幕間:籌算埋伏
フローレシア王国。その宮殿の一角。
デモニア・ラグ・シェルテルと呼ばれる少女は自らの執務室にて、ソレに関して調査を行っていた。
石造りの広く薄暗い部屋、青白く発光する怪しげな魔法器具がところ狭しと並べられ、それらを覆い尽くさんばかりの書物が乱雑に積み上げられている。
もし、本堂啓と呼ばれるこの国の勇者がこの部屋を見れば、デモニアには似つかないその部屋の有り様に驚きの声を上げただろう。
それほどまでに、彼女の部屋は異質であった。
その様な部屋だ、デモニアの小さな体躯は書物の山に隠れて視認する事も困難である。
一切の音の無い空間は、ともすれば誰も居ないのではないかと錯覚さえさせられた。
だが、不変とも思われた静けさは、突如突き破られる。
「こんにちわー!」
ティアエリア・アンサ・フローレシア。入室者はこの国の姫であった。
彼女の位置からは本に隠れデモニアの姿は見えない。
だが、まるで自分の部屋であるかの様に、デモニアが在室である事を知るかの様に、ティアエリアはズカズカと入室してくる。
鼻歌交じりにウロウロと室内を物色するティアエリア。
来る度に装いを変える魔法道具の数々は彼女の興味を十分に駆り立てた。
やがて興味深げな表情が歓喜に変わる。それは、テーブルの上に丁寧に置かれた、小さなぬいぐるみを見つけた為だ。
それは――本堂啓を模したものであった。
わぁ。とティアエリアは小さく声を漏らした。
普段高級品に慣れ親しんでいる彼女から見ても、その出来栄えは感心させられる物があったのだ。
彼女はぬぐるみを手に取る。そして楽しそうにしげしげと眺めこむと、ごく手慣れた手つきで自らのドレスに仕舞い込もうとし……。
「元に戻して、ください」
突如、本の海より声がかかった。
「……むぅ、ちょっと位いいじゃないですかー」
名残惜しそうにぬいぐるみを元の場所にそっと戻しながら、ティアエリアは不満をあらわにする。
口を尖らせ文句を言う先は本の山だ。
返答は、山の中より聞こえる。
「姫様の分も、後で作り、ます」
「ありがとうございます!!」
礼を言いながらティアエリアは移動する。向かう先は先程声がかけられた場所だ。
やがて、魔法道具の街を越え、本の山脈を抜けた所に、人々より宰相ちゃんと呼ばれる少女は居た。
発光する魔法陣、乱雑に散りばめられたメモらしき紙片、どの様な理由に使うのか検討もつかない器具の数々。
それらはある一点を中心に点在していた。
地べたに座り込むデモニアと、彼女が真剣な眼差しで見つめる缶詰の様な物体だ。
「何か分かりましたか?」
デモニアの邪魔にならないよう、辺りに散らばる物を踏んでしまわないように。
ティアエリアは慎重に移動すると、静かに尋ねた。
「分からない、と言うこと、分かりました」
答えもまた静かで、そして簡潔な物であった。
目の前にある異邦の物体。その調査を命じられたデモニアは、その全能力を以って分析を行った。
だが、齢12にして宰相を勤め上げる知力と知識を以ってしても、目の前の物の全てを解き明かす事は不可能であったのだ。
「ふーん。まぁ、最初から難しいとは思っていましたけどね。基礎技術からして全く違うのですから」
ティアエリアはさもそれが当然であるばかりに答える。
彼女とてその全てを解き明かす等、到底不可能であると判断していたのだ。
それに込められた知恵の一欠片でも回収できないか? そう思って命じたまでだ。
だが、それも徒労に終わるらしい。
「勇者様の、街道は?」
ティアエリアにとって意外な事に、質問は別種の物であった。
まったく関係が無いかと言えば嘘になるが、唐突である事に変わりはない。
そこに込められた意図が分からず、首を傾げながらティアエリアは答える。
「アレごと完全に破壊しましたよ? 王連八将の第三将と第五将を投入したのです。間違いはありません」
「なら、安心」
「何か気になる点があったのですか?」
デモニアは余計な会話を好まない。少なくともティアエリアに対しては――否、この世界の人間に対してはそうだ。
ならば理由があるのだろう。それを問うだけの理由が。
ティアエリアは、その事に興味が湧いた。少しでも何かを得る事ができればと考えていたのだ。
「これ一つで半径10メートルの人間を無差別に殺傷でき、ます。攻撃能力は鋼鉄級魔法使いの爆炎魔法と、同級。それが反乱軍を迎え撃つ形で数千個埋設されていた可能性、あります」
「ふーん」
顎に手をやりながら、ティアエリアは声を漏らし考えこむ。
その言葉が事実なら、本堂啓は反乱軍を皆殺しにしていた可能性がある。街道に騙され、笑いながら悠々と進軍してくる愚かな者共をだ。
……土壁を創造してもらうべきではなかったか? そもそも、あれの先より聞こえていた爆発音は果たして白銀級冒険者の物だったのだろうか?
