メロンパンの花嫁
私の名は、ゾフィー・フォン・エーデルガルテン
婚約者の名は、フリードリヒ・フォン・ホーエンベルク
そう、私たちは近々結婚する予定だった
あの方が現れるまでは……
「ゾフィー、話がある」
学園のお昼休み、いつものように図書室へと向かおうとしたそのとき、フリードが声をかけてきた。珍しい、昔はよく一緒にホーエンベルク家のお庭で遊んだものだが成長しお互いに勉学や部活動で忙しくしていてなかなかお顔を合わせることができていなかった。
久々に話しかけてこられたかと思ったら学園の中庭へと呼び出されたのである
「何でしょう?改まって」
「実は……その、一応私と君は婚約者同士ということになっているな?」
「……ええ」
一応とは素っ気ない言い方である。仮にも16年ほど同じ関係を続けてきたというのに、まさかこの期に及んで婚約破棄なんて言うのではないでしょうね?
「その婚約を解消してほしい」
そのまさかだった……。ついに私にもやって来たのね
巷では数年前から長年連れ添った婚約者や散々尽くしてもらった妻を容赦なく切り捨てるというイベントが盛んに行われていることは流行りに疎い私の耳にも入ってきてはおりました。
ですがこの私がされるなんて思ってもみませんでしたわ。
だって私はこの方のお側を片時も離れず慕ったり、尽くしたりなんて3分時計の砂粒ほどもございませんでしたもの。そんなことより何より私は本が大好き。俗にいう本の虫、ゾフィアリ虫なのですよ。そんな私がいきなり婚約破棄だなんてそんな大それたイベントを……真っ昼間の学園のど真ん中で行われるなんて、思いもよらなかった……ああ、ほら2階の渡り廊下からちらほらと視線が……ああ、なんて快感なんでしょう。私、こんなにも人の目についたことなんてありませんの。だって、ゾフィアリ虫ですのよ?アリより小さい存在感でクラスメイトの片隅にもおけない私ですよ?フリードは優しい。こうやって面と向かって婚約破棄を伝えてくださる。なんて凛とした背中……ああ、向こうを向いて私を視界にいれないようにしていらっしゃる。なんて素敵な方なんでしょう愛らしく華やかなで甘やかな方以外そばにおかないようにするとても賢明な方ですわ
こんな方にはあの方のほうがよっぽどお似合いよ。そうだわ、
「マリーレとご結婚なされては?」
「……え?」
私はいま馬車に揺られてアフ・ナットルンド邸へと向かっている
ガタンガタン
私の新しい嫁ぎ先が決まったのだ
どんな方なのか詳しくは知らない
だけれどとても心が踊っておりますの、だって物語の始まりみたいではありませんか?花が咲き蝶が舞う。両脇には緑が整えられ生け垣が並ぶ。まるで私を優雅なお庭へと誘っているような気分なのです。おっといけない、また空想の世界へと足を踏み入れるところでしたわ
しゃんとしないと、お父様に叱られてしまいます
馬車が止まり、目的地へとフレームイン。
夢にまでみたあの方へとお近づきになれるのね、どんな方か知らないけれど。
夢にまでみたのは本当よ、毎晩眠りに尽こうと目を瞑ってみては目蓋の裏に浮かぶ幻。それを振りきってみてやっとのことで睡魔が救いに来てくれたと思いきや今度は夢想となる。思いもしなかった……こんなに眠ることが恐くなるなんて……そう、恐い。知らない誰かの嫁にいきなりなるなんてしかも遠くはなれた異国の地で
私は現実に返った。かえりたくなかった……ずっと現実逃避をしていたかった……あの日からずっと中庭でのフリードの言葉を聞いてからずっと逃げてきたのに、どうして……いえ、どうしてもこれは避けられない。しっかりしなさいゾフィー。……もう逃げられないのだから。
私は意を決して馬車を降りる
そこで待っていたのは……
「はじめまして、遠いところよくいらっしゃいました
私はこの家の当主、クララ・アフ・ナットルンドと申します
ゾフィーさん、お待ちしておりました」
と、クララ様は両手でスカートの裾を少しだけ持ち上げてにこっと清らかな笑顔を私に向けてくれた
その爽やかな澄んだ瞳は私の心を落ち着かせてくれた
それがクララ様と私の最初の出逢いでした
なぜでしょう?私はなぜこの方と優雅にお茶をしているのでしょう
「あ、あの……」
「ゾフィーさんは、なんと言われてここへ?」
「え?えと……お父様にとにかく素敵な方でハッカのごとくスースーする方だからくれぐれも粗相のないようにと」
「あら正直な方」
「ああ!すみませんっ緊張していて」
「緊張?私に嫁ぐのは嫌かしら?」
「い、いえ……嫌と言いますか、なんと言いますか……まさかアフ・ナットルンド家のご令嬢だとは」
「子息だと思っていらっしゃったのね、まぁそうよねぇ……」
「……」
沈黙。
すると、どこからともなく見たことも聞いたこともない焼き菓子?が登場。バターの香りがかぐわしいそれをクララ様がひとくち
私もひとくち
「これはね、パンの一種なのですよ」
「パン、なのですね……」
「ええ、メロンパンと言うの。私の大好物。ゾフィーさんも気に入ってくれるといいのだけれど」
そう言うとクララ様は紅茶がなみなみと注がれたティーカップにその艶やかで甘美な唇をすべらせる
「ゾフィーさんもどうぞ」
「い……いただきます」
私はクララ様に言われるがまま香り豊かなそれを口許へと運ぶ
「おいしい……」
さわやかなベルガモットの香りが口のなかに漂い、すっきりとした余韻にかつて旅行で訪れたことのあるリモーネ国を思い出す
そのときはまだ、フリードとも仲睦まじく……
ぽたっ、ぽたっ
「ぅう……」
なんてこと……クララ様の前で私ったらはしたない。でも、とまらないのです……勝手にじわりと溢れて粒となり目からこぼれ落ちるのです
「ゾフィーさん」
そのとき、クララ様は私の手をとりました
そして、さきほど紅茶で湿らせたその場所を私の指先へとそっと近付けたのです
一瞬でした。触れた柔らかさがそのまま私のハートへとダイレクトヒット
「甘さのかたまりと茶色い液体がベストマッチ」
「ぅう……おいしぃでずっ……ぐずっ」
「それで?心は決まりまして?」
「……メロンパン」
「はい?」
「メロンパン、好きなだけ食べられますか?」
「ええ、もちろん」
「べすとまっち」




