オーレリア外伝『ガラスと大理石の幼姫』その20
帝国歴310年、12月。
大陸オーレリアの南方に位置するアルヴェリア親王領は、冬の到来を感じさせないほど穏やかで、美しい光に満ちていた。その中心にそびえ立つ「アクアパレス」は、清らかな水と瑞々しい緑が調和した、まるで神話の世界から切り取られたかのような美を誇る宮殿である。その一角にある「蓮花宮」の庭園には、大輪の蓮の花が季節を忘れたかのように咲き誇り、水面を優しく彩っていた。
この広大で幻想的な宮殿のすべてを、自らの内なる「異能」の力……文字通り無から有を生み出すような力で雑作もなく創り上げた張本人こそ、アルヴェリア親王イリアードの母、フレデリカ・リヴィエールであった 。リヴィエール一族のなかでも突出した「オールラウンダー」として知られる彼女は、都市や宮殿を文字通り「仕立て上げる」ほどの絶大な力を持ちながらも、普段は穏やかな微笑みを絶やさない、気品に満ちた女性だった。
蓮花宮の回廊に腰掛け、温かい茶を口にしていたフレデリカの耳に、トトト、と小さく小気味よい足音が聞こえてきた。
振り返るまでもない。その愛らしい足音の主は、彼女の最愛の孫娘であり、この領地の愛すべき幼姫、4歳のルシアであった。
「おばあ様……」
いつもなら「おばあ様!」と元気いっぱいに飛び込んでくるはずの少女が、今日はずいぶんと大人びた、神妙な表情を浮かべていた 。小さな眉をきゅっと寄せ、何か重大な世界の危機でも背負い込んだかのような顔つきで、トコトコと歩み寄ってくる。
「おや、ルシア。いらっしゃい。今日はどうしたのですか? そんなに難しい顔をして」
フレデリカが優しく両手を広げると、ルシアは待ってましたとばかりにその膝元に潜り込んできた。セシリアやイリアード、あるいはリゼリアといった大人たちに叱られたとき、ルシアがこうしてフレデリカの元へと密かに甘えにやってくるのは、二人の間だけの特別な秘密だった。
ルシアはリヴィエール一族の歴史のなかでも「最強」と目されるほどの、凄まじい異能の素質を秘めて生まれてきた子だった 。まだ4歳という若さでありながら、頭のなかで思い描いたものを形にする「念創」の力を使いこなす。
「これ、おばあ様に……」
ルシアが小さな両手を合わせ、そっと開くと、そこには淡い光とともに、結晶化された美しい花の形をした髪飾りが生み出されていた 。ルシアがフレデリカのために心を込めて「念創」したプレゼントだ。
「まあ、なんて綺麗な髪飾りでしょう。ありがとう、ルシア。さっそくつけさせてもらいますね」
フレデリカがそれを髪に挿すと、ルシアはほんの少しだけ嬉しそうに頬を緩めた。だが、その瞳の奥にある曇りは消えていない。ルシアは誰よりも祖母想いの優しい子だったが、同時に、自分の驚異的な力が時に周囲を驚かせ、あるいは困らせてしまうのではないかという、幼いなりの葛藤を抱えていた。
何より、ルシアは知らないのだ。自分が今踏みしめているこのアクアパレスも、常緑宮も、もちろんこの蓮花宮も、すべて目の前の祖母が同じように「念創」の力によって、当たり前のように創り上げたものであるということを 。フレデリカはあえてそれを教えず、ただ一人の祖母として孫娘の成長を見守っていた。
「それで、我が家の可愛いお姫様。今日は誰に叱られて、どんなことで悩んでいるのですか?」
フレデリカがルシアの柔らかな髪を撫でながら尋ねると、ルシアは小さなため息をつき、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……お母様とお父様にね、ルシアの力は大きすぎるから、あんまりお外で使っちゃダメって言われたの。リゼリアお姉様にも、もっとお行儀よくしなさいって 。ルシアはね、みんなを驚かせたいわけじゃなくて、みんなが幸せになったらいいなあって思って、いろいろなものを創っているだけなのに……」
ルシアの小さな胸は、自らの持つ強大すぎる力と、それを制限しようとする両親たちの言葉の間で揺れ動いていた。
「だからね、ルシア、決めたの。ルシアの力は、みんなを優しく照らす『真理の光』なんだって。ルシアとお話しして、ルシアの光を信じてくれるお友達をいっぱい集めて、みんながニコニコできる場所を作ろうって……。ルシア、そういう『教団』を作ったの」
4歳児の無垢な発想。それは、自分の力を肯定してほしいという寂しさと、純粋な善意から生まれた、小さな秘密の「ごっこ遊び」のようなものだったかもしれない。ルシアは自分の生み出す光の力を『真理の光』と名付け、それを分かち合うための組織を自ら立ち上げたのだと言って、祖母の顔を不安そうに見つめた。
両親たちに「大きすぎる」と否定されかけた自らの力を救うために、4歳の本能が紡ぎ出した『真理の光教団』という存在。
