこの子は他の皆とは違いまだまだ遊び足りない年頃なのか、ちょこまかと動きまわったり、事ある毎に質問してきたりで俺を飽きさせない。
ちなみに、エルフさんの胸についてもこの猫ちゃんから教えてもらった。
猫ちゃんはいつもエルフさんの胸についてからかって遊んでいるらしい、けど素人が安易にからかうと酷い目にあうからやめたほうがいいんだって。
……猫ちゃんも人の事をからかえない程ぺったんこだったのだが、俺は空気を読んで何も言わなかった。
ちなみに、リーダーさんはとても大きかった。俺はその件についても空気を読んで口を閉ざした。
後は荷物持ちのおっちゃんが一人いる。そしてこのおっちゃんこそがガイドである。
この人は寡黙な雰囲気が特徴的な、年齢がよくわからない人だ。大抵こういった探索の際には、食料や水、テント等の生活用品や、倒した魔物を回収する為の荷物持ちが随伴する。
彼もそんな人物の一人だ。どうやらこの近辺の出身らしく、森の地理にめっぽう詳しいとの事で今回ギルドの推薦により参加してもらうことになった。
目的の薬草についても知っているらしく、今回の件においてまさにうってつけの人物らしい。
彼らがサポートメンバーの全員。普段はここら一帯の低級魔物を狩ったり、ギルドの雑用をこなしたりして生計を立てている彼らだが、その堅実な仕事ぶりと手すきだった事から今回露払いと案内役をギルドより依頼されたのだ。
ちなみに、おっちゃんを除く全員が青銅級の冒険者で、単独でゴブリンを倒せるだけの能力がある。
……チームならオーク位かな? この森がどの程度の危険性があるかわからないが、まぁ彼女達で足りないと言うのなら、足りないのだろう。
こんな王都に近い森でそんな危険な魔物が現れるなんて考えられないけどね!
リーダーさん、エルフさん、猫ちゃん。そしておっちゃん。
このメンバーにセイヤ達を加え、俺達は緑あふれる深い森のなかを歩いて行く。
◇ ◇ ◇
会話も一段落し、皆黙々と歩き続けている。
少しばかりペースが早い、リーダーさんやエルフさんは大丈夫そうだがエミリー嬢や猫ちゃんが少し辛そうだ。おっちゃんは無駄に軽快な足取り。
……焦っているのだろうか? おっちゃんに案内され、先頭に立つセイヤは皆のペースもあまり考えずグイグイ進んでいく。
もう少しゆっくりと歩いて欲しいものだが、別段俺達に負担は無いため、声をかけず後に続く。
俺とエリ先輩は一番後ろだ。ダラダラと皆の後を追っている。
この程度の森だとまさしくピクニック。俺とエリ先輩ならまるで自分の家の庭を散歩するかのように歩み行ける。
……ふむ、皆こっちを見ていないか。
『エリ先輩、エリ先輩!』
皆が行軍に夢中になっているその最中、隙をみてエリ先輩にそっと耳打ちをする。
『なんだねカタリちん!』
『俺が心より信頼する友のエリ先輩に相談があるんだけど』
『おおっと! なんだか楽しそうだね、どんな事だい?』
ワクワクと興味深そうに尻尾を振るエリ先輩。
この場では先輩以外に耳を立てる者もいない、この隙に例の事を聞いてしまおうではないか。
他の場ではいろいろと人目があってなかなか聞けなかったからね!
そう、つまりは……。
『その、奴隷……について興味あるんだよね』
『うふふふ! カタリちんも男の子だね! 言いたいことは分かるよ! エリ先輩がみっちり相談にのってあげよう!』
『流石エリ先輩! じゃあさ、ここから帰ったら、宰相ちゃんとかティアとかにさりげなーく俺が奴隷を連れて帰っても怒られない様に口利きしてくれないかな?』
ティアさんはお固い子だから物凄く怒りそうだ、宰相ちゃんは何て言うだろう?
なんとかごまかして連れて帰りたいものだ、奴隷なんて面白そうな事、放っておけるはずがないからね。
『まっかせておくれい! うまーく丸め込んで上げるよ!』
『流石エリ先輩! じゃあ早速帰ったら奴隷市場に出向いてみるかな! 楽しみだ!』
『あ、カタリちん。それはやめておいた方がいいよ』
『ん? どうして?』
『奴隷ってのはねー。みーんな、お手つきなんだよ! カタリちんはそういうの嫌でしょ? 奴隷ちゃんの身体は自分だけが知っておきたいでしょ?』
お手つき……。うーん? どういうことだろうか。全部?
