第06話 陰府月 玲、疲れる
二子木が用務員室からきれいな机を貰い、エレベーターを使って戻ると、陰府月の周りには、当然といえば当然ながら人集りができていた。
「どこか部活はいるの?家庭部とかどう?」
「まえの学校ってどんなとこ?」
「陰府月さんはどんな男が好きですか!?」
男も女も、麗人のニューカマーに興味深々であった。
「玲、ほら机……って、あっ」
二子木の突然の名前呼びに周りの男衆は敏感に反応した。
「なんだ二子木、いきなり下の名前で呼ぶなんてお隣さんだからって馴れ馴れしい奴だな?あぁ?」
「調子に乗るなよ二子木」
「童貞」
「すぐ手を出そうとするなんて手グセの悪い動物がいたもんだな」
全身全霊で二子木を目の敵にするあまり、周りの見えてない男衆の二子木へのバッシングに周りの女子は物理的には近くにいるものの、心の距離はマサイ族でも視認できないほどかけ離れていた。
正直なところ、二子木も失言であったと認識していた。陰府月はその一言多い性格を除けば顔は容姿は特上に近い。ミス頸城高校もその性格さえ直せば夢ではない。転校生というだけでも特別な存在に見えるのに、それに加えてあの容姿、みんなの前で挨拶をした瞬間、彼女はもう、このクラスのアイドルであると、潜在的にそう思われていても仕方が無かった。
助け舟を貰おうと、二子木は陰府月の方を見ると、不敵ににやけていた。
この女、楽しんでやがると奥歯をかみしめていたその時、彼女は口を開いた。
「尊くんを責めないであげてください、転校してきたばかりの私が気負いしないようにしてくれたんだと思います、ね?」
爽やかな笑顔で首を傾けながら、こちらを見ている。
「おっおう、はやくクラスにも慣れた方がいいだろしな、ほらちょっとどいてくれよ、机持ってきたから」
男衆も陰府月がそういうのならば、と二子木へのやっかみを辞め、二子木が通る道を作った。
机を置き、陰府月に席を移ってもらうと、ようやく二子木は自分の席につけた、と思ったのも束の間だった。『二子木は授業中も隣にいれるのだから休み時間くらいどけ』というとんでも理論で追い出された。
ため息まじりに、如月の方を向くと手招きをしていた。安息の場所はまだあったか、と二子木は如月の方へと向かう。竜宮も陰府月に群れる群衆に嫌気がさしたのだろう、如月の方へと向かった。
「いやーそれにしても、隣に美女がくるなんて羨ましいですなー尊さん」
如月にまにまとした顔つきで肘で二子木を小突きながら、歓迎の挨拶をした。
「うれしいわけねーだろ、ちょっと下の名前で呼んだだけで、あの顰蹙だぞ?」
「まぁ、男共もテンション上がってるからしょうがないんじゃねーの?あいつらほら一年の時、雪ちゃんと同じクラスだったの多いだろ、あいつらがクラス替え発表の時、『クイーンが、俺たちのクイーンが』って悲しんでたんだぜ」
「でも、うちには美咲ちゃんがいるじゃん?」
「あれは可愛い系だからな、雪ちゃんみたいなキレイ系が欲しかったんだろうな」
「陰府月さんキレイだよね、お話したかったけど、周りが賑やかすぎてできなかったよ」
「まぁ、授業のチャイムがなるまでここにいさせてもらうか、な、涼花」
「うん、こっちの方が落ち着くし」
そう言って、如月の席で5分ほど雑談をして過ごすことにした。
二子木としては、陰府月の視界に入っていた方がいろいろと安心だったが、
「あれじゃ俺なんか見えねーだろーな」
一つの席、1人の人間に群がる群衆は動く壁だ、我を我をと隙間を埋め、周りの世界と隔絶させている。
「パレスチナの隔離壁より、強固そうだね」
竜宮もそんなことを呟いている。思っていたことは二子木と変わらなかったようだ。
◆
昼休みになった。ある程度人が減ったものの、あの喧騒の中陰府月と話せなかった人が落ち着いた現在集まり出したため、今だ陰府月は騒動の最中にいた。
『いい加減、うっとおしい』
陰府月は表情には出さないように注意しながら、心の奥底、ではない結構表面に近い部分でそう思っていた。
たしかに、転校生という物珍しさはあっても、この人集りは異常じゃないか、 入院してたって外をみるくらいできたのに、人の壁で周りの様子がわからない、これでは独房に入れられた凶悪犯と変わらないではないか、そんなことまで思いはじめた。
唯一、知り合いの二子木もホームルームの後すこし意地悪なことをしたせいか、それ以降授業中以外は視界から消えてしまう。
私はあなたの生殺与奪を握ってるのに、とか、さてどうしたものか、とか陰府月が悩んでいると、ようやく助けが来た。
「おーい、れ…陰府月、昼休みだし校舎案内するぞ」
二子木だった。
「そういえば、そういう約束でしたね、よろしくお願いします尊くん」
そういいながらも、二子木を見る目は恨めしさの色がこもっている。
陰府月はなんとか、尋問空間からのがれることが出来た。まぁ、自分は命を守ってあげるのだから、これくらいしてくれないと割りに合わない、そんなことを思いつつも、少し二子木には感謝した。もちろん口には出さない。
「いやーそれにしても人気者ですな、陰府月さんは」
