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第十六話

 フローレシアの山々は厳しい。

 地理的に北にある為、常に気温は低く、この季節なら雪が降り積もり一歩入れば経験豊富な地元民ですら遭難してしまう始末だ。

 木々はやせ細り、ほとんどの魔物や動物が冬眠している為か、生き物の気配すら感じ取れない。

 その様な極寒の山中、山の斜面にポッカリとあいた洞窟の中で、俺は震えながらエリ先輩と身を寄せあっていた。


「死ぬ……死んでしまう」

「寒い、寒いよカタリちん……」


 小さな部屋ほどの大きさがある洞窟は、風が入り込まない様に、入り口を雪で固め閉ざしている。

 辺りを照らすのは、魔力によって光る魔光石と呼ばれる鉱石の朧気な光のみだ。

 下がる体温、空腹、睡眠不足、欠乏した魔力。全てが絶望的なレベルだ、生命活動を維持する事すらままならない。

 少しでも暖を取るべく、思い切ってエリ先輩へと提案する。


「エリ先輩。抱き合って温め合おう、もう四の五の言ってられない。死ぬよりはマシだ。あと尻尾をもうちょっとこっちへ」

「うん……えっと。もう一回だけ魔法で火を起こしていいかな? 本当に寒いんだよカタリちん」


 ああ、エリ先輩が犬族で良かった。

 普段はもっと手入れがされている筈の尻尾をエリ先輩と一緒に抱きしめながら、この絶望的な状況を生き残る事だけを考える。


「駄目だエリ先輩。もう俺達魔力がすっからかんなんだ。これ以上魔力を使うと生命活動に支障が出る……」

「うう、美味しいご飯が恋しいよぅ……」


 魔力はすなわち生命力だ。これが完全に欠乏すると待つのは死のみ。

 ここに至るまでの盛大な迎撃と逃走劇。

 俺たちはもう僅かたりとも魔力が残っていなかった。


「帰ったらマジでご飯食べまくろうな、エリ先輩」

「カタリちんのおごりだよぅ」

「奮発するよ……」


 語りかける息は白く、腹はしつこく空腹を訴えてくる。

 こんな事ならば、戦闘訓練をしたいなんて言い出すんじゃなかった。

 ……全てはあの日から始まった。


「ああ、なんで俺達こんな事になったんだろう?」


 凍える身体を必死に温めながら、俺はこの様な状況に陥っているその理由を思い返す……。


◇   ◇   ◇


 雪中での地獄的な潜伏生活の一週間前。

 フローレシア王宮の練兵場にてバロウズ公より戦闘訓練を受けていた俺達は、息も絶え絶えで地面に倒れ伏していた。


「死中に活を見出してこそ、人は伸び、己の殻を突き破る事ができるのだ!」


 ハルバードの石突きが、大きく地面を打ち鳴らす音が聞こえる。

 外道公の拷問に等しい扱きで、俺達は既に満身創痍だ。指一本動かす事もできない。


「い、痛い……死んでしまう」

「目が、目が霞むよぅ、カタリちん……」

「貴様達は未だ極限を知らぬ。極限知らずして極地に至ることは無い。必要な事はありとあらゆる状況を知ることである。本物の死地を知って初めて戦場に立つ資格が手に入るのである!」


 お互いボロボロになりながら、エリ先輩と一緒にこの世への怨嗟の声を上げる。

 バロウズ公は相変わらずだ、何処にそんな力があるのかと思われるほど元気に、俺達に対してプレッシャーを与えてくる。


「貴様らは弱い! 肉体的に……ではない。もちろん肉体的にも脆弱ではあるが、何より心が弱い! 吾輩は、貴様らに戦場を鼻歌交じりで歩く様な、そんな豪胆な戦士になってもらいたいのだ!」


 ……精神論。と言い捨てる事は出来ない。

 この世界には現実世界と違い魔力がある。この不思議ファンタジー要素は精神や魂と密接に関係しているのだ。

 だからこそ、強靭な精神は魔力を介して肉体を引っ張るし、折れない心は無限の魔力すら引き出そうとする。


「故に極限である! なぁに、安心しろ。一時辛くても、いつか笑い話になって酒の席での肴となる時が来ようぞ!」

「いやだ、そんな肴嫌だ……」

「カタリちん。突っ込みはやめよう、そんな力があったら体力を回復させるんだ……」


 だが、ものには限度という物がある。

 延々終わる事のない扱き、バロウズ公だけならまだしもこれに彼の部下達や、どこからか捕らえてきた魔物まで加わるのだ。その苛酷さは壮絶極まる。

 今まで耐えれた俺に再度エールを送りたい。

 ってか、本当、俺は何で出来ているのだろうか?