フレデリカは、孫娘のその健気で純粋な、しかし驚くほど壮大な心の芽吹きを受け止め、静かに微笑んだ。そして、その視線を蓮花宮の向こう、広大な大陸オーレリアの空へと向けた。
「ルシア。あなたが作ったその『真理の光教団』、とても素晴らしい素晴らしい試みです。あなたの力も、その志も、決して間違ってなどいませんよ」
「本当……? ルシア、変なことしてない?」
「ええ、変なことなどありません。ですがね、お父様やお母様が心配するのも無理はないのです。なぜなら、どれほど素晴らしい光であっても、小さな部屋のなかだけで急に強く輝けば、人の目を眩ませ、驚かせてしまうからです」
ルシアは不思議そうに首を傾げた。フレデリカは、ルシアの小さな手をそっと包み込み、語りかけるような優しい、しかし確固たる意志を込めた声で、孫娘を諭し始めた。
「ルシア。あなたが創り出したその教団は、ただこのアルヴェリアの、あなたの手の届く範囲だけで終わらせてはいけません。あなたの『真理の光教団』はね、この大陸全土、すべての土地に深く浸透してこそ、最も大きな、そして最大の果実をもたらす結果になるのです」
フレデリカの言葉は、4歳の子供には少し難しいものだったかもしれない 。しかし、ルシアはその聡明な瞳で、自分の作った教団を祖母が深く肯定してくれたことに、必死に聞き入っていた。
「大陸全土に浸透する……? ルシアの教団が?」
「そうです。今、このアルヴェリアの小さな一角だけであなたが『教団の教祖』として力を振るえば、それは大人たちから見れば、ただの子供の危険な火遊びや、突出した異端の力として映り、制限されてしまうでしょう。だからこそ、焦ってはいけません。あなたの紡いだその光は、これからもっと広く、大きく、この世界全体へと行き渡るべきものなのですから」
フレデリカは、ルシアの小さな手を優しく握り直した。
「あなたが始めたその『真理の光教団』の思想が、大陸の隅々にまで行き届き、人々があなたの光を真に受け入れたその時、世界は初めて、あなたのその大いなる力を祝福する器となります。ですから、今は大人たちに反発して力を誇示するのではなく、適切にその教えを育み、時を待ち、広げていきなさい。あなたの教団は、世界を真理で満たすためのものなのですから」
4歳の少女が純粋な心で生み出した小さな組織。それをフレデリカは、一族の未来を、そして大陸の勢力図すら塗り替えかねない「絶対的な大義」へと昇華させるべく、その進むべき道を指し示したのだ。
祖母の格調高く、包み込むような言葉は、ルシアの心に深く染み渡っていった 。具体的な世界征服や政治的な意味までは分からずとも、「自分の作った教団は間違っていない」「いつか世界中を幸せにするためのものなのだ」という確信が、幼い胸のなかに確固たる灯火となって宿った。
ルシアの表情から、先ほどまでの神妙な曇りが消え去っていく。
「ルシアの作った教団……世界中に、届くかな?」
「ええ、必ず。私たちが、それを成し遂げるのです。ですから、お父様やお母様の言うことも、今は『光を大切に隠し育てるためのアドバイス』だと思って、静かに聞いておきなさいね」
「うん! おばあ様、ルシア、もっとお勉強も異能の練習もがんばる! ルシアの教団、おばあ様にもいっぱいついてきてほしいな!」
すっかり元気を取り戻したルシアは、フレデリカの胸にぎゅっと抱きついた 。その笑顔は、いつもの愛らしく、無邪気な4歳の少女のものに戻っていた。
「よしよし、良い子ですね。さあ、せっかく来てくれたのですから、美味しいお菓子でも食べましょうか。今日のために特別な木の実の焼き菓子を用意してあるのですよ」
「わあい! おばあ様のお菓子、大好き!」
ルシアは嬉しそうに跳ね起きると、回廊の奥へと走っていった。その小さな背中を見送りながら、フレデリカは自らの髪に挿された、孫娘が創り出した美しい髪飾りにそっと触れた。
4歳にしてこれほどの精度で物質を念創し、さらに自らの居場所を守るために『教団』という概念まで本能的に生み出す才能 。リヴィエール一族の未来において、この子が創り出した組織は、間違いなく大陸を統べる至高の象徴となるだろう。
「ふふ、本当に恐ろしい子。でも、誰よりも優しい私の可愛い教祖様……」
フレデリカは静かに立ち上がり、蓮花宮の美しい庭園を見渡した 。この宮殿を創ったのが自分であることを、ルシアが知る日はまだ先でいい 。いつか、この子が自ら創り出した教団の光で大陸全土を満たすその時まで、自分は最大の理解者として、この幼き最強の少女を優しく導き、守り続けるのだと、冬の澄んだ青空に誓うのだった。
アルヴェリアに吹く風は、どこまでも穏やかに、二人の秘密の宮殿を包み込んでいた