本堂啓は知っていたのだろうか? 否、その素振りは無かった筈だ。
では、能力が判断したのか? 自ら考え行動する能力? 馬鹿馬鹿しい、夢物語だ。
思考の渦をゆっくりと制しながら、ティアエリア無難な点をデモニアに問う。
「エルメーロ……とか言いましたっけ? あれはどうですか? その爆発には耐えれてましたか?」
「白銀級、恐らく反応は可能。だけど無傷とはいかない、です」
白銀級は七階級ある分類の内、上から三番目の階級だ。
輝晶級
黄金級
白銀級
鋼鉄級
赤銅級
青銅級
石塊級
その中堅上位の実力は単独でオーガ等の凶悪な魔物を撃破し、パーティーでは下位のドラゴンですら狩る。その力と防御能力は決して弱いものではない。
その白銀級にダメージを与える程のものとなると、認識を修正する必要性が在る。
「死体も爆発による怪我を受けた形跡、ありました」
「……へぇ」
ティアエリアの目が僅かに見開かれる。
デモニアの言葉が意味する所は白銀級を死に至らしめる事ができる、と言う事だ。
この世界の人間は能力が高まると同時に堅牢な防御力を持つ様になる。
身にまとう魔力がある種の鎧となるからだ。故に高位冒険者等の超越者にダメージを与える事は生半可な事ではない。
堅牢な防御力を誇る白銀級を魔力を用いない道具で殺しうる。
その意味が分からないティアエリアでは無かった。
「赤銅級以下は確実に、死にます」
告げられた分析結果は、圧倒的な戦力差であった。
「異世界の技術……ですか。恐ろしいですね、刀を振るった時に気がついて本当に良かったです」
ティアエリアがソレの存在に気づいたのは、ひとえにその高すぎる能力ゆえであった。
その驚異的な五感を持った彼女は、振るった攻撃とは別の衝撃と爆発音を感じ取る事ができた。
そしてその聡明な判断力を持って、直ぐ様何らかの攻撃的な仕掛けがその一見何の変哲もない街道に施されている事に気づいたのだ。
その後の調査によってその推測は証明され、そしてサンプルがここに持ち込まれた。
「……それでこれが? 少々複雑な構造ですね」
幾らかの部品に分けられたソレは、何やら導線や鉄球、バネ等の様々な部品に分かれており、どの様に組み立てれば良いのか検討もつかない。
自動人形を操るカラクリ師なら似たような複雑さを持つ物も作るのだろうが、それにしてもソレは細かすぎた。
彼女の記憶を持ってしても、今までに見たことも無い構造であった。
「量産性を考慮されてる形跡、あります。これは彼らにとって、簡単な構造、です」
「なるほど、成分や組成の分析は?」
量産性を考慮された簡単な構造。
その言葉を聞いてもティアエリアは驚く事はなかった。
ただ、――ああ、やっぱり。と諦めにも似た感想を覚えただけだ。
彼女に取って、未知とはありとあらゆる可能性を孕んでいた。
あらゆる可能性を考慮して、進めなければならなかった。
「こっちは完全に不明。まったく分からない、です」
デモニアを以ってしもて不明ならば、恐らくこの国でソレを解明する事ができる者はいないだろう。
よしんば居たとしても、おいそれと目的を知らない者に触らせて良いものではない。
ティアエリアは瞬時にその判断を行うと、未練なくソレの解明を諦める。
「……もう少しカタリ様に日本の科学技術について聞いておくべきでしたね」
「これは専門技術だから、勇者様多分知らない」
ならば後は意味の無い無聊を慰めるだけの雑談時間だ。
だが、取り敢えずはと出してみた名前だったが、思いのほか食いつきが良い。
やけにお喋りなデモニアに、ティアエリアは小さな笑みを浮かべた。
「まだまだ沢山ご存知みたいですけどね。頭を直接開ければ便利なのに……お話を聞くのは大変です」