俺はエリ先輩の言葉、その真意を汲み取れず、思わず聞き返す。
『いや、まぁ。そうだけど、なんで? そういうのって大抵経験ない子の方が高値で売れるから可愛い子は大丈夫とかそういうイメージあるんだけど。違うの?』
『違わないよ。でもね、カタリちん、別に男って言うのは、女の子の大切な所じゃなくても楽しめちゃうんだよ!』
『え!? それって……』
エリ先輩の言葉に思わず大きな声を上げる……チラリと見たセイヤ達はいまだ行軍に夢中でこちらには気づいていない。良かった、危なかった。
俺はほっと胸を撫で下ろすと、ニヤニヤと悪い笑みを浮かべるエリ先輩に説明の続きを促す。
『ぬっふっふ! お尻とか、口とか手とかー。女の子は魅力的だからね! 奴隷商人もそういうのはバレないからってとことん楽しんじゃうんだよ!』
『うへー! でも、それって女の子が買われたご主人様に告げ口すれば問題になるんじゃない?』
『せっかく現れた奇跡とも言える優しいご主人様。今の関係が崩れてしまうリスクを犯してまで自分が傷物だなんて言えるかい? 優しくないご主人様なら尚更、不興を買いたくないよね、奴隷は消耗品だし。ほとんどの人が知らない裏の話ってやつだね!』
『まじか、まじでそんな文化なのか。じゃあ奴隷って基本的にお手つきって事でいいの?』
『そう思ってくれてオッケーだよー!』
心底楽しそうに語るエリ先輩。……まったく、この世界はちょっと黒すぎやしないだろうか?
俺は夢にまで見た奴隷が、自分の想像していたような物ではなく、もっと社会の闇を体現するような代物であることをエリ先輩の口ぶりから察すると、落胆のため息をつく。
『えー、なんかショック。……あれ? って事はセイヤの奴隷のエミリー嬢は……』
『ぬっふっふ。気づいちゃった? そうだよ、あんなに可愛い子だもん。きっとそりゃあもう……』
『うわぁ、マジか! なんか知らないけど滅茶苦茶テンション上がってきたよエリ先輩!』
つまりあれだ。エミリー嬢は既に奴隷商人達にあんな事やこんな事をされていた訳だ。
でもセイヤはその事を知らずに毎晩エミリー嬢と性夜を楽しんでいるということ。
そしてエミリー嬢は自らの罪悪感を押し殺しながらセイヤと性夜を共に過ごすと……。
なんか凄い昼ドラ的どろどろを感じる。
下世話な話だが物凄くテンション上がってきた。
しかしまぁ、奴隷はそういう面があるのか、勉強になった。所詮奴隷は奴隷なんだな。
『でしょでしょ!? もう、本当に下衆いんだからカタリちん!』
『エリ先輩に言われたくは無いよ! もっと早く教えてくれても良かったのに!』
『いやー、楽しみは後に取っておいたほうがいいでしょ!?』
にししとイタズラが成功した子供のような笑いを浮かべるエリ先輩。
多分この人は俺が奴隷に興味がある事をセイヤとの話を盗み聞きし、知っていた。
そして、わざとこの事実を知らせず俺の夢が膨らむのを待ち続けたのだ。
そして最高のタイミングで台無しにする。
流石外道公の娘。その下衆っぷりに俺は心から賞賛の声を送る。
『エリ先輩相変わらず下衆いなぁ。ちなみに、奴隷の人権ってどこまで無視できるの?』
『ん? 変な事を聞くカタリちんだね! 一応面倒事を起こさなければ大抵の事は許されるよ。実際死んでも気にする人は多くないのが奴隷の実情だけど……。フローレシアでは奴隷を虐めるのは歓迎されないよ? カタリちんハードプレイ好きだっけ?』
『ふーん。別に聞いてみただけだよ。けどまぁ、なんかそんな話を聞いた後ではまったく奴隷が欲しいとも思わないね』
『まぁ、そこはエリ先輩に任せておきたまえ! 可愛くて従順な、清い女の子を探して来るよ!』
奴隷熱は冷めちゃったんだけど……。でもエリ先輩もここまで言ってくれていることだし、お言葉に甘えておこう。別にあっても困る物でも無いだろうし。