「もちろん、貴様らが嫌だというのなら吾輩もこれ以上の訓練はしまい。だがな、それはいつか牙となって己へと突き刺さる。……本当に力が必要な時、無力にも破れ、目の前で愛するものを蹂躙され、消え行く意識の中で貴様ら敗者はこう思うのだ『なぜあの時もっと頑張らなかったのだろうか』とな! それが敗者だ! 貴様らは敗者か!? 地べたに這いつくばる肉袋か!?」


 挑発するように投げつけられるその言葉。売り言葉に買い言葉ではないが俺もカチンと来る。


「くそっ! そんな事言われたら引けねぇだろうが……」


 震える足に力を入れ、なんとか立ち上がる。

 体の奥底から無理やり魔力を引っ張りだし、体中へと強引に巡らす。


「よい心意気だ! それでこそ戦士である! まごうことなき戦人だ!」

「私は別にそれでもいいからやめたいよぅ」

「お前は駄目だ! ハガルを継ぐ者として気合が足りん! 勇者殿と踏ん張るが良い!」


「ふぇぇぇええん!!!!」


 エリ先輩は既に脱落モードだ。なんとか踏ん張り立つ俺とは違い、既に地面でゴロゴロと弱音を吐いている。

 ……気持ちは分からないでもない、あれほどに過酷な訓練だったのだ。

 使い潰した模擬剣は数十本になり、木剣にいたっては数えるのも馬鹿らしい。

 体中に青あざを作り、治癒魔法使いに無理やり繋ぎ合わせてもらった骨折も一度や二度ではない。

 それが毎日続くのだ。暗殺を始めとしたダーティーな訓練が終わったとは言え、気を抜く暇は一切ない。

 だが、俺は引くわけにはいかない。

 ここで情けない姿を見せて何が勇者か。だからこそ、立ち上がる。


「よし、二人共ある程度回復したようだな! ではこれよりグリンドラインに伝わりし秘伝の修行法である、最終戦闘訓練。通称『死地の舞』を行う!」


 ……が、外道公の言葉で一気に心が折れかける。なんだその物騒な名称は……。

 チラリと横目で見たエリ先輩は絶望を通り越したのか、奇妙な笑い声をあげている。


「あ、あの……バロウズ公? それは一体?」


 引きつる顔を無理やり隠しながら、恐る恐る尋ねる。


「簡単だ。今までのやった事の全部乗せ。毒殺、暗殺、集団包囲、そしてサバイバル。吾輩自慢の兵士達があらゆる手段をもって貴様らを攻め立てるだけだ」


 バタバタと人が集まる気配がする。バロウズ公自慢の特殊部隊兵だ。

 全員完全武装で既に包囲は完璧。ご丁寧に付近の建物の窓からは弩兵や魔法使いが狙っているのが分かる。

 嫌な予感が確信に変わる。急いでありったけの魔力を引き出し、ポケットに保存していた体力と魔力を回復する丸薬をかみ砕き飲み込む。


「――24時間休む暇なく、1週間まるまるな」


「エリ先輩! 外道公をぶっ倒すぞ! こんな訓練逃げてやる! コイツを人質に取るんだ!」

「素晴らしい考えだよカタリちん! 覚悟するんだなパパ! 二人の力を見せてやる!」


 いつの間にか俺と同じく戦闘体勢を整えているエリ先輩。

 流石先輩だ、あれほどへばった演技をしながらも力を温存しているなんてそうそう出来る事ではない。


「良い度胸だ! あらゆる状況にはあらゆる対策で向かわねばならん! 卑怯大いに結構! 我が教えを理解している事を嬉しく思うぞ! だが迂闊なり!!」


 エリ先輩とタイミングを合わせて全力の跳躍。

 己が魔力と体力の全てを振り絞り、外道公を打ち倒すべく俺達は躍りかかった。


◇   ◇   ◇


 そして話は冒頭に戻る。

 俺達はあの後、外道公に敗北。怒涛の追撃を振りきって王宮より脱出する。