「勇者様は大切な人。冗談でもそういう発言、駄目」
強い口調が返ってくる。
相変わらずデモニアは視線をソレに向け、自らの作業に集中している。
だが、揺れる声色から不機嫌がありありと感じ取れた。
ティアエリアはその答えに笑みを強くする。
「……そういえば、宰相ちゃん。貴方最近カタリ様にご執心ですね?」
「宰相ちゃんは、勇者様の物。姫様がプレゼントした」
無口な筈の少女は、間髪入れずに答えを返す。
デモニアにしては珍しく、合理性を有しない意味のない答えだ。
ティアエリアの目が、スッと細められた。
「後継者の一人ともあろう方が、まさか目的を忘れてないでしょうね?」
その声は、ゾッとするほど寒気を感じさせる物だった。
先ほどまでの何処か会話を楽しむ雰囲気は何処にも無く。只々冷淡な問いのみがそこにはあった。
だが、デモニアはその問いを無視する。
彼女から言葉が返ってくる事は無かった。
「だんまりですか?」
室内の温度が下がる。
比喩ではない。ティアエリアから漏れ出した魔力が室内の温度と干渉しているのだ。
魔力の流れが窓枠に当たり、カタカタと音を鳴らす。
散らばるメモの幾つかが魔力に流され舞い散った。
「…………」
それでも、デモニアは平然とそれを受け止めていた。
相変わらず無言で、己の作業に没頭している。不機嫌な表情以外にデモニアに変化はない。
この場に流れるのは、常人では発するに不可能な程の魔力である。
ならば、その場にいて平然とするデモニアも、常人の範疇では無かった。
「そういえば、最近『破折屈服』を頻繁に使っているみたいですね。カタリ様に私達の事を知られてしまうのが恐ろしいのですか? デモニアさん」
何かを思いついたのか、薄い笑みを浮かべながらティアエリアは話題を変える。
僅かにデモニアの瞳が揺れた。
同時にティアエリアが浮かべて見せたその笑みは、どこまでも邪悪な物だ。
「まだ、勇者様に知られてはいけない。最低限の思考誘導は必要な事、です」
「ふふふ、どうでしょう? でも大変ですね、強力なあまり制御の効かない強制洗脳能力だなんて……。いつ意図せずして発動するかわからないのですから」
ティアエリアは、謳うように言葉を紡ぐ。
その詩は呪いだ。デモニアが聞きたくなかった言葉が、彼女への悪意が、これでもかと練りこまれていた。
デモニアはその言葉を無表情で受け取る。
だが、その視線はいつの間にかティアエリアへと向けられており、瞳からは憎悪が隠すこと無く滲み出ている。
「ああ! もしかしたら、カタリ様がデモニアさんに優しくするのも能力のお陰かもしれませんね? 決して誰からも理解されず、そして理解できない。『洗脳卿』と恐れられ、疑心暗鬼に苛まれた貴方が無意識の内に望んだ愛情を能力が……」
「――殺すぞ?」
ギシリ……と、空気が悲鳴を上げた。
濃密な殺気が部屋を満たす。デモニアよりドロリとした魔力が容赦なく滲み撒かれ、ティアエリアの魔力すら飲み込み、充満する。
室内は、鮮血を思わせる赤に満たされた。
……魔力とは毒になる。
この場を満たすは、色彩として現れる程に濃い魔力だ。常人ならば立つことは疎か、心の臓を動かすことすらままならないだろう。
圧倒的な力とは、それほどまでに強大なのだ。ゆうに人を殺しうる。
怖気を催す程の殺意と暗く絡みつく魔力。
普段の控えめで愛らしい少女等どこにも居ない。
――正に『悪魔』の名に相応しい有り様であった。
だが、しかし……。
歴戦の戦士であってすら満足に立つことも出来ないこの死地にあって、それでもティアエリアは穏やかに佇んでいた。
「……冗談ですよ。怒らないで下さい」
いつの間に――否、"何処から"取り出したのだろうか?
