第17話 リレイション・アンバランス
「尊くん見つかった?」
「あぁ、学習室で腐ってた」
「そう、何かあったの?」
「まぁ、本人の問題だな」
校舎の屋上には二人の男女がいた。
竜宮涼花と如月潮だ。
二人は肩を並べ、柵にもたれ掛かりながら食後の時間を過ごしていた。
竜宮と如月は幼馴染だ。
生まれた病院、育った地域、同じ小学校に通い、同じ中学校を卒業し、同じ高校に入学した。お互いがお互いを良く知っている。
そんな、理想的な幼馴染だ。
昔から竜宮と如月はよくここに二子木を交えて食事を取る。三人は中学から気の合う仲だった。三人とも予定のない日は一緒に帰ったり出掛けたりもした。
しかし、そんな仲も少しずつすれ違いはじめたのかもしれない。
竜宮は弓道の練習が、如月は様々な部活の助っ人、唯一何もなかった二子木も今では転校生や女王を侍らせドタバタとしている。
三人で昼食をとったり、三人で帰るような場面はめっきり減ってしまった。だからと言って、三人の仲が壊れることはないが、それぞれの中に少なからずわだかまりが生まれたのかもしれない。
「ねぇ潮くん、今度の土曜日って暇?」
「あぁ、今のところ用事は入ってないな」
「じゃあさ、買い物、つっ付き合ってくれないかな」
「あぁ、いいぞ、尊も呼ぶか?」
「えっいや、うーん二人ではだめ、かな?」
「ん?いいぞ、そういえば久しぶりだな涼花と二人で出かけるのは」
「そうだね!じゃあ詳細は後で連絡するからそれじゃあね」
竜宮は一人腰を上げ、屋上の重厚なドアからにこやかに姿を消した。
如月は始業のベルがなる直前まで、一人屋上から見える学習室を眺めていた。
◆
なにか、やらねばならぬ事がある時は時間は非情に早く過ぎていくが、つまらないと思えば思うほど、長く感じるものだ。
ベルがなるまで後十五分、授業が終わる五分前には、課題を提出させ、その後課題の解答を配布するのがこの先生のルールだ。
そして、答案配布後に提出されなかった課題は、時間外に一切受け付けないというのもルールの一つ。
二子木は最後の追い込みを掛けていた。あと二問解けさえすれば二子木は官軍となれる。
しかして、ピンチとチャンスに弱い男、二子木尊。焦る気持ちに汗ばむ手は課題の進行を妨害する。
思考はこんがらがり、うまく計算をする事ができない。あと二分で回収が始まる。そんな時、横から手が伸びてきた。
一枚の紙が手渡される。それは残り二問の解答だった。陰府月玲が渡してくれた。
最後の問題は、全十種類からランダムで決められている。陰府月の問題用紙は二子木のそれとは違う。
そして、竜宮も如月も違った。だから、二子木は見せてもらう事なく進めていたのだが、ここにきて助け舟が出た。
答えがあっているかなんてもちろんわかるわけはないが、途中式の序盤は合致しているところが多い。
二子木はありがたく丸パクリさせてもらう事にした。
ちょうど答えにアンダーラインを引いたところで回収の時間になった。課題は後ろから前へ送られ、解答が回ってくる。
陰府月から貰った解答は当たっていた。
「玲……ありがとう」
「いいわ、別に」
放課後、陰府月と二子木はばらばらに教室を出た。陰府月はどこか二子木に違和感を憶えていた。どこか、自分には悪いと思いつつ距離をとるような態度が見て取れたのかもしれない。
朝、あのラブレターには何が書いてあったのだろうか、陰府月には、あれを読んだ時から二子木の態度が変わったように思えて仕方がなかった。
校門の前で少し待っていると二子木が現れた。よう、といつもと変わらぬ態度を見せようとしているがどこかすこしぎこちない。
二人は、夕日に暮れる道を歩いている。二子木が初めて陰府月にあった時と同じような夕日に照らされ、どちらの顔もその表情を細かに確認することはできない。
「ねぇ、なんかあなたそっけなくない」
「そんなことはない、断じてない」
「わたし、あなたに感謝されるようなことはあっても、そうやって変な態度をとられる憶えは……あるかもしれないわね。今日の朝あなたが西原を主采に自家発電したって言ったのがそんなに不快だったかしら」
「端的に言い直さんでいいわ、ていうか別に態度なんて変わってない」
「嘘をつくと鼻の下が伸びるわよ」
