オーレリア外伝『ガラスと大理石の幼姫』その14
帝国歴310年7月。
真夏の力強い潮風が駆け抜ける東海南部の沖合。 蒼天と見渡す限りの青い海を背に、一隻の美麗なる新造艦が波を打ち払いながら滑るように進んでいた。
アルヴェリア水軍の新鋭高速艦『ブラッド・エミーナ』。 かつてサンブリア沖海戦にて二度にわたり敵国ノバージェ艦隊を粉砕し、皇帝アラリックから帝国『水明将軍』の称号を賜った親王側室・セシリアの乗艦『アクアライト』。その重厚にして優雅な大型旗艦とは一線を画す、やや小ぶりで洗練された舟形を持つ艦であった。
『東海の錦族』と呼ばれる海の民を討伐し、その優れた航海術と造船技術を吸収・同化させてきたアルヴェリア水軍は、帝国海軍の旧態依然とした大型重装艦とは異なる独自の進化を遂げていた。
『ブラッド・エミーナ』の最大の特徴は、風を極限まで捉える3本の斜めマスト。 前部に展開された巨大な三角帆の純白な帆地には、鮮烈な『赤い蓮の花』の紋章が揺らめいていた。かつてサンブリア沖海戦において、セシリアの命を受け、旗艦への決死の特攻(追突)を見事に成功させて勝利を呼び寄せた奇跡の特攻隊長——エミーナの名を冠した、決死隊の船に相応しい勇猛なる高速艦であった。
その『ブラッド・エミーナ』の船首甲板。木目の美しく磨かれた甲板の尖端には、鞘に収まった細身の長剣が力強く突き立てられていた。 その剣の柄に手をおき、佇んでいるのは、軍服に身を包んだ凛々しき侍女・エミーナである。
次の瞬間——。 カサ……と、微かな空間のゆらぎとともに、エミーナのすぐ背後に一人の可憐な少女が姿を現した。 空間跳躍。 セシリア譲りの可憐な銀髪を風になびかせ、宝石のような大きな瞳を輝かせた四歳の姫君、ルシアである。母親譲りの超美少女でありながら、その内に秘めた異能は世界を揺るがすほどに巨大。高慢で、我儘で、高飛車、そして天真爛漫な小さな女王様であった。
エミーナは静かに振り返ったが、別段驚いた様子も見せなかった。 「ふふ……ルシア様」 エミーナの口元がやわらかな苦笑いに綻ぶ。それもそのはず、数日前にアクアパレスのルシア宮にて、「わたくしもエミーナみたいなカッコいいお船が欲しいですわーっ!」と床を叩いて喚き散らしていたルシアの姿を、彼女は一番近くで見守っていたからだ。
ルシアは小さな腰に手を当て、ドレスの裾を風になびかせながら、つんと澄ました顔でエミーナを見上げた。 「エミーナ。わたくしもこの船で戦いますわ!」 堂々たる参戦宣言。四歳児の放つ言葉とは思えぬ迫力だが、エミーナは静かに首を傾げ、優しく問いかけた。 「ルシア様。セシリア様には……?」 「……むぅ」 セシリアの名前を出された瞬間、ルシアは分かりやすく目線を泳がせ、ぷくっと頬を膨らませた。 「お、おかあ様には内緒に決まっていますでしょ! 『勝手にお船に乗ってはいけません』ってお説教されてしまいますもの! だからエミーナ、わたくしを黙って乗せていきなさいな!」 高飛車に命じるルシアだったが、その手はしっかりとエミーナの軍服の裾をキュッと握りしめていた。母に叱られるのは怖いが、大好きなエミーナの活躍を一番近くで見たい、そして手伝いたいという、我儘で愛くるしい本心が透けて見えている。
「ふふ、仕方のないお嬢様ですね。ですが、ルシア様をお乗せするからには、私の命に代えてもお守りいたしますわ」 「ふふん! 守られるのはエミーナの方ですわ! わたくしの異能があれば、どんな敵だってイチコロなのですから!」