ティアエリアが手に持つは、青白く発光する脇差し程の大きさを持つ刀だ。
本来日本独自の形状である筈の武器。冷たく光るその刀身を見つめ、撫でながら、ティアエリアは謝罪の言葉を述べる。
果たしてそれは本心による物だったのか? 内心が読み取れぬその表情は、どこまでも冷酷さを感じさせる物だ。
「目的、忘れてない。勇者様と仲良くする事、別に目的を阻害しない」
ややあって、デモニアはそれだけを告げた。
そして、もうこれ以上この件について話すことは無いと言わんばかりに視線を元に戻す。
「その言葉が聞きたかったのです! 意地悪言ってごめんなさい、宰相ちゃん!」
魔力は消え、静寂が訪れる。
場違いな程に明るい、ティアエリアの声だけが、室内に響き渡った。
「とりあえず引き続き分析はお願いします。まぁもしかしたら何かあるかも程度なのでさほど労力はかけなくて良いですが。ああ、あとガイゼル地区反乱民の処罰に貴方も加わって下さい」
「……ホモ、は?」
デモニアのその質問に、ティアエリアは目を丸くし吹き出す。
その様な下らない事を聞かれるとは思っていなかったからだ。
その小さな少女からは、これ以上面倒事を押し付けられたくないという気持ちがありありと出ていた。
「別に、ホモにこだわっている訳ではありませんよ? 開脳魔法は対象の尊厳が砕かれ、心が死んだ時に一番効き目が良いと言うことは宰相ちゃんもご存知でしょう? 結果が同一であれば過程は問いません」
開脳魔法。その残虐性により各国が同意する大陸条約にて禁止されているはずの禁忌魔法。
対象の死と引き換えにその一切の記憶を抜き取る。この魔法がこの国で使用されている事は公然の秘である。
誰しもが恐れ、口を噤むその所業。
一旦疑われたならば逃れるすべは無い。
後はティアエリアがどの様に楽しむか、それのみである。
男であれ女であれ、自らの尊厳を食い散らすその所業に恐怖しながら、やがて死が全てを開放する事を祈ることしかできない。
それが、フローレシアと呼ばれる王国の真実であった。
「もちろん、ホモの方に頑張って頂いた方が私は楽しいですが」
コロコロと嗤いながら、無邪気な表情で語るティアエリア。
汚泥の如き悪意にデモニアが顔を顰めた。
「宰相ちゃんには先程の言葉を行動で示して欲しいのです。『破折屈服』を使ってくれますね?」
「わかりました、です」
「……よい返事です」
ティアエリアは満足気に頷く。
やがて入室した時と同じように、いつも本堂啓と会話をする時と同じように。
年頃の少女相応の表情に戻ると、楽しそうに魔法道具の物色に戻る。
そして、軽快な歩みはある一点で止まる。
「それにしても、第二次世界大戦期に使用された対人跳躍地雷ですか――」
視線の先にはデモニアが調査していたソレの残りが置かれている。
S-マインと呼ばれる、彼女達が知るはずのない、"本堂啓すら知らない"異世界の兵器。
ティアエリアはその一つを手に取り……嗤う。
「――文化逸脱が過ぎますよ、カタリ様」
本堂啓の知らぬ、埋伏された思惑の深淵にて……。
悍ましき籌算は確かに蠢くのであった。