第12話 醜い女王
女王は実に優雅だった。二子木の家は実に一般的な一戸建てであり、高所得者が集めているような調度品などは一切ない。それは彼の部屋に至っても同じだ。
初めは、女王が床に座ることを拒むのではないかとも考えていたようだが、それは単なる杞憂に過ぎず、ガラスのテーブルを挟み向かい合って座っている。
安いティーパックの紅茶でも彼女は文句を言わずにその麗しい口元へと運んた。
その寛大さも、女王たる器だろう。
「率直に申し上げます。玲を突き落としたのは誰なんでしょうか」
「そう……それは教えられないわ。あなた達で解決してちょうだい。そもそも陰府月さんが解決しないことには根本的な解決にはならないから」
「犯人をお庇いになるのですか?」
女王はティーカップを置き、一度咳払いをした。
「そうね、そうかもしれないわね。犯人が割れてしまうと、私とある人がその余波に巻き込まれてしまうかもしれないから」
「と言うことは女王は関係者だと言うことでござるか!」
「あなた、人間って好き?」
唐突な質問を女王は投げかけた。話をぶち切るような質問に二子木は少し苛立ちを覚える。しかし、顔には出さない。
「女の子は好きです閣下」
「そう、私は嫌い。人間って身勝手で狡猾で残忍だと思うの。私は人間の醜い部分があまりにも自然と受け入れられていることが嫌い。それが社会にすらなってるから」
「そうですね、私も人間は全て善人であればと思っています。誰もが自己犠牲を容易いものとし、1人が挫折すれば百人が手を差し伸べ、不平不満を漏らさずみんなが等しく生きていく社会が私の理想です」
「この国では危険な思想ね、好きな色は?」
「赤」
「好きな道具は?」
「鎌と槌」
「ハラショー!」
「巻き舌がお上手でございます」
「そうね、わたしも目指したいわ。皆が他人のことを思いやり、挫折したものを導き、誰もが平等で不満のない世界……あっ大事なことを忘れていました。あなたに狡猾で醜い私からお願いがあるの」
「どのようなご用件でしょうか」
「陰府月さんを突き落とした人がいたとして、その人はとても、わたしと同じくらい醜い心を持っているとしましょう。でもその人があなた達に十分償いをした後は許してあげてもらえないかしら?もしその人がわたしの友人だとしたら私はこうお願いするはずだから」
「お友達ってことじゃないですかー!!」
呆れた表情で立ち上がる二子木を女王はただ微笑んで見ていた。彼女にとっては些細な戯れに過ぎないのだろう。
既にティーカップの中身は無くなり、女王は帰り支度を始めている。
「まぁ、陰府月さんは犯人に気付いてると思うわ。犯人も相当アホなことしてシリアスな雰囲気をぶち壊したみたいだから」
「それならいいんですが」
「あっ、迎えが来たから帰るわね。あなたはここにいていいから。男の家に上がっていたなんて知られたらあなたの命が危ういし」
ドアの方へと向かい翻すスカートは他の女生徒にはない美しさがあった。
「本当に表にでてはダメだから。私の親が嫉妬に狂ってあなたを攫って体に爆発物とかいろいろとインプラントするわ、きっと。じゃあね、尊」
そういって、女王は帰っていった。彼女の訪問目的が二子木にはちんぷんかんだった。自分の保身のためなのか、犯人をかばうためなのか、あるいはその両方か。
それは彼女だけが答えを知っている。そういった物言いも彼女の言う醜さなのかもしれない。
「お嬢様、お迎えに上がりました」
黒いスーツに黒いサングラスをした、いかにもといった雰囲気の男が、リムジンの扉を開け女王を迎えた。
「ありがとう」
ソファーのようなイスに座ると一度ため息をつき、氷をハンカチに包み頬に当てた。喋りすぎて疲れたようだ。体はある程度鍛えているが、顔の筋肉はあまり使うことがないため、口を動かしすぎると頬の筋肉が助けを求めてくる。
「お嬢様、どのような御用で民家に?」
「お友達」
「お友達はもちろん女性の方ですよね?」
「お友達」
「男性の場合はお母様からの言いつけ通りに実力行使を行わなければなりませんが……」
「女のお友達」
「安心しました。では、お家までごゆっくお寛ぎください」
広い車内で女王は思う、母親はマッドサイエンティスト改め、マッドドクターなのだと。
十和子は研究所の所長と結婚した、インプラント関連の外科医療の権威だ。しかし、その裏の顔は人体実験大好き、その結果他人が死んでも研究の糧になったと喜ぶ女だ。
「美咲のご贔屓もこの前……」
江句洲十和子の狂気は、それがどのような人物であろうとその矛先を向ける。その狂気を凶器に狂喜する人間、女王としてではなく、一人の人間として雪は嫌悪していた。
◆
「彼女は正常にうごいているかい?」
「はい、E-05は現在も彼らを監視しています」
暗い室内、窓は無い。いや、窓をつけたところで意味の無い場所だ。
本来の空間としては広いようだが、そこには雑多な電子機器やランプの明滅する大型機械などが並んでいる。
壁の一面には映像が映し出されていた。パラメーターが常時変動し、パーセンテージ表記のある数字も目立つ、そしてその真ん中には逆さまの少女が映っている。
青い髪、黄と赤の瞳、顔は大変幼いその少女は口を開く。
「今のところ-アクシデントは-存在しません」
その抑揚の少ない声は生身の人間のものでは無い、合成された女性の電子音声だ。
「ありがとう、ラプラス」
「所長はE-05を人間みたいに扱いますよね、ただのシステムなのに」
「いずれは彼女の名が世界を統べることになる、相応の態度で接しなければならないさ」
「ただの危険予測システムがねーこんなのアメリカなんてもっと発達したの作ってますよ」
「ほら、いいから仕事にもどってくれ」
所長はその空間を抜けてすぐの自室へと戻った。実に簡素な部屋で本棚が一つとモニターを三つ扇状に並べたパソコンが机の上にあり、小さな冷蔵庫があるだけだ。
所長はその冷蔵庫を開き缶ビールを取り出すと、パソコンの待機状態を解除する。
画面には、さっき壁に映し出されていた少女が映っていた。
「おはよう、ラプラス」
「おはよう-ございます-前置詞さん」
画面の中の少女は、顔をほころばせ口を開く。まるで、生きている人間のように振る舞うのだ。
「彼女を知ってるかい?」
所長は机の上に置いてあった写真立てをモニタに取り付けられたカメラの方へ近づけた。
「前置詞さんの-お嬢様-ですね」
「ああ、そうだよ。君は賢いね」
「昨日も-一昨日も-8年前-初めて-わたしが-生まれた時から-毎日-聞いてるので」
「もう8年も会えてないのか」
「正確には-8年-「やめてくれ、なおさら悲しくなるよ」
所長は8年もの間この空間で過ごしている。この窓をつける意味の無い場所に来てから外にでたことは無い。それは、もちろん了承済みのことであったが、七歳で離れ離れになった娘だけは心残りであった。
「いずれはこの子がここの管理者になるんだよ」
「将来の-所長」
「そうだね、それじゃまた仕事を始めてくれ」
「了解-被検体-01-02-監視再開」
その言葉と共に、少女は画面上から消えていった。かわりに、高校生らしき制服を着た男女が別々の画面に映っている。
「早くここから出たいねー」
軽快な音を立て缶ビールの蓋が開く。所長はそれを勢いよく喉に流し込んだ。麦の香りが鼻を抜け、発泡が心地よく喉を踊り、何も食べていなかった胃の中に冷んやりとした潤いが訪れる。
「ここじゃ酒だけが娯楽だよ、まったく」
遠い目をしながら、所長は写真たてに顔を近づけた。愛しい娘の制服姿がそこには写っている。一年に一度妻から電子メールで送られてくる写真、成長していく娘の姿を眺めて酒で寂しさを紛らわす。そんな生活を彼は続けている。
「容姿は母親に似てよかったなー、性格は似ないでもらいたいんだけど。って、2人で暮らしてるんだし似ちゃうよね絶対、僕いないんだし」
所長は自嘲気味に笑った。




