第十二話
いまだ土壁の向こうでは絶賛楽しい楽しいパーティーの最中だ。
ボカスカとアホみたいに爆発魔法が撃ち放たれており土壁の修復もてんで追い付いていない。
時間は無い。期限は刻一刻と迫ってきている。
少しでも早く、一秒でも早く皆には逃げ出して欲しかった。
だが、その願いを知ってか知らずか、ティアはまだ動こうとすらしない。
「本当に、どうしても我々と一緒に逃げてくれないのでしょうか?」
「くどい! 早くしろ!」
思わず怒鳴りつける。
何度言えば気が済むのだろうか? 俺はここに残る。皆は逃げる。それでいいじゃないか。
それが一番じゃないか。
「わかりました、カタリ様。では一つお聞かせ下さい」
「はぁ!? そんな悠長な事――」
「お聞かせ下さい」
「…………」
有無を言わさない強い口調。
まるでその場の全てを支配するように、彼女はゆっくりと語りだす。
「カタリ様はこの国の方ではありません、それにこの場に居るのは我々に無理やり召喚されたせいでもあります。にもかかわらず、どうしてそこまで仰って頂けるのですか」
いつもとは違う彼女の仕草、いつもとは違う彼女の表情、いつもとは違う彼女の口調。
まるで強烈な風に吹かれたかの様に迫り来る不思議な圧力に気圧される。
俺の目の前に居るのは、ただのワガママお姫様ではなく、一国の全てを担う王たるそれであった。
「命を賭してまで、そこまでして貴方を奮い立たせるものは、何なのでしょうか?」
「……そんな難しい事分からない」
彼女の言葉を心のなかで幾度も反芻し、俺の想いを言葉に変える。
「一宿一飯の恩義って言うのかな? まぁ無理やり召喚されたし、姫には毎日質問攻めで、大臣共には毎日アホな嫌がらせ受けて……でも、それでも良くしてもらったと思う」
そう、良くしてもらった。
困った事があればすぐにティアやじぃやが助けてくれたし、大臣共だって嫌がらせをしつつも本当に迷惑なことはしなかった。
宰相ちゃんだってこの国のいろんな事を教えてくれたし、名も知らぬメイドさんや警備兵の人たちだってアホだけどどこか憎めない奴らばっかりだった。
俺は、この国の人達に恩があるんだ。
「そんなこの国がピンチなのに、勇者である俺が尻尾巻いて逃げてたら情けないにも程があるだろ?」
だから、この場に俺は立っている。
……逃げ出す事も出来ただろう、自分は関係ないと投げ出す事も出来ただろう。
だがそんな事はしない。
そんな情けない真似をしてまで生きて行きたくない。
俺は、俺が想う人達の為に生き、そして死んで行きたいのだ。
「それに、ティアの事も好きだし……」
「えっ!」
そんなにビックリするんじゃありません。
少しばかり頬を朱に染めて目を丸くするティアにすかさず付け加える。
「親愛的な意味だから勘違いするなよ?」
「は、はい……」
ラブじゃないからな。ライクだからな。もちろん宰相ちゃんだって好きだし。
まぁ、でもなんだ……ティアはこんな表情も見せるんだな。
もしかしたら、二度と見られないかもしれないその表情を、決して忘れない様に魂に刻み込む。
不意に、今までの事が走馬灯の様に思い出された。
いたずらされまくった。地味だ地味だと馬鹿にされた。土属性をディスられた。
迷惑をかけられた、その行動に文句を言った、しまいにゃ呆れ果ててため息しかつかなかった……。
でも、なんだかんだ言って、記憶の中の俺はいつも笑っていた。
ああ、なんだ。
皆の事をアホだアホだと言っていたけど。俺も十分アホじゃないか。
だって、コイツラの事が、こんなにも好きになっているんだから。
「だから俺が守る。全員守る。何があっても守る」
息を吸い込む。
枯れ果てた筈の魔力が湧き出してくる。
「――死んでも守る」
眼前の土壁を見据える。
今なら、どこまでも持ちこたえれそうな気がした。
「それが……日本男児の心意気って奴かな」
これで話は終わり。後は己の責務を果たすだけだ。
「ありがとうございます…‥」
「分かったならさっさと逃げてくれ。何の為にここに残るかわからないだろ?」
少しだけ突き放した言い方をする。
そうしないとティアが逃げてくれないと思ったから。
そして、そうしないと未練が残りそうだったから……。
「まぁ、意外と何とかなるかもしれないからさ! 元気出せよ!」
決して悟られぬ様、誤魔化す様明るく振る舞う。
チラリと見たティアの表情は、なんと言っていいか、悲しみとも後悔とも似つかない複雑ものだ。
「……そうですね」
ティア達は動かない。
不自然な言葉の空白が訪れる、土壁の向こうで鳴り響く爆発音だけが虚しく聞こえている。
早くしてくれ、これ以上俺に言葉を出させないでくれ。
そうでないと、どうにかなってしまいそうだった。
不思議な沈黙が続く。何故彼女が逃げないのか不思議でならなかった。
やがて、顔を上げたティアは、何かを決心した様子で一言告げる。
「じぃや、私の愛刀をここへ……」
「どれになさいますかな?」
「――『皆殺し丸』です」
「畏まりました」
「……は?」
突然の会話についていけない。
……どういう事だろうか? 愛刀?『皆殺し丸』? "刀"?