「なによきもちわるいわね」
「いやまぁ、でも本当にすごい人気だな玲は」
「人を動物園の猿みたいに囲んでわーきゃーされても、そんなこといえる?転校生がそんなに珍しいの?ここは」
くたびれた表情を二子木へ向ける。陰府月はもともと社交的な人間ではない。自分を理解してくれる友人と舞台の袖で平和に過ごせればいいと思っている人間だ。
皆から見える舞台上、ことさらスポットライトのあたる役などしたいと思うどころか、演じ切れる力も無い。
「転校生ってのあるが、あれだろお前が美人だからだろ」
「私はそんな安っぽい言葉じゃ落ちないから」
「誰も口説いてねーよ、こちとらかわい子ちゃんが、屋上で待ってるんでな」
「生きてれば、ね」
「まぁ、冗談はさておき、お前は性格は悪いし、一言多いが、それを除けばルックスはかなりいいからな、キレイ系な女子が少ないから持て囃されてもしょうがないだろ」
「いくら囃し立ても、私の貞操は渡さないわよ」
「よくさらっとそんなこと言えるな」
実際には、照れ隠しの意味もあったが、すこし紅く染まった頬を彼は見ていなかった。
ひとしきり、使用するであろう教室を案内すると、昼休みも残り半分となっていた。
「調理実習、一年生しかしないなんて知らなかったわ、残念」
「まぁ、そういうカリキュラムなんだから割り切るこったな、そういや昼飯食ってないな、教室戻るか」
「ええ、まぁいいけど、また人に囲まれるのは嫌ね」
「お前、弁当か?それなら、屋上にでも退避するか、まだ少し肌寒いから人もあんまりいないだろうし」
「あら、屋上でなんてだいたんね、私にフェンスを捕まらせて、『ほら声を抑えないと気づかれちまうぜ、ぐへへ』ってやるんでしょら」
「お前の中の俺はどういう存在なんだよ」
「ポークビッツで私の純潔を散らそうとする変態」
「おれはそろそろ怒ってもいいと思うんだ」
「ヒステリックは嫌よ、まぁ冗談はさておき早く行きましょ、次の授業が始まってしまうわ」
二人は教室に戻って、昼飯を回収すると急いで屋上に向かった。幸い男共は体育館でバスケでもしてるのだろう。うるさい奴らは少なかった。
屋上に着くと先客がいた。如月と竜宮だ。
屋上に人がいないという情報をくれたのは如月だった。涼花も陰府月と話したいと思っていたし、今日の陰府月に群がる人々を見て、ひと気の無い方がゆっくりできるだろうと配慮してくれたのだ。
「はじめまして陰府月さん、おれは如月 潮、二子木の数少ない友人の1人だ、で、こっちは」
「り、竜宮 涼花です、弓道やってます」
「あら、尊くんのお友達というわけね、そちらの彼女は如月くんのお手つきなのかしら?」
「いや、ぜんぜん、中学からの腐れ縁なんですよ、な?」
「う、うん、尊くんも潮くんも中学からずっと同じクラスなの」
「仲がいいのね、私もお昼ご一緒していいかしら」
「ああ、もちろん、尊ばっかにいい思いはさせたく無いしな、涼花なんかは『尊くんの邪魔しない方がいいんじゃないかな』って言ってたけどな」
「あらあら」
◆
ホームルームも終わり、放課後となった。陰府月の前には人集りが増している。マネージャーに引っ張ろうとする男衆や家庭部や美術部などに誘おうとする女衆、美人という噂を聞きつけた他クラスや他学年の野次馬共、輪の中心にいる陰府月は既に気力も体力も限界に近づいていた。
二子木はしばらくすれば収まるだろうと思って遠目に観察していたが勢いが衰える様子が無く、しぶしぶ、職員室の担任の席に向かった。
「かくかくしかじかなんで、陰府月を呼び出してもらえませんか」
「ふむまぁ、いいだろう」
「通じたんだ」
「神の視点に立てばね」
初老の教師はゆっくりと腰を上げ、校内放送マイクの前まで移動した。
『2年の陰府月 玲 大事な話があるので至急職員室に来なさい、5分以内に来なかった場合、陰府月自身、または陰府月の行動を阻害したものに然るべき罰を与える以上』
二子木が教室を出る時、スピーカーの音量を最大値にしていたため、お祭り騒ぎのような教室内でもうるさいほどそれを聞くことが出来た。
それを聞いた陰府月は、これは好機とすぐに立ち上がり、失礼します、といってそそくさとその場を去る。周りの人間もそこまで釘を刺されればどかない訳にはいかなかった。
「助かりました先生、用件はなんでしょうか」
安堵の表情で陰府月は職員室に入ってきた。
「いや用は無い、二子木がお前の心配をしてな。今のうちに帰れ、二子木がお前のカバンを取りに行ってくれるそうだ」
「はぁ、わかりました、失礼します」
玄関に向かうと既に二子木がいた。陰府月のカバンも持っている。
「たまには気が利くのね」
「そろそろ、ボロが出そうな気がしたからな」
「ボロって何よボロって、失礼ね」
「ほら、カバン」
「……あ、ありがと」
カバンを受け取ると、陰府月はすぐに自分の靴箱へと向かう。玄関で二子木に合流すると、一緒に帰ることにした。あくまでも二子木を守るためだ。
そして、それを遠くから眺める二つの瞳があった。
恨み、妬み、そんな感情がこもった視線に彼らはまだ気づいていない。