第20話 リ・コレクション
校門の前につく頃には、陰府月の涙は尽きていた。
ただ、目の周りの赤みがかった腫れだけが、彼女の涙を証明している。
「さぁ、着いたわよ。早く教室に向かいなさい」
「ほら、とりあえず外に出るぞ玲」
「そういって下半身をいやらしくなでまわすことはわかってるわよ、禿げづらデブ課長」
「その様子なら大丈夫みたいだな、頭の中は大丈夫じゃないんだけど」
「自分が常識人みたいに振る舞うのはやめた方がいいわよ。大概、自分の常識と他人の常識には差異があるから」
「ほぉ、じゃあお前の常識の中では朝っぱらから公共の場で下ネタを言っていいのか」
「そんな常識あるわけないでしょ、まったくこれがゆとり教育の賜物というやつなのかしら」
「その人をイラつかせる才能に嫉妬するよほんと」
「仲がいいのね、羨ましい」
二人の後に高級車を降りた女王は、彼らの様子を背後から見ながらそう呟いた。
その声が聞こえたのだろう。
二人は顔を見合わせ少し後ろにいる女王の方へ振り返った。
「あなたには一応感謝するけど、憶測による判断は辞めるべきよ」
「感謝なんていらないわよ。あなたとわたしは、敵同士なのだから」
「敵?」
「いずれわかるわ。いずれね」
そう言うと女王は二人の間を通り抜け、校舎へと足早に向かう。
その姿はどこか青春物のワンシーンを思い浮かばせるような、そんな清々しさを感じさせた。
◆
新校舎の屋上には二人の人間がいた。
如月潮と竜宮涼花だ。別に二人は恋仲というわけではない。
如月が屋上で登校してくる生徒を見下ろしながら、この下賤の民どもが、と邪智暴虐の王の気分に浸っているところに、竜宮がたまたま現れたのだ。
「やっぱり仲良さそうだな、あいつら」
「尊くんと陰府月さん?」
「あぁ、あいつら付き合わないのかなー」
両手を頭の後ろに回し、屋上の柵を背に寄りかかった。
残念なのか喜ばしいのかわからない溜息が漏れる。
「うっ、潮くんはさ、彼女とか作らないの?ほら、モテるじゃん潮くんって」
「あぁ……尊に出来るまでは作らないかな……」
「いっつも、そこで尊くんの名前出てくるよね……」
◆
時は三人が中学生だった頃に遡る。
当時、二子木には意中の女子がいた。彼女はクラスの中心人物とは言えないまでも、ダイヤの原石といえるほどの可憐さだった。
何がきっかけだったのかは分からないが、彼女と二子木は親しい間柄で、付き合ってるのではないかという噂が出回った。二子木自身満更でもなかった。
しかし、その噂と同時に彼女は離れていった。思春期ゆえの恥ずかしさではない。
彼女は二子木が好きなのではなく、二子木といつも一緒にいる如月が好きだったのだ。
よくあると言えば良くある話だろう。彼女は転校することになり、その前日に二子木は一世一代の告白をしようと決めた。
しかし、二子木の告白の前日に、如月は彼女から告白をされてしまった。
当然、彼は二子木の気持ちを思い断った。
「君のことをそう言う好きとしては見れない。それに、二子木は君のことを……」
如月は言い終わりかけ、気付いた。
自分が重大な過ちを犯したことに。
如月は、ごめん、と言うと走って逃げた。彼女からか、自分の犯した過ちからか、はたまた両方からか、本人だけが知っている。
次の日は雨だった。
如月は二子木の告白を影ながら応援すると言う建前をもって、二人に見つからないようにその様子を窺っていた。
引っ越すと言うこともあってか、二子木はラッピングされた小包を持って彼女の到着を待っていた。
後に分かったことだが、お年玉貯金を崩して、中学生にしてはそこそこ豪華な品を用意していたらしい。
彼女は約束の時間になっても現れなかった。
雨が止む気配も無く、二子木は未だ彼女の到着を待っていた。
二時間ほど経った頃だろうか、小雨の中、彼女はついに現れた。
濡れた髪がしっとりと肌に貼りいている。
普段は見ることのできない彼女の私服も守るべき肌をのぞかせていた。
「……ごめん、おくれて」
「いいよ!ぜんぜん!それより雨、大丈夫?」
「……うん、大丈夫。すぐ終わるし」
「じゃ、じゃあ、なんか、改めて……あの、転校……淋しくなるね」
「そう……」
「あの……これ、ぷっプレゼントでその……」
顔を真っ赤にしながら、二子木は俯いた。
これから先、何度か起こるイベントであろうが、この時の二子木にとってはまさに、一世一代の出来事だ。
心の中で覚悟を決め、二子木は力を振り絞る。
「おれと付き合ってください!」
小箱を差し出しながら頭を下げる彼は、不安とそして思いを伝えた達成感に満ちていた。
彼女は俯いたままその小箱に手を伸ばす。
手にかかる重みが無くなるのを感じた二子木は顔をあげた。
彼女はその表情を見た。無垢で純真で、この世のすべてに感謝しているような、そんな表情をしている。
それが彼女の逆鱗に触れてしまった。
その笑顔は何も知らない笑顔なのだ。その笑顔は彼女自身がするはずだった笑顔なのだ。