ルシアが誇らしげに胸を張った、まさにその時であった。
「報告! 前方、及び側面に多数の船影! 本艦を包囲する動きを見せています!」 見張り台の乗組員から、緊張の走る叫び声が上がった。 エミーナの表情が一瞬で凛々しい『将校』のものへと切り替わる。彼女は船首の長剣を抜くと、水平線の彼方を鋭い眼光で見据えた。
広がる青い海の先、波間を割って姿を現したのは、大小取り混ぜた数百隻におよぶ不揃いな軍船の群れであった。 「南海の海賊……!」 エミーナが呟く。 主に東海・南海の沿岸地域で活動する多国籍のならず者集団。彼らは特定の首領を持たず、いくつかのグループによる合議制で動く厄介な存在だった。中には過去に帝国軍から船ごと逃亡してきた脱走兵も含まれており、旧式の帝国軍船や大砲までも所有している。 かつて東海の覇権を争っていた『東海の錦族』がアルヴェリア軍に討伐・同化されて以来、南海の海賊に関する情報網はアルヴェリア水軍が最も精通していた。
「数百規模の艦隊で縦横無尽に囲い込む戦術……相変わらず、集団でしか動けない愚か者たちですね」 エミーナが冷ややかに言い放つ。 海賊の旗艦らしき大型船から、ダンダンッ! と不気味な空砲の音が響き、降伏を迫るように距離を詰めてきた。高速艦とはいえ、一隻で数百の船団に囲まれれば一瞬で蜂の巣にされる——それが海戦の常識であった。
しかし、『ブラッド・エミーナ』の船上にいるのは、常識の通用しない二人であった。 「ふん! あんな汚いお船の集団、ルシアの足元にも及びませんわ!」 ルシアが前に歩み出ると、その小さな両手を天にかざした。 「ルシア様?」 「エミーナ! あの海賊さんたちにおしおきをして差し上げますの!」
ルシアの全身から、眩いばかりの黄金色と真珠色の光が溢れ出した。大気が激しく震え、周囲の海面がまるで生き物のようにうねりを上げ始める。 「さあ! ドカンと吹き飛んでしまいなさいな!」 ルシアが可憐な声で叫んだ瞬間——海賊艦隊の真ん中の海面が、突如として爆発的な旋風とともに巨大な『大渦』へと姿を変えた。
ドオオオオオンッ! 「な、なんだあああっ!?」 「海が……海が渦を巻いているぞ!?」 海賊たちの悲鳴が響き渡る。ルシアの感情の爆発に反応した天変地異の異能が、南海の海を意のままに操り始めたのだ。縦横無尽の戦術を誇る海賊の数百の船団は、突如出現した巨大な渦潮に巻き込まれ、次々と同士討ちを始め、大混乱に陥っていく。 さらに、逃げ出そうとした海賊船の上空に、ピンポイントで小さな「雷雲」が発生し、バチバチと激しい紫電が海賊船のマストを撃ち抜いた。
だが、大混乱の中でも一隻の巨大な大型軍船が、逃げ道を塞ぐようにじわじわと圧迫感を増しながら接舷を試みてきた。 ルシアが前に歩み出ると、セシリア譲りの瞳をキラリと光らせた。 「エミーナ! あの大きいお船のおじさん達を直接やっつけに行ってあげますわ!」 「ええ、ルシア様。この船の得意な戦術は……『突撃』ですから!」 エミーナの唇が不敵に吊り上がる。
接舷間近、至近距離からブドウ砲を撃ち込む。 悲鳴と木材の粉砕音が鼓膜を震わせるのと同時に、敵艦の右舷には複数の大穴が空いていった。
「参りますわよ!」 ルシアが叫び、 「突撃!!」 エミーナが剣を振りかざした。 兵たちが梯子を渡すと、一斉に敵艦へ雪崩れ込んだ。