彼女が何を考えているのか分からない。
それ程に突然の言葉だった。
俺はマヌケな面をしていたのだろう。
こちらに視線を向けたティアは、俺の表情に少しだけクスリと笑うと、やがて真剣な面持ちでゆっくりと語りだす。
「カタリ様。我が国の偉大なる勇者カタリ様。私は、いえ、私達は貴方様に謝らなければいけません」
「え? 何を……」
慌てて言葉を返す、情けない事に上手い言葉が出ない。
「凡百の者かと判断していたのです。貴方様は優しいお方ですが、それ故危機に瀕しては動けないだろうと……。恐れ、嘆き、狼狽し、逃げ出すだろうと思っていたのです」
澄んだ声が響く。ティアの言葉がまるで染みわたるように伝わる。
「しかし貴方様はこの場に立っている。日本という恵まれた平和な国で生まれ、争いや悲劇とは一切の無縁で……。にもかかわらず貴方様はこの場に立っている」
彼女の言葉を遮るものは何もない。
先ほどまで煩かった爆裂音まで、どこか遠くに置いてきてしまった様だ。
「一宿一飯の恩義と申されました。交誼があるとは言えたかが数日程度の関係。それでも貴方様はその災禍を一身に受けるお覚悟で、私達の身すら案じて下さっています……」
俯き、何かを思い返すように静かに語られるその言葉。
いつの間にか、俺は彼女に釘付けになっていた。
「なんと勇敢で、なんと頼もしい事でしょうか」
やがて挙げられた顔、その表情は。
「――申し訳ございません」
とても悲しげな物であった。
「本当は、どうにかなるのです。その為の準備も、戦力も、こちらは十全にあるのです。……この状況は、貴方様を試す為に、ガイゼル地区の反乱を利用して私が仕組んだ事です」
贖罪の言葉が紡がれる。
それは俺の決意を裏切るものであり、今までの努力が水泡に帰すものであった。
「貴方様がいざ危機に面した時。どの様に対処するかを見極めるために私が仕組んだのです」
絶句する。
つまり、今回の出来事は全てティアの掌で起きていた出来事だったのだ。
俺は一人で必死の決心を胸に踊っていただけだったのだ。
こういう場合、普通ならどういう感想が一番正しいのだろうか?
怒り? 落胆? 失望? 凡そ良くはないものだろう。
だが、俺が感じた物は……。
――ああ、良かった。またからかわれただけだったのか……
安堵であった。
「許して頂けるか分かりません、貴方様への謝罪はこれから考える事にしましょう。我が王国のすべてを持って、貴方様の許しを請いましょう。……ですがその前に、ゴミ掃除が必要ですね……」
「姫様、こちらに……」
「なっ!?」
俺の気持ちとは裏腹に、事態はティアの手によって進む。
じぃやが持ちだしたのは巨大な刀だった。
いや、刀と言って良いのだろうか? その刀身はゆうに2メートルはあり、刃の厚さと太さも尋常ではない。
また刃には赤黒い葉脈の様な文様が彫り込まれており薄く発光している。
それは、あまりにも暴虐的な、ある種の絶対的な力を感じさせるものであった。
「我が国は本当に素晴らしいお方を召喚できました。誠に清き心を持ち、真に勇敢な魂を持つお方」
じぃやが両手で捧げるように持ちだしたその刀。
どれほどの重さになるのか検討もつかないそれを、まるで枯れ枝を手に取るように掴んだティアは、ゆったりと土壁の前へと歩みゆく。
「カタリ様。フローレシア王国は貴方様をお迎え出来た事で、この日より天上の栄華を極めることになるでしょう」
土壁が爆ぜる。
あまりの出来事に魔力の供給が疎かになっていた為、遂に破られたのだ。
舞い上がる土埃の先、微かに人影が見える。
魔力も残り少ない、もう一度土壁をつくり上げるのも無理であった。
そこへ向かって、ティアは平然と歩いてゆく。
それはまるで近くの庭園まで散歩に行くかの様に自然で、何ら気負っている物がない、ある種日常の1ページの様であった。
「おい、危ないぞ!!」
慌てて注意する。追いかけて引きとめようとしたが魔力が欠乏しているせいか上手く体が動かずつまづき転ぶ。
土埃が薄まる。たった一人の少女に一体何が出来るのだろうか? あとは反乱軍による一方的な蹂躙が始まるのみだ。
だが、ティアは、彼女は……。
その巨大な刀を目の前に向けて。
ただ、軽く横薙ぎに振り斬った。
「……なっ!」
正直に言うと、何が起こったのかは分からなかった。
連続する爆裂音、巻き起こる旋風に舞い上がる地面。
天地をひっくり返したような衝撃にふっとばされ、あまりの音に聴覚が麻痺する。
慌てて起き上がり目を開ける。
……視界に写り込んだものは荒野であった。
全てが荒れ果て、ありとあらゆる物の存在が許されない不毛の土地。
それが第一印象であった。
白の世界に違和感の感じさせる街道、そして迫り来る反乱軍とそれを押し止めんと守り建つ土壁……。
だが、それらは全て一撃の元に消え去る。
それは、全てティア一人の力によって為されたものだ。
彼女は言った。「十全な準備」と……。
十分すぎるほどの、圧倒的な戦力差であった。
「カタリ様。貴方様を召喚できて本当に良かった……」
小さな呟きが風に乗ってやって来る。
やがて、ティアは静かに刀を下ろす。
その刀身を無造作に地面へと突き刺し、ゆっくりとこちらへと振り返る。
「――これで我が国も安泰です」
どこか安心した、穏やかな表情で。
一切の躊躇なく。
ティアエリア・アンサ・フローレシアと呼ばれる少女は敵を殲滅したのだ。