第08話 機械仕掛けの神 後編
「くそが、どこにもいねーぞこの女」
携帯電話の画面には陰府月が映っている。もう日はほとんど沈み、夕方が夜へとバトンを渡そうとしている。
そんなテイクオーバーゾーンの時間帯、危険だなんだと遊具を外されたため、ブランコと滑り台しかない公園にいかつい不良たちが集結していた。
「おい、誰だよここに女がいたって、HOLEで言ってた奴誰だよ」
HOLEとは、正式名称、Cen.Hole センターホールというもので、簡易トークSNSアプリである。ほかのSNSサービスとは違いプロフィールなどを設定する必要がなく、無料で多人数で同時にチャットや通話が可能であり、若年代のスマートフォンユーザーはほとんどがインストールしている。
グループをつくりその中で会話が可能なため、部活動単位でグループをつくり、連絡を行ったりできるためとても人気があり、二子木も如月と竜宮とでグループを作成し利用している。
「出薄って誰だよったくデマ流しやがって」
「きれいな女を輪姦せるチャンスだったのにな」
「あの写真の女、瀬賀屋さんのモロタイプっすよね」
恐らくこのグループのリーダー、陰府月のビジョンの中で二子木をボコボコにした男は瀬賀屋と呼ばれる男らしい。本来であれば、今頃陰府月の体を堪能しているところだが、そんな未来を彼ら以外だれも望んでないだろう。
「すまないね、私が送ったんだよ」
不良達の目の前に現れたのは、白髪まじりの髪を後ろに流した初老の男だった。それ以外の特徴はほとんどない。一部あるとすれば、それはその男が教室で生徒達に教鞭をとる職についていることだろうか。どこからどうみてもただの一般人、そんな人間が不良達の方へと向かって行く。
「なんだよジジイ意味わかんねーぞ」
初老の男へ詰め寄るのは瀬賀屋だ。目当ての女を見つけられず相当気が立っている様子だった。
「あーデウス・エクス・マキナって知ってるかな?まぁ分からなければ、水○黄門でも思い浮かべてくれればいいよ、あとご○せん!の○ンクミかな」
男は至って冷静だった。普通の一般人であれば、関わろうとすらしないはずであるのに、この一般人はその普通を行わない。
「なんだテメェおちょくってんのかコラ、誰なんだよHOLEのグループに勝手に入って来たりしてよ、ころされてえのか?」
「デウスだよ、でうすって読むんだ、残念なことに私1人では舞台上の神にはなれないんだ」
「なにいってんのかわかんねーわ、とりあえず黙っとけよ、な?いま忙しいからよ、お前らこのジジイ黙らせろ」
瀬賀屋は後ろの人間に命令を下す。それだけの力がこの男にあった。街の不良を束ね、自分をトップにおく集団を築き上げ、犯罪を侵しても足切りできる人間を用意でき、その道のヤのつく人間と交流を持つほどにこの男には力があった。
しかし、誰も動かなかった。否、動けなかったのだ。誰も瀬賀屋の命令を聞くことができなかった。誰もが、瀬賀屋以外の誰もが眠っていた。ある者は立ちながら、ある者は仲間を支えに、さっきまでHOLEで謎の人物の発言を見ていた誰もが眠っていた。
「おいっ!なに寝てんだクズども」
「彼らはしばらく起きないよ、仕組みは機密だから教えられないんだけどね」
「ジジイ……何しやがった」
「主人公の困難を打破しに来たんだ、君にはちょっとついて来てもらいたいんだけど」
「ふざけんなクソジジイ!!!」
瀬賀屋は初老の男に渾身の力を込めて殴りかかる。およそ、老いた人間に対して向ける力ではないが、そんなことに躊躇はしない。
窃盗、暴行、恐喝、強姦、拉致とありとあらゆる犯罪を、人殺し以外は何でもやってきた。
ここでこの男を1人殺してしまっても殺人が加わるだけ、むしろ箔が付く。そんなことを考えてしまう、悪人なのだ。
しかし、その拳は男には届かない。突如、間に屈強な大男が立ちはだかり、拳はその大男の肉体に叩き込まれた。
「なんだよ、おまえは
言葉は止まる。右腕が燃えるように熱く、激しい痛みに襲われた。瀬賀屋が右腕に目を向けると、肘から下が強引にねじ切られ、皮膚や肉、骨が自身の血液でぐちゃぐちゃに塗れていた。
ねじ切られた瀬賀屋の腕は、大男が握りつぶし、もはや原型をとどめていない。地面には肉片や血液がへばりつくように落ちている。