乱闘の準備をしていた海賊たちが、甲板中央に突撃してきた軍服の美女と四歳の美少女に度肝を抜かれた。 「お邪魔しますわ、海賊さんたち!」 着地と同時に、ルシアの錫杖が炸裂した。ルシアが可憐にすり抜け、海賊たちの膝の側面を殴打していく。シャンシャンと錫杖の金環が鋭い音を、海賊の悲鳴と共に鳴り響かせた。
脚をやられ動きが鈍った海賊たちに、エミーナたちの切先が襲いかかる。 「な、なんだ!? 足が……!?」 「敵襲! 敵襲だああっ!」 パニックに陥る海賊たちの中を、一筋の銀光が駆け抜けた。
「はああああっ!」 足をとられた海賊たちに対し、エミーナは一瞬の迷いもなく踏み込むと、細身の長剣を閃かせた。 ドカッ! バシッ! キィィン! 「ぐはっ!?」 「くそっ、ただの小娘じゃないぞこの女——!」
エミーナの剣閃は鋭く、そして苛烈を極めた。剣の腹で顎を打ち抜き、柄頭で胸板を粉砕し、容赦なく群がる海賊たちをなぎ倒していく。ルシアの錫杖によって足止めされた海賊たちは、エミーナとアルヴェリア兵の圧倒的な攻撃の前に手も足も出ず、次々と甲板に転がされた。
「ルシア様、お下がりください!」 「ふふん! ルシアもお手伝いしますわ!」 ルシアが錫杖を一振りすると、エミーナに背後から襲いかかろうとした大男の持つ斧が、一瞬にして可憐な「薔薇の花束」へと姿を変えた。 「な、なぁっ!? 斧が花束に……!?」 「隙ありですわ!」 困惑する大男の顔面に、ルシアの鮮やかな飛び蹴りが炸裂する。四歳児の蹴りとは思えぬ威力に、ドゴォン! と音を立てて大男が吹き飛び、そのまま海へと転落していった。
異能と錫杖で次々と敵を無力化する四歳の姫ルシアと、その隙を寸分たがわず突いて無双の白兵戦を展開するアルヴェリア兵士。そして華麗に立ち回る凛々しき侍女エミーナ。 アルヴェリア水軍の誇る特攻精鋭部隊の前に、海賊の甲板はわずか数分で静まり返った。
転がる海賊たちの中心で、エミーナは息一つ乱さず長剣の血を払うように一閃させ、見事に鞘へと納めた。 「ふぅ……まずは一隻、制圧完了いたしましたわ」 「ふふん! ルシアとエミーナの完全勝利ですわね!」
包囲しに来た数隻の海賊船は、僚艦が一瞬で壊滅させられた光景を目撃し、狂わんばかりの恐怖に陥っていた。 「ひいいいっ! 化け物だ! 悪魔だあああっ!」 「逃げろ! こっちもやられるぞっ!」 海賊たちは蜘蛛の子を散らすように舵を切り、全速力で逃走を始めた。あんな怪物たちと戦えるはずがない。
「あら、逃げていきますわね」 ルシアが腰に手を当ててつまらなさそうに呟くと、エミーナはクスリと優しく笑い、膝をついてルシアの目線に合わせた。 「見事なご活躍でしたよ、ルシア様。ですが……」 エミーナは北の方角を指さした。 「……あちらをご覧ください」
ルシアがハッとして見やると、アルヴェリア艦隊とセシリアの乗船する旗艦『アクアライト』が迫って来ているのが見えた。 「た、大変ですわーっ! おかあ様にカンカンになって叱られますわーっ!」 青ざめるルシアの可愛らしい姿に、エミーナは楽しそうに声を上げて笑った。 「ふふ、急いで『ブラッド・エミーナ』に戻りましょう。セシリア様へのお言い訳を一緒に考えなければなりませんね」 「エミーナぁ! ルシアを庇ってくださいましーっ!」
ふたりは手を繋ぎ、再び梯子を渡って自艦へと戻った。 『ブラッド・エミーナ』の甲板から空を仰ぎ見ると、三角帆の赤い蓮の花が優雅に揺らめいていた。




