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【連載完結】姉と違って、私は貴方を見捨てたりしないわ。  作者: 逆立ちハムスター


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6

 床に広がった鮮血は、ラナリアの亡骸を静かに飲み込んでいく。俺は剣を鞘に収め、荒い呼吸を整えた。


 床の上で、ユリオスが動いた。

 彼はラナリアの死体から目を背け、虚ろな表情で俺を見つめた。その瞳には、もはや生への執着も、妹への憐れみも残っていない。ただ、深い霧の奥にあるような、底知れぬ空虚だけがあった。


「……アラクネは、ゲホッ、ゲホッ……どこだ?」


 掠れた声が、肺の奥から絞り出されれいるようだった。


「アラクネは……どこだ? 私の、アラクネは……」


 彼は、ラナリアの自害も、彼女が口にした呪いの真実も、全てを拒絶しているようだった。彼が求めているのは、ただ一人。彼を愛し、彼が愛した女性だけだ。


「……待ってろ」


 俺は短く告げ、屋敷の外へ出る。嵐の前触れのような、重く湿った空気が肌にまとわりつく。屋敷の家屋の傍らに、そっと下ろしておいたアラクネの亡骸。


 俺は彼女を丁寧に抱え上げ、再び屋敷の中へと戻った。

 冷たくなった彼女の体は、羽毛のように軽い。だが、その重みは、俺の心に鉛のように沈み込んでいた。


 寝室へ戻ると、ユリオスはまだ同じ姿勢で、虚空を見つめていた。

 俺がアラクネの亡骸を側の床に傍らに横たえると、彼の瞳に、一瞬だけ生気が戻った。


「……アラクネ?」


 ユリオスは、信じられないものを見るかのように、彼女の顔を凝視した。

 土に汚れ、血に染まった白い外套。だが、その顔立ちは、彼が愛したアラクネその人だった。


「ゲホッ、ゲホッ、彼女は……彼女は……死んでしまったのか!?」


 ユリオスの悲鳴が、部屋に響き渡った。

 彼はベッドから這い出すようにして、アラクネの亡骸に取りすがった。


「アラクネ! 目を開けてくれ! 私だ、ユリオスだ! ゲホッ、ゲホッ」


 彼は彼女の冷たい頬を撫で、何度もその名を呼んだ。だが、彼女はもう、何も語らない。

 ユリオスは、アラクネの亡骸を抱きしめ、激しく泣き崩れた。


「……げほっ、げほっ!」


 咳が、再び彼を襲った。

 それどころか、咳はさらに激しく、深く、彼の体を内側から引き裂くかのように続いた。


「彼女は、すでに蜘蛛になってしまっていたんだ」


 俺は、動かなくなったアラクネを見つめながら、静かに告げた。


「あの洞窟で、俺に襲いかかってきた。……だから、仕方がなかった。すまない。」


 俺の言葉に、ユリオスの動きが止まった。

 彼はアラクネを抱きしめたまま、ゆっくりと、首を巡らせて俺を睨みつけた。


「……襲ってきた?」


 彼の声は、地を這うような低音だった。


「じゃあ……あんたが殺したのか。アラクネを!! 私の愛しいアラクネを!!」


 ユリオスの瞳に、激しい憎悪が燃え上がった。


「彼女は何人も殺していた。……奴隷たちをだ。だから……」


「いいや!! あんたが殺したんだ!!」


 ユリオスは俺の言葉を遮り、叫んだ。


「呪いと分かっていたのに! 彼女が苦しんでいたと分かっていたのに! あんたが……あんたが殺したんだ!」


「すまない……」

俺が呪いだと早く見抜けていれば、結末は違っていただろう。


「……げほっ、げほっ!」


 叫んだ直後、ユリオスは激しく吐血した。

 どす黒い血が、アラクネの白い外套を、さらに赤く染めていく。


「なぁ、落ち着け。じゃないと、あんたも死んでしまう」


「黙れ!! ゲホッ、ゲホッ、 お前が殺したんだ! 全部、お前のせいだ!!」


「……げほっ、げほっ、ぐはっ!」


 ユリオスは再び吐血し、そのまま床へ崩れ落ちた。


「大丈夫か!?」


俺が手を伸ばそうとすると、ユリオスはそれを激しく拒絶した。


「私に……触れるな!! ……げほっ、げほっ!」


 彼はアラクネの亡骸から離れまいと、自身の血で染まった手で、必死にアラクネの亡骸を抱きしめていた。


 彼はアラクネの亡骸にしがみつき、彼女の冷たい体に顔を埋めた。

 激しく泣きながら、何度も、何度も吐血を繰り返す。

 彼の血が、アラクネの血と混じり合い、床に大きな血だまりを作っていく。


 そして。

 ユリオスの身体から、力が抜けた。

 彼はアラクネを抱きしめたまま、二度と動かなくなった。


 部屋に残ったのは、鉄の匂いと、静寂。

 そして、二度と離れることのない平穏と、三人の亡骸だけだった。



しばらく後……。



 俺は、三人の亡骸を、屋敷の裏手にある、陽当たりの良い場所に立つ木の木陰に埋葬した。

 アラクネとユリオスを隣り合わせに。そして、少し離れた場所にラナリアを。

彼女もまた、呪いで苦しんだ一人の女性に過ぎない。


 思い出の遺品を入れ、土を盛り、墓標を立てた後、俺は摘んできた名もなき花達を、それぞれの墓に丁寧に添えた。


「……安らかに」


神への祈りなどない。こんな惨状を幾度となく見てきた俺にとって、もはや神など高慢な観察者でしかなかった。


 俺は一呼吸置き、屋敷を振り返った。

 主を失った建物は、嵐の前触れのような静けさの中で、ただそこに佇んでいた。


 俺は外套を翻し、街道へと向かって歩き出した。

 湿った土の匂いの中に、はっきりと、呪いの残臭が残っていた。

 その匂いを、俺は決して忘れない。


 ふと。

 心の奥に刻まれた古傷が、疼き始めた。

 霊峰の頂で、すべてを理解し「過ち」を悟った、あの時の古傷だ。


……また、痛んでくるのか。


 俺は疼く傷を現実で覆い隠し、前だけを見据えて歩き続けた。

 俺の旅は、まだ終わらないようだ。

 この疼きが消えるその日まで。

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