 その後市街地戦、郊外地戦ともつれ込み、やがてこの雪山へと逃げこむ事になんとか成功した。

 途中までは幾度と無く襲ってきた追っ手もここまでは追い付いていないようだ。

 地獄の様な日々で得た逃走術はこの場に置いても遺憾なく発揮されていた。


「うう、寒いよぅ」

「外道公、強かったなぁ……」

「完全に予想されていた感じだったね、カタリちん」

「でも惜しかった。もう少しで殺れたんだけどなぁ」

「うん、惜しかった。凄いよ、本当に凄い」


 外道公との戦いは苛烈を極めた。

 舐められていたのか敬意を表されていたのか、余計な外野の手出しもなく、全力で打ち合うことが出来たのだ。

 そして、二人の刃は遂にバロウズ公を追い詰める所まで来る。

 だが、運命というのは時として残酷なものらしい、慎重に使っていた筈のブロードソードは、バロウズ公の攻撃に耐え切れる事が出来ず折れてしまう。

 後は一方的なワンサイドゲームだ。


「明日で一週間か。このままやり過ごして、日が昇ったら帰ろう。それで俺達の勝ちだ」

「うん、そうだねカタリちん……」


 洞窟の中は外に比べて温かい。

 さらにはその見た目から、一旦入り口を塞いでしまえば見つけることは到底不可能だ。

 外道公の訓練は日の出と共に終わりを迎える。

 このままじっとしていてれば勝利は確実であった。


「エリ先輩……?」


 その時、ふと違和感を感じた。

 エリ先輩の声色がいつもとは違う物を含んでいたのだ。

 訝しみながら彼女の様子を伺うようにその顔を覗き込む。

 ――返答は、鈍く光る一閃であった。


「……っ!? 何を!!」

「ごめんねカタリちん! ラスボスは私だよ! 極限状態での戦闘! 果たして私を倒せる事ができるかな!?」


 反射的に攻撃を避け、慌てて距離を取る俺に向けられた瞳は、敵対者のそれであった。

 いつの間に取り出したのだろうか、魔光石の光を反射するのは、エリ先輩の手に持つ大型のナイフだ。


「くっ! 最初から予定通りだったのか! 見損なったぞエリ先輩! 何があっても裏切らないって言ったじゃないか! あの言葉は嘘だったのか!」


 逃走の途中、バロウズ公が放った追っ手より奪いとった剣を構えながら答える。

 エリ先輩は獣特有の獰猛な視線を向けながら、隙無くこちらへとナイフを構え叫ぶ。


「人の心は移りゆくんだよカタリちん! 絶対なんて言葉はどこにもない! どんなに信頼している人物でも、裏切りは必ずあるんだよ!」


 エリ先輩の言葉にはどこか必死さを感じさせる物がある。

 なるほど、わかったよ先輩……。

 彼女の言葉にならない叫びを逃さず聞いた俺は、小さくため息をつくと――自らの剣を鞘に収めた。


「そっか……分かった。じゃあ、俺はエリ先輩を攻撃しない」 


「なっ! 何を言ってるんだいカタリちん!?」

「だってさ、今までエリ先輩と一緒で俺凄く楽しかったんだ。そのエリ先輩を攻撃するなんて俺にはできないよ。」

「カタリちん……」

「バロウズ公に命令されたんでしょ? 分かるよ、あの人はそういう人だからね。さ、ナイフを収めてよ。仲直りしよう。バロウズ公には黙ってさ!」

「か、カタリちん……。私の事を許してくれるの? ずっと騙してたのに? なんで?」


 驚きの表情で俺を見つめるエリ先輩。

 確かに、いきなり裏切られたりしたら普通はもっと怒っていいはずだろう。

 だが、それは無しだ。だって、そんな悲しい表情されたら怒れないじゃないか。

 それに……。


「なんでって、決まってるじゃないか……エリ先輩は俺の大切な人だからさ」