「ピノキオじゃねーし、伸びるのは鼻だ」
二子木は陰府月より少し早く歩きだした。態度が変わってないというのは嘘だ。二子木はあの手紙を何より意識していた。女王や陰府月といった女は、確かにはたから見れば花畑の中でも存在を失わないほどに咲き誇る花のように、美しくうらやましい存在だろう。
しかし、二子木にとって女王は女王以外の何者でもないし、陰府月も命の恩人という認識以外はない。それはあちらも同じだろう。むしろこちらが恋愛感情を抱いても一蹴されるとも彼は考えていた。
そして、そんな情報を手紙の主に伝える手段はない。本当に自分自身に恋愛感情を抱き、思っていてくれる人物は手紙の主だけなのだ。
そんな人を悲しませる思いはしたくなかった。ただそれだけだったのだ。
「そういえば、あなたの家のお風呂、全壊したらしいけど、お風呂どうしてるの?」
「昨日は入らなかったな、汗かいてないし。今日は銭湯に行こうかと……」
「ついていくから」
「えっ?」
「あなたが死んでしまったら困るのは私だから」
二子木は陰府月の方を向き立ち止まる。
「マジでいってんの?」
「銭湯行ってみたかったし」
ため息を吐き、一度空を見上げたあと二子木は再び歩きはじめた。
「じゃあ、いまから行くか、夜道歩かせるのも悪いし」
「今からやってるの?」
「あぁ、なぜ潰れないのかわからねーところがあるぞ」
さらっと受け答えた割に、二子木の心はゲルニカめいた騒乱に震えていた。女子とお風呂に行くなんて、彼が夢にも思わなかった展開だ。
自分には縁の無いような展開がこうも続くと、彼としてはやはり冥土の土産なのでは無いかと疑いたくなる。
◆
この街に唯一存在する銭湯を一言で表せば、「廃業」だろう。磨りガラスから漏れる灯りと営業中の看板が出されてなければここがまだ開業していると思う人間はいない。
なにより、人の出入りが無い。郊外に出れば送迎付きのスーパー銭湯があるからだろうか、昔馴染みの老人でなければなかなか近寄らないのだ。
その老人もほとんどが……
もちろん、二子木と陰府月が入る時も番頭のお婆さん以外誰もいなかった。
どこからか、鹿威しの音が聞こえてきそうな、富士山の絵を眺めながら二子木は湯に浸っている。
隣からは、恐らく体を洗っているであろうシャワーの音が聞こえてくる。エロい、二子木は的確に迅速にそう判断した。
なるべく、その音を堪能する為におとなしくしていたが、ついに自分自身が恥ずかしくなり彼は口を開いた。
「いやー日本人はやっぱり風呂だなこりゃ」
がらがらの浴場で、そう壁を挟んだ陰府月に語りかける。
「誰もいないからって、随分とデリカシーに欠ける行動をとるのね、あなたは」
「富士山のような大きい心を持てよ、玲」
「残念だけど私の方は宝船なのよね。あっ、体位のことじゃないわよ」
「お前も大概だな」
陰府月が湯船に浸かる音が聞こえた。
二子木は富士山に背中を預けるのよう体勢を変える。湯を掻く音が静かな浴場内に響いた。
隣りにも当然聞こえたその音は、陰府月をして、顔を赤らしめる。
「あなた、私のシャワーの音聞いて、誰もいないことをいいことに粗末なポークビッツを奮い立たせて無いでしょうね」
「おいっ!二つほど間違いがあるぞ、奮い立たせて無いし、少なくともシャウ○ッセン位はある!」
「自分のサイズを淑女に晒して、快感を得るなんて酷い変態じゃない」
「俺が罵られない道はないのか」
「歩いてない野原に道はできないのよ」
陰府月は壁を隔てた相手には見えないと分かりながらも、実に得意げな表情をしてみせた。
すっぽんぽんの状態で仁王立ちしながらだ。
「いやなにもうまくねーよ、マジで」
「童貞……じゃなくて『道程』って詩を思い出すことね」
「失礼すぎるわ」
湯船から上がる頃には、二人を隔てる違和感は消えていた。元から大したものではなかったのかもしれない。
「仲がいいのは良いことだよ、また来てね」
番頭のお婆さんが声をかけて来た。二人は顔を見合わせて、顔の前で手を横に振る。
タイミングを測ったかのように二人の口からは同時に言葉が生じた。
「「いえ、仲良くなんてないですから」」
「おや、まぁ」
番頭は口角を上げてにやりと笑うが、そんなことは気にもせず二人は銭湯を後にした。