転校する前に、如月と結ばれた自分こそがその笑顔にふさわしい、そう彼女は思った。
思いは、感情は、内から飛び出し、プレゼントの入った小箱を理不尽に歪めた。
彼女にとって二子木は道具だったのだ。
如月に近づくための道具、それが今は自分がいるべき立場に立とうとしている。
それを彼女は認めることができただろうか。
彼女は心から祝福できただろうか。
当然、それは否だ。
感情に塗れたその腕は、小箱を茶色の水たまりに叩きつけた。
一瞬の出来事に、如月は言葉を失い。二子木はその笑顔のまま固まっている。
「……たさえ……あんたさえいなければ!!」
彼女は泣いていた。その意味を二子木は理解できなかった。この場ですべて理解できたのは如月だけだろう。
彼女自身でさえ、なんでそのような言動に出たのか、うまく理解できてなかった。
彼女は走って逃げていった。二子木には聞こえない、ごめん、という言葉を残して、如月のように逃げて行った。
その手を二子木はとった。そして、傘を彼女に無理やり握らせ、背中を押した。
彼女はまた走り出した。
振り返らなかった。振り返れなかった。
ただ二子木は笑顔のまま彼女の後ろ姿を見つめる。
ぐちゃぐちゃになった箱を拾い上げ、木の根元に背中を預けた。
如月はその場にとどまり続けることが出来ず、失意のまま公園を後にしたのだった。
◆
「あいつと俺の間には、超えようの無い差があるんだ。それこそ月とすっぽんみたいな」
「だから、誰とも付き合わないの?」
「あぁ、あいつより先にはな。きっとできてもおれ自身が幸せにはなれないと思う」
屋上に静寂が広がった。登校する生徒の話し声が聞こえる。
春風が竜宮のスカートを揺らし、それを抑える彼女は如月をちらりと見て顔を赤らめた。
「もし、尊くんが死んじゃったらどうするの?縁起でも無いけどさ」
「あいつは死なないさ、けどまぁ、死んじゃったらその時は考えを改めるかもしれないな……なんてね。あんま変な話すんなよな、あいつは今まさにこれまで報われなかった分の青春を享受してんだよきっと」
そっか、と言ったまま竜宮は黙り込んだ。
校内に予鈴が響く。そろそろ、朝のホームルームが始まるのだろう。
二子木と陰府月はとっくに教室に着いていて、如月と竜宮がいないことを不思議に思っている頃だ。
「そろそろ行くか」
「そうだね」
二人は屋上を後にした。
◆
体育の時間というのは、ある程度運動のできる人間にとっては幸福な時間だ。
二子木尊もそんな人間である。
ただ、そんな彼は現在グラウンドでサッカーを行う生徒達に混れずにいた。
彼がいるのは旧校舎のすぐ裏にある体育倉庫にいた。
体育教師と目があったというだけで、ボールの電動空気入れとその延長コードを探しにきていたのだ。
非常に埃っぽい空間には、体育館にあるべき体操で使う厚手のふかふかとしたマットがあったり、いろいろなものが詰め込まれたダンボールが所狭しと積み上げられている。
「どこだよ、まったく」
「陰府月さんこっちこっち」
「こんなところに体育倉庫があったのね」
未だ空気入れを見つけることの出来ない二子木の耳に聞き覚えのある声が聞こえてきた。
なんとなく、というのが正しい理由だろう。ちょっとした好奇心ゆえに二子木はマットの間に隠れた。
「陰府月さんって尊くんのことどう思ってるの?好きなの?」
「えっ?はっ?」
竜宮の突然の質問に陰府月はたじろいだ。
「べっ別に……まぁ特別な事情と特別な感情はあるにはあるけど……今はそういう好きとか嫌いとかって考えてないわね、でも嫌いでは無いわよ。
私そこまでできた人間じゃないから嫌いな人と一緒に居ることなんてできないし」
「じゃあ、私のことも嫌いじゃないってことでいいの?」
「えぇ、まぁ、こんな状況で嫌いと言える人間がいないことはさておいて、竜宮さんのことは好きよ、頼りにしてるわ」
「なっなんかそう言われると、照れるなー」
竜宮が照れ隠しに頭を掻く姿は子猫の毛繕いを思わせるような小動物的かわいさが滲み出ていた。
「さぁ、はやくパイロンを持って行きましょ」
「パイロン?」
「コーンのことよ、ほら台車使っていいって言ってたからあるだけ載せて行きましょ」
二人は色とりどりのパイロンを木製の台車に積むと体育倉庫を去って行った。
息を潜めていた二子木はマットの間から捻りでようとする。
その時、マットについているわっか状の持ち手に右足が潜り込んだ。
そして、やっと自由になった左足で地面を踏み込んだ瞬間、上がるはずの右足はマットに引っ張られ、二子木は前のめりに倒れこむ。
丁度、頭部の位置、そこにあるのはパイロンの刺さっていた円柱の棒。
それが彼の頭に鈍く強く衝突した。
息が漏れるが、言葉はでない。
すぐそばに居るはずの彼女らは、台車が小石を弾きながら進む音で体育倉庫内の惨状に気づいていない。
やがて、二子木は意識を失い。二度と目覚めることはなかった。