「なんだよこれ、おい、おい、返せよ、何やってんだよ、腕が、俺の腕が、」
大男はそんな言葉を気にすることなく、その腕を地面に捨て、踏み潰した。まさにオーバーキルだ。どんな名医であっても、もう二度と、その腕を元通りにすることはかなわない、覆水盆に返らずだ。
その腕だったものを瀬賀屋はすぐさま大男の足元からかき集め、大事そうに抱えて身を震わせている。力、ことさら腕力、攻撃手段としての右腕は瀬賀屋の誇りであった。それが、薄汚い醜悪な所業を繰り返したものであっても、それだけが自分の象徴、それが大国が崩れ去るのと同じように一瞬で消え去った。
大男はそんな瀬賀屋をまるでゴミ虫でも見るような、社会のためにこの虫をこの世から抹消してやろうと、そう冷淡な眼差しを向けていた。
「マキナ、殺すなよ、こいつには釘をさしておかなきゃならないからな、連れていってくれエクスのところに」
「ケー」
マキナと呼ばれた大男は地面にいるゴミムシの腹部を極力拳の出力を下げて小突く。鳩尾に直撃すると一瞬でゴミムシは辛うじて生きるのに必要な機能以外が活動を辞め、それを大男は汚いものをつまむように持つと軍用の大型貨物車両に放り込む。
「あー一応、この腕だったのも持ってってやってくれないか、というよりやりすぎだぞこれ、うちの生徒が手を出されないように忠告したかっただけなんだけどな」
「コイツハアクニン」
「こいつだって、なりたくてなったわけじゃないかもしれないだろ、それに私は教師だからな更生させなきゃならん」
「……スマナイ」
「謝るなら、そこで片腕失ってのびてる奴に頭を下げてくれ」
「ケー」
マキナは出薄に言われたとおり、少年に頭を下げる。そして、トラックの座席には入らないため、少年を放り投げた荷台に乗り込んだ。
出薄は胸ポケットからタバコを取りだし、口に加えた。
「それにしても、実験の邪魔になるしあまり手助けしないほうがいいのかねぇ」
自らを舞台上の神になれない男と称した出薄はため息まじりにそう呟く。
デウス・エクス・マキナ、主に悲劇の演出方法の一つ、舞台が解決困難な状況に陥った時、突如、ワイヤーやクレーンを使い舞台の天井から現れる神、機械によって吊るされたその神は、状況を簡単に打破してしまう。
そんな、いともたやすく行われるえげつない行為に対しては、ご都合主義という批判が古代ギリシアからあるそうだ。
「そう、ご都合主義だ。彼らには私たちの都合通りに動いてもらう必要がある。特に陰府月玲に死んでもらうわけにはいかない」
一本吸い終えると、携帯灰皿に吸殻をいれ、自分を待っていた車両に乗り込む。ずいぶんとくたびれた感じでため息をつくと、運転席の女性はタバコの臭い少し嫌な顔をする。
「すまんすまん、学校だと吸えないからさ」
そう、平謝りされた女性が運転する車両は、寂れた公園から去って行った。
◆
「は?えっちょっとまってよ?なに?急にかけてきといて、なんで?もうかけるな関わるな?あっおい、きるなよおい……ちっ」
西原 美咲 (にしはら みさき)は、寝ているところを携帯の着信に起こされ、その上意味不明なことを喚く小間使いに心底苛立っていた。
携帯の画面には、『瀬賀屋』という文字が浮かんでいる。彼女は、このいつも汚れ仕事を頼んでいる男が今日どんな目にあったのかを知らない。
右腕を無くし、それが交通事故によるものだとしたて上げられ、真実を話そうとすれば、体内に埋め込まれたデバイスによって、心臓に強烈な電気が走ることなど、再び悪事を働けば、残った手足が仕込まれたC4爆弾によって消し去られるなど、彼女は知らない。
「役に立たねークズが、しょせんはチンピラか。なら自分でやってやるよ」
怒りの矛先は憎しみの対象である陰府月に向く。当然と言えば当然だが、理不尽と言えば理不尽だ。西原美咲にとって陰府月はこの世すべての悪であるようだ。
「クラスのアイドルは私1人で十分なんだよ、そこんとこわかってもらわねーとな」
下卑な笑顔を浮かべるその女は、それとは似合わない可愛らしい熊のパジャマに身を包み、これまたファンシーな雑貨に囲まれた部屋の中でそう誓った。