「カタリちん……」

「エリ先輩……」


 エリ先輩の瞳から涙が溢れる。

 やがて、彼女は自らの手に持つナイフをポトリと落とすと、感極まった表情で俺へと駆けてくる。


「ごめんよっ! カタリちん、私が間違っていたよ!!」


 両手を広げ、無言で迎える俺。二人の距離がゼロになり、熱い抱擁が交わされようとしたその時。


 ――銀閃と共に甲高い金属音が鳴り響く。


「ちぃっ! 狙いが甘かったか!!」

「くそっ! あと一歩だったよ!!」


 互いに鈍く光る刃物を手に持つ俺とエリ先輩は吐き捨てる様に叫ぶ。

 ……ちっ! エリ先輩も同じ事を考えていたか! 卑怯な!

 俺は相手を威嚇する為、空中で円を描く様に軽く剣を振るい見せる。


「裏切り者め! さっさとぶっ倒れろ! 骨は埋めてやるぞ!」

「ふん! 騙される奴が悪いんだよ! カタリちんこそさっさと倒れるべし!!」


 鋭い視線が交差する。お互い準備は万端だ。隠し持っていた魔力も十全に張り巡らされ、いつでも相手に襲いかかる事が出来る。

 そして、魔光石が蓄えられた魔力を全て放ち、闇が訪れた瞬間。


「「おらぁぁぁっ!!」」


 俺とエリ先輩は全力で自らの武器を振るった。


………

……


「……ふむ、エリテミッサを倒したか。まこと天晴なり」

「外道公……」


 翌日、日が昇ったであろうその時間。昏倒したエリ先輩を背負い、洞窟から出る。

 そこに待ち受けていたのはバロウズ公、そして彼の精鋭部隊であった。


「最終試験だ。ここには吾輩が鍛えし精鋭を全て集めておる。課題は簡潔『死なずに生きろ』だ。まぁ、本当に殺す気は無いがこちらとて手加減はせん。甘く考えているとどうなるかわからんがな」


 なるほど、道理でこちらの位置が把握されると思っていたら、エリ先輩がこっそりと連絡していたのか。

 俺はその用意周到な戦略ぶりに驚嘆すると、決して避けられないであろう戦いに向け、気を引き締める。

 ……試験は終わったのでは? なんてくだらない台詞は言わない。「いつ何時でも戦場と思え」それがバロウズ公の教えで、今の俺の戦い方でもあるからだ。


「こんな事だろうと思っていたさ。じゃあさ、先に……エリ先輩を先に回収してくれないか? こんな所で寝かせたら風邪引いちゃうよ……」


 俺の背でぐったりとしたエリ先輩を見せる様にバロウズ公へ訴える。

 まだ日も上がりきっていない朝の雪山は体温を奪う風が容赦なく吹いていた。

 このまま戦闘に突入しては流石のエリ先輩も体を壊してしまうだろう。

 彼も人の親だ。ここでエリ先輩を見捨てるなんて事はしないと思いたい。


「優しさとは強さだ。ふむ、良いだろう! おいっ!」


 思った通り、人を寄越してくれる。

 俺を囲む精鋭の一人がこちらへとやってくる、その彼へ、俺はエリ先輩を渡す振りをしながら――


「がっ!!」

 おもいっきり首筋に手刀を叩き込む。


 ふんっ、素人が! 油断するからそういう事になる。

 気絶し、倒れこむ哀れな男を念の為に蹴り飛ばすと、エリ先輩を盾にしながら抜剣し、たった一人で鬨の声を上げる。


「かかってこいやオラァ! 全員ぶっ殺してやらぁああ!!」


「見事なり! 行くぞ!!」


 全員が同時に動く。やがて叫びは剣戟の音に移り変わる。

 こうなればとことんやってやる。勇者舐めるんじゃねぇぞ!

 何時にも増して強い決意を持って、俺はこの死地にて舞うのであった。

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