第01話 トマトは弾ける
オレンジ色の光がより一層アスファルトを強く照らす夕方。
下校ラッシュはとうに過ぎ去り、買い物帰りの主婦がたまに見える以外は、いたって往来の少ない帰り道。
そのおかげか、二子木はその浮足だった恥ずかしい姿を誰にも見られずに済んでいた。
「春ですねー春ですねー僕の心も春ですねー。長い冬から抜けましたねーいやー誰だろうなぁ、同じクラスの美咲ちゃんかなぁ、それとも隣のクラスの雪ちゃんかな。まてよ、まさか落としたハンカチを届けてあげた桐谷先輩かも!いやーあふれんばかりの優しさにくらっときちゃったかなぁ、ぐへへえ」
気持ちの悪い独り言を漏らし、鼻の下をのばしながら歩いていると、大通りにほど近いところにテーブルの前で座っている人間が見えた。
黒いフードをかぶり、透明な球体を前に静かに座っている。
「んっ?あれって占い師か」
『占』の文字の書かれた小さな行灯が机の上に置いてあり、いかにもな風貌で占い師はそこに存在していた。
「どれどれ、ここはちょいと俺の明るい未来でも見通してもらおうかな」
浮ついた声でそうつぶやくとにやけながら占い師の方へと近づいていく。
占い師もその気配に気づいたようで背筋を直し、仕事モードに入ったようだ。
「占ってもらえますか」
二子木が尋ねると、占い師は無言のまま頷く。
目の前の椅子に座るよう促し、二子木が椅子に座ったところで話を切り出した。
「今日はどのようなご用件で」
透き通った女性の声だ。
目から下は布で覆われ頭にフードを被っているため、彼女の目しか見ることができない。しかし、それでも美人とわかる様な瞳をしていた。
「ええっと、これからのことについてが知りたいんです。できれば1週間前後の短い間なんですが」
「わかりました。目をつむって水晶に手をかざしてください。あなたのこの一週間にかける思いを頭の中に浮かべながら」
指示された通りに二子木は、頭の中にかわいい女子高生に屋上で告白されるシチュエーションを、何度も何パターンも思い浮かべながら水晶に手をかざした。
占い師も二子木のかざした手を包むように水晶に手をかざす。
それから、30秒ほど経ったところで占い師は口を開いた。
「見えました、もう結構です」
「どうなんですか!?僕の未来は!」
二子木はかざした手を戻すのを忘れるほど大きな期待を抱いて占い師に尋ねた。
微かに口元の布が動くのが見える。彼女は今まさに何かを告げようとしている。
「あなたは一週間以内に死にます」
それが、二子木に告げられた言葉だった。
この占い師は相手とのコミュニケーションを図ろうとはせず、無駄口も叩かず、お客とのアイスブレイクを狙うわけでもなく。
ただ単純に非科学的な『占い』によって二子木の未来を見通し、その言葉を告げたのであろう。
もちろん二子木はそんなことを望んではいなかった。
巧みな話術と洞察力に気圧され、次々と自分の喜びを口から垂れ流し、きっといいことがあると背中を押してほしかっただけなのだ。
占い師とはそういうものではないか、ここに訪れた時の自分の様子を見ていなかったのかと、二子木はそんな思いでもう一度尋ねる。
「えっと、僕の未来は?」
「あなたは一週間以内に死にます」
占い師は一度目を瞑り、その目を最大限に見開き、二子木を見つめ、再度口を開く。
「詳しくは教えられませんがこれは現在確定されている未来です。今日、死ぬかもしれませんし、明日死ぬかもしれません。ですが、確実に一週間後あなたは死にます」
占い師から告げられた言葉は、人生の絶頂期にいる二子木にはとても受け入れ難く、冷淡なものだった。
当然、二子木は怒りを覚えた。先ほどまでのいい気分を、赤の他人にぶち壊されのだ。
その上、内容が自分が死ぬときたのだから性質が悪い。
「そ、そんなことあるわけないでしょ!だってほら今日ラブレターもらったばかりなんですよ。こんな幸運が起きてるんだからこれから死ぬなんて、そんな死亡フラグ聞いたことないですよ」
「お代は結構です、悔いのないように過ごしてください。ではお気をつけて」
