第30話 こうして二子木尊は命を落とす 前編
微睡みの中、僅かに開いた二子木の瞳に、彼女は現れた。
「起きなさい、そろそろ時間よ」
まだ、目覚まし時計も鳴っていない。
普段二子木が起床する時間よりも随分早く、彼を目覚めさせたのは自分を殺めようとするものでは無く、守ってくれる人だった。
幾ばくかの間、安堵に心を満たすと二子木は起き上がる。
「まだ7時にすらなってないんだが」
「学校で殺人なんて滅多に起きないんだから、早く学校に行った方が得でしょ?」
「でも結局殺されるんだろ?」
「あなたが告白を受けるまでは安全じゃない」
「確かに」
二子木は起き上がり陰府月の全身を再確認する。既に制服に身を包み、完全に身支度を整えているようだ。
「なに?遠足が待ちきれない子供なの?」
「あなたが起きてる時に着替えたら何をされるか分かったものではないわ」
「その男の家に止まってるのはどーゆうことだよ」
陰府月はその言葉を最後まで聞こうとはせず、部屋を後にする。
「さて……着替えるか」
カーテンを開けると暖かな日光が二子木の身を照らした。
ワイシャツの下に着る適当なTシャツを見繕い、制服のスラックスを履いてベルトを締める。
その後に洗面所で顔を洗い、リビングで食事を取り、寝癖を直してからワイシャツを着てブレザーを羽織るのがいつものパターンだ。
二子木がリビングに降りると陰府月はテレビを付けニュースを見ていた。
「近くで殺人事件とか起こって無いわね」
「なんでそんなこと気にするんだ?」
「逃亡してあなたが人質にでも取られたらおしまいでしょ、あっあとそれ朝食だから」
陰府月の指差す方向、テーブル上には、茶碗に盛られた白米、湯気の立つ味噌汁、程よく焼けた鮭の切身、青物の小鉢。
朝食を適当に済ませる二子木にとっては、これまでにない豪華な朝食だ。
「こっこれ、お前が作ったのか?」
「万が一食べ物に毒が盛られてて、死んだら大変でしょ?ビジョンが見えない方が心配事が少なくなるんだから、これくらいのことするわよ」
「食べて……いいんだよな?」
「私が二回も朝食をとる女だとでも思うの?」
「い、いただきます」
何から手を付けていいのかわからない二子木はとりあえず味噌汁に手を伸ばす。
豆腐とワカメのシンプルなものだ。
一口、二子木が口に含むとそれが普段飲むものとは全く違うものであること気付いた。
「……いつものよりうまい」
「当たり前って言っちゃうとあなたのお母様に失礼だけど、ちゃんと出汁をとって味噌もここら辺の地方でよく食べられてるのを使ってるわ」
「料理上手いんだな」
「友達がいなくてやることがなかったから一人でできることはだいたい上手よ」
「さらっと自虐混ぜるなよ」
「知ってる?友達が少ない人って下ネタと自虐が唯一のトーク手段なのよ……」
「なんで自分で言っといて、ヘコんでんだよ」
朝食を食べ終えた二子木は食器を流しに持っていき、ワイシャツとブレザーを身につける。
「この金……財布には入らねーしな……」
まだ開封すらしていない棒金を、とりあえず二子木はカバンに放り込んで身支度を終えた。
「遅いわよ」
「わるい、今行くよ」
階下から聞こえる声に返事をして、玄関へと向かう。
今日、死ぬとわかりながら、今日、死なないために、二子木は学校へと向かった。
◆
道中、何も起きずに学校へと着いた。
グラウンドに朝練をする生徒がいるが、それもちらほらと言った具合だ。
そんなほとんどひと気の無い学校の玄関で、二子木が下駄箱を開けると、そこには通算三通目の便箋が入っていた。
同じ便箋、同じ封蝋、手紙の主がどのような人間か、二子木の想像に容易い。
二子木はその場で封蝋を剥がし、手紙を広げるとそこに書いてある文字に目を移した。
『今日、約束の場所で待っています。私が話しかけるまで、決して振り向かないで下さいね』
「へー彼女シャイなのね」
いつの間にやら、二子木の背後には陰府月がいた。
「おっおい、勝手に見るなって」
「あら、失礼。さぁ、手紙も確認したことだし、行きましょ」
二子木は手紙を内ポケットに入れると、陰府月の後を追う。
教室の中には二人を含めて片手で数えられる人しかいなかった。
「あら、竜宮さん、おはよう。早いのね」
「あっ、陰府月さんに尊くん、おはよう。今日朝練があるかと思ったら無くてね、損しちゃった気分だよ」
「お前そーゆうこと多いよな」
「えへへ」
照れ笑いをする竜宮は二人が座るのを待ってから、話を切り出した。
「そういえば、今日提出の宿題やった?」
「宿題?そんなのあったか?」
「たしか、教科書の小説を読んで感想書くのよね?それなら私はやってあるわよ」
「うん、それ、尊くんやってないの?」
「頼む!参考に!参考にするだけだから拝見させて下さいお二方!」
今にも土下座をせんとばかりの勢いで懇願する二子木に、二人は困惑の表情を見せる。
「えっでも、感想見られるのって恥ずかしいし……」
「私の芸術的文章センスに魅せられて絶命するかもしれないから見せられないわね」
「さらっとどんな感じで書いてるか観たいだけなんだよ、な?」
「人の芸術作品をお茶漬けみたいに……まぁいいわ、冥土の土産に見せてあげるわよ」