『……流石エリ先輩だね! ありがとう!』
『感謝するんだね! ……ありゃ? 前が少し騒がしいよ』
ヒソヒソ話を打ち切り、エリ先輩と一緒に少しばかり距離が離れてしまった先頭集団に目を向ける。
「あれ? 本当だ……おーい! どうしたのー?」
巨木の根で転んでしまいそうな悪路を、ぴょんぴょんと軽快に駆けながら皆に追いつく。
どうやら何かトラブルがあったらしく、リーダーさんがおっちゃんに何やら文句を言っているようだ。
「ふざけるな! どういう事だ!」
「ひ、ひぃ! ご勘弁を! 確かに道は覚えていたはずなんですが、ここ最近森に入っていなかったせいか……」
「帰り道は分かるのか!?」
「も、もっと早く言えば良かったんですが、その……」
「くそっ!!」
うーむ。何やらよろしくない予感。
リーダーさんが激昂するその内容から大体の事は把握したが、改めて声をかけてみる。
「どうしたのー?」
「ああ、カタリ君。ちょっと不味い事になったよ……」
「すみません、勇者カタリ様。どうやら案内役が道を間違えてしまったようでして……我々は遭難してしまったようです……」
申し訳無さそうにリーダーさんが伝えてくる。
やっぱりそうか、どうやらおっちゃんの失態で遭難してしまったらしい。
うーん。たしか薬草の群生地が森の奥にあるんだっけ? まぁこんなに深い場所だし迷うのは当然だな。
と、言うか。こんな深い場所まで薬草を採集しに来るなんて、普通はおかしいんだけどな。
今となってはどうでもいいことだが。
しかし、遭難か……。
遭難は死につながる。
森は危険に満ちている。魔物は常にこちらを狙い伺っており、慣れない者では食料を調達する事もできない。
悪性の病や昼夜の温度差が容赦なく体力を奪い、やがて衰弱し満足に歩く事も出来なくなる。
いかに強力な力を持つ冒険者と言えど、力の源を断たれれば案外脆い。
ゆえに、冒険での遭難とは一番恐れられることだ。
「マジかー。どうするの?」
「ここに獣道があります。魔物や動物が利用する道でどこに通じているかわかりませんが、一か八かそれにかけてみたいと思います」
……獣道?
すべての道はローマに通じているらしいが、はたして獣道は街に続いているのだろうか?
俺はその安易な判断に内心で首を傾げながら、ダメ元で遭難時の対処法について皆に尋ねてみる。
「救難用の連絡魔法や方位把握魔法。無いと思うけど転移魔法を使える人ー?」
「…………」
声はない。皆沈痛な面持ちで首を振るばかりだ。
「魔法道具も無かったりするのかな? 普通は何らかの用意をするものだよー!」
「すまない、急いで来たから……」
エリ先輩が重ねた質問にも、リーダーさんが申し訳無さそうにつぶやくだけだ。
セイヤは不安がるエミリー嬢を抱きとめ、言葉をかけているが、彼自身動揺を隠しきれていない。
リーダーさんとエルフさんは、何とか解決策が無いかとあれやこれやと相談をはじめており、おっちゃんはショボくれている。
猫ちゃんは耳と尻尾をこれでもかと下げ、不安そうにキョロキョロ皆の様子を伺っていた。
猫ちゃんを呼び寄せ、その頭をぽんぽんと軽く叩き安心させながら、チラリとエリ先輩を見る。
彼女はニコニコとした笑顔をこちらに向け、何度も頷いている。
……うーん。まぁ、いいか。
「そっかー! じゃあ諦めてサバイばるか!!」
「やったね! サバイバルだよ!」
俺はこの暗い雰囲気を切り替えるように、明るく言い放つ。
なんだか楽しくなってきた。冒険にピンチはつきものだ。
薬草採集から無事帰還することに冒険の目標が切り替わる。
もっとも、外道公のサバイバル訓練を受けた俺達にとって、この程度の遭難は迷った内に入らないのだけれども。