『日の出る聖なる国。聖ゲンドラス教国』
本丸主塔の最上階、重厚な装飾が施された執務室の扉が激しい衝撃とともに打ち砕かれた。
室内に充満していた甘く退廃的な香煙を切り裂き、最初に足を踏み入れたのは、5歳の少女ルシアであった。その左右を、刃の血を拭ったばかりのエミーナと、冷徹な美貌を湛えたセシリアが固めている。
部屋の奥、豪華な絨毯の上にへたり込んでいたのは、ノバージェ共和国の最高執政官リョウ・マルディであった。 巨体を震わせ、汗みずくになりながら手元の中央銀行債権や金庫の鍵を掻き集めている。
「ひ、ひぃぃ……! な、何者だ! 警備兵はどうした! 守備隊は何をしている!!」
「無駄ですよ、マルディ執政官。ストロムホルムはすでに我らが制圧いたしました」
エミーナが淡々と告げると、マルディは顔を極限まで歪めて絶叫した。
「馬鹿な……! 不落の要塞ストロムホルムが、たった一夜で落ちるはずがない! お前たちはいったい何者なんだ!?」
「ふふっ、哀れな悪党さん。教えてあげるわ」
ルシアが愛用の錫杖を床にコツンと突くと、背後のセシリアがゆっくりと一歩前に出た。
窓から差し込む蒼白い箒星の光と、月光がセシリアを照らし出す。 漆黒の髪、深い紫の衣、そして凛とした瞳。その佇まいは、数分前まで血生臭い戦場にいたとは思えないほど気高く、神々しかった。
マルディは目を見開き、ガタガタと顎を鳴らした。
「そ、その紫の衣装……まさか……! 100年前に姿を消したという、あの帝国の影……『紫苑のヴィオレット』だと……!?」
「過ちを犯し、民を利権と借金で縛り上げた愚かな支配者よ」
セシリア(ヴィオレット)の声が、澄み渡るベルの音のように室内に響き渡る。
「『真理の光教団』の導きにより、今宵、ノバージェの不当な債務はすべて破棄されます。あなたの積み上げた偽りの富は、すべて虐げられた民へと返還されるのです」
「ふ、ふざけるな! 国家の経済は金融だ! 債務だ! わしの金だぁぁ!!」
狂乱したマルディが隠し持っていた短剣を抜き、セシリアへと飛びかかろうとした瞬間――ルシアが影のように滑り込んだ。
「お母様の美しき舞台に、泥を塗るんじゃないわよ!」
ドカァン!
ルシアの錫杖がマルディの鳩尾を完璧に捉えた。異能の衝撃波を受け、巨体は壁まで吹き飛んで激突し、金庫の鍵と権利書をばら撒きながら泡を吹いて気絶した。
◇
ルシアは散らばった権利書を足蹴にし、バルコニーの大きな観音開きの窓を一気に押し開けた。
夜風が室内に吹き込み、セシリアの紫の衣服を鮮やかにひるがえさせる。 眼下を見下ろせば、城下町を埋め尽くすノバージェの民と、戦いを終えた兵士たちが本丸を見上げていた。
「ノバージェの民よ、見上げなさい!」
ルシアが甲高い声を張り上げると、民衆は息を呑んでバルコニーを仰ぎ見た。 そこには、蒼白い箒星の光を背に浴び、降臨した女神のように佇む『紫苑のヴィオレット』――セシリアの姿があった。
「見よ! 悪しき執政官は倒れた! 今宵、あなたたちを苦しめていた全ての債務は消滅し、新たな聖なる光がこの国を包み込む!」
ルシアが仕掛けた「四つ葉のクローバー」の教義と、一夜にして悪政を打ち破った奇跡。 闇夜に一夜だけ咲き誇る幻の花『月下美人』のごとく現れた女神の姿に、民衆は歓喜の叫びを上げた。
「ヴィオレット様だ……! 伝説の月姫様が我らを救ってくださった!」 「四つ葉の光に栄光あれ!! 万歳! 紫苑のヴィオレット様万歳!!」
地鳴りのような歓声がストロムホルムの夜空へと広がっていく。 民は信じて疑わなかった。一夜にして旧国家が滅び、新しく平和な世界が授けられたのだと。
バルコニーの影で、ルシアは満足そうに口元を歪めた。 (ふふ……完璧ね! 『月下美人』のように儚く美しい伝説で民の心を奪い、新しい国と民の縁を『月下氷人』として完璧に結びつけてあげたわ!)
古書『la personne de glace sous la lune(月下氷人)』の教え通り、一国を宗教と演出で塗り替えるルシアの壮大なプロデュースは大成功を収めたのである。
「さあ、お母様、エミーナ! 本国の処理は完璧よ。次はお父様の待つサンブリア沖へ向かいましょう!」
ルシアは可憐にスカートの裾を広げて見せると、白地に緑の四つ葉が躍る自船へ向かって、ルンルンと足取りも軽やかに駆け出していった。ストロムホルムの北の樹海に超巨大都市が忽然として現れた。聖都クリスタルヘイムである。
ゲンドラス・サイリュンが教皇として国家元首になるべく、
飛ばされてやってきた。もちろんすべてルシアの異能の力である。ノバージェ共和国は『日の出る聖なる国』。『聖ゲンドラス教国』として生まれ変わったのであった。