陰府月は仕方なしにカバンの中からルーズリーフを取り出し二子木に手渡した。
その様子をばつが悪そうに竜宮は眺める。
「わっ私のも、見せるけどすぐだよ?一瞬だよ?」
「ありがたや、ありがたや」
竜宮は自分ノートを二子木の目の前に広げた。
「ほうほう……」
「はいっ終わり!」
二子木が半分ほど読んだところで、竜宮はノートを閉じてしまった。
「はやっ!よほど都合が悪いようだな!」
「べっ別にそんなことないよ!恥ずかしいの!」
そう言って竜宮はノートしまい、彼らへ振り返ってはくれなくなった。
◆
「玲、俺やることができた」
昼休みとなった直後、二子木は陰府月にそう言った。
「えっ」
きょとんとする陰府月をよそに、二子木はさっそうと教室を去って行く。
「ちょっと、死んじゃったらどう……す……んのよ……全く」
陰府月はすぐに携帯を開いて、メールを送った。一体どういうつもりなのか、と。
暫くするとメールでは無く電話がかかってきた。
校内での携帯電話による通話は禁止されてるにも関わらず、大胆な男だ。
「もしもし?勝手に行動するなんて私をコケにしてるのかしら?」
「俺みたいなローリングストーンには関係無い話だな」
「冗談抜きに今なにしてるのよ、危ないでしょ」
「いや、玲、よく考えてみろよ。女王が言ってただろ、人の感情は測定しにくいって」
「だからビジョンも、危険が切迫してから見えて危ないんじゃない」
「ならなんで、女王は俺が人の手によって殺されるって知ってたんだ?」
「それは……彼女が私より上位の力か、アクセス権限があるんじゃないかしら?」
「それでも、人の衝動を機械的に予測することは難しいはずだ」
「ならどうして?」
電話口の相手は陰府月の言葉に少し間を置いてから静かに告げる。
「俺を殺すことが、今日なんかじゃなくて、前から計画されてたんだよ」
「そんなこと……」
「だから、むしろ今は安全だ。告白だって受けることができる。問題は……その後だな、まぁ、今は大丈夫だから心配するな、じゃ、やることあるからまたな」
「ちょっと、待ちなさ」
言いかけた言葉は、彼によって妨げられた。
陰府月は不貞腐れた様子で鞄から弁当箱を取り出す。
「せっかく二つ作って来たのに」
鞄の中にはもう一つ、弁当箱が入っていた。
もちろん、二子木のためだ。しかし、食べ物で殺されるわけでもなく、二子木にも食べてもらえないのだから、とんだ骨折り損のくたびれもうけになってしまった。
「竜宮さん、お昼ご一緒していいかしら」
「うん、あれ?尊くんは?」
「何かやることがあるって走り去ったのよ」
竜宮は不思議そうな顔をしていたが、陰府月はその疑問に答えることができない。
唯一、答えを知る男が今何をしているのか、皆目見当もつかないのだから。
◆
二子木尊は駆けていた。校舎の中を。
そうして、ある部屋の前にたどり着く。教務室、その中に目的の人物がいるはずだ。
「失礼します。出薄先生に用があって来ました」
そう言って、ズカズカと入り込むと、担任の机へと向かった。
ちょうど、出薄は仕出しの弁当を食べていた。
「先生、ちょいとお耳を拝借」
二子木は、出薄に何やら耳打ちをした。
それを聞く出薄の表情に、陰りが見え始める。
「そんなこと、できるはずなかろうが」
「いや、先生、でも、可愛い生徒の頼みじゃありませんか。それにあんな恥ずかしいチーム名つけちゃって」
「そのことは口外するな」
「今回だけでいいんですよ、玲が正常に助かる方ががどっちにとってもお得でしょ」
「……分かった。だが、今回だけだ。生徒として以外の用事は今後一切取り合わない。いいな?」
「いやー太っ腹!それじゃよろしくお願いします、ではでは」
二子木が立ち去ると、出薄は面倒臭そうな顔をしながら、他の教師の元に向かう。野球部の顧問だ。
「すいません、勅使河原先生、放課後の部活前に少し部員を借していただきたいんですが」
「いいですよ、どんなご用事で?」
「そんな体それたことではないんですが、まぁちょっとした野暮用で」
「はぁ、そうですか。ではホームルームが終わったら出薄先生のところへ行くように伝えておきます」
「どうもありがとうございます、それでは」
出薄は思う。デウス・エクス・マキナのためにもラプラス計画のためにも、陰府月にマキナを接触させることは避けるべきだったと。
それが例え、江句洲の娘という第三勢力の独断であろうが、だ。
江句洲雪は必ず出薄側にとって脅威になる。
江句洲雪は、マキナに直接コンタクトを取ることが出来た。その事実だけでも恐るるに足る。その上彼女は、ラプラスへのアクセス権限を陰府月と同じかそれ以上保持しているに違いないのだ。
江句洲は自分の娘のことを気にも留めないが、もし、妨げとなるようなことがあれば、何らかの措置を取る必要があると出薄は認識していた。
「まぁ、人の感情は無視出来ないしな、今回だけは大目にみよう」
出薄は一人教務室を出て、校内唯一となった喫煙室へ向かった。
煙草から出る煙は線香のように、儚げに通気口へと吸い込まれた。
忙しくて更新遅れましたすいません。