この時初めて、二子木は占い師がどこか悲しげな目をしていたことに気付いた。
冷やかしに来た高校生を追い返したような、かどを立てるようなそんな目はしていない。
「こっこんなインチキ、金なんて払うか!絶対一週間後にここにきて占いが外れてるって証明して見せるからな!」
そう捨て台詞を吐くと二子木は大通りへと向う。
一度振り返ると、占い師はまだこちらを見ていた。
口元を隠していた布は取られ、こちらを向いて何か口を動かしている。
しかし、二子木には聞こえない、分からない。
二子木はさっきまでの足取りとは違い、占い師の話が尾を引いているようだ。
しょぼくれたような顔で大通りへと出た。
車両はひっきりなしに往来し、建設中のビルもあり、先ほどまで歩いていた道とはだいぶ印象が変わる。
幸か不幸か占い師の言葉で気分の冷めた二子木は、それ以前の周りから見ればとても気味の悪い行動を、目撃されずに済んでいた。
「初対面の人に向かって死ぬとかはねーよ、死ぬなんて。どうせおれが妄想垂れ流しの頭の中お花畑で信号無視しちゃって車にひかれるとでも言いたいんだろ。おれもそこまであほじゃねーよ。ほい、赤信号はとまれ」
ぶつぶつと恨み事のように独り言をつぶやきながら、二子木は交差点の赤信号で立ち止まる。
他の通行人も二子木の停止に同調したようにその足をとめた。
『こんなとこで死ねるかよ、ったく、だけど』
あの占い師には引っかかるものがあった。
あの悲しげな目、その眼に何か引っかかるものがあることを、二子木は頭の中では分かっていた。
なにか自分が死ぬことは、彼女の所為によるものではないのか、彼女が占ったために自分の命が奪われてしまうのではないかと、そう思わざるを得ないような印象を抱いたのだ。
信号は青に変わる。
二子木は踏み出した。信号と歩みに促されるように答えが頭の中に浮かぶ。
そして、二子木は直感した。あの眼にこもった感情の意味を。
二子木は見ていた。振り返ると占い師の唇が動いていたことを。
二子木は把握した。同じ信号を待っていた歩行者が視界に映らないことを。
二子木は理解した。自身の真横に迫る高速の物体を。
その物体は速度を緩めること無く、二子木を弾き飛ばす。
『あのひと……ごめんなさいって言ってたんだ……』
とても明快な死亡フラグだった。
考え事をしながら歩いていてトラックに気付かず轢かれてしまう。そんな簡単なことに彼は気付けなかった。
トラックの運転手は衝撃により、睡眠から覚醒しブレーキをかけようとするも手遅れだった。
トラックの勢いは止まることなく弾き飛ばした二子木に追い打ちをかけようとしている。
二子木が地面に落ちるそのときだった。
暴走したトラックは二子木ごと停車していたタクシーへと突っ込んだ。
重圧で鈍い音が響き、肉と骨をすりつぶす音はかき消されてしまった。人々は誰もが立ち止まった。
そして、辺りから沸き起こる悲鳴、集まる群衆。慌ててトラックの運転手が降りるが、目の前の肉塊をみると口元を抑え目を逸らす。
ある者は警察に通報し、ある者はその肉塊を写真に収める。
盗難防止用のアラームが鳴り響いている。
道路には鉄の塊に挟まれた少年の血液と肉片が弾けるように飛び散っていた。
二子木尊は間違いなく絶命した。トマトを握り潰したかのように弾け飛んでいる彼が、何よりそれを証明していた。
二子木尊は死んだ。
◆
陰府月玲は実に奇特な運命に翻弄されていた。
高校入学後、やっと友達ができたところで父親の仕事の都合により転校することになり、新天地で頑張ろうといったところで酷い交通事故にあった。
彼女は事故により脳の一部に損傷を負い意識不明の重体に陥った。病院一の名医でも匙を投げたくなるほどの状態だった。
両親は絶望の中で悔やんだ、悔やみ続けた。
なんとか命の危機は脱したものの、彼女はいつ意識を取り戻すかわからないと医師から告げられた。
もっと何かしてあげられることはなかったか、何か助ける方法がないのか悩み続けた。両親が陰府月よりも先にこの世から消えてしまいそうなほどに。
父親にいたっては自分の転勤が娘を殺したのだと思いこみ、何度も目覚めない娘に土下座を繰り返していた。
そんな折、ある研究員から非常に魅力的な誘惑があった。
その研究員が持ってきた物は、脳内に埋め込むことで脳の一部の機能を代替するという物だった。
それを埋め込むことによって、彼女を現在の状態で眠らせておくよりも、意識を取り戻す可能性が格段に上がるというのだ。
悪魔に魂を売り渡していいと思っていた両親にとって、断ることの出来ない申し出だった。
さらに研究員は続けた。
様々な動物実験を経て成功していると。そしてそのテスターの対価として、入院費用を負担し、高校に新旧後の学年のとして復帰させるようにコネを使うということを約束してくれた。
まるで仕組まれたようなタイミングだ。しかし少しでも眠ったままの娘が起き上がり、またこちらにほほ笑んでくれるチャンスがあるなら、彼らが乗らないはずがない。
そうして彼女は、小鳥のさえずり、暖かな太陽の光の中、まるで祝福されているような病室の中で目を覚ました。
「ここ……どこ?」
それが彼女の事故後初めて口にした言葉だったが、その質問になど構うことなく両親は彼女を抱きしめた。
彼女の兄はそれを瞳に涙を浮かべながら微笑ましそうに見ている。
そして、陰府月は自分が事故にあったことを思い出した。
「心配かけてごめんなさい……」
両親の方を向いてそういった。
そして、兄の方に目を向ける。
「お兄さ
そこで言葉が途切れた。故意にではない。
頭の中にいままでに感じたことのない違和感が蠢いた。
視界ゆがむ。
強烈な吐き気、嫌気、違和感を排除しようと抗う拒絶反応。
まるで異世界にでも引き込まれるように。
脳に電流が流れるような衝撃を受け、目の前の光が消失した。
◆
そして再度瞳に光が戻った時、陰府月は病院にいなかった。
辺りはお昼時だろうか、太陽は高い位置であらゆるものを照らし、スーツ姿の人々が出歩いている。
その中に兄の姿が見える。両親の姿もだ。
一緒に歩いている。陰府月は追いかけた。
しかし、家族との距離は決して縮まらない。精一杯の声を張り上げても決して届かない。
そんな家族に近づく、やぼったい黒いコートの姿があった。
こんな晴れた日に、フードを深く被って顔を隠している。
その男が懐に手を突っ込んだ。チラリと日光が反射して見えた。
ためらうことなくそれを懐から取り出す。
刃物だ。
刃渡り10cm以上のサバイバルナイフ、それをさも当然のように持ちながら、陰府月の家族へと近づいて行く。
「逃げて、逃げて!!みんな逃げて!!」
いままで出したことのほどの大声をあげる。
しかし、それは決して届かない。
何度も、何度も、陰府月は叫ぶ。
そして、黒い男は兄の真後ろに着くと、その手に持ったナイフを深く深く背中へと突き立てた。
その瞬間、世界は暗闇に包まれた。
再び光が戻ると、そこは普段の病室で周りには両親と無傷の兄がいた。
「『お兄』ってなんだよ玲」
いつもの兄の笑顔だ。それを見た彼女の目から一筋の涙が頬を濡らした。安堵の涙だ。
「なにないてるんだ、おれに会えてそんなに嬉しかったかブラコンめ」
「変なこといわないでください、お兄さん、ただちょっとホッとしたら出ただけなので」
「玲、もうそろそろお昼だからお父さん達は外でご飯を食べてくるよ、甘味庵のゼリーをお土産に買ってくるからちょっとまっててくれ」
「はい、みかんゼリーをよろしくお願いしますね」
家族が病室を出て行くと用意された質素な病院食を口に運ぶ。それらを平らげると陰府月玲は少しの間、さっき見た嫌な白昼夢を消し去るような、幸せな夢を見ることを望みながら眠りにつくことにした。
自分の大好きな甘味庵のみかんゼリーを持ったみんなが起こしに来てくれるだろうと思いながら。
暫くして病院に家族が戻ってきた。しかし、お土産を手にしてはいない。
母親は焦燥し切った顔で玲の病室へと現れ、残酷な一言を残し膝から崩れ落ちた。
「兄が通り魔に刺されて死んだ」